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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2039年
63/790

08/22/11:30――蒼凰蓮華・咲く花

 ここにきて初めて蓮華は思う。

 疲れた。本当に疲れた――草去が終わってから既に七日、下界に戻ってから三日目になる本日、ようやく診療所を出ることができる現実を前に、ここ数日で受けた治療という名の拷問の数数を思い出した蒼凰蓮華は、ここで弱音を抱いた。

 馴染みの外科医なので腕は確かだが、草去のできごとよりもよっぽど辛かったとここで断言したいくらいだ。

 けれど今日、ようやく出ることができる。心は晴れやかだ。

 出入り口に差し掛かった蓮華は誰もいない待合室に振り向く。片腕を吊り、松葉杖を片手にして。

「二度とこねェよサディストめ!」

 思いの丈を心底から吐き出すと、しかし遠くから。

「おうおう二度とくンな! 医者になんぞかからねェ方が良いなんてのはなァ古来から定まってンだ! おら()(みみ)、玄関に塩撒いとけ!」

「はあいセンセ」

 女性の怒鳴り声と返事がある。助手よ、そこは肯定するところじゃない。

 口じゃ負けるよなァと思った蓮華は迷わず外に出た。時刻は昼前、日差しは強く思わず目を細めてしまう。腕にせよ足にせよ、石膏で固めてはいない。草去の一件で蓮華は表舞台に立ってしまったため、いざという時に動かないとなれば死に直結するからだが、だからといって簡単に動かすわけにもいくまい。

 とりあえずは本格的に位牌の用意をしそうな義姉に顔を出さないとなと考えて数歩を歩き、けれど足はぴたりと止まった。

 ――洋服ではあるものの、その顔を忘れる蓮華ではない。

「よォ一ノ瀬」

「……」

 無言で睨まれ、一歩を踏み出されたたため意識の外で躰が退こうとする。妙な威圧感があるのは、さて何故だろうか。

「あー、いやその」

 どうしたものか。

「随分と早いじゃねェかよ」

「……何がよ」

「いや、俺の携帯端末から辿ったンだよな? あの時点で解約されてたはずだし、足跡は消してたはずだぜ。そう簡単にここまでこれるとは思ってなかったのよな、これが」

「そうね。……だったらいつ顔を見せるつもりだったのかしら」

 怒っている、平坦な声色。だからこそ偽りを混ぜることができずに。

「二ヶ月くらい先――かな。予定だとそうなるよ」

「この……!」

 ああ殴られるんだと、握られた拳を前にして蓮華は内心で苦笑する。こうなってしまっては蓮華が悪い、だから殴られるくらいなら甘んじて受けよう――ただ。

 ただ、この一撃が今までで一番痛いだろうなと、そう思って。

「……ばか」

 殴られることはなく、握った拳を震わせながら瀬菜の瞳から涙が落ちた。

 悪いことをした、とは思う。けれどそれを承知の上で蓮華は判断したのだから、そんなものは決めた時から思っていた――だから、むしろ嬉しく感じた。

 涙を流せている。

 それは瀬菜がきちんと感情を抱いているからに他ならない。

 ――そっかァ。

 瀬菜は、一歩を踏み出したのだ。凍らせていた己の心を紐解いて、日常を進み始めた。諦めるのを止めたのかどうかはともかく、咲こうとしているのだ。蓮華にとって、これほど嬉しいことはない。

「本当に、もう、心配したのよ……」

「――悪ィ」

 こつんと己の胸に瀬菜の額が当たり、小さく安堵の吐息を漏らす。

 たったこれだけのことで、充分だ。蓮華の選択は間違っていなかったのだと、わかったから。

「ん、ごめんなさい。取り乱したわ」

「いいよ。けどな一ノ瀬、俺ァそう簡単にくたばりやしねェよ」

「そうして頂戴。それでもこの状況だもの、不安だったのよ」

「ンで――どうしてここが?」

「咲真に頼んだのだけれど、確かに解約していて辿れなかったのは事実よ。周到さに咲真は呆れていたわ。けれど、不便だからと思って契約した私の携帯端末に、匿名でメールがあったのよ。ここにいるって」

