02/04/10:00――イヅナ・術式の閃き
一度鈴ノ宮に顔を出し、ことの流れを伝えてからは、車を預けて徒歩移動となった。街の空気を感じることはイヅナにとっても良いことだったので、それ自体は問題がない。向かう先はどうやら、野雨と杜松の境界くらいにあるらしいとのこと。
「どうだ」
「ちょっと怖いっスねえ……」
騒がしいような日常の空気の中には、何もない。ただ、そこに日常の姿があるだけだ。二人は雑踏の中に紛れながらも、当たり前のように認識から逃れるよう、堂堂と歩いている。この矛盾した技法も、習得してしまえばそれほど難易度は高くない。
「きっちり整ってる感じがするんすけど、逆に雑味が混ざってないから、裏が読めないとでも言うんすかね。単純に、すげーってことなのかもしれないっスけど」
「なかなかいい読みだ。イヅナ、認識の幅を広げろ」
「認識っスか?」
「内世界干渉系だからといって、自分の視界に映るものが全てだと錯覚するな。今すぐにやれとは言わないが、それこそ〝世界〟を俯瞰することも、あるいは可能だ。魔術書を取り出された感覚があるのなら、魔術書に頼らない術式の構築もできる。そっちの座学は――コンシスか?」
「魔術関係は、そうっス」
「……まあ、興味を惹かれて壊されても敵わんから、上手くやれ」
「それ死刑宣告に聞こえるんすけど!?」
「コンシスくらい手玉にとれ」
「んな無茶な……」
「じゃ、俺かアブにしとくか?」
「そっちのが絶対に難易度高いっスよね!?」
そうでもないだろうと、ベルは苦笑する。
「ま、それがわかるだけ、よく見てるじゃないか」
「俺の術式も影響があるとは思うんすけどね、なんつーかこう、使われているのと使っているのとの違いというか、まあ」
ぽりぽりと頭を掻くイヅナは、視線を合わせようとはしない。嘘で誤魔化している様子はないので、一種の照れ隠しだろう。なんというかこの男は、恥ずかしがり屋なのだ。その程度の認識で良い。
「ただ、それでも今の俺にとっては、届かないんで、なんとも」
「届かせたいと、そう思うか?」
「どうなんすかねー……俺は、今の俺は、ラルさんのこともそうっスけど、ただ」
たぶん、その一言が、全てで。
「キツネさんを継ぎたい――ただ、それだけなんすよ」
「越えたいか?」
「今の感覚だと、そうっスね、越えたいというよりも、キツネさんになりたい……が、近いかな」
「如月の家系は知っているな?」
「調べたっスよ。魔術師としての名家だった――んで、まあ、いろいろあったってことは。キツネさんは、魔術師じゃないんすよね?」
「一応は、な。失ったのか、譲渡したのか、最初からなかったのか、その辺りを確定できるほど調査はしていない。もちろん、隠している可能性もある――が、少なくとも、使わない、その一点だけは確かだ」
「そうなんすよねえ……しかも、そりゃ基礎は教わったっつーか、あの人、とりあえず覚えろって、俺を叩きのめすんすよ。何度も。今んとこ、あれが一番キツかった想い出っスねえ」
「感覚で生きてるような人種だから、仕方ないだろ」
やがて、野雨を抜けた。
空気が僅かに変わって、雑味を感じたイヅナは、安心した自分に気付いて苦笑する。なんだかな、だ。
「やっぱベル先輩も術式の研究とかしてるんすか?」
「そこそこだな」
まったく――自分よりもよっぽど、この先輩の方が、いろいろと多くのことを誤魔化していると思えるのだが、一体どういう生き方をしているのだろうか。
もう、初見の時に違和のように感じた幼さなど、一切感じなくなっている。最初は礼儀のように使っていた先輩という言葉も、今は敬意と同じだった。
「ここだ」
「朧夜堂……骨董品の店っスか?」
「月のが経営してる骨董品店だ。といっても、目的は表じゃない」
こっちだと言われて裏手に回れば、母屋があり、その横には道場が鎮座していた。庭に入れば、ぞくりとした悪寒と共に、何かが全身を這うような感覚がある。探りを入れられたというよりはむしろ、物理的に肌の表面をなぞったようなものだったが、しかし、イヅナは素知らぬ顔でベルについて――。
「ああ、気にするな。庭にいた蛇が確認しただけだ」
「お見通しっスか……」
「骨董品にもいろいろあるからな」
そうして、道場に足を踏み入れれば、お茶を飲んでいる老人が二人――。
「邪魔するぜ」
「おゥ、なんだ、誰かと思ったらベルじゃねェかよゥ」
ははは、と白髪の老人が笑う。いや、二人とも白髪なのだが――。
「まさか、俺で試すと言い出すんじゃねェだろうなァ。それなら逃げるぞ」
「二度はねえと、以前に言ったはずだ。今回はこいつを見ろと言いにきた」
「げ……あ、ども、イヅナっス」
どうやら、朝の運動よりもハードになりそうな予感がしつつも、小さく頭を下げておく。
