闇夜
明くる日不知火が部屋を訪ねた時、珍しく障子が閉まっていた。来客でもあるのかと、少し障子を開けて注意しながら中を覗くと、薄暗い部屋で雅臣はいつもの通りに机に向かっている。少しの違和感を覚えながら、他に人がいないのを確かめると不知火は思い切り良く障子を開いた。
「よぉ。どうしたんだよ、こんなに閉め切って。雨はもう止んでるぜ。」
「帰れ。」
揶揄する不知火に一瞥もくれず、雅臣は書き物を続けながらピシャリと言い放つ。
「今すぐ帰れ。二度とここへは来るな。」
「…どうしたんだよ急に。」
「・・・・・・・・」
不知火は明らかに様子の可笑しい雅臣を訝しく思い、その真意を窺おうとした。いつになく頑なな拒絶を示し、何も言わずこちらを見ようともしない雅臣に、しびれを切らしたように問い詰める。
「おい、何とか言えよ!」
強引に雅臣の腕を引き、自分の方に向かせて、不知火はようやく雅臣の顔を見た。
「何…だよ…それ…」
雅臣の顔には無数のアザが残されていた。赤く腫れた頬が痛々しい。それを見ると同時に、先日の雅臣の言葉が蘇る。不知火の中で全てがひとつに繋がった。先日垣間見た、雅臣の義兄の顔が脳内にちらつく。
「アイツか。」
「………」
「・・・・・俺の所為・・・だよな。」
不知火はまるで自分が痛めつけられたかのように辛そうに、雅臣の頬に触れようと手を伸ばした。しかしその手はそこに届くことなく、雅臣の言葉によって遮られた。
「そうだ。お前が私の忠告を聞かず、幾度もこの屋敷に出入りをした所為だよ。私は義兄に逆らっては生きていけない。そもそも初めに情けを掛けたのが間違いだったのだ。」
間違い。雅臣の辛辣な言葉にひどく傷ついた顔の不知火を、しかし雅臣は見ることはなかった。雅臣は一度も不知火を見ようとはしなかった。
「何だよ、間違いって。間違いなんて、そんな事言うなよ。せっかく友達になれたんじゃねえか。」
「鬼と友になど、なれるはずないだろう。」
雅臣の腕を掴んでいた手から力が抜ける。雅臣の言葉は、おそらく本心ではない。短くはあったが二人で語らった時間は確かに穏やかに流れ、同胞とは分かり合えなかった心を分かち合い、信頼の絆が芽生えていたはずだった。それは雅臣も感じ取っていたはずだが、冷たく放たれた雅臣の言葉は不知火を打ちのめした。
「・・・・・・・・・分かったのならば去れ。二度と私の前に顔を出すな。」
「・・・・・・・・ったく、どいつもこいつも鬼だ人間だと喚きやがって!!気が合うならそれで良いじゃねえか!種族なんて関係ねえだろう!?当人の気持ちは無視かよ!!」
「あまり声を荒げると余計に見つかるぞ。」
雅臣の言葉に、ぐっと息を詰める。表情をぴくりとも動かさない雅臣が、今は恨めしい。一緒に怒りを共有してくれればまだ救われた。さもなくば、避けられぬ別れを悲しんで欲しかった。平生の涼しげな顔を歪めるほどの激情で、憤りを見せて欲しかった。なのに、雅臣は生来の無表情をより固くし、失われゆく友情に目を背けようとする。不知火は苛立った。
「仕方あるまい。鬼と人間との因縁は深い。家族を殺され町を荒らされて、鬼に恨みを持つものは多いからな。」
「町のヤツなんざ関係ねえだろ。お前はどうなんだよ雅臣。」
不知火が自棄気味に吐き棄てる。すると雅臣は、口元を歪めただけの悲しげな笑顔を作った。
「義兄も私も同様だ。」
「・・・・・・・・・・・え?」
*****
雅臣と姉の静は高政一家の庇護の下、些かの窮屈さはあるものの、衣食住に関しては特に不自由もなく育てられた。二人とも大人たちの言う事をよく聞いたし、家や店の手伝いを自ら進んでやった。とくに静は、細かい事によく気が付き、嫌な顔一つせずに働くと伯父夫婦のおぼえもめでたかった。
そんな静が高政の許婚に選ばれたのは、ごく自然の事だったと言えよう。若い二人に町の人々の目も温かさが見え、姉弟の事も少しずつ容認され始めた。そんな時だった。
ある夜、慌てた様子で一人の女中が高政のところにやってきた。
