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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2041年
98/790

10/17/07:10――朧月咲真・唐突な決別の促し

 おそらく世間に流布されたネット内部の情報で、鮮度が最も高い状態を保ったまま事態の緊急性を知らせる現実を仕入れたのは狩人情報収集機構〝鷹の目(イーグルアイ)〟であり、そこから流通したものが朧月咲真の手元に映った。

 その情報の虚実を確かめる必要もなく、初見で真実であると確定できるだけの状況証拠が固まった状態で流された。

 咲真がこの時点で気付けたのは、仮眠から目覚めて独自の情報収集システムを何気に眺めていた時であったため、言いたくはないし使いたくもないが偶然の産物だったのだろう。

 偶然と――そんなものはないのに、表現したくもなる。

「馬鹿な……」

 驚愕と、たった二文字を表現するのに十五秒を要した。

「鷺ノ宮が、いや」

 どういうことだと頭を抱えたくなる。これでは悪い意味での祭りだ。

 鷺ノ宮家の崩壊、それに伴う流通の問題は既に発生しており、各地に連絡が行われているためか通信回線もひどく重い。更に頭痛を引き起こすのは、三重県射手(いて)市と北海道札幌市の変異化だ。

 妖魔の大量発生による人間の捕食が行われている。

「どうなっている……?」

 収集されていく情報の鮮度が高いものから閲覧して行くと頭痛がひどくなる。先ほどから部屋の外から同居人が朝食だと呼んでいるが咲真は気付いてすらいない。

 大きく息を吐いた咲真は立ち上がり、手元のカップに珈琲がないことを確認した後、部屋の電気を消してからカーテンを開いた。

 直後。

「――」

 両手で窓ガラスを叩くようにして崩れ落ち、咲真は右手を強く瞳に当てた。

 いや、当たったのは目元を完全に隠しているスポーツ選手が扱うような偏光眼鏡(アイウェア)の上部だ。今にも壊しそうなほどの力が加えられ、呼吸が止まった己を感じる。

 奥歯を噛み締めて洩れようとする声を押し殺したのは、未だに槍を持つ武術家としての顔を持つが故か。

 それは、己の中に在る法則が強制稼動させられた現実が引き寄せた現象だ。

 〈意味名の使役(ネイムトゥ・ロジック)〉と誰かは呼んだか。

 咲真は世界に現存するあらゆる意味を掌握することができる。ただし、元より己のものではなかったため、副作用として見るもの全てを掌握し続けてしまう欠陥を抱いてしまった。だから常に魔力を使用せず両目を封じることで今まで来たが。

 ――魔力波動がこれほどまでに充満しているとはな……!

 今まで気付かなかったことが既に忸怩たる思いだ。陽光に混じって薄くなり、更にカーテンで隠されていたとはいえ、己の中に法式を抱いているのならば気付かなくてはおかしいくらいだ――が。

 しかし、数分を置いて短く吐息を落とす。

 ――問題ない。

 この程度の強制稼動ならば、安全装置(セイフティ)をかけてやれば落ち着きを取り戻す。そのための手段は十年も前に仕込まれているのだから。

「咲真ぁ、ごはんできたよって言うとるがー」

 扉を開いて入って来た白黒の侍女服を好む小柄な同居人の能天気な声に、それどころではないと声を荒げようとした間際で、咲真はそれを八つ当たりだと意識して自制した。

 ――私に今、何ができる?

 それすらもまだ定かではないのに、それどころではないとは、これ如何に。

「うん? どがいしちゅう」

「――いや、すまん。行こう」

「あ、くるんなら珈琲のカップも洗うねんで、持ってくるがー」

「わかった」

 カップを片手に、全身が動くことを自己確認してから自室を出る。そのままリビングを通り過ぎようとしたが、ふと気付いてテレビに電源を入れ、戸を開け放して朝食が用意されているテーブルの椅子に腰を下ろした。

「すまんな()(づき)、マナー違反だが」

「ええよ。一言伝えてくれるから咲真はええのん。なんかあったけ?」

「……見ての、通りだ」

 やはりマスメディアの情報収集能力は高く、迅速にそれは行われる。あるいは狩人が現首相との太いパイプを持つ、三十年前に台頭した元首相二村老人に連絡を入れたのだろう。彼は東京事変を経験しており、現首都である名古屋に全てを移した人間だ。対応が早くても当然だ。

