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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2040年
77/790

05/21/16:20――一ノ瀬瀬菜・直感を失った少女

 窓に映る水滴を見て、改めて今日が雨であることを確認した一ノ瀬(いちのせ)()()は、そろそろ梅雨入りかと思う。五月も下旬、そうした季節のものが訪れるたびに瀬菜は知識を経験へと変えていく。

 改めて、四季を含めた当然の、当たり前の時間が日常になったのだなと思う。去年の八月を契機にこちら側へときてから――しかし、己は変わったのだろうか、とも。

 左右に括った黒髪が肩の前へときていたため、軽く手で後ろに払う。癖のないストレートの髪だが、やはり湿度があると不快感がある。それでも肩にかかる程度ならば他の女子生徒と比べれば楽な方だ。思うだけならともかく、口にすべきではないか。

 一階に職員室のある棟の三階、会議室や校長室が並ぶ部屋の中、生徒会室とのプレートで示された部屋に到着する。既に授業も終えた放課後だ。

「邪魔するわよ」

「はいよ」

「いらっしゃい」

 最初に声をかけて来たのは生徒会長、(かず)()三四五(みよこ)だ。上座の事務机に腰掛けた彼女は、書類から目を上げもせずに短く言う。続いて顔をこちらに向けて丁寧に言う男性が()(つづり)六六(むつれ)、生徒会会計を務めている。

 そして瀬菜は、書記だ。

「一ノ瀬先輩、お久しぶりですね」

「――そうかしら?」

「はい、ざっと二ヶ月ぶりくらいです。お茶を入れますね、何にしましょう?」

「結構よ」

「では僕が勝手に決めますね」

 飲み物を出されれば長居せざるを得ない――その辺りを見越しているから厄介だ。いや、だからこそ断ったのだが。

 市立野雨西高等学校の生徒会役員は、一般学生が紺色を基調とした学生服を着るのとは違い、白色の学生服を着用することができる。いわば特権で、一体何が特権なのか詳しく議論を交わしたいところだがさておき、ここにいないもう一人を含めた四人は、全員が白色の学生服だ。また、女子生徒はワンピース型の制服であり、それなりに人気も高い。

「――あら、(はな)()がいないわね」

「あー今日は帰した……と、あれ瀬菜じゃない。いつきたの」

「今しがたよ」

 特に指定席もないため、上座に近い位置に腰掛ける。去年まではずっと畳の部屋に正座が基本だったため、こうした椅子に腰掛けるのにも慣れたものだなと、感慨深く思った。

「また古風な言い回しを……」

 呆れたように吐息する三四五だが、そこに疲れを隠しきれていない。いや、そもそも隠す気はないのだろう。散乱した書類やメモ用紙を見ればわかる。

「華花はね」ペンを置いた三四五が両手を組んで上へと伸ばす。「ま、ここんとこ調子出てないのが目に見えてわかったから、帰るよう言っておいたの」

「珍しいわね、あの能天気が調子悪いだなんて」

「華花に用事?」

「急ぎではないのだけれど……そろそろ本格的に私服を買おうと思ったのよ。その付き添いをね」

「私服?」

「ええ。まだ和服がいくつかと巫女服しかないのよ」

「そういえば瀬菜ってそっち系だったっけ」

 どちらかと云えば三四五も六六も裏社会に属しているため、瀬菜の事情はある程度伝わっている。もっとも草去更と呼ばれた歪な街での一件までは知らないようだが。

「神社の娘とか言ってましたね。どうぞ一ノ瀬先輩、ロイヤルミルクティです。それと三四五姉さんもアメリカンだよ」

「ありがと六六」

 ちなみに彼女たちは姉弟ではない。ただ、ある家名の分家に当たるため、そういうルールがあるようだ。瀬菜は詳しく知ろうと思わないけれど。

「もうすぐ体育祭があるから、仕事が多くって……」

「鏡先輩がいないと余計に、ですね。僕が手伝えることも少ないですから」

「瀬菜もあんまこないし」

 呼べば応じるし必要な会議には顔を出すのだから、その辺りまで強要しないで欲しいものだ。特に最近は私用で学業よりも優先すべきことがある。そういったバランスを他の人はどうやって取っているのだろうかと考えることもしばしあったりする。

