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焔の虹翳  作者: 木邑葉月
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朝靄

 先日の大雨が嘘のように、見上げた先には青く澄み切った空が広がっていた。雅臣は未だ朝露の残る自室の庭に降りて、庭木の痛んだ葉や枝を手折りながら物思いに耽っている。

 あの夜、なぜ鬼の手を取ってしまったのか。

『奴らは町に徒をなす敵。奴らには多くの命を奪われた。町民の敵を取らなくては。』

 日頃から口ぐせのように繰り返される義兄の言葉が重くのし掛かり、胸がズキリと痛む。あの義兄に背いてまで、なぜあの鬼を助けたのか。

 そこで雅臣はプツリと考えるのを止めた。もう止そう。過ぎた事だ。あの鬼とも二度と会うことはない。そう思いながら剪定を続け、塀の近くの木に手を伸ばした。

 柊の木。

 鬼が嫌うからと、古くからの習慣にあやかって義兄が植えたものだ。茶色くなった葉を摘んでいると、俄かに甘い香りが漂った。上品な香を焚き締めた衣の香り。土を踏む音と衣擦れの音からして、外の通りを歩く人の香りだろう。雅臣の部屋は大通りから最も遠い離れにあるため、塀の向こうの通りは細い裏通りとなりめったに人が通らないのだが、珍しい事もあるものだ。もしかしたら余所からの旅人が道に迷ったのかもしれない。大通りへの案内位ならば申し出ても良いかと思い、声を掛けようとしたその時、土を蹴った音がしたかと思うと塀の上にひょっこりと顔が現れた。

「雅臣!!」

 顔はニカッと笑うと、ふわりと舞うように雅臣の前に音もなく降り立った。

「お前…!」

 現れたのは先程まで雅臣の思考を奪っていた鬼だった。

「何をしに来た!?」

「何って、礼を言いに来たんだよ。」

 不知火は悪びれずにそう言って笑った。

「帰れ。」

「何だよ、冷てぇな。」

「鬼と交わす言葉などない。早く帰らなければ人を呼ぶぞ。」

 雅臣は冷たくあしらうが不知火はめげない。

「そう言うなよ。感謝してるんだぜ。あのまま見付かってたら、流石に危なかったからなぁ。」

「それは良かったな。私は今は後悔している。」

 苛立ちを隠すそぶりもなく、ひたすら邪険に言い放つ。以前とて歓迎されているとは到底言い難い態度ではあったが、それとは違ったあからさまな拒絶が見える。不知火は戸惑った。

「何だよ、この前と随分態度が違うじゃねえか。」

「…鬼は嫌いだ。」

「何だよ、それ。」

 部屋に戻ろうとする雅臣を不知火は追いかける。

「だったら何であの時助けたりした!?放って置けば良かった。仲間の所に付き出しゃ良かった。いつでも出来たはずだ。何でお前はそれをしなかった?」

 不知火の声に雅臣の足が止まる。束の間の静寂が空間を支配した。背を向けたままだが、不知火には雅臣が逡巡しているのが分かる。

「…分からない。」

 ようやく雅臣が絞り出すようにそう言った時、母屋と離れを繋ぐ渡り廊下の方から声がした。

「雅臣様。」

 その声にはっとした雅臣は、一度不知火を振り返った。帰れ、と念を込めるように一瞥してから障子を閉める。声の主から不知火の姿を隠すように。

「はい。」

 雅臣が返答すると女が大量の反物を抱えて入ってきた。

「失礼致します。新しい生地が手に入ったので保管しておくようにと、高政様が。」

「良い生地ですね。落ち着いた良い色だ。」

「はい、高政様も大いに気に入られておりました。」

「分かりました。蔵に入れておきましょう。」

「宜しくお願いします。」

 用が済むと女はさっさと部屋を出て行く。ほっとため息をつき、雅臣は障子を静かに開けた。盗み見るように庭を覗くとそこに鬼の姿はなかった。代わりとでも言うように、縁側には不知火に巻いてやった血止めの布と、礼のつもりか一輪の桔梗の花が置かれていた。深い藍色の布はきれいに洗われていて血の跡はほとんどと言って良いほど残っていなかった。

 鬼のくせに律儀な奴だと、布と花を拾い上げ雅臣は小さく笑った。


 その翌日に性懲りもなく不知火が再び現れた時、雅臣は呆れて言葉が出なかった。

「よう。」

 塀の上で胡座を組み、鬼はいたずらっぽく笑った。

「また来たのか。」

「お前には二回も助けて貰ったからな。ちゃんと話がしたくてよ。」

「二回?」

「昨日人が来た時、逃がしてくれたろ?」

「騒ぎを起こすのが面倒だっただけだ。」

「そうかよ。」

 なおも、にやつきながら自分を見下ろす不知火に、雅臣は諦めたように声をかけた。

「いつまでもそんな所にいると見つかるぞ。」

 幾ら人通りの少ない裏道とは言え、不知火の派手な髪色は目立つ。それが塀の上にあればなおの事。雅臣は障子を開け放したまま部屋の中に入っていった。

「…入っても良いのか?」

 塀から降りて中を覗きながら戸惑いながら不知火が問う。

「…好きにしろ。」

 そう言うと雅臣は文机に向かい書き物を始める。広い畳の上に文机だけがぽつりと置かれた殺風景な部屋。唯一の彩りは床の間に飾られた一輪の桔梗の花のみ。改めて、雅臣の素性を謎に思う不知火だった。

「なぜ私に構う。」

 背を向けたまま雅臣が話しかける。部屋の真ん中で所在なさげに佇む不知火は、雅臣が話題を振ってくれた事に安堵した。

「それを言うならお前はなぜ俺を助けたんだよ。あのままお前を喰らうかもしれない鬼を、お前はなんで家に連れて帰って手当てまでしたんだ?意味の分からねえ事してんのはそっちだろう。お前が先に説明しやがれ。」

 行いの不可解さに自分でも気付いているからか、その声に初めて雅臣の手が止まる。

「さあ…なぜかな。私も分からない。」

 まだ答えを持たない雅臣は、再び紙に筆を走らせた。


 その姿を見て、不知火は過去に時間を共にした人たちの顔を思い浮かべた。そのまま視線を空へ遣り、すっきりと晴れ渡る青を見つめる。

(思い出話をするには中々の空だな。)

 不知火は呟くように口を開いた。

「俺は人間ってヤツが意外と好きでね。」

 不知火は漸く壁に凭れるようにして畳に腰を落ち着けた。

 窓の外の庭木に目をやり風にそよぐ葉を眺めながら、不知火の瞳は遠い過去を映す。




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