06/13/04:30――嵯峨公人・ハジマリの五人
嵯峨公人の朝は、おそらく同世代の人間と比較したのならば早い部類だろう。目覚ましをかける時間は五時だが、大抵は四時半頃に目が覚める。どんなに遅く寝てもそうなのだから、もう躰が覚えているとしか考えられない。
とはいえ今日は寝ていない。魔術書を読みながら一晩中ステレオを鳴らしていたため、ふいに気付いて音楽を止めてリビングの時計を見ると四時半だった、というオチだ。
青葉が眠ってから風呂には入ったが、まずは軽くシャワーを浴びて着替える。本日は学校が休みなので、さてどうしようかと思ったが、今日の予定を考えて薄い緑のつなぎを手に取る。
昨晩の内に回しておいた洗濯機は止まっていて、いつものように脱衣所に干しておく。乾燥機に入れているのでほとんど乾いているのだが、最後はやはり外に干したい。雨が降っていなければベランダに出すのだけれど、天候に文句を言っても仕方ない。
青葉の服は残念ながらぼろだったので、一応干してはおくものの使えないだろう。下着も一緒に洗ってあったが、さして気にしない。いや気にならない。こんなものはただの布だ――などと思うことすらなく、当たり前のように。
続いて掃除機を手にして動き始める。これが終わる頃がちょうど五時くらいだ――いつものように目覚ましを止めないと、と思って寝室に行くが、そこで青葉を思い出して入るのをやめた。
――朝食も二人分だな。
そもそも目覚ましはスイッチを入れてないのだから、鳴ることはないのだ。
朝食は基本的に簡単なものだ。紅茶を淹れてバゲットを切り、サラダがあれば充分。後はゆで卵でも作っておけばいい。
そう決まるとモップを持って廊下の掃除を開始する。絨毯が敷いてあるところはともかく、フローリングの基本はモップだ。
ちなみに、これらの掃除は現実逃避である。本当に掃除しなくてはならないのは、公人の自室に散らばった金属類だから。
――片付けても増えるしな。
作業部屋として割り切っているし、半ば試験場と化しているため掃除が面倒なのだ。それこそ、すぐに散乱してしまう。気分的にも研究が捗るので構わないのだが。
金属の構造は料理のレシピと同じだ。公人は多くの金属の構造式を把握するところから、今は特有の配列で金属を作ろうとしている。魔術師としてはまだ、一歩を踏み出せていないか、一歩目か、くらいなものだ。
法則を切断する――なんてのは、夢物語に近い。
――できるかできないか、じゃねえ。
――やる。つーか、やりたいなあ。
そんなものを完成できたら、実に面白い。それだけでやる気は出る。
「……おはよう」
やや据わった目をしたまま寝室から出てきた青葉の長い髪は、整えられていない。そういえば昨夜はきちんと乾かさずに寝てしまったような気もする。
「おはようさん。着替えは昨日のところ、服は脱衣所の洗濯機。朝食の準備ができるからその後にダイニング」
「わかった……」
本当にわかっているのかどうか怪しい寝起きの目だったが、放置して公人は料理に取り掛かる。もちろん一番最初にやることは、時間をかけてきっちりと紅茶を淹れることだ。リーフの跳ね具合を見ている時間は、なかなか落ち着く。
ざっと料理を終えて道具を洗うと青葉が戻ってきたので席に座り、食べ始める。いただきます、と青葉は言ったが公人はいつも一人だったため、その言葉を忘れていたが、改めて言うのも妙だったのでやめておいた。
「よく眠れたか?」
「ええ、お蔭様で情報の整理もできた――の、かしらね。知ることができたけれど、わからないことは多い。ねえ公人、私は魔法師と呼ばれる人種らしいのだけれど」
「あ、そう」
「……信じてないわね。そりゃフィクション、本の中にしか出てこないような――」