 散らばっているメモ用紙を興味本位で手に取り、ミルクティを一口。甘さが控えられており、後味も悪くない。淹れ方が上手いのだろう――と。

「あら、目安箱のものかしら」

「貴重な生徒からの声、ってやつ。名目上はね。私らだって生徒なのにどーよこれ」

「文句は私に言うものではないわよ」

「僕に言われても困るんだよね」

「言わずにはいられないの」

「気持ちはわかるけれど」

 瀬菜ならば、口には出さず思うだけに留める部分だ。

「――? なに、これは」

「何って、怪談でしょ」

「面白くはありませんが、階段の踊り場にある姿見の話ですね」

「そういえば華花が言っていたわね――気持ち悪いから、いつも目を閉じていると」

「上りと下り、両方とも正面に鏡が張ってありますからね。間違って追突することはないようですが、何故と疑問視する声は昔からあるようです」

「なんだかんだで噂というか都市伝説化はしているけど」

「あまり、良くないわね」

 メモ用紙を次から次へ目を通しながら言うと、何がと問いがある。

「こうした現象はね、実際に発生するよりも以前に、願望という意味付けをするからこそ効力を発揮する場合があるのよ」

「……? どゆこと?」

「ええと、こうかもしれないと考えることが、不特定多数によって行われると真実味を増してしまう、ですか一ノ瀬先輩」

「鋭いわね都綴。そう、大勢が〝そうかもしれない〟と認識することが原因になるのよ。怪異の定番――いえ、定説ね。中でも鏡に類する話は他にも例が多いから――あら、もう実害が出ているのね?」

「は? いやそんな話は出てないけど?」

「どこの鏡も割れていなかったのに、鏡が割れたために怪我をした生徒が数人いるでしょう。現実に齟齬があるからといって見過ごすわけにはいかないわ」

「さすがは専門家ですね」

「――専門にはしていないわ。失礼よ。ただ漠然と知識を持っているだけだもの」

「んじゃ漠然と知識を持ってる瀬菜に調査をお願いする」

「お断りよ」

「えー?」

「知識があるが故の問題もあるのよ……」

 本職だった、という過去があるために、実際に怪異を調査すれば原因を引き寄せてしまう場合がある――つまり、悪化させてしまうのだ。しかし過去形であるように、今の瀬菜に解決可能な手段がない。

「いつから発生しているかわかるかしら」

「へ? どうだろ」

「僕が知る限りですが、随分と前ですよ。去年……ん? そういえば今年になってからのような気がします。新学年ですか」

 正式に瀬菜が編入したのはと思い返し、気付く。

――時期が合うわね。齟齬はあるけれど。

 それはそれで問題だ。誰も気付かないからといって看過はできない。何故ならば、これはかつての瀬菜の名残のようなものだから。

「生徒会予算で外部費用、出せる?」

「なんでよ」

「私は無理だけれど、ツテがあるから調査を依頼できるわよ。ただ外部の人間になるから手配が必要でしょうね。それと依頼形式だから依頼料も必要になる」

「ちなみに、概算でどれくらいになりますか?」

「三千」

「円?」

「今の円相場だと三万円くらいね。一桁減らす交渉を私に任せるのならば、だけれど」

「じゃ平均相場だと三十万円!?」

「事件の内容にも依るわよ。前金十万、諸経費計上で後金を含めてだいたい三十万円ね。悪いわね、ラミル通貨が基本の生活をしていたから」

「あーいいのいいの。三千ラミルかあ」

 世界共通通貨単位、ラミル。かつて東京が壊滅した時点で日本円の発行を停止し、電子マネーのラミルを扱いだした。そのため今では大抵がラミルでのやり取りが中心になってはいるのだが、それでも日本人なのか、円で言われた方がしっくりくる。

 もっとも、未だに円も流通しているのだが。

「六六どう?」

「三年目の生徒会役員である三四五姉さんが把握してくれれば、僕も楽なんですけどね」

 ちなみに三四五、鏡華花の二人が三年で、瀬菜は二年、六六は一年だ。

「予算は生徒会が運営する学校および生徒のために扱われるべきものですから、雑費の処理をしても限度があります。ただ今回は目に見えて実害があるわけではないですし、公的に納得できるだけの材料を並べられるのならば、千ラミル程度ならば使えると思います」

