第一三話 わからない
「どうしてこんなことするの?」
と、赤き姫君は云う。
云いながら、剣を上空へと投げ捨てる。
鉄製の大剣はぐるんぐるんと中空を切り裂き回転して、鈍い音を響かせて、やがて地面へ突き刺さった。その行動に、どういった意味があるのかとボクは考えたけれど、答えを導きだすよりも先に、赤き姫君は宣言する。
「ボコボコにしてやる」
それは、徒手空拳による撲殺の宣言。
殴って殺す。
そういった脅し。
「待って」ボクは云う。「争う気は、ない」
赤き姫君は眉をひそめて答える。
「お前の言葉がほんとかどうかなんて、わかるわけないじゃない」
「ほんとだよ。ただほら、この世界で死ぬと本当に死んじゃうって、ボクたち訊いたことがあったから」
「それが?」
「それが本当なら、さっき君がしたことは殺人だよ」
「お前は、わたしが殺人者になるのを止めるためにでてきたのか?」
「ボクはべつに、君が殺人者なろうとかまわないけど、レリカはいま、ボクとパーティーを組んでいるから、彼女に危害を与えるつもりならこうするしかない」
「勇ましい奴だな」
「お願い、逃がしてよ」
「条件によって、考えてあげてもいい」
「ふざけないで」
と、レリカが容喙した。
そのまなざしは怒りに満ちていて、対峙する少女と同じ色に染まっている。
深く濁った、血染めの赤。
怒気で満ち満ちた眼。
「殺人行為は、絶対に認めない」
「君が認めようが認めまいが、知ったことじゃない」
「私だって、知らない」
「殺人行為なんて、別のやつもやっているよ」
「それは、いまここで君を見逃す理由にはならない」
「まちがってる」
「……なにが?」
「理由を、どうして訊いてくれないわけ?」
「理由?」
「おかしいよ。逆だよ」
「逆?」
「この人たちが、最初にプレイヤーを殺したんだ。しかも、犯行動機はなんだと思う? 遊びでだよ? 愉快犯ってやつ。それで、その方法っていうのが本当に外道。人倫に悖った行為だったのさ。ほら、この世界だといま、拷問が流行ってるじゃないか」
「……拷問?」
「知らないの? この世界ってゲームの世界だけど、一応痛覚ってあるじゃない。どういう原理なのか、実際に感じる痛みは現実のそれとはかなり違って緩和されているみたいだけど。それで、この白きトーマとエリー。こいつら、敵対ギルドの連中を複数人で囲っては攻撃して、んで回復させてってことを繰り返してたわけ。なんで回復させるかっていうのはわかるでしょ? 回復すれば躰はすぐにもと通りになるわけだから、つまり、永続的に痛覚にダメージを与え続けることが可能なわけだ。そうするとね、痛みでね、最後には心がぶっこわれちゃうんだよ。心が弱いとか、強いじゃなくて、人間なら絶対にぶっ壊れちゃうんだよ。いくら痛覚が鈍くても、タンスの角に小指ぶつけるくらいの痛みでも。考えてみてよ。そんなことが何時間も、何日も続くんだよ。ライフが全回復して、怪我が完治しても、精神はイカレたまんまになるんだよ。狂っちゃうんだよ。人格の崩壊。うまく喋れなくなるし、まともに歩くこともままならない。そうなっちゃった人を観察するのがこいつら、すごく楽しいらしくてさ、低レベルプレイヤーだったり、プレイヤーからむかつく奴の名前を書かせて、集計結果一位になったやつを片っ端から拷問していったの。いつの時代の人間? って感じでウケるんだけど、そいつら、わたしの友達も拷問にかけたの。唯一友達だった子を、くだらない理由でいびったの。だから殺した。殺して然るべき屑だよ、この人たちは」
「レリカ」と、ボクは云う。
それを遮って、赤き姫君は云う。