「いやその逆。てっきりお前の方がわかってるんじゃねえかと、勝手に思ってたからな」
それほど警戒なくついて来たのは公人のことを理解し、自分が魔法師だとわかっていて、人種は違うが似たような境遇だから――と思っていたのだ。狼牙と似たような雰囲気だったので、逢った直後はともかく、家で話をしている最中に思ったのだが。
けれど、その対応に驚いた青葉は食事の手を止めて口をぱくぱくと開くが、言葉が出てこない。だから公人は先を促すように言った。
「自覚の原因は?」
「……夢を見たの、数字の羅列だけれど妙に馴染んだわ。それは私自身が持っている法式そのものに対する知識と、それに類するもの……私が今まで知らなかったことばかり。でも、まだわからないこともある。昨日ほど混乱していないけれど」
「ふうん? 突発的な自覚症状じゃなけりゃ、誰かから受け取ったか?」
「なにを――」
「なにかを、だ」
「……心当たりがあるわ」
「なら、それだろ。――落ち着いたようなら何より、いくつか質問する。答えられないなら、べつにそれでいい」
「なに?」
「手荷物が一切ないのは確認した。でだ、お前帰るところあるか?」
「……ないわ。もう、ないのよ」
「そうか。じゃ、しばらく居座るつもりはあるか?」
「――……迷惑でしょう?」
「行く当てがねえんだろ。留まりたくないなら、勝手に出てけと俺は言うだけだ」
「……まだ、しばらく、世話になりたい。何をしたらいいのかも、まだわからないのよ」
「だろうな。金の当てもないんじゃ、生活だってままならない。期限は区切らないが、しばらく居座るつもりで俺も動く。それが確認できれば十分だ」
「それだけ?」
「あ? それ以上に何かあるか?」
「その、――詳しく突っ込まないのね」
「魔法師には二種類ある。常時展開型か、特定限定型か……青葉は後者だろ。つまり、こうしてる現状じゃ一般人と同じだ。妙なことを企んでるなら昨日の内にやってただろうし、何かをしても特に困ることは今のところない。言っただろ? 猫か犬を拾ったようなもんだってな」
「そんなもの――かしら。プライベイトに踏み込まれることは、誰でも嫌うと思っていたけれど」
「あー、そりゃ敷地を囲うって原点だな。門構えのある家よりも、ない家の方が気楽に何かを頼みやすいってのも道理でな……プライベイトを荒らす、ね。どうだろうな、自覚はどうであれ、俺は今のところ困ってないし嫌ってない。とりあえずはそれでいいだろ」
「そう……ありがとう。それと、ご馳走様」
「おう」
皿などをさっさと洗って乾燥機に入れ、戻ってみれば時計は七時を過ぎた頃だった。
「こっちの廊下の突き当たりが俺の部屋だ。基本的に立ち入らないでくれ」
「わかった」
「素直だな。ま、別に立ち入っても困ることはないが青葉の方が危険だって意味だぜ」
「……公人も、一般人とは違うのかしら」
「魔術師だ。しかも、在野で隠れてる未熟なって前置が必要な。ほかの部屋は好きに使ってくれ。今日は十時前後に出かけるから青葉も来い」
「諒解よ。けれど、やることもないわね……」
「そうか? あー、それもそうか。まあ、好きにしろ。俺は音楽でも聞いてる」
「音楽?」
「ああ……こっちの部屋だ」
部屋数はリビング、ダイニングキッチンを除いて六部屋だ。自室、書庫、寝室、オーディオルーム、残り二部屋は空室で物置にも多少使っているが、そもそも公人には所持品があまりないため少なく、それらに加えてお手洗いや風呂場などで全室だ。
およそ二十畳間のオーディオルームに入ると、三人掛け用のソファに身を沈め、手近に設置したプレイヤーにディスクを置く。
「――ん? なんだ、座ればいいだろう」
「……そうね」
音量をかなり絞って鳴らす。とりあえずはラフマニノフだ。