「ここって、朧月の道場じゃないんすか?」
「月の娘は一人暮らしで出てるから、面倒なくたまり場にできる。宮のもいたか」
「おう、ベル、久しいな。なあに、儂もたまには実家から出たい時もある」
答えたのは宮の――つまり、都鳥流小太刀二刀術を使う、都鳥冷。そして、最初に声をかけた老人が、雨天静なのだろう。
武術家の御大が二人――だ。いや、御大といえば雨天だろうが、都鳥だとて充分に化け物の類である。
「で? なんだよゥ、イヅナってのとやりゃァいいのか?」
「退屈か?」
「そりゃァお前ェさん、俺らが相手をするにゃァ早ェだろうがよゥ」
「だとさイヅナ、上手く誤魔化せてるぜ」
「そうなんすか? いや、俺はいくらなんでも、この二人に勝てるなんて思いあがっちゃいないっスよ。話は聞いてるし、あの雨のに、宮のっスよね? 俺逃げていいっスか」
「逃げてどうする」
「あー……ベル先輩にゃ逆らえないなあ、俺」
本当、どうしてこうなった。
「ま、確かに、雨のじゃ早いから、宮の」
「儂か」
「ああ――先に言っておくが、キツネの後継者だ」
それをベルが言った瞬間、二人の目の色が変わった。警戒ではない、落胆でもない。それは誰が見てもわかる――好奇心だ。
「ほう……」
「あの馬鹿野郎が、ようやく後継者かよゥ。クソ爺で、あと二十年も生きてられるかどうかわからねェのに、遅すぎだろうが。武術家に名を連ねるでもなし、俺と相対して生きてられるのは、野郎くれェなもんだと、前から言ってたンだけどなァ」
「どれ、儂がやろう。面白い。キツネには負け越してる。それが、この先できるかどうか、見定めるのも悪くはない」
「あー……先輩、これが目的っスか?」
「楽しめよ」
「はは、諒解っス。それだけは――嘘偽りなく、俺にとってできることっスから」
ぼろ雑巾のように叩きのめされても、痛みを堪えても、そこに楽しみを見いだせなかったことなど、今までに一度もない。
「――あ」
「いいぜ」
言う前に、ベルが肯定する。
「術式も使ってみろ。相手はキツネでも、俺らでもない。好きにやれ。どのみちお前は、まだ〝殺す〟ところまでに、至らない」
「ういーっス」
その確証があれば充分だと、ベルの横を抜けて道場の中に入れば、既に冷は立ち上がり、小太刀を二本、腰の裏に佩いていた。
術式を作動すれば、周囲の光景が零と一の数字に置き換わる。だが、全てではない。薄いフィルタを通すよう、普段の光景もまた、把握できている。そうでなくては、数字を追うような結果になり、全体の流れを上手く掴めないのだが、今のイヅナだ。
「ああ、そうだ。たぶん見えないから気をつけろ」
いつの間にか右手に小太刀を持っている冷が、イヅナを通り越していた。くるりと回転するようにして冷の姿を確認したイヅナは、入り口付近のベルを見て言う。
「それもっと早く言って欲しかったんすけどね!」
「いいだろべつに」
避けた、わけではない。結果的にはそうかもしれないが、イヅナが意図して行ったものではなく、いわば反射動作に近いものだ。アブに拳銃でぶっ放された時もそうだったが、そういう意味での基礎は叩き込まれている。
受け流す、である。
肌に触れるより前、服を撫でるよりも早く、相手の行動に〝合わせ〟るようにした受け流すための技術。ともすれば本能的に、それは発動するのだ。
イヅナの意識の、外側で。
つまりそれは、イヅナの技術でありながらも、イヅナの意図しない部分。あまり手柄にはならない部分ではあるし、弱点でもあった。
速度は問題にならない。その点は最初の時点で、かなりやられた。よほど、人間に到達可能な範囲の速度ならば受け流すことは可能だ――が、連続してそれがきた場合、ある特定のタイミングで〝硬直〟が発生してしまう。その時点でイヅナは無防備になり、次の一手が受け流せなくなってしまうのだ。それが自身の把握範囲ならばともかくも、反射でしかないのならば、難しい。
本来ならば、反射ではなく、己の意志でそれを可能にしなくてはならないのだが、認識の幅なのか、それとも躰の制御速度なのか、今のところはまだ不可能な領域である。
顔を戻せば目の前に飛針が一本、牽制だから受けてもいいが、額に穴が開きそうだったので、歯で咥え取る――そこへ、右の突きがきた。
速い、その上で〝次〟が見える。かといってすべての動きを把握できるほど、イヅナには知識も経験も足りていないので、とりあえず上半身を倒すようにして腕が伸びきるまで回避すれば、ぴたりと刃は止まった。続くのは踏み込みか、それとも、なんて考えを苦笑で打消し、下から上へと顎を動かせば、咥えていた飛針が、小さな金属音を立てて外れ、落下の軌道をとった。
