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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2035年
30/790

08/22/10:50――箕鶴来狼牙・空神

 その行為が救いの手を差し伸べたのか、煉獄へ後押ししたのか。

 詐称、誘惑、虚構、欺瞞、洗脳、操作、何と言われても否定できない現実を悪魔の誘惑とたとえ、けれど決定権は当人へと投げられる。

 選択肢の提示。

 云うなればそれは世界の拡張でもある。

 その良し悪しなど、そもそも天秤で量れるものではない。提示されたものを選び取った当人は、それがどんな意味かを後になって知るわけであり、その時の感情によってどちらにもなりうるからだ。

 可能性の提示、でもある。

 ――けれど、たとえば彼にとっての世界とは、敵か己かの二つによって区分される廃墟こそにあった。

「やあ、どちら様かな」

 物体を的確に捉えるための焦点を結ばず、ぼんやりと全体を把握するような虚ろさを瞳の表層に浮かべ、どうにか着ていられるとしか表現できないぼろぼろの布の上下を着た少年は、まるで壁に語りかけるように言葉を放った。

 対する男は黒の服、そしてつばの大きな帽子をかぶっている。そのやや後方にいる小柄な女性は、場にそぐわぬスーツのような格好だ。

「どちら様だって、べつにいいんだけどね」

 瓦礫に腰掛けた少年は膝を立て、そこに右の肘を置く格好でいる。生気を欠いた青白い顔、そして何よりも――細い。

 細すぎると思うほどに細く、しかししなやかで強さが含まれているのだと男は見抜く。

「ああでも、雑音を耳にするのも久しぶりだから、いいよ。この付近は僕の仕切りだから」

「知っていますよ」

 帽子を取った男は、まだ若い顔を晒して小さく微笑む。後ろの女性はというと、腰から大きい本を取り出して開くところだった。

「多くを知っています。だからこそ、貴方に逢うための縁を合わせたのですから」

「おや、僕を知っている人間は全て殺してきたはずだけれど?」

「ええ――徹底的に、殺したのも知っています。だから縁を合わせるのに苦労しました」

 ここは、ただの瓦礫山ではない。

 ここは、ただの廃墟ではない。

 見渡す限りの荒廃、食料の一つでさえ簡単には見つからず、呼吸をするのにも苦労するほどの乾き具合でありながらも、ひとたび雨が降り出せば肌を焼かれてしまう。

 かつては東京と呼ばれていた場所が、ここだった。

 彼にとってはきっと生活区で、男と女にしてみれば懐かしい場所だ。

「私は()鶴来(つるぎ)(ろう)()と申します。あちらは不肖の姉である(ひめ)(こと)(ゆき)()です」

「興味ないよ」

「何故ですか?」

「ここで生きる以上、食料に名をつける理由を僕は持たないからね」

 空腹を満たすためならば人を喰うことも辞さない。なるほど、この環境で生き残るならば他に選択もないのだろう。

 少なくとも生きる意欲はある、男はそう判断して頷いた。

「貴方は死を選択しないのですね?」

「誰かを犠牲にしてでも生き残る、これは独善的かな?」

「では死にたくない、と?」

「一人目を殺した時点で、僕は僕の理由で死ぬことを拒否している。これはおかしいことかな」

「なるほど」

 今度は口に出してから二度ほど頷いた。

「では本題に入りましょう――まだ時間はよろしいですか?」

「常によろしくないよ。現在を引き伸ばしたところで僕のやることは変わらない。いやきっと、かな? だとすれば変わるかもしれない。そちらの対応次第でね」

「肯定と、受け取っておきましょう。まず第一に、貴方は〝瓦解の獅子(フォウマルハウンド)〟ですか?」

 直後、彼の右手が動いた。人差し指と中指だけ重ねるような手は、蛇行するように揺れ動く。それは。

 その軌跡は幾何学的にも思える文字、筆跡は赤色の薄い発光にて示される。

「なるほど、そちらは本当に僕のことを知っているようだ。けれど今の僕はどうだろうか」