「そう。まあ少し考えておくわ」

「おお、生徒会役員らしい言葉じゃない。少しは自覚して出席率も上げなさいよ」

「嫌よ面倒じゃない」

「じゃ何で入ったのよ」

「都合が良いから」

 実際にもっともらしい理由はない。ただ、なんとなく足を踏み出しても良いと思えただけだ。後は結果がついてきだけ――いや、後になって結果が出ただけか。

「それより華花よ。あの子どう調子悪いの?」

「どうって難しいことを聞くなあ。というか、何で華花に買い物の付き添いを?」

「あの子の直感が頼りなのよ。時間を掛けない、選択を誤らない、面倒がなくて都合が良い。後で食事に誘うくらいで釣り合いが取れるのも良いわね」

「いいように使ってるだけじゃない」

「スキップでついてくるわよ?」

「う……わかる。でも私の場合、どうしてもあの子の手を引っ張りたくなっちゃうのよねえ。危なっかしいったらありゃしないもの」

「僕はたまに、三四五姉さんが母親に見えるね」

「わかるわね」

「失礼しちゃうなあ。――華花ね、どうも直感が狂ってるみたいな感じがあるのよ」

「付き合い長いんだっけ、鏡先輩と三四五姉さんって」

「中学校から」

 直感が狂う――その言葉自体が瀬菜にとっては馴染みのないものだ。

 それが勘ならば話は別だが、直感とは狂うことも間違うこともない。瞬間的に感じることを直感と呼ぶが、それは余分な情報を含まない純粋な現実であり、以上も以下もないのだ。そもそも理解すら必要がない、原理に限りなく近い本質でもある。

 狂った直感は、もう直感ではない。

「つまり、直感が働かないのね?」

「そ。もう見てられないのがこれまで以上に酷くって、とにかく家に帰した。無事に帰宅できるかどうか不安だけど、でもま、そこまで付き添うわけにはいかなかったから」

 直感だけで生きているような節もあった。それはもう末期的ではないだろうか。

「詳しくは?」

「当人も曖昧でよくわからないそうよ。何かあったようなないような、忘れてるような――とか、まあそんなことを言ってた」

「そう」

 私服は別段急ぐ必要もないが、少し気がかりでもあった。なにかと便利に扱っているような感じを演出してしまったが、どちらかと云えば友人なのだから心配しても良いだろう。

「そうね……とりあえず連絡先を貰えるかしら。鏡の調査に関しての連絡を行うものよ」

「あ、じゃあ番号渡すよ」

「それでは私の番号もわかってしまうでしょう? 紙媒体に記しておきなさい。後に焼却すれば隠滅も楽よ」

「うわ、ガード固っ」

「一般教養よ」

 彼氏の影響を受けているのかなと瀬菜は思う。たとえば武術家ならば、こんな些細な部分など気にしないだろうし。

 紙媒体に記されたメモのような番号をポケットへと入れた瀬菜は学生鞄を手に取って立ち上がる――そして、やはり肩にかかった髪を後ろへと弾いた。

「行くわ。華花のことも気に留めておくわね」

「天邪鬼」

「説話では、人の心を察して口真似などで人をからかう妖怪のことよ。私にそこまでの技量はないもの。四天王に踏まれる理由もないわ」

「うわ、なにこの子。ちょっと六六なにか言ってやんなよ」

「吉報をお待ちしております」

「期待はするだけ損よ。――ご馳走様、またくるわ」

「じゃ、瀬菜は期待しないの?」

「馬鹿ね。連れ合いに対しては十割期待するわよ。それが女の醍醐味だもの」

 もっとも彼は、期待の十割を返してくるので性質が悪い。その辺りに惚れたのだから仕方ないけれど。

 挨拶もなしに生徒会室を出た瀬菜は相変わらずの雨を窓越しに見て吐息、階段を降り――曲がり角、進行方向を変える位置にある四角形の踊り場で足を止めた。

 正面、そして左側に姿見がある。およそ一八○センチもの巨大な鏡は瀬菜を映し、左側のものは階下へ向かう階段とその先を映している。

 何故と、疑問に思ったのは確かだ。そこに理由を求めるのは自然な行為だとも思う。

 どの階段にも設置された鏡は汚れもなく、常に生徒を映している。鏡があることで常に己の格好を確認し、衣服を含めて整えることを意識せよ――そんな思想も昔の教訓であり、今ではさほど気にされてはいまい。生徒だとて一ヶ月もすれば当たり前のものとして受け止めるだろう。