「あンのクソ野郎……」

 間違いなく義姉の差し金だ。あの女ならばその辺りの情報を掌握していてもおかしくはない。特に蓮華が関わっている以上、余計なことをしそうだ。

「やっぱり知り合いなのね」

「……俺の姉貴だよ。アレのことだ、遊び半分でやりそうだぜ。可能性を確定させやがってあの女」

「あら、私は感謝しているわよ。待つのが良い女の条件かとも思ったけれど、性に合わなかったみたいね」

「――もっと落ち着いてからのが良かったけどな。抱きしめようにも両手がふさがってちゃままならねェのよな、これが」

「それは残念ね。期待しておくけれど、完治するのは先ね?」

「二ヶ月以上はかかるだろうよ。それまでは逢わずに済まそうと思ってたンだけど、まァいいよ。――逢えて、良かった。しがらみなんてのは、なくなると存外に寂しいモンだろ?」

「まだそこまで落ち着いたわけではないわ。けれどいつか、それを懐かしむのでしょうね。あった時は嫌悪すらしていたのに――人って、単純ね」

「移ろうのは当然だよ、それで良いじゃねェか。忘れちまうよりはよっぽどな。……ああ、なら訊いとくか。後で調べるつもりだったけどよ、どうしてるンだ」

「VV‐iP学園に仮住まいをしてるわよ。忍と二ノ葉は知らないけれど、舞枝為はアパートで一人暮らしがしたいらしいわ」

「……ふん、忍のことだ肯定するだろうよ。後ろめたいだろうぜ、舞枝為はもう二度と術式を使えねェだろうし。まァ悪いことじゃねェよ」

「舞枝為が、かしら。それとも忍が?」

「どちらもだよ。そんな当たり前のことをできるンだッて実感がなくちゃァ、前へは進めねェのよな。つっても――ん? 俺が無事だって暁から聞いてなかったのか?」

「聞いたわよ……何がどうの説明もなしに、ただ生きてるとだけ。暁もひどい傷で丸一日ばかり寝込んでいたわ」

「なんだあいつ、一日だけかよ」

「凄かったわよ。あの子が寝てる部屋の周囲だと立ったまま溺れてしまいそうだったもの」

「水気か……水風呂にでも叩き込んでやりゃァ、回復も早かったかもしれねェのよな、これが。忍の怪我はどうよ」

「日常生活には、それほど邪魔にならないみたいね。VV‐iP学園の理事長職に専念するのは、完治してからでしょうけれど」

「ふうん……」

「――感謝、していたわよ」

「だからだよ。――俺が勝手にやったことだ、ンな感謝は受け取れねェ。だからしばらく時間を置かなくっちゃな」

「いいじゃない、受け取りなさいよ」

「嫌だよ。返すモンもねェからな」

 歩き出した蓮華の隣に付き添うよう瀬菜は自然な動きで隣に並ぶ。

「――蓮華、この結果は偶然ではないわよね。ましてや運命でもない」

「偶然も運命も別物よな。ちなみに必然もだ。運命ッてのは結局のところ主観でしかねェのよ。そいつに共感するこたァあっても他人の導で気付くような因子じゃねェッてことだろ。厳密にゃ、主観から主体を取り除いて客観にする行程を踏めるのは必然だけッてことだよな。運命にそいつは該当しねェよ」

 運命は蓮華の対極に位置するものだ。けれどそれ故に、わかる。

「客観と主観は、まァ同じものよな。何故ッて客観は他人の主観だからだ。この結果はな一ノ瀬、必然でもなくただ――俺が望んで引き寄せたモンだよ」

「望めば、誰もが引き寄せられるわけではないわ」

「誰でもできるよ、簡単なことだ。たとえばよ、六面のサイコロを投げたとする。そうだなァ、五が出た前提でいくか。俺はこう考えるわけだ――どうして五が出たンだろうッてよ。確率的な問題じゃねェ、五が出たのが問題だ。するッてェと俺が投げたから五が出たッて解釈で見るとよ、こりゃァ偶然でも何でもねェよな。今のは転がしたンだから摩擦係数と回転数、つまり俺の投げる力とあるいは空気抵抗まで考えて、あるいは回転方向と障害物へ当たった時点での動きと、これらを――五が出るまでの行程を理解しちまえば、必然的にその目が出たと、そう思うわけよ」

