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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2039年
68/790

10/25/18:00――ベル・青色の来訪

 その日は、珍しく。

 あちこちに飛んで仕事をしていた全員が、施設に戻ってきていた。早い者でも、つまりフェイでも今日を含めて三日の休みがある。あれ以来、全員が集まることなどそうなかったので、多少は戸惑うかとも思ったが、大して問題もなく、当たり前のように施設で過ごしていたのだが、どういうわけか、非常に慌ただしいノックの音に顔を出せば、マーデが珍しく、非常に珍しく――つまり初めて見る焦ったような、苦苦しいような表情で、奥歯を噛みしめていた。

「……?」

 廊下をちらりと見れば、やや遠くにアブとフェイの姿もあった。コンシスは室内にいる。

「どうした? 下剤が利きはじめたなら、トイレの場所を教えるが」

「いいか良く聞け、ボクはこれから逃げなくてはならない」

 これもまた珍しい断言があったかと思うと、がりがりと頭を掻いて、廊下をうろうろし始めた。

「いや、表現が的確ではない、そう、ボクは逃げるのではなく、逃亡……いや、そう、撤退をしなくてはならんと、ふむ、なんだろうか、こう、珍しくボク自身の中から言葉が出てこないのは、つまり精神が安定していないことの証左でもあるのだがね、これは全く困った話だ。自分が自分でなくなる瞬間というのを夢見たところで、こうにも一時的とはいえ現実になると妙に冷めるどころか、腰の据わりが悪いというか、原因たらしめる者を殺してやりたいと思うのにも関わらず、手出しができないことを痛感させられるから、どうしようもなく――ああ、なんだね、そう、聞いているかねベル」

「要点をまとめれば、嫌な相手が来訪するから背を向けて逃げると言いたいんだろう」

「そうとも! ……いや、違う、そうではない。いいかね? 逃げるのではない、そう、ボクはここにいないのだよ。撤退だとも、ボクは断じて逃げてはいない。ここからいなくなるだけだ」

「おいマーデ、言い訳はいいから、何をどうすんのかを言えってンだよ」

「時間がないのだよ、わからんのかねアブ」

「だったら、とっとと言えよ! 言い訳が長いんだよ!」

「ふむ? 言い訳などしてはいないとも」

「エンジンがかかってきたようで何よりだけどね、しかし、どうしたんだ? 来客の予定を僕は聞いていないけれどね」

「そういう類の人物では――いかん、時間がないのだ諸君。つまりだね、これから不躾な来客があるから諸君で対応しろと、ボクは言いにきたのだよ。いいかね? あー、そう、そうとも、殺せるなら殺してしまっても構わない。ボクはそうすれば大手を振って歩けるが――いかんせん、殺せはしないだろう」

「そいつの目的はなんだ」

「ベル、なんだベル、そんなものはこれから確かめればいいではないのかね?」

 つまり、知らないらしい。

「まったく、どうしてこんなタイミングであやつが姿を見せるのか、まったくもって考えたくもないほどに、これは嫌がらせだと断定したいほどに気に食わないが、しかし、この場にボクがいる以上は避けては通れぬ道ならば、逃げるしかほかあるまい。なあ?」

「いいから、もう行けよマーデ。そんな情けないお前を見たのは初めてだぜ」

「……つまりボクのか弱い一面を見て、ギャップが喜ばしいと、そういうことかね? ――まてフェイ、現実を直視したくない気持ちはわかるが、何故、フェイが銃を向けるのかね」