「レリカちゃんっていったよね? たしかに、わたしの行為は私刑であって、それはたしかにいけないことかもしれないけれど、だからってこの人たちを野放しにしてたら、もっと犠牲者がでるんだよ。それでもいいって思う? わたしはそうは思わない。そうは思えないよ、絶対に。裁ける悪が目の前にいて、この手に裁ける力があるのならば、わたしは全力の限りをだして悪を討つよ。ねえ、それってレリカちゃんがいまやっていることと、どう違うの? 立場がちがうだけなんじゃないの? ねえ、教えてよ。答えてよ。わたしは、本当に悪いことをしたの? 本当に、赦されないことをしたの? いまこうしてこの人たちを討ったことによって、何人かのプレイヤーは救われたんだよ。それって、とても良い行いじゃないの? 法律っていうのは絶対じゃないんだよ。世相によって変わっていくものなの。じゃあこの世界に於いての法はどうあるべきだと思う? 政治家がいるわけでもない。それらの基盤となるシステムも存在しているわけでもない。わたしたちは、わたしたちの手で自治していかないとダメなんだよ。いま、この世界に現実世界のルールを持ち込むべきじゃない。だって、ここは現実世界じゃないんだから。専門家でもない癖に、中途半端に聞きかじった知識で組み立てちゃだめなんだよ。私たちがいまできることは、各々が自分が正しいと思える道を選んでいくしかないの。それがたとえ、前時代的だとしても。愚かな行為だとしても――」
「レリカ!」ボクは叫んだ。「こいつ、時間稼ぎをしてる!」
その言葉がレリカの耳朶を打ってからどれくらいで理解されたのか。
レリカは、はっとして、パープルハーブを持って二つの遺体へと駆け寄る。
愚直に。
ただまっすぐに。
ボクは必至に呼びかける。
しかし、風圧がボクの目の前を通り抜けて、その言葉を呑み込んでいった。
暴力としか思えないほどの強い風。
それがレリカを切り刻んだ。
これで、遺体が三つ。
――ちがう。
一つ。
ボクは、レリカしか救えない。
ボクは、彼女しか助けることができない。
だって、二つ遺体からは、光球が出て、保有アイテム総てを周りに飛び散らかしていたから。
魂が消えて、弾けるように、彼らの所持品がすべて、アイテム化してしまったから。
この瞬間に、赤き姫君の殺人行為が確定したから。
PK。
プレイヤーキラー。
救える命はひとつになった。
ひとつだけになった。
「ねえ」ボクは両手をあげて見せる。「見逃してよ」
「だめだよう」
「君の目的は、その二人を殺すことにあったんだよね? それなら、もういいはずだけど」
「だって、君を生かしていたら、あることないこと、云いまわるんでしょう?」
「ボクがそんな人間に見える?」
「見えない」
「じゃあ見逃してよ」
「可能性は、潰さなきゃ安眠できないから」
そう、虫でも殺すかのように。
自己の利益を最優先するかのように。
赤き姫君は、ボクに剣を向けた。
「……虫にも魂はあるんだよ」
「そうなの? わたしは、見たことないけど、お前はみたことあるの?」
「いや、ボクもない」
「不確定なものは大っ嫌いだ」
「そう、だね」
「それじゃあ、死んでよ」
「頼みがある」
「なに?」
「ボクは死んでもいい。ボクだけを殺して、それで手打ちにしない?」
「お前だけを?」
「そう」
「ダメ」
「じゃあ、どうすればいい?」
ニヤりと笑って、赤き姫君は腕をふり上げた。
瞬間、スカイの躰が、まるで紐でもくくりつけられたかのように引っ張られて、吸い寄せられた。
赤き姫君はスカイの首根っこをがしりと掴む。
強く。
まるで、物でも扱うかのように。
「ギャフー!」
スカイが鳴いた。
赤き姫君は笑う。
笑って、宣言する。
「こいつを殺す」
途端、刹那、彼女の頭上に暗雲が形成されて、
ずがん、とカミナリが落ちた。
「殺すよ、姫君」ボクはそう云った。
「やってみなよ」と彼女は笑った。
ボクは、連続でスキルを発動させる。
レイニーノート――状態異常回復禁止。
ポイズンマーシュ――スキル・詠唱速度鈍化。
スタンアンクル――行動抑制。
スカルプチャーストリーム――石化。
ボクの職業、インフェクター最強のコンボ。