「随分と枚数があるわね……本格的、と言ってもいいのかしら」
「始めたばかりだけどな。入学祝いに自分で買ったものだ。ディスクはまあ、昔からってのもある。興味があるなら、そっちの棚にいくつか本があるぜ」
「そう、暇潰しには良いわね」
「音楽は聞くか?」
「以前までは、勉強の合間にラジオを流していた程度よ」
「ノイズが入ると耳が悪くなるって聞くけどな。じゃ、――音量上げるぜ」
お互いに声を張らないと聞こえないくらい音量は上がるけれど、それが煩いとは感じない。むしろ公人にとっては心地よい音だ。昨晩はずっと聞いていたのだが、それでも気にはならない。
――しかし。
公人が次に気付いたのは音が消えた頃だ。意識が戻れば眠っていたことを自覚し、覚醒した公人はまず左腕の時計に視線を落とす。
「九時過ぎか……」
「二枚は聞き終えたわよ」
「ん? ――ああ、なんだ、青葉か」
「忘れていたんじゃないでしょうね」
「思い出したからいいだろ。あー……紅茶だ。飲むか?」
「そうね。なんなら少し早いけどでかける? どこへ行くのかも知らないけれど、私は構わないわよ」
「……そうだな。ま、とりあえず紅茶だ」
キッチンへ行って冷めた紅茶に氷を一つ、それとはちみつを軽く垂らして――そういえば二人分だなと再認識し、ダイニングに戻る。
「今回はちょっと甘めな」
「あら、砂糖はなかったんでしょう?」
「調理用はある。じゃなくてはちみつだ。寝起きにはそんくらいがいい」
「昨日、寝なかったのね?」
「おー、読みたい本もあったしな。俺は基本、大抵の場所では眠れるから問題ないぜ。人の居る場所で寝るのは久しぶりだったけどな」
「あまり――人とは関わらず生きているのね」
「そうでもねえ、と思ってはいるけどな。学校じゃ話をするやつはほとんどいない」
「私はそうでもなかったわ。隣の席、後ろの席、前の席……」
「まあそんな感じだよな」
「――嘘みたいに感じるわ」
「戻りたいと思うなら嘘じゃねえだろ。……あれか、ここからどうするかがわからねえってやつか。俺も昨日の昼くらいまで、そんな感じだったけど」
「その通りよ。公人は、どうしたの?」
「別にどうも。なにもないんじゃなく、何でも選べるって状況を面白がってたな。そしたら妙なやつが頼みごと……に、似たようなもんをして、じゃあそれを指針にしちまおうって。別に決めたわけじゃねえし、現状何も変わっちゃいねえけど、意欲的にはなったか」
「指針は、誰かに与えられるもの――かしら」
「今まではどうだったんだ?」
「考えたこともなかったわ。ただ今日を眠れば明日がくる、その繰り返し。嫌だと思うこともなくただ、流されていたのね」
「で、今は立ち止まって確認中か」
「そう……よくわかるわね」
「俺みたいな凡庸な人間は、そうやってよく悩むんだよ。結論を出すのにだって時間はかかる。青葉の方がよっぽど理解は早いし自己確認が的確だ。俺はただ、それを以前に経験してるってだけ。――ん、出るか」
「私はこの恰好で構わないかしら?」
「おう」
ポケットを確認して財布と携帯端末は――ある。なら問題ないと立ち上がり、流し台にカップを置いてそのままマンションを出た。
「どこに?」
「とりあえず市街だな」
「……」
「安心しろ。あっちにゃまだ近寄らない」
「そう、ありがとう」
まだ割り切れて――あるいは、理解できていないのだろう。そのくらいの気は回るので、最初からそのつもりだった。
電車に乗って野雨に下りてすぐ。
「――なに、この空気」
「少しざわついてるな。今日に限ったことじゃねえよ」
「そう……わかるようになったのは、嬉しいことかしら?」
「さあ。俺は別にわかっても、何かするわけじゃねえし。とりあえず、二村がいるかどうかだな……」