「同じ女として許せない何かが芽生えたのよ。いいから行きなさい」

「うむ。では頼んだ……が、おっと、忘れていた。最後に一つ、忠告をしておこう。いいかね? 諸君、死ぬなよ」

 などと、長長と妙なことを口走った挙句に、置き土産とばかりにそんなことを言って、ふらりとマーデは姿を消した。

「……アブ、先に表に出るか」

「ん? ああ、そうだな。遅れんなよ、お前ら」

「さてね。呑気に観戦というのも悪くはないと、僕は思っているけれど?」

 好きにしろと言って、外へ。軽く目配せをして屋内を探るが、狐や吹雪などの気配はない。

「最近、野雨(のざめ)でいろいろ動いてるみてえだな?」

 外に出て煙草に火を点けたのはほぼ同時に、口を開いたのはアブだ。

「いくつか、情報が耳に入ってるぜ」

「間抜けを晒したつもりはないんだが……まあ、気付くか。少し興味があってな」

「何に」

「野雨という在り様に関してだ」

「……妙なことに興味を持つもんだな」

「自由行動が許されると、暇をどう潰すかでいろいろと考えるようになったからな」

「へえ。どのみち、お前の行動はわかりにくいけどな……いつの間にか、左腕も失ってやがるし」

「義体は二度目だ、慣れてる。お前だって腕の一本は失っただろ」

「最初にな。……ま、お前に関して疑問を抱いているのは俺だけじゃねえ」

「それでも、たぶん一番理解してるのはお前だろうな」

「ふん、どうだかな。で?」

「なんだアブ」

来訪者(ヴィジター)については予想してんだろ」

「俺をなんだと思っているんだ……」

「ベルだろ」

「まあな。腹の探り合いは面倒だろ、アブ。もう来る」

「早いな」

 そうして――彼らは逢うことになった。

 山を抜けて、ここへたどり着いた、青色の中国服を着た男に。

「よォ――ッと、なんだ」

 止まったのは十五歩の距離、彼は周囲を見渡してから、わざと頭について金色の髪飾りを、ちりんと音を立てるように揺らした。

「あの馬鹿は逃げたか……ま、苦手意識を持ってンのは、俺だけじゃねェッてことかよ」

 登山をしてきたというのに、服には汚れが一切ない。もちろん、今のベルたちならば、造作もないことだが、観察としては一般的なものだろう。

 ベルは知っている相手なのか否か、定かではない。ただアブは、フェイやマーデ、あるいはコンシスに感じる〝何か〟を、この男から感じていた。

「火をくれよ、そっちの小さいやつ」

「いいぜ」

 小さいの、と呼ばれるのには慣れている。事実、ベルよりも少し背丈は小さいアブは、煙草を咥えた男の周囲に、術式が火を作った。

 火――というより、火炎だ。火柱とも言えるそれは、薄暗い時間帯を赤く染め上げるほどの火力を持って作られたが、しかし。

 燃やすことも、焦がすこともなく、相手は三歩だけ前へ出るようにして火柱から出てくると、火の点いた煙草を吸い、紫煙を空に吐き出した。

「さんきゅ。こいつも久しぶりだ、最近は同居人のこともあって、吸ってなかったからなァ」

 何かしらの術式を発動させたとは思えず、眉を顰めながらアブは術式を解除する。

 ただ、この男は、当たり前のように火の中から出てきた。料金を支払って、飲食店から出てくるかのように。

「ふうん? 俺のことは知らねェのかよ」

「知らないな」

「二ヶ月前にツラを見せたと言っても、確証にはならねェか? わかるよなァ、ベル。少なくともアブよりゃ、お前ェの方がわかるはずだぜ」

「――」

「俺のことはブルーでいい。まだ顔も見てねェどっかの誰かが、勝手にそう呼んでるらしいッて聞いてるからよ」

「へえ、俺らのことは調べ済みってか?」

「アブ、あんまり間抜けを晒すなよ。調べる必要なんかねェだろうがよ――お前ェらの仕事がどっから回ってくるのかを考えりゃァ、椅子に座っててもわかるじゃねェか」

「お前があの〝策士〟か」

「馬鹿、あれのどこが〝策〟だよ。上手い具合に回っただけだろ」

「上手い具合に回っただけで、天魔第一位を〝鎮めた〟とでも?」

「武術家連中の騒ぎに巻き込まれた俺が、一体何をしたッてンだよ。指揮を素直に受け取るタマか、連中がよ」

「あいにく、武術家の繋がりはなくてな」

「キツネがいるじゃねェかよ」

「……」

「――つーか、まあいいんだけどな。ブルー、あんた何しにきたんだ」

「ん? おゥ、それよな。ちょいとした質問だから気楽に答えてもらって構わねェが、おいアブ、お前ェ、先に駒だと言われて動くのと、全部終わってから駒だと気付くの、どっちがいい?」