 ――だからといって怪異に絡めるのは短絡的よ。

 鏡は、ただの鏡だ。以上も以下もない。

 階段を降り続け、一階に差し掛かった時に一人の生徒を見かけた。ぼんやりと窓の外を見ているような姿が横から見え、最初は知らない生徒だと思って通り過ぎようとした――が、その最中、よくよく見れば白色の制服を着ているのがわかり、通り過ぎてから足を止めて振り返れば、短い癖毛が目に飛び込んでくる。

「――華花?」

「…………はえ? せっちゃん?」

 顔を見せればそこには見慣れた童顔、間違いなく鏡華花だった。

「華花……」

「へ? なに? なんで顔合わせて真っ先に盛大な吐息と共に肩を落とされなきゃなんないの?」

「――どうしたの。調子が出ていないわよ」

「あ、せっちゃんもそう言うんだ。うーん……なんか、よくわからない」

「わからないことがわからない、なんて言うつもりじゃないでしょうね」

「あ、それか!」

「どれよ」

「だから、わからないことがわからないんだってとこ。何がわからないのかなあってずっと考えてたんだけどね?」

 普段ならば、もう、考えるなどという工程を省いて結論に至る相手に言われると、違和感しかない。背筋を汗が流れるくらいに。

「帰れと言われたのでしょう?」

「あ、そういや……うん、みよに言われた。帰ろっか」

「……そうね」

 基本的に土足で校舎内を移動するため、そのまま玄関に向かったのだが、ふらりと外へ出ようとする華花の腕を掴んで止める。

 ――こういう役目は、三四五のものだけれど。

 さすがに今日は危なっかしい。

「うえ?」

「雨が降ってるわよ」

「……おー、ほんとだ。傘持ってこなかったなあ」

 傘を忘れる――論外だ。華花の持っていた直感が今はないと瀬菜は判断する。

「仕方ないわね。途中まで一緒に行くわよ」

 赤色の蛇の目傘を広げて外に出ると、まだ本降りではないようだとわかる。手招きで隣に誘い、ふらふらする華花のペースに合わせるように歩いた。

「で、何があったのよ」

「うん。よくわからない。何かあったのかなあ」

「少し話してみなさい。聞いてあげるわよ」

「あのねせっちゃん、一昨日なんだけどね。学校帰りに食材を買ったの。領収書が財布の中に入ってた」

「そう。惣菜ものばかりでも私は理解あるふうを装って、料理の勉強くらいしなさいと言ってあげるわよ?」

「料理できるから!」

「いいのよ必死に否定しなくて。理解あるふうを装うから」

「うー……」

「唸ってどうするの。それで?」

「うん。でね? 何を買ったのかまでは覚えてないんだけど、帰宅したらもう十九時近くで、何故か手ぶらでね? 冷蔵庫の中が空っぽなの。お腹減ってたし」

「何が言いたいのよ」

「うん? そうだよ、何が言いたいんだろう」

「私に聞かないでちょうだい」

「だよねえ……あ、でもほら、この傘なに?」

「蛇の目よ」

「ほんとせっちゃんは古風だなあ。いいね!」

 無理にテンションを上げようとしているのだろうか。いや、こんなものだろう。何がいいのかはさっぱりわからないが。

「……でも、何かあったような気がする。何かが欠落してる……何かを忘却してる。でも想い出せない。きっと大切だったのに、必要なのに……」

「確信かしら」

「なのかな。でも、なんか日常じゃないような……物足りないみたい。それと鏡が見たくない――」

「鏡?」

「水鏡や銅鏡も含めてなんだけど、なんか……ううん、見たくないんじゃなく、見えないような」

 そうやってずっと、何かを追い求めて思考に没頭してしまう。あるいは落ち着かない。

 ここは日常のはずだ。昨日から続いた今日なのである。学校に行き授業を受けて帰宅する。食事のメニューを考えながら材料を選択し、食事を終えて入浴まではゆっくりと趣味の時間を謳歌する。そして入浴後に明日のことを少しだけ考えて眠る、そんな日常のはずで。

