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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2008年
4/790

01/09/23:50――名無しの少女・識鬼者と呼ばれ

 ようやくなのか、それとも。

「いや、まだ、これからさ」

 スツールに腰かけた少女はうす暗い中、部屋の隅を見つめるように躰ごと向けながら、虚空に向けて口を開く。

「けれどまあ、ようやくってのも間違いじゃないさ。何しろ生まれてこの方、僕はずっと束縛され続けてきた。その行為自体も間違いじゃないけれどね、僕個人の見解と意志に裁定を委ねるのならば、いい迷惑だよ。まったくもってお節介にもほどがあるだろうに。それでも」

 その束縛も終わったのだ。

 ほんの数日前に、少女の両親が亡くなり、晴れて彼女は身動きできるようになった。

「恨む? いやいや、まさか恨んでなんていないよ。冗談だとすれば面白いけれど、そういった感じもなかったね。言っただろう? あくまでも僕の主観では迷惑だってね。つまり束縛がなければ、僕は規範の中から逸脱した自由を手に入れてしまい、本能に悖って僕は僕の式に倣って行動をしてしまう。今回もその一手だけれど、間違いなく長生きはできない部類だね。何しろ陥穽のようなものだ――否、いやいや、陥穽そのものだ」

 少女は言う。

「つまり生命活動を長くするためだけの束縛さ。彼らの心情的には僕の意志を否定してでも行うだけの価値がある――いや、あったんだ。ん? 曖昧なのは仕方ない。僕に知らないことはなくても、わからないことはあるからね。……ははあ、いいね君は。こうして言うだけで理解してくれる。なるほど、確かに知っていることとわからないことは別物なのだと、あたかもそれが自然であり当然のように君は受け入れた」

 少女は笑う。

「ははは、そうそう、人間なんて不便なものだからね。だからこそわかることもあるんだぜ? 美味い酒は飲めるし、煙草なんてのも案外悪くはないらしい。食べ物だって――はは、即物的だって? まあそうさ、そんなもんだよ。しかし、僕に言わせてもらうのなら君だって十分に不便だぜ? それじゃあ――」

 その有様では。

「存在しているのに存在していないと、矛盾そのものを固着して定着して自虐しているようにすら思えるぜ。おっと、それが君の趣味だってんなら僕が口を挟むのは野暮ってもんだ。そうでないなら、君は最初からそういうもので、そういうものだと思い込んでいるか、あるいはそうであるべきだと認めているのかい?」

 少女は頬杖をついた。

「なるほどね、不便じゃないってことか。けれどそれは比較するものを己で経験してから口にすべき言葉だね。おっと、口にすべきってのは比喩表現で、君がまともに口を開いて会話をしていないってことを理解してないわけじゃないぜ。圧縮言語を主体とした意志の伝達ってのは、まあ僕ら人間が解釈すればそうなるんだろうけれど、受け取り手がいてこそ成立する会話だ」

 確かに不便だと、少女は続ける。

「この会話というのも曲者さ。僕が伝えようとしていることの本質を相手に渡すには、多くの言葉を重ねなくてはならないし、何より共通認識というやつが必要になる。その共通認識すら疑い始めたらきりがない。赤色が同一の赤として見えているかどうか定かじゃあないし、大きいと小さいだって個人差があるんだ、一概に共通しているとも言えなくなる。となれば、君のように意図そのものの受け渡しが可能ならば、そりゃ便利だろう。だろうけれど、しかし、それじゃあ困るんだよ」

 少女の表情が一瞬、消えた。

「困る。とても――困る。居るようで居ないならまだいい、居ないようでいて居るならばそれでも構わない。けれど、存在しているのに存在しないんじゃあ困る。僕がだ、君がじゃないぜ。そして、こればかりは君の承諾を得られるまで交渉を続けるってわけにもいかないんだ。言っただろう? これからなのさ、僕にとってはね。けれど、君が拒絶するならば――別の手段も考えるさ」

 そして、少女は小さく笑う。

「いや大したことはしないよ。存在を確定するために、君に対して名をあげようと思っているだけだ。固有名詞。たとえば僕が君を、君と代名詞で呼んでいるように、適当な名を使ってみても君は届かない。その通り、まさにあらゆる名も代名詞になってしまうのが君だ。何故なら存在していないけれど存在を確定されている君は、君自身がまだ曖昧なままだからね。けれど、名づけるわけじゃないんだ」