十時頃なら最初の軽い休憩時間だと思っていたのだが、予定より少し早い。だがそもそも公人の知っている二村双海という女性に限っては、休憩時間など関係なく動いているので当てにはならないのがいつものことだ。
そう思って電話をすると案の定。
『仕事中だクソッタレ』
「いつもだろ……今から向かう、頼みがある。裏口から頼む」
『たまにゃ表通れや』
「今日はつなぎなんだよ、正装の時にな」
『来たら連絡しろ』
短いやり取りを終えて再び歩き出す。
「どこに行くのよ」
「二度目だな。向かってんのは芹沢」
「野雨に芹沢なんてあったかしら?」
「開発課があるぜ? あー、あの辺りは企業街だからあんま近づかないか。中に知り合いがいるんでな」
「そう……」
徒歩五分ほどで到着し連絡を入れると、作業着を着た男性が裏口を開けて中へ招き入れてくれた。
「ようフラーケン」
「俺はどこのつぎはぎお化けだこの野郎」
「海の化け物の方が俺は良いと思うぜ? そっちのがまだ格好がつく」
などと、公人は軽く世間話のような挨拶をしつつ一室へ案内され、二人はその中へ足を踏み入れる。
あちこちにパーツが散らばったその部屋に半ば埋もれているデスクの前、椅子に座りながら部品をやすりで削っている少女は、おうと言葉を口にするものの視線を投げることはなかった。
「何しに来た」
「ご挨拶だな二村――と、ああ、こいつは俺の知り合いの二村双海だ。おい二村、こいつは椿青葉」
「嫁を紹介すんならほかでやれよ」
「馬鹿か、ただの礼儀だ。今は何やってんだ? 今日は定休日だっただろ」
「ウチの仕事に休みはねえよ。今は時計にどれだけ機能を組み込めるか――ん? 椿青葉?」
「そうよ」
「どっかで聞いた名前だな。まあいいか……」
ちなみに双海は公人と同じくらいの年齢で、学校には通っているものの機械系の研究者として既に自立している。もっとも芹沢企業は好き勝手に研究することがメインのようにしている企業であるため、薄給らしいけれど、何かを作りたい人間にとってこれほど良い環境もないらしい。公人には理解できない職種だ。
「で?」
「ああ、携帯端末を一つ欲しい」
「その辺りの店へ行け」
「あのな……二村が言ったんだぜ。俺が前に、適当な店で買って契約したら、さんざん俺を馬鹿にした挙句、最後に次はお前んとこに来いってな」
「そうだっけか? あー、覚えてねえよ。たぶんその頃のウチが、携帯端末作ってる最中だったんだろ。そういやどっかに転がってたな、あーもうちょい待て。この作業終わってからな」
「スケジュールが埋まってるわけじゃねえよ……ん? どうした青葉」
「いえ、私も聞き覚えのある名前だと、記憶を探っているのよ……なんだったかしら」
「ウチの名前が出るのは学校くらいなもんだ」
「学校、ね」
目盛つきのルーペでサイズを調整していた双海はピンセットを使って部品を組み立て、次のパーツに手を伸ばす。
「ん、ああ、思い出した。今朝のニュースだ」
「あ? なにがだ」
「蒼の草原での死者に椿青葉ってのが載ってた」
「……そう」
自分が生きているのに、死者だと宣告されたことを納得はできる。できるが、感情はやはり落胆と悲しみだ。いらないと捨てられたような気分にもなるが、公人はその方が都合が良いと軽く言った。
「二村、それは忘れとけよ」
「死人は客にならねえから突っ返すんだが、……まあいいか。ウチと商売すんのは公人の方らしいしな――と、おい公人、そのへんにペーパー落ちてねえか? 三百番くらいのやつ」
「自分で探せよ……これか?」
「おう、二八○番でもいいか。なんだ、動きやすい服装してんじゃねえか。適当に探しとけ」
「探せって、携帯端末をか?」
「おう。この部屋のどっかにあるぜ」