 ただ、そんな当然が――受け止められなくなっている。

 まるで理解と呼ばれる欠片だけが、抜け落ちているように。

「日常ではない、ね」

 瀬菜は、その日常を確かめたばかりである。かつてとは違う、日常を。

「せっちゃん?」

「華花は日常を――しっくりこない今のものではなく、あったはずのソレを取り戻す、あるいは手に入れたいと思っているのね?」

「え? あー……」

 違うと思うのは否定の意だろう。正しいと思うことは珍しく、正否を考えないで済む当たり前が日常だ。

 だから。

「たぶん、そう。こうじゃなく、どうかなってるはずなんだ」

「はあ……漠然としているわね。何かがあったのでしょうけれど、私の手には負えないわ。――あ、華花はこれから買い物かしら」

「うん、そう、冷蔵庫の中に何もないからね。せっちゃん用事でもあった?」

「ええ。……そうね、お茶の一杯は奢るわよ。今度、買い物に付き合いなさい」

「どこ行くの。あ、今からだよ?」

「喫茶ティアよ」

「あー、あのハイカラな店」

 異世界人を見るような瞳を向けた。

「……え? なに?」

「どうもしないわ。ええ、聞き間違いにしておきましょう。いい? ――錯乱したら良い医者を紹介してあげるわ」

「ありがとう!」

「感謝されたのは初めてよ……」

 もう少し考えて発言した方が良い、と続けそうになってやめる。普段からこんなもので、ただ今は直感による答えがないだけのことだ。

 そうして考えると、やはり、今の鏡華花は瀬菜の知らない人間のようにしか見えない。

「ティアなら商店街近いし、ビルに付属してないし、いいね!」

「そうね」

 今時は珍しい、店舗を持った喫茶店だ。瀬菜の利用する喫茶店は二箇所あり、その一つがティアでもう一つがSnowLightだ。後者は半ばジャズ喫茶のような様子を見せており、仕事帰りに時間のある人が常連になって通っている。ティアの場合は昼や夕食目当てがメインであり、お茶を飲みに行く人はおそらく今の時間の学生くらいなものだろう。

 しかし、中に入ると思いのほか空いていた。

「いらっしゃいませ」

 黒を基調とした制服に赤色のネクタイ、そして腰下に巻く赤色のエプロン――色合いの差が強く、少し派手なデザインの服を着こなした店員が歩いて近づいて来る。店内はそこそこ広く、べつに案内が必要なわけではないが、余裕のある時はいつもこうして出迎えるのが喫茶ティアの慣わしのようだ。

「あれ、一ノ瀬さん」

(きずな)、今日はシフトに入っていたのね」

「ええそうなの。この前はありがとうね。奥の席? どうぞ」

「ホットミルクと……ラテを」

「はい。えっとお連れさんは?」

「え? あ、そっか注文、えっと――レスカで!」

 迷って真っ先に思いついたのがそれ、というのはどうかと思ったが、まあ口は挟まないでおいた。席についてから改めて注文しても別に良いのだが。

「はい、承りました」

「頼んだわ。――ほら華花、こっちよ」

 奥から二番目の六人用のテーブル席に腰を降ろす。パーティションで区切られているため姿が見えにくい場所だ。そして奥のお手洗いとも少し離れており、通りがかる客の目があまり向かない。

 別段、内緒話をするわけでもないのだが、人目を憚りたいと思うのは癖のようなものだ。

 ――実際、秘密会合なら高級料理店にでも行くわね。

 あちらのプレイベートルームなら個室だし、監視カメラがあるのをわかっていればどうとでもなる。

「慣れてるなあ。知り合い?」

「華花よりも付き合いのない知人よ」

「……え? なんであたしが出てくんの?」

「比較対象があった方がわかり易いでしょう? それが自分なら尚更だと思ったのよ」

「せっちゃん、そういうのってあれだよね。えっと……酷い?」

「いつも通りの私よ。それで、――華花は今の自分がいつも通りではない、そう自覚しているのね?」

 問うと、しばらく間を置いてから「……たぶん」と曖昧に頷いた。ちなみにその〝しばらく〟の最中に注文していた飲料が届けられている。

「こういう言い方は妙だけれど、いつも通りに戻りたいのかしら」

「うん、たぶんそう――あれ? ホットミルクはせっちゃんの。レスカがあたしので、えっとカフェラテ? が多いんだけど……あ、もしかしてせっちゃん若年性の」

 言葉を封じるように正面から掌で叩いてやると「みぎゃ」と猫のような悲鳴が小さく漏れた。自業自得だとは思ったが、とりあえず説明しようと――。

「待たせた。ちなみにそいつは俺のなのよ、これが」

 ――して、待ち人がまるで今までの会話を聞いていたかのよう、間違いなく今きたばかりなのに代弁した。

 青色の中国服に、淡い青色の髪は染めてあるようで、前髪の一房だけは青というより白に近く、また左に金色の飾りがついたかんざしをつけていた。背の丈は瀬菜と同様のため男性にしては低く、笑顔は浮かべているものの生来より瞳が細いため鋭い印象を受ける。