「……は?」

「駒の自覚があるベルなら、こんなことは聞きやしねェよ。もっとも、動かされたことはねェと踏んでるのよな、これが」

「いや――なんだ、その二択……ちょっとまて、理解が」

 追い付かない、当然だ。

 そんなこと、考えたこともなかった。自分が駒であることなんて――いや、誰かに使われている自覚があったところで、それは決して、〝駒〟と同義ではないはずだ。

 それを――この男は。

 いやベルは、反論すらせず、受け入れている?

「ああ、それと、こいつも言おうと思ってたンだよ。――俺の身内に手ェ出したら、それがどんな状況であっても、お前ェら、死んで済まされる問題じゃねェから、気をつけとけよ? ああ、こいつは脅しじゃねェよ、単なる忠告。実際、お前ェらに回される依頼のほとんどが、〝俺たち〟を避けてるから、気付くだろうとは思ってるからよ」

「手段を選ばねえってことか、そりゃ」

「逆だよ、逆。こう見えて――俺が当たり前のようにこうしていられるのは、俺の身内がいるからだ。足かせだよ、束縛でもある。けど、その方がいいよな? 今すぐに世界が壊れちまうより、よっぽどマシだろ?」

「なんだそりゃ、どうしてそうなる」

「どうしてッて……たとえばお前ェ、アブが手ェだして、間違って殺しちまうだろ?」

「たとえば、だな。ああ、その方がわかりやすい。さっきから、意味がわかんねえんだよ、理解力を越えてる」

「はは、お前ェならすぐわかるようになるよ、そう焦るな。で、まず俺はアブを殺すよな」

「んなあっさりと……」

「できるできないは除外しとけよ、今のところはな。そしたら、アブを止められなかったベルを殺すだろ? アブの行動に気付かなかったフェイとコンシスを殺して、逃げるマーデを追うのが面倒だから、逃げ場を失くすためにほかを潰すだろ? この時点で世界の半分は壊れるだろうし、そもそも今の〝世界〟ッてのは、案外不安定だから、ちょっと蹴り飛ばせばぼろぼろと連鎖的に破壊されるしよ、俺が普通にこうしている理由がなくなっちまったら、まァいいよなと、そう思うわけよ」

「……」

「アブ、俺から一応言っておく。――ブルーは〝できる〟からな」

「マジかよ」

「ああ……足かせがあるなら、まだいい。それをしない理由も、お前が持つような〝志〟もある。それがなくなりゃ、俺らの命なんて紙屑より価値は低い」

「へいへい。つーか、それを〝知ってる〟か否かってのは重要じゃね? どうなんだブルー」

「そうだよなァ」

 煙草を咥えながら、面白そうに青色は笑う。ため息はベルが。

「好きに使えばいい」

「お前ェはそう言うよな。今の会話の流れで、何をするかもだいたい察したし、実際に駒として動けば、俺の手を読んだ上で立ち回るんだろう。それが一番厄介な手駒だってことも、わかっていて頷いてンだから、性質も悪ィときた。――知ってたけどよ」

「……つまり、あれか。俺らを使って、ブルーの住んでいるところっつーか、それこそ日本や世界的に、ブルーの身内ってやつが誰で、手を出すとどうなるのかを、大大的に公表しようって算段でも立ててる――で、合ってるか?」

「おゥ、遅くてもそこにたどり着けば問題ねェよ」

「馬鹿だろ……」

「そうか?」

「いや、実現可能かどうかってのはいいとしても、それを〝やろう〟と思い至ること自体が、俺にはねえ思考だ。情報部を潰して、末端の兵士を助けるのとはわけが違うぜ」

「あー、ジィズとシェリルな。今はもうちょい数も増えたけどよ、あの仕事はなー、別口が絡んでるンだけど、知らねェか。ほら、軍部を間借りして新しい組織の立ち上げが動いてるのは、資金の流れで見えただろ?」