 報道は鷺ノ宮事件に関してと、東京事変の再来と題して射手市と札幌市の状況も映し出されていた。後者は控えめだ――カメラが敷地内に這入れないことは、東京事変で経験しているため、映像の数が少ないのだろう。

「鷺ノ宮さん、潰れたんか」

「なかなか素直な表現だが、まあその通りだろうな」

 朝食はトーストにオムレツだった。飲料は少し考えた結果、咲真は紅茶を、紫月はホットミルクにする。

「そいで、実害あったんや?」

「私のかね?」

「うん。鷺ノ宮さん、流通関係を持っとったやろ。じゃけん、あんま関係なさそうだけども」

「無関係だ、と胸を張って言えるほどに付き合いがなかったわけではない。だが、損害と呼べるほどのものはないだろうな」

「したっけ曖昧じゃのう」

「実害が出ていない以上は仕方あるまい。――しかし、悪いことは重なるものだな。紫月、射手市は都鳥の土地だ。何か話は聞いているかね?」

「なんもだ。涼さんとは連絡取れへんの?」

「いや、してもいないしするつもりもないが……少なくとも私への連絡はきていない」

「どがいしちゅう」

「変異化に対して武術家が一つでは対抗できんと、東京事変で十六夜(いざよい)が証明している。いくら都鳥でも逃げか、防衛で手一杯だろう」

「手伝いにも呼ばれてねえべや」

「それは幸運なことだと思っておきたまえ。いや、あるいは手を貸せるものなどない状況かもしれん――と、すまん。着信だ」

 震える携帯端末を取り出すが、ディスプレイに表示された番号は登録されていない、また咲真の記憶にはないものだった。

 この状況下ならば無視するわけにもいくまい。

「どちら様かね」

 だから少し威圧するように、そんな言葉を投げた。朝食は終えて紅茶を飲んでおり、すぐに紫月が片づけを始める。

『――』

 相手は、僅かな驚きに似た沈黙を置いてから失笑した。

『おいおい、以前と同じ対応よな。ちッたァ学べよ』

「蓮華かね? 見知らぬ番号だったのでな」

『この状況で誰から連絡が入るッてのよ。まァ秘匿回線(エンコードライン)、あちこちたらい回しにしてるから見知らなくて当然なのよな、これが』

「忙しないようだが?」

『俺ァようやく野雨を目前ッてところよ。徒歩の帰宅でな、この時間になっても公共交通機関はこぞッて混乱に乗じた人員の増加ッてよ。そのくらい予想つくだろーが』

「ほう、では何か企んでいるのかね?」

『人聞きが悪ィよな。俺の企みなんてのは、存外に小せェッてよ。そっち、状況はどこまで把握してンだ』

「鷺ノ宮、二箇所の変異化程度ならば既にニュースで流れている」

『はあん……ま、そうよな。うるさいッたらありゃしねェよ』

 言葉と共に背後の喧騒が聞こえる。外にいるのだろう。

『久我山はいるのかよ?』

「紫月に用でもあるのかね?」

『べつに――用件は、お前ェによ咲真』

「聞こう」

『いいか? まず忠告だ。ここ数日、厳密には三日くれェの間は夜間に外へ出るな。もしも出歩く必要があるなら護衛をつけろ。信頼のおける、お前ェが確実だと思う狩人にでも頼むんだな。それが一番よ』