 名を蒼凰(そうおう)蓮華(れんか)――VV-iP学園普通学科一学年に通う、瀬菜の待ち合わせの相手だ。

「相変わらず良いタイミングじゃねェか。さすがだよな」

「それは、私の台詞よ」

 するりと滑り込むよう瀬菜の隣に座る。肩が触れるか触れないかの位置に、瀬菜はどこかほっとした。

「珍しいのよなァ……おっと、瀬菜の友達か?」

「え? あ、えっとね」

「――学校の知人よ」

「つまり学友よな?」

「……知人よ」

「はあン、肯定したくはねェッて感じでもねェのよな。まァいいか、俺ァ蒼凰蓮華ッてンだ。覚えといてくれよ」

「あ、どうも、鏡華花です。えっと――せっちゃんの、お友達?」

「あー……違うよ」

「そうね、違うわよ華花。蓮華は――ええと、そうね、どう説明すべきかしら」

 順序を追えば長い話になる。今もまだ複雑な関係のような気がしてならないが、端的に表現しようと思うと言葉に迷う。だから面倒になって、吐息を一つ。

「ええそう、私の旦那よ」

「――は?」

「つまり俺の妻ッてことよな」

 選択肢の中から得た一言が妙に気に入ったのか、蓮華はくつくつと肩を揺らして笑いながら言う。お互いにその選択を間違いだとは思っていないのだが、蓮華にとっては笑えるらしい。

「ま、珍しいこともあるモンだよ。瀬菜が誰かと、しかも学友と一緒ッてのはさすがの俺も驚いたよ。悪いことじゃァねェのよな」

「なによ。私らしくないって言うの?」

「馬鹿、違ェよ。そういう部分は瀬菜らしいッて思うぜ」

 頭を撫でられたため、されるがままにしていると、なんだか奇妙な目を華花から向けられた。

 確かに、こうした状況を学校の知人に見せるのは初めてのことだ。事実である以上、誤魔化す必要はないが、あるいは隠しておくべきだったかもしれない――そんなふうに思うのは、もっと後になってからだ。

「――と、俺ッて邪魔か?」

「や、そんなことない……よね?」

「承諾は得ているから大丈夫よ。それで、どうかしたの? 最近は実家に戻っていないようだから、忙しいものだとばかり思っていたけれど」

「あーそっちは一段落した。んで今日さ、いくつかピックアップしたから見せようと思ってよ」

 ちりんと、髪飾りが揺れて音を立てる。ポケットから取り出されたのはスティック型の記録媒体だ。今では小型化も進んでいるものの、持ち運びを前提とした場合、小さすぎるのは逆に不便であるため、従来のものと大きさはさほど変わっていない。髪留めくらいのサイズだ。

 鞄の中から小型端末を取り出した瀬菜は受け取り、接続する。起動に時間は要しない――そもそも、端末機器やそれに類する技術は瀬菜の得意分野だ。これだけは昔からやっている。

「あ、最新機器だ」

「へえ、鏡はこういうの詳しいのかよ」

「え? いや詳しいってほどじゃないけど、前にニュースで――うおっ」

「もっと上品に驚きなさい」

 画質は少し悪くなるが、持ち運びの小型端末であるため映像投影型だ。タッチパネル形式の進化系であり、キーボードも投影で済ます最新機器。ただ、唐突に八つの窓が重なって出現すれば驚くだろう。後ろからも透けて見えるのだから。

「ん……少し吟味するわ。華花、蓮華と話してなさい」

「お互いに華があるわけだし、なァ」

 軽い口調とは裏腹に、蓮華は表情こそ柔らかいものの心底から笑っていないなと瀬菜は住宅リストに目を通しながら思う。その辺りは雰囲気でわかるようになった。

「お前ェよ、自分が異常だって気付いてッか?」

「――え?」

「言い方が悪いかよ。つまり、――あー正常なんだけどな? お前ェの場合は異常だろうよ」

「えっと――」

「タメ口でいいぜ。こっちはまだ十五だ、気にすンなよ」

「わかった。んでソウ……なんだっけ」

「蓮華でいいよ」

「じゃあれんくん、あたしって異常なの?」

「自覚ねェのかよ。それとも、自覚できねェのか? そうよなァ……配線が繋がってねェ、いや順序が違うが近ェよ。つッてもわからねェッて顔してるなァ」

「うん、わからない」

「んー、カフェラテ……じゃわかりにくいか。まあ珈琲牛乳でいいだろうよ。まずカップにインスタントの粉入れて、お湯を入れて、まあ暖めておいた牛乳を足して混ぜる。これでできるよな」