恐らく全職業中、最も最強だと謳われているコンボ。
通称、空論連鎖。
パラライサンダーの付属効果である麻痺確率が10%。その10%が入口。麻痺状態は3秒間全行動を封じるので、その間にレイニーノートを発動させる。このスキルは後ディレイの関係上、一発で成功させなければならない。レイニーノートの成功確率は70%。だけど、レベル差ボーナスによってその成功確率は下限である50%。そこを乗り越えてからポイズンマーシュを詠唱。単体確率は同上の理由から50%。ポイズンマーシュを発動直前に相手の麻痺効果が回復するから、これも一回で成功しなければならない。その後、相手に一度行動ターンが発生するので、スキル・詠唱速度が鈍化している間にカウンタースペルとしてスタンアンクルを発動。確率は下限15%。そして最後、スカルプチャーストリーム。スカルプチャーストリームはかなり発動条件が厄介なスキルで、状態異常を三つ抱えたエネミーにしか発動することはできない。そして、スカルプチャーストリームは発動からディレイ解消までが四秒弱ほどかかる。スタンアンクルは5秒間スキルの使用と移動を封じるスキルだから、つまりはここもチャンスは一度。いや、相手との距離が9マスほど離れていれば、ギリギリ二回発動できる。その場合、0.0126%を二回。つまり、約0・0252%。わずかな目。確率的に、小さな差。それに縋る。縋ろうとした。だけど結局、縋る必要はなかった。だってボクは、その総てのスキルを一回の発動で成功させたのだから。
確率0.0126%。
麻雀でいうところの大四喜か小四喜の出現確率と同等の値を、最高の場面、最高の機会でボクは引き当てた。
強運。
剛運。
天運。
赤き姫君はいま、石化している。
これから一分間、彼女は一切合財の行動をとることができない。
だけど。
それでもなお、ボクには赤き姫君を殺すことはできない。
それほどまでに、圧倒的なレベル差があった。
刹那を手繰り、縋っても、届かない。
いや。
まて、ちがう。
可能性として、殺せる算段が、一つだけある。
ボクはスキル・ミラーボディを発動させる。
これは敵対する相手のステータスと自分のステータスを足して2で割ったあと、更になにかの数をかけた値を自分のステータスにとするスキルで――簡単にいうと相手よりは強くなれないけれど、その差を埋めることができるというスキルで、そう訊くとなんだか優秀なスキルのようにも聞こえるけれど、とどのつまり、どんな条件でも相手より強くなることはないので、このスキルを使用しているケースはかなり限られている。その限られているケースのなかに、いま、ボクはいた。
レリカ。
レリカと協力すれば、一矢報いることができるかもしれない。
低レベルとはいえ、レリカは支援職だ。
彼女は、ブレッシングを覚えている。
ブレッシングは全ステータスを一割上昇させる効果がある。
だから、ミラーボディによってステータスを底上げてからブレッシングを併用すれば、届き得るかもしれない。
最強を殺せるほどに、ボクは強くなれる。
その可能性がある。
ミラーボディは成功確率が50%ほどのスキルだけれど、4回ミスが続いた。レリカの蘇生可能時間に間に合わない可能性があったので、次に失敗したら先にレリカを蘇生させようかと思ったけれど、5回目にミラーボディは成功した。
これで、準備は完了。
ボクはパープルハーブを取り出して、レリカに投げつけた。
「あれ」
レリカは起きない。
ボクは彼女を注視する。
周りにアイテムは散乱していない。
だから、まだ、レリカはゲームオーバーにはなっていないはず。
ボクはもう一度パープルハーブを取り出して、レリカに投げつけた。
だけどレリカは起きない。
起きない。
起きない起きない。
なんで。
なんで起きないんだろう。
不思議だ。
「ねえ、返事をしてよ」
ボクはそう云った。
だけど、返事はなかった。