「そうね。けれど現実は、五の目が出るとは限らないでしょう?」

「出る目は一から六までのどれかなんだよ。そら宣告は果たされた、んじゃ投げるよな。でだ、五の目を出してェンなら五が出るまで賽を転がせよ。一発勝負なら仕込みを入れて五が出るようにしときゃいい。それでも他の目が出たンなら、そン時の対応を考えておけばどうとでもならァ」

 だから。

「あの短期間で五を出すにゃ、確かに俺だからできたのかもしれねェよ。そこは認める。けどよ一ノ瀬、お前や忍たちは何年の時間をあそこで過ごしたんだ? その期間に何度、サイコロを転がした? それが何面であっても、――いつしか諦めを抱いて、下手な覚悟を抱いて、転がすのを諦めちまったンじゃねェのかよ」

「……言葉もないわ」

「ん、まァ終わったことだからべつにいいよ。あの時は気に入らねェと思ったけどな、後悔なんぞしなくたッて反省すりゃァ人は進めるだろ。それで良いンだよ」

「良いのかしら」

「良いよ。不安に思ったら俺に訊け、そうすりゃいつだって答えてやるよ。それと、これだけは伝えておく。――いいか?」

 一度足を止めて、蓮華は視線を合わせた。背の丈はそう変わらないが、少しだけ蓮華の方が高い。その黒色の瞳を覗き込んで、呪刀〝白面金毛〟を対価に改めて刀工に作らせた髪飾りを揺らす。

「それでも、きっと、一ノ瀬の判断は間違っちゃァいなかったンだよ」

「――え?」

「人が進んだ道に、選んだものに間違いなんてモンは一つもありゃしねェ。確かに俺ァ気に入らねェと思ったよ。でもな、それが間違いだったと思うのは――成功しか選べない愚者と同じ考えだ。いいか? 間違いなんかじゃねェ、そいつはただの失敗だ。どんな失敗でも……いや、失敗しなくちゃァ成功は得られねェのよ。だから、認めろ。間違いは一つもなかったンだよ」

 ――この人は。

 間違いではなかったと断言できる蓮華の姿に、瀬菜は言葉を失った。

 あれだけの失態、あれだけの過ち、そして何もかもを諦めていた状況すら、認めろと言っている。それはとても厳しい言葉で、そして。

 抱いていた後悔を吹き飛ばすような、前向きな言葉だった。

 感謝など必要ない、その本当の意味がそこには在った。

 ――なんて、強い人なんだろう。

 可能性を見ているだけではなく、ひたすらに前向きで、それはずっと瀬菜が忘れていたものだ。

 ――ああ。

 だからこそ、これほどまでに惹かれるのか。

「……はは、どうだよ一ノ瀬。咲く気になったか?」

「ええそうね。――咲けば並べるかしら」

「は?」

「蓮華はもう咲いているでしょう? だから湖畔の花も」

「おいおい、そいつァ違うだろうがよ」

 蓮華は何を言ってンだ、と笑う。

「あのなァ……はすの花ッてのはそもそも水辺がなくっちゃァ咲けねェンだよ」

 ――帰る場所ッつーか、なァ。

 物語の発端になった会話を思い出せば苦笑が浮かぶ。まるでこれを予想していたかのような雨天の師範の言葉は、今になって蓮華の胸にすとんと落ちた。

 帰る場所はよくわからないけれど、己が咲く場所は当たり前のようにそこにあった。

「一ノ瀬に咲くのが俺だよ。むしろ――」

 そう、あるいは。

「瀬に咲いてる菜花ッてのは、そもそも俺のことじゃねェか」

「――ふふ、そうだったら嬉しいわ」

 お互いに笑って一歩を踏み出す。

 きっとその花の色は青で、いや赤で、あるいは碧で。

 寄り添うように花を咲かせるのだろう。

 はすの花言葉は――雄弁。

 説得力を持って力強く、状況や気持ちなどをはっきりと示す、蓮華にはひどく似合ったもので。

 だとすればこの物語は、二人が出逢うために用意されたものなのかもしれない。



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