「うんうん」

「これが正常だとすりゃ、お湯を入れて牛乳足して、インスタントの粉入れてからレンジで温めた珈琲牛乳ッて異常だろうよ」

「う……なんか変な想像が」

「でもま、同じ珈琲牛乳よな。お前ェの場合は後者が近いのよ――順序が、違ってる」

「蓮華」

 そんな会話を耳にしながらも口を挟むと、どしたよと振り向く。その顔を二秒ほど堪能してから、

「六件は目を通したけれど、残り二件は?」

「ああ、それは俺が構想を提案した物件よ。間取りなんかをちょい考えてみたのよな。そっちは流してもいいよ」

「そう」

「……あのう、何をしてるの?」

「ああ気にすンなよ。俺らの住宅を買おうッてな。まあ物件を見てンのよ」

「うわっ、新築!?」

「そりゃそうだよ。――で、話の続きだ。いいか鏡、お前ェの場合は今まで異常だったはずなんだよ」

「うえ、レンジで温めた方ってこと?」

「そう――それが当然だったのよ。周りにしちゃァ異常だが、お前ェにとっちゃァ正常だったのよな。だが今は、普通の珈琲牛乳だ。周りと一緒になっちまってる。それは普通……ま、この言葉は嫌いなンだが、普通なのよ。だがいつも通りでもねェはずだ。お前ェもどこか、何かが違うンじゃねェかと――気付いてンだろ?」

「……うん。でも、何がどう違うのかわからないし、何をどうすればいいのかなんて雲の上の月だし、せっちゃんにも危なっかしいって言われるし」

「踏んだり蹴ったりかよ」

「そうなんだよね」

 他人事かよ、という言葉を蓮華は放たない。何故なら、そうなって当然だと理解しているからだ。

 わかっている。

 何がどうなって今の鏡華花がいるのか、蓮華は見ただけでわかってしまっていたから。

 ――そりゃわかるよな。難易度は低いよ。

 そこに友人が関わっているのだから、わからないはずがない。

「ま、それほど日数も経ってねェンだろ。もう少し考えておくといいよ。瀬菜は、不満かもしれねェけど」

「あら、べつに私はどうでもいいわよ」

「どうでもいい相手を、俺がくるとわかってた上で同行なんてさせねェだろーがよ」

「……七件目、気に入ったわ」

 話を逸らした。あと目も逸らした。

「へえ――あれ、完璧な洋風仕立てだろ?」

「和洋が混在しているのは家として、バランスが難しいわよ。リビングにステレオを設置するのも、まあ、許すわ」

「ん、なら土地の辺りをどうするかちっと考えてみるよ。知り合った棟梁が建築なら任せろッて言ってたから、設計図放り投げとくよ」

「そう」

 小型端末を閉じて、記憶媒体を返す――と、やはり妙な目で華花が見ていた。

「何よ華花」

「うん……どうしてこの不況のご時勢に金額の話が出てこないのかなって」

「ンなの気にするかよ。働いて貯めりゃいい話じゃねェか」

「そうよね。私も蓮華も一応は仕事しているものね」

「一応ッて何だよ。職業に貴賎はねェ、報酬がそこに発生する以上は仕事だろ」

 突っ込む間がなくて華花は寂しそうに肩を落とした。

「なんかせっちゃんもれんくんも、変……」

「華花に」

「言われたくはねェよ」

 言葉が被った。

「あっ、そうだ、あたし買い物しなきゃ。セールの時間がくる? いいね!」

「いいわね。気をつけて行くのよ? 傘は――」

「おゥ、俺のを使えばいいのよな。柄が木目の黒色、出口右手で見て一番奥の右にあるのがそうだよ。持ってッていいぜ」

「ありがと。じゃせっちゃん、ご馳走様。今度また買い物ね?」

「ええ」

 立ち上がり、店を出て行く後姿から視線が外れず、扉が閉まって見えなくなってからようやく、瀬菜は己が視線で追っていたことと、安堵が内に浮かんだのを自覚し、深い呼吸を一度した。