「そちらも良く知っていますよ」

「そうかい」

 何かの文字を書ききり、変わらぬ様子で手を元の位置に戻した。やがて薄れるように文字は消えて。

 それだけだ。

 何も変化はない。

「もう一度問いましょう――貴方は〝瓦解の獅子〟ではありませんね?」

「――」

 そうかと、呟いた彼はひらひらと顔の前で手を振った。

「残念ながら技術は有しているけれど名乗るつもりはないんだ。〝瓦解の獅子〟――魔術師協会が与えた二つ名の意味は、つまり狂っていて壊れているということだろう。瓦解してしまえば獅子であることは前提から覆る」

「けれど貴方は、壊したいという欲求には随分と素直ですね」

 彼は答えず、薄ら笑いを浮かべるだけだ。だから男は女を一瞥し、視線を周囲に投げる。

「この付近は、かつて屋敷がありましたね。魔術師の邸宅が」

「そうだね」

「つまり貴方は、〝瓦解の獅子〟を名乗るつもりがなくても、獅子氏の姓を否定していないのですね?」

獅子(しし)(うじ)四時(しいじ)。……忘れたけれど親から与えられた、僕の名だ。一つの存在証明でもあるんだから否定するほうがおかしいと思うね」

「外の世界に興味は?」

「ないよ」

「つまり――貴方の扱った攻性の術式が効力を発揮しなかった点について、興味はないとおっしゃるのですね」

「類似性が見えないな。外の世界とどう繋がるのか、ね」

「では貴方は殺せない人物を少なくとも二人、ここで見逃すと?」

「まだ確かめてはいないよ」

「では確かめたいと、そうおっしゃるのですね?」

「……そちらが何を云いたいのか、さっぱりわからないな」

「知りたいと、そう思っているのですか」

「どうして――僕に逢いに?」

「後継者を探すために」

 そう言った男はしかし、軽く肩を竦めて苦笑を落とした。

「とはいえ、後に継ぐものは一つだけ――選択、です。つまり僕と、不肖の姉が選んだ人材であればそれで良い。けれど、だからこそ誰でも良いわけではありませんでした」

「では何故、僕を選んだ?」

 現時点では会話の主導権を握れない、そう考えた彼は問いを行う。そして、ああ短い会話の中で見つけたとも。

 返答がある問いと、そうではない問いの差に。

 男は何もかもを見透かしたように、無防備な背中を見せて女に振り向く。

「姉さん、隠れ蓑(ハーミット)だけを解除していただけますか」

「いいよー。ほいっと」

 直後、間違いなく彼は絶句した。

 文字を記すことで行う術式――それが彼を今まで生かしてきた技術とも云える。けれど今まさに、同一の、いやそれ以上の無数の文字が無数の輪になって三人を囲んでいる現実に直面し、悟った。

 これは、己よりも上位の術式だと。

 違う。

 否だ。

「これは……法式か」

「貴方の上部構造です」男はやはり肩を竦める。「だから、貴方の術式が発動するわけがない。何故貴方を選んだのか? これが解です――つまり、関連性があった。もっとも私ではなく姉さんに、ですが」

「……僕に何を望む」

「貴方は確かに生き残るだけの強さを持っています。そして、技術も。――けれど私に言わせれば、それしか持っていない」

「――」

「あまりにも未完成で、あまりにも愚直です。しかし今の貴方を否定はしません。けれど貴方が現状から脱したいと願うならば、場所を提供することができます」

「ふうん……僕に何をさせるつもりかな?」

「残り四人との顔合わせと、そして選択肢を提示しましょう」

「どういう意味だ?」

「来ますか?」

 男は片手を差し出す。

「ああ行こう」

 彼はあっさりと片手を握った。

「提示された選択肢も、気に入らなければ僕は壊すだけだ」

「それも良いでしょう」

 男は、片手に持った帽子を彼の頭に載せる。

「では話をしながら道行を楽しみましょう。そう、まずは――名もない少女のお話から」



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