 名を。

「あげるんだよ。僕が持っているものを、渡そう。譲渡でも移譲でもない――あれらには制約がある。言葉上では確かに譲渡が近いんだけれどね、僕は僕の所持物を何の対価を要求することもなく、等価交換の理から逸脱して、ただ失われるという代償を支払うことだけで誰かに渡すことができてしまうんだ。その理を裡に秘めている。そして、そのために生きている。そこは問題じゃないさ」

 少女は、少し驚いたように目を丸くして苦笑した。

「なるほど、言い得て妙だね。〝魂に刻まれた爪痕(ソウルネイル)〟か――それは僕じゃなく、何かが刻んだんだろうね。そして、爪痕があるからこそ僕の魂は〝世界の意志(プログラムコード)〟に排除されることなく、陥穽として存在してしまっている。それが君の、僕に対する意趣返しかい?」

 名を渡すはずが、名を決められたのだから。

「だったら僕は、君に存在を――存在するための名を渡そう。今まで僕が持っていた紅音という名と、母が持っていて失われ、使われなくなっていた躑躅の姓だ」

 少女は言う。

「――君に、躑躅(つつじ)紅音(あかね)の名をあげよう」

 少年はそこに居た。

 最初から身動きもせず、ただそこに在るように、同じようカウンター隅のスツールに腰掛け、月灯りの差し込む場所で頬杖をついて、少女を見ていた。

 見えなかった相手と会話をしていたように、けれどやはり、見えたのは今まさにこの瞬間だ。

 そうして、少女は笑いながら頷くと、ようやく天井を仰ぐように背後へと視線を投げた。

「邪魔してるよ。できれば灯りはなしで頼むぜ、ほかの連中にはまだ僕がここに居ることを気取られたくはないからね。一応、可能な限り気配は隠してるし、君が発見できなかった事実がそれを証明しているけれど、さすがに紅音の存在が浮き彫りになれば一対である君には察知できてしまうか。そこまでは想定通り、予定調和の内、別に問題はないさ。もう渡してしまった後だからね」

 驚きに足を止めた彼は、姫琴一夜は、苦笑するようにしてカウンターの中へ回った。

「珈琲で構わなかったかな」

「紅音には酒だぜ。なあに、飲んでみなきゃ味もわからないさ。実体を得たんだ、己の仕組みは己が一番理解しやすい。すぐに把握できる。経験に勝るものはないとよく言うもんだ――ところで、君の名前はなんだったかな。いやここまでは出かかってるんだけれど、よくよく考えれば通り名しか把握していなかったような気もするんだよ」

姫琴一夜(ひめこといちや)だ」

「一夜ね、なるほど、ふうん……ま、どちらでもいいか」

「……怖いな、あなたは」

「そうかい? 恐怖と脅威が違うものだと認識しているのなら、その評価も甘んじて受け入れるけれどね。一夜に害を及ぼしたんなら謝罪するよ、いくらでもね」

「確かに、被害は受けていない。けれど狼牙と雪芽を俺に逢わせた、縁を合わせたのはあなただろう?」

「そうだよ、その通りだ。悪い言い方をすれば確かに僕が、紅音と出逢うために必要だと判断して縁を合わせた――けれど、僕にとっても初めての試みでね。上手くいったことにはようやく安堵を覚えたよ」

「――何のために?」

「紅音と出逢う理由なら、これからのためだよ。そう、ここから五十年後くらいまで先の話だ」

「先見の明でもあるのかな」

「まさか、そんなものはないし、不確定な未来を確定することなんてできないだろう? 僕にできるのは人と同じ領域で、ただ、未来を創るだけのことだ」

「それを言えてしまうあなたは、やはり怖いな」

「意識するかしないかの問題さ。僕はそれを知っている」

「――まさか、あなたは」

「僕が、なんだい?」

識鬼者(コンダクト)――なのか?」

「そうだよ、そう呼ばれている。何故今まで思い当らなかったのか、そっちの方が僕にとっては疑問だけれどね」

「冗談の類だと思っていたからね。なるほど、だったらあなたには、素晴らしい指揮だと言えば褒め言葉になるのかな?」

「さてね。君に褒められるためにやっているわけじゃあないさ――さて、あまり長居をすべきではないか。またくるよ一夜」

「また?」

「そう」

 彼女は言う。

「今度は正式に正面から堂堂とね」



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