「――それは、警告ではないのかね?」

『友人に警告するのは俺の流儀じゃねェよ。できりゃそうしてくれ、俺の手間も減るのよな、これが』

 蒼凰蓮華の言葉というだけで、咲真にはその危険性が充分に感じられた。

「わかった。それに関しては従おう」

『さんきゅ。ンじゃ次よ。だから日帰り、陽の出てる間に戻るッて前提で今から……できれば午前中に間に合うよう、愛知県と三重県射手市の境界へ行け。足あったよな』

「車は持っているが……境界? 射手市は変異化の最中だろう」

『妖魔の活性化は夜間と相場が決まってらァな。日付が変わった頃合から始まったンだ、日中なら沈静化もしてるよ。そこそこだけど』

「行って、何をする」

『――行って』

 呼吸が止まり、緊張が含まれる。蓮華には珍しい硬い口調で放たれたその言葉は。

『涼と決別しろ』

 冷ややかな空気を電話越しにもたらし、咲真は背筋を震わせた。

「――蓮華、どういうことかね」

 声も震えていて、放たれたものが己の耳に届いてからようやく、震えているのだと理解する。

 その遅さに、どこか現実味を感じなかった。

『どうもこうもねェよ。――堕ちた、そう言えば理解できるか』

「――……」

『まだ間に合う。今日なら、そのタイミングなら間に合うよ。忍は駄目だ、あいつは関わるべきじゃねェ。だが咲真、お前ェはまだ境界線上のこちら側だから、選択権は与えるよ。いや得るべきだと俺が判断したのよ』

「――私は」

『無理だよ。お前ェでも、無理だ。引き戻せねェよ。もう、可能性がねェ』

 未来へ向けたあらゆる可能性が。

 全て同一方向へ傾けられていて。

 悉く潰えている。

 可能性を保持する予測者の蒼凰蓮華が、そう言った。

『だから不用意に踏み込むなよ。いいか、踏み込むンじゃねェ。足を入れていいのはたった一人』

「――雨天暁だけ、か」

『……行って、決別しろ。そして戻れよ。何なら久我山も連れて行くといい。それから安全策を取りたいンなら久我山を一般人の家にでも一度送っておくことだ。そうすりゃァ……どうかな、ちィとばかり可能性は良い方向へ転ぶのよな、これが』

「蓮華、お前はどうする」

『どうするッて?』

「涼だ」

『……どうするか、な。まだ考えてるよ。だが決別はしなくッちゃいけねェよな。するよ。したい。可能な限り時間は作る』

「そうかね。……――そうかね」

 同じ言葉を紡ぎ、深呼吸を繰り返して震える躰を制御する。

「いいだろう。報告をくれたことに感謝する」

『感謝はいらねェよ。ただ車道も混むぜ? その辺りを視野に入れねェと足元を掬われちまうよ。それと俺ァしばらく、連絡が取れねェと思ってくれ』

「ふむ。何かあったら連絡したまえ」

『おゥ。ンじゃな』

「武運を」

 通話を切り、馬鹿なことを言ったと咲真は吐息を落とす。武運を祈るのはいつだとて、何もできない己を自覚するのと同じ意味だ。

 差し出されたハーブティの香りに気付き、すまないと一言を放って背もたれに体重を預けた。

「紫月」

「ん、どしたん」

「都鳥涼が、――堕ちた」

「……さよか」

 人は体内に陰陽を持ち、均衡を保つ。武術家はそれを状況ではなく己の確たるもので制御できるよう把握し、あるいは操作する――その点において、稀に陰に傾き過ぎてしまうことがあった。

 それを簡単に、堕ちると彼らは呼ぶ。

 道を踏み外せば後は、文字通り落ちるだけだ。人ではいられなくなる。

「今から決別に向かう」

「したら、運転手するべさ。うちも顔くらい見ときたいねん。……咲真、そんな状態じゃ運転できねえが」

「……すまん、助かる」

「ええよ。したら準備せねば」

「紫月、どこか一般人の知り合いはいるか?」

「――は? なんね、唐突に」

「帰宅次第、可能ならば匿ってもらえ。数日間だけでもいい――いや、期間は私からとやかく言うつもりはないが、少なくとも数日中は私との関わりを断絶すべきかもしれん。蓮華からも、その方が良かろうとの助言を貰ってな」

「あー蓮華先輩からけ。そうやなあ……あるにはあるのん。じゃけん、戻らんかもしらんべや?」

「――ふ」

 いつも通りの口調で放たれた言葉に、笑みと共に軽く肩の力が抜けた。

「それならば、その方が良い。紫月も私に長く付き合う必要などない――以前からそう言っているだろう? 好きに生きろ。お前がいてくれて助かっているが、拘束するつもりはない。お前を引き取ったのは私の都合だ」

「遠慮のいらん間柄や。わかっちゅう」

「では準備をして向かおう。道中、情報の整理もしなくてはな」

「ん。車の暖気しとくべさ」

 何が起きているのか、わからない。

 わかっていることが明確すぎて、その水面下が見渡せない。

 それはきっと、誰かが望んだ状況なのだろうと、この時点で咲真は推測していた。



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