「ああ、確認してる。……俺は、だが」

「俺は知らねえ。そうなのかベル」

「知らなくて当然だ、ここ一ヶ月程度のことだからな。終わった仕事だが、それなりに情報は集めてる――が、集めていることを知られていたのは、ブルーがナンバリングラインの上位権限を持っているからか?」

「ありゃ〈鷹の目(イーグルアイ)〉の……」

「それも俺の〝身内〟だ。――ま、あの女にゃ俺の保護は必要ねェよ。アレの〝匣〟に手を出す馬鹿は、ほんの一握り。俺も表舞台に立つまでは、匣の中にいたしよ」

「情報源として使っているわけでも、なさそうだ」

「まァな。情報なんてのは、集めなくても〝知る〟ことは、そう難しくはねェのよな、これが。人の選択も、想像を絶するものは、少ねェ」

 乗せられているわけでもなく、会話を重ねるたびに、情報を小出しにされているのがわかる。察してみろと、推測してみろと、そんな挑戦状にすら感じた。

「まァそう難しく考えるなよ。俺としちゃ、単なる顔見せだ。そうそう逢うことはねェだろうが、日本にいる以上、俺のことを〝知らない〟じゃァ困るのよな、これが。いや――実際にゃ」

 頭を掻く、面倒そうに。

「尻を叩かれて、表舞台に立ったなら、一度見ておいてくれと頼まれたッてのが、実情かもしれねェのよな、これが」

「――誰にだ」

「ん? 知りたいのか、アブ」

「上か?」

「上じゃねェよ――と、そう言っちまえばベルはすぐ理解しちまう。いいか、俺が俺として生きると決めた時に、まず出逢った相手がいるわけよ」

 笑う。

 やや睨むようにして、けれど嬉しそうに、笑う。

「それは箕鶴来狼牙(みつるぎろうが)であり、エグゼ・エミリオンであり、椿青葉で――そして、躑躅紅音(つつじあかね)だ。姫琴雪芽(ひめことゆきめ)に関しては、これからだけどな。それがどういう意味なのか、知ってンのは俺に逢うのが嫌で逃げ出したマーデだけ。ま……あの女は知っていても教えられねェよ、嘘しかつけないパラドクスを日常にしてる」

 さてと、そう言って青色は煙草を消した。

「ベル、お前ェ暇だよな? 明日――は、藤堂ンところに用事を入れちまったから、明後日から少し、俺に付き合えよ」

「装備は?」

「いらねェよ。用事があって、あちこち移動するから、足になってくれ。ついでに、移動中にでも俺の話し相手になってくれりゃ、それで充分なのよな、これが」

「ああ、どうせ仕事もないから、構わないが、野雨か?」

「そういうことだ。それと――明後日までに、設計図は完成させとけよ。手が遅いのは役所だけでいい」

「……」

「質問はあるかよ」

「なら俺から一つ」

「なんだアブ、いいぜ言えよ」

「なんだって山からきたんだ? 車で来れるように道があるだろ」

「――はは」

 なかなか、良い質問だと青色は思う。的外れのようでいて、返事がなくても問題がないような、皮肉めいた問いだ。

 だから、笑ってしまう。そういう相手は、答えを自分で見つけようと足掻く者が大半だから、嫌いではなかった。

「俺は、ここの〝職員〟でもなけりゃ、呼びつけの〝医師〟でもないんだよ」

 それに。

「逃げ道を確保しておくなんてのは、当たり前だろ?」

 自分のためではなくて。

 誰かが逃げるための道を残しておき、あえて逃がしてやるのは、果たして優しさなのだろうか、どうなのか。

 そんな、どうでもいいような思索を巡らすアブを横目に、片手をひらひらと振って山を下りる青色の姿を、ベルはため息と共に見送った。



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