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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2011年
26/790

11/14/12:10――東京事変

 二○一一年十一月十四日――。

「ああ……」

 白井が十三階から昼に外食をするため降りるのにエレベータを使わなかったのは、日頃の運動不足を懸念してなどではなく、単純に一人になりたかったからだ。

 階段を下りながらも、吐息が足元に落ちる。

 ――難しいよなあ。

 会社にも先輩と後輩の関係はある。それは当然のことなのだが、たとえば白井にしたってここ十ヶ月程度、一年上の先輩に教わりながら仕事をしていた。

 たった一年で、果たしてどこまで会社のことがわかるだろうか。

 学生時代のアルバイトだとて、週四で働いても仕事場の大きな流れが把握できて即答できるまでになったのは三年目のことだ。ゆえに差はあるけれど、先輩との大差はないと白井は思う。

 それでも先輩だ、教えてくれること自体に不満はない。説明足らずな部分は他者を通して情報を仕入れ、あるいは予想で補完しながらも問うことで再認識し、場合によってはお互いに調べて正解を得れば良い。

 先輩が悪いとは思わない。思えば、後輩が悪いと言われることになってしまう。

 たった一年で先輩になった相手にも誇りはあるだろう。こちらは教授してもらう側なのだから、文句を言う前に改善案を提案するのが仕事だ――が、しかしだ。

 ――だからって後輩に失敗を押し付けるのは違うよな。

 白井に押し付けられた失敗も、上司に言わせれば教えている先輩も含めての失敗だ。ゆえに結果としては変わらないが、それにしたって関与していない後輩を巻き込むのはどうかと思う。これが気付かぬ白井のミスだったのならば、認めた上で改善案を模索するのだが――この場合、白井自身に改善する余地がない。

 ――ったく、一人で怒られるのが怖い中学生かよ。

 だから余計に疲れて、吐息が落ちる。難しいなと。

「昼、どうすっかな」

 意識を目前の問題へと向けてみるが、どうにもぱっとしない。普段は会社のあるビル三階の食事処で適当に食べ、終えたらすぐに仕事をしているので、いざ選択肢を提示されると多すぎて迷う部分もあった。

 ――少しでも気分転換になりゃ、いいけど。

 考えごとをしていたためか、コートを右手で肩に引っ掛けたまま外に出てしまった白井は、ビルの間を通り抜ける冷たい十一月の風に気付き、ようやくコートを羽織り、前のボタンをしめようとして。

「……あれ」

 反射的に襟首を押さえていた右手を離しても、相変わらずの風はさほど冷たさを孕んではいなかった。今日の気温はそれほど低くなかっただろうかと空を見上げると、薄く雲が広がった東京の冬の空がそこにある。

 陽は遠く、しかし露出した手がかじかむ程の冷たさを感じない。

 ――俺が変なのか? 風邪……ってわけでもないけど。

 周囲を見渡しても違和感はなく、いつも通りとは云わないが日常がそこにある。だから白井は首を傾げつつ交差点に行き信号待ちをする。祭りを前にした熱気に似ていると、白井は気付かない。

 相変わらず人が多く、失敗したかなと思う。人ごみは嫌いだ。昼になれば人が集まるのは当然のことなのにも関わらず失念していた辺り、白井は本格的に参っているらしい。

 このまま戻っても同じかと思い直すが吐息が落ちる――ずきりと、頭が痛んだ。

「――?」

 額に軽く手を当てると、連続した頭痛が発生していることに気付く。

 ――なんだよ。本気で風邪か?

(いや)其風邪否違症状(こりゃかぜじゃない)

 いつしか早くなっていた鼓動に頭痛がリンクしている。頭が割れてしまいそうな錯覚が聴覚を封じてしまい、信号が青から赤になっても白井はその場から動けなかった。

我本能的殺戮(ああころしたい)故喰捕(くいころす)

 違うと、否定した。

 ――俺、だ。俺は我なんて言わない。

 誰に対して行ったのか、言葉を口にしたのか、それすらもわからず頭痛に身を任せる。そもそも抗っているのかどうかさえわからず、ただ。

 目がちかちかする――頭痛と同じタイミングで世界が紅色に染まる。

喰捕(くいたい)

 何故と問う。自分が立ったままなのか蹲っているのかもわからず、いや理解など及ばない領域で白井はソレと会話をした。

其愚問(はあ)?、故返答無(なんだそりゃ)只我喰捕望(たべたいからだろ)

 ――だから何でだ。

空腹是望満足(はらがへってんだよ)

 ああそうかと、小さくなっていく頭痛の中で白井は思う。

 ――腹が減ってるから食うか。当然だよなそりゃ。

 奇遇だなと思った。ちょうど白井も空腹だったところだ。

 瞳を開くと世界は紅色で染め上げられており、周囲には信号待ちの人がいる。

 その誰もが、白井――だったモノには食べ物にしか見えなかった。

漸乾満喰捕可能(じゅんびはばんたんだ)――喰捕(くうぜ)喰捕行(くらえ)!〟

 黒色の影に身を堕とし、人の頭を丸呑みできるほどの巨大な口を開き、鋭すぎる牙を具現させた彼は、本能が訴えるままに隣にいた食べ物に牙を立て、

「――」

 そのまま、思いきり引き千切った。

 そこが起点であり、そこから伝播する。

 咆哮が空に――白井と呼ばれていた原型は、そこで埋没するように失われた。

 数秒後では東京各所で同様のものが発生する。その影は人の数十倍の力を持ち、人を喰う。拳銃や刃物などがほとんど通用しない影はここより三十分後には東京人口の二割に達した。

 これが俗に言う〝東京事変〟だ。



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