続くのは右の胴薙ぎ、それを軽いステップで回避したイヅナは、相手の踏み込みに対して、こちらも踏み込みを見せた――が。
上手い。
踏み込みの〝フェイク〟だ。結果的に最大効力が発揮される、先ほどと同じ位置にイヅナだけが戻ったかたちになってしまう。
――笑う。
面白いと、イヅナは笑みを堪えきれず、顔に出す。
続く二連撃を回避するため、床に落ちた飛針をあえて踏んで姿勢を崩す。足の裏が滑るような感覚と共に躰を仰向けに倒せば、銀光が眼前に二つ――そして、踏み込みの気配に両手で、背中側にある床を叩けば、道場自体が振動するような衝撃と共に、一気に躰が起きて、それは間合いの中。最大効力が発揮されない最後の二撃を、するりと受け流したのならば、冷は背後へと抜けていた。
都鳥流小太刀二刀術、抜刀〝六連〟――だ。
「イヅナ――」
「なんすか?」
戦闘中であることを自覚しながらも、やはりイヅナは堂堂とベルの方を見る。その際に三度ほどのフェイクと、偽装した踏み込みを混ぜてやれば、冷の警戒も促せるというものだ。いっそ、誘いに乗って踏み込んできてくれればとも思っていたが、さすがは武術家の御大、そんな遊びには引っ掛からない。
「視覚情報に頼りすぎだ。それと、術式の使い方が一極化し過ぎている」
「ういっス」
頼りすぎなら、頼るのをやめようと極論に走ったイヅナは、瞼を閉じる。暗闇の世界の中であっても、術式が作動しているのならば、数字だけは周囲に漂っていた。これらは視覚を除いた感覚が仕入れている外部の情報だ――が。
しかし。
感覚を経由しなくても、情報がそこに在るのならば、視認せずとも、わかるのでは? なんて疑問も浮かんだ。これはベルに言われていた、世界の俯瞰という行為への連想であって、今はとりあえず横に置く。
視界の隅でベルが煙草に火を点けたのがわかる。雷系術式を使っていた。
ふと、何かが閃いた。それが何なのかわからないまま、今度はイヅナから踏み込む。
そもそも、キツネの体術に、本命はない。
偽装にまみれていて、虚偽しかなく、偽計そのもので詭計だ。偽証そのものを体術によって創り上げ、それを偽造と呼ぶのならば、結果そのものは偽悪に限りなく近い。成功すれば巧偽とも――ああ、つまり。
ただ、その過程において、攻撃そのものが当たることもあると、そんなことでしかない。
もちろん、キツネは虚言を弄することはしないし、そんなことは一切口にしなかったが、それでも、受け続けたイヅナの見解としては、そうとしか思えないのである。これについても、真偽が定かではないのだから、笑うしかないけれど。
また、だからこそ今は、受け続けて会得したものが多いので、攻撃は苦手だった。
全て避けられる。参る話だ、誘いにも乗ってこないし、攻撃もない。なにやら見定められているような感覚が、妙に落ち着かないけれど、それだけの実力差があると思えば、まあ、納得するしかあるまい。
「――あ」
そうかと、声を上げても動きは変わらず、ただ。
そう――先ほどのことを思い出す。
ベルが使った術式は、間違いなく零と一の配列として自分には見えていたのだ。そして、己もまた、その配列を持っている。
なら?
それを、作ることはできないか?
術式ならば――構成そのものが見えているのならば、己の魔力でそれを発現可能か?
疑問を浮かべたのならば、真っ先に実行するのは、好奇心というよりも、イヅナの性格に寄る部分だろう。
そして。
「い――っ!」
接敵中、その〝予兆〟を感じて回避した冷と違い、実際に使ったイヅナは、弾かれるようにして吹き飛び、背中を壁に打ち付けたかと思うと、まるでバウンドしたかのように床に落ち、そこから更に飛び上がって、両手をぱしぱしと叩きながら、ベルを見て。
「――いってえっスよ! うわっ、手の感覚がねえくらい痺れてる! マジなんなんすか! こんな術式を使わせないで欲しいんすけど、ねえ先輩!?」
「あのな……勝手に使ったのは、お前だろうが」
「わざわざ使わせる方向に流したいなら、もうちょっと平凡なのお願いできないんすかね! 爪割れてるんすけど!」
「手が解けなくてよかったな」
「そういう問題じゃないんすよ! いやよかったけど! うっわ、いてえ――!」
「制御が甘かった自分を恨め。宮の、もういい。足りないなら俺が――」
「やめろよゥ」
「足りてるから問題ない。月のから道場を新築したい、という申し出もないのでな」
「そりゃ良かった」
「よくねえっスよ……あー、まだ手の感覚が戻らないんすけど。雷系術式こえー、マジこえー」
言葉とは裏腹に、新しいおもちゃを見つけた子供のよう、口元の笑みを隠しきれていないイヅナを見て、ベルは小さく笑った。
イヅナは、どう見ても、実戦の中で成長するタイプだ。