「悪かったわね……いえ、ありがとうかしら」

「ま、どっちでも伝わるからいいんじゃねェの? 正直なところアイツの尻拭いみてェで苦笑したい気分だけどよ」

「そう。どう転ぶかはわからないけれど……」

「ありゃ自覚して直せるもんじゃねェよ。だいたい外からの因子でああなっちまってンだから、抵抗力がありゃそもそも、ああはならねェのよな。ただ理解できる俺としちゃァ――甘ェ判断だと、アイツにゃ言ってやりたい気分だぜ」

「こうは言いたくないのだけれど――きっと華花は、現状を否定するわよ」

「だろうよ。俺もまァ少し考えておくけど……んで、何かあったか?」

「ああそう、仕事の話にも繋がるのだけれど、野雨西にある鏡について知っているかしら」

「んー……いつもなら、それが? なんて続きを促すトコだけど、まァ瀬菜相手に取り繕ってもしょうがねェよな。いや知らねェよ、何だそりゃ」

 あたかも知っている素振りを見せながら、実際に知らないことを隠して誤魔化し、促した先の情報から深読みをして、結果的に知ることになる――などということを平然と行うのが、蒼凰蓮華の仕事であり生活だ。単に性格が悪いだけじゃないのである。きっと。

「階段の踊り場に姿見があるのよ。それぞれ正面に、だから二枚ね。全校舎よ」

「正確な数は?」

「三階建て校舎が四棟だから、踊り場は十六箇所。その倍で三十二枚よ」

「――奇異だよな。ある種の怪異譚だ」

「それなのよね……発生状況はまだ明確ではないのだけれど、発生しつつある段階ではないかと愚考する次第よ」

「愚考って、異端な上に元がつくけど専門家だろうよ」

 その専門家も、今では端末にかじりついて情報を集めている。情報屋ではなく、その下請けだ。もっとも裏ではなく表の、なので営業に近く、スーツで外に出て会合をすることもある。

「で、問題は何よ」

「……噂の発生時期が、私の転入のタイミングなのよ。誤差はあるけれど……つまり今年になって、具体的になった」

「早計だろーがよ」

「それでも元専門家としては看過できないわよ」

 十分な時間を置いて、他人への影響が少なくなるようにはした――かつては空虚だったはずの学校生活も、今では違う。去年の八月に事件を終えた瀬菜は数ヵ月後に野雨西の授業風景に馴染むため、数度だけ学校に行っていたこともあったが、それでも改めて転入したのは今期になってからだ。

 半年の空白――それでもまだ、専門家としての影響が残っていたと十分に考えられる。

 それを知らぬ蓮華ではない。

「……ま、瀬菜がそう言うならいいよ。でも仕事ッて言ったよな」

「そこを相談したいのよ。どうかしら」

「個人的な依頼が一番簡単でいいんだが、それだと理由が必要よな。誤魔化すにしても整合性がとれねェ状況が多いのよ」

「学校は基本的に閉鎖された状況だから、生徒のために生徒の一人が動くとなれば問題視せざるを得ないわ。だから一応は生徒会に打診して、生徒会が解決のために――と思ったのだけれど、こちらはこちらで予算を出すのだから、それなりの理由が必要になるのよね」

「外部の人間を頼りにするなら、まァそうなるのよな。かといって瀬菜の手を借りるンじゃァ俺の矜持に反する。はあン」

 少し、蓮華は逡巡する素振りを見せた。瀬菜は知っている、それが既に解決案を持っていた上で実行可能であり、考える振りをしているだけの態度であると。

「それならよ、――外部の人間が勝手に調査して解決したい理由がありゃァ、どうとでもなるよな?」

「勝手に、ね。それでも生徒会長に一言くらいは欲しいわ」

「決まりだ」

 薬指と親指を合わせ、滑らすことでぱちんと音を立てる。

「とりあえず棟梁ンとこと目ぼしい物件、探してくるよ。夕食までにゃ戻る予定だから、義姉さんに伝えといてくれ。んで夜出る。野雨西の夜間セキュリティ、解除頼むよ」

「ええ、そのくらいはするわ。宿直はいないから安心して」

「おゥ、んじゃ――」

「ご注文はお決まりですか?」

 ウエイトレスの絆がきた。そのために指を鳴らしたわけではない。というか鳴らしたのに気付いて注文を取りにくるな。ここはどういう店だ。



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