「高政様。静様のお姿が見えないのですが、こちらにいらっしゃいますか?」
静が誰にも何も告げずに外出するなど、これまで一度もない事だった。
「いや、ここには来ていない。誰か姿を見た者はいないのか?雅臣の所は。」
高政は事を荒立てないように、屋敷の者で町を探させた。しかし、一向に静は見つからない。
静が見つかったのは明け方の、ようやく空が白み始めた頃だった。町外れの、奥まった林の中にある小さな池に、変わり果てた姿で浮かんでいたと言う。静の体には無数の傷があり、鬼に襲われ、逃げていた所で足を踏み外したのだろう。
高政は悲しみに暮れ、前にも増して鬼を憎むようになった。心無い一部の人たちは、静は鬼に心を移し高政を裏切ろうとしたのではないかなどと噂したが、高政は信じなかった。
それ以来、残された雅臣への目も元来の冷淡な扱いに加え、憐みの感情によって腫れ物に触るかのような余所余所しさがあった。それ故、雅臣が屋敷の外に出る事はほとんどなくなった。雅臣は離れで暮らす事を希み、高政もそれを承諾した。高政は鬼の討伐により力を入れるようになり、その姿はまるでかの頼光のようであった。
*****
「分かっただろう。我々とて町の者と同じ。大切な人を鬼によって失い、それを恨みに思っている。私とお前が馴れ合うなどあり得ない。」
しかし、そう言う雅臣の瞳は、恨みではなく悲しみに満ちていた。
「それは、お前の本心か?」
「無論だ。」
「俺にはそうは思えねえ。」
「お前に何が分かる!!」
「・・・・分からねぇよ。ちゃんと言わなきゃ、分かんねぇ。」
束の間、二人の間を静寂が支配する。
「なあ、雅臣。本当の事を言ってくれ。お前は本当に俺を恨んでいるのか?違うだろう。兄貴が怖いなら、余所へ行けば良い。そうだよ。別の町へ行こうぜ。誰もお前のことを知らない町にいけば、窮屈な思いもしなくてすむ。人通りの少ない所に住んでくれりゃ、俺もいつでも会いに行けるじゃねえか。」
「別の…町…。」
「そうだよ。そうすりゃ、お前も自由だろう。」
驚きと共に雅臣の瞳に僅かな光が宿る。しかし、その光もすぐに失われた。
「大恩ある義兄に、恩を仇で返すような真似はできない。鬼と人が相容れるなど、元よりあるはずもない。」
そう言うと雅臣は目を伏せ、だが次の瞬間には不知火をじ、と見据えた。それがこの日初めてお互いの目を見た瞬間だった。その瞳に、もはや悲しみの色はない。冷たく、蔑むような目。雅臣が不知火を見る目ではない。人が鬼を見る目そのものだった。
「最後だ。命が惜しければ去れ。二度と私に近づくな。」
強い語調で冷たく言い放つ雅臣に、少しの迷いもないように見えた。それでも納得仕切れない不知火は、その場を離れようとしなかった。
「雅臣…俺は…」
業を煮やしたのか雅臣は、そんな不知火を一瞥し俄かに叫んだ。
「誰かいないか!鬼だ!鬼が入り込んでいるぞ!!」
雅臣のよく通る声は屋敷に響き渡り、途端に家中が騒がしくなり始めた。女中の慌てる声や男衆の足音で、この部屋に人が集まってくるのが分かる。どうしたものかと考えていた不知火の横顔に声がかかる。
「逃げろ。」
しかし振り向くとその顔は、今聞こえた言葉が空耳かと疑うほどに冷たく厳しいままだった。
「直に屋敷の外も囲まれるだろう。そうなれば仕舞いだな。」
塀の外まで囲まれては流石の不知火も、逃げるのは骨が折れる。不知火は小さく舌打ちをして雅臣に背を向けた。一、二歩踏み出したところに、再度雅臣の言葉がかけられた。
「生きてくれ。」
届くか届かないかの小さな声だったが、不知火にはしっかりと聞こえた。驚いて振り返ると、雅臣が柔らかく微笑んでいる。漸く聞けた、偽りのない雅臣の本心だった。初めて出来た友の身を案じ、二度と会えなくなっても構わないからただ、生きていて欲しい。それが雅臣の唯一の願いだった。
どやどやと、けたたましい足音と怒号が近づく。選択の時が迫っていた。
盛り上がりのあるはずの場面を書きながら、文章が淡白だなあと。。。
精進します。
あと2話で本編は終了です。