分解してなけりゃな、と不安なことを付け加えられる。それ以前にだ、この雑然とした部屋からどう探せというのか。
「ガラクタの山かよ」
「馬鹿言ってんじゃねえ、宝の山だ。おい青葉、そっちに珈琲メーカーがある。淹れろ」
「うろ覚えだけれど、文句は言わないでよね」
「クソ不味い泥みてえな珈琲も、それなりに味わいがある。気にするな」
「失敗を前提にしないで欲しいわね」
公人は以前にも何度かここに来ている。金属の構造配列を覚えるのに頼ったかたちで、だからか、この足場も探さなくては身動きができない部屋から何かを探すのにはそこそこ慣れている。
ただし。
「お――」
ステンレスか、と思わず金属を手にした。
「YSS ATS-34鋼か……」
サイズは掌よりやや大きめ、重量もある。こんこんと指の関節を曲げて叩くと、金属が消えて七種の術陣へと変化した。構造物をそのままに、形を変えて術陣へと展開する簡単な術式だ。
この程度の魔術ならば痕跡もほとんどなく、周囲に影響を与えることもないため、この場所では何度か使っている。承諾を得なくても問題ない範囲だ。
――こいつを刃物にするだけなら、簡単だ。
構造式に手を加えて、カタチそのものを変えてやればいい。そこに術陣を追加させてやれば切れ味も増加するだろう。けれど、――それだけでしかない。
単純な追加ではなく、混合させなくては刃物とは言えないだろうし、やはり連立、複合辺りの基礎からアプローチするのが順当のようだ。けれど混合式にまでの発展も視野に入れなくてはならない。
どんな複雑な術式も、基礎の組み立てで完成している。それを蔑ろにして結果は出ない。
「――公人?」
「あ、おう、サボってないぞ……っと、仕事じゃなかったか。いやサボってたけどな」
「何を言ってるのよ……珈琲、どうする?」
「貰おう」
「どうぞ。双海、感想は?」
「あ? 熱いなコレ」
「淹れたばかりなんだから当たり前でしょう……」
「うるせえな、猫舌なんだよ――と、こんなもんか。おい公人、見つかったか?」
「ああ、――このステンレスくれ」
「あーそれならいいぜ。加工前だし、何に使うか悩んでた代物だ。加工室に行く時は一気に全部やっちまうから、運が良かったな」
「おう、さんきゅ」
「公人、本題を忘れてるわよ……」
「そうだっけか? あー、ああ、おおう、そうだぜ二村、携帯端末だ」
「聞こえてる。探すからこれ、ちょっと使ってみろ。お前左利きだっけ?」
肯定すると、じゃあ右腕につけろと言われるので装着する。ちなみに、右も使えるので普段から時計は左手首だ。二つ揃わないので面倒がなくていい。
「んだこりゃ、機能が多すぎる」
「多機能を前提に作ってあんだよ、当たり前のこと言ってんじゃねえ」
どれどれと青葉も珈琲を片手に覗き込んでくる。
「わかるか青葉」
「ん……日本標準時間と国際世界基準時刻、次の表示は経緯度と温度に乾湿、次は標高と――たぶん水圧、下に映ってるのは傾斜かしら。あとはタイマーに時間計測関係、ウラン計測と有害濃度? ああ、大気汚染の濃度。あとは……最後のはちょっとわからないわね」
「おい二村、最後の表示はなんだ?」
「ん? ああそれはFMが飛んでると表示される。まあFMに限った話じゃねえけどな。集音マイクや監視カメラに反応するぜ」
「どういう仕組みだそりゃ……電源は? まさかボタン電池じゃねえだろうな」
「太陽光発電」
「なるほどな、そんなもんか」
「――これ、外部接続してるわよね?」
「おう、芹沢の衛星を間借りして同期とってる。あ? GPSあっただろ? 見てねえのかよ――ん、それとも動いてなかったか?」
「……発見したところだ。説明書もなしにわかるかよ。まさかワイヤーなんかも仕込んであるわけじゃねえよな? 国外のハンターに売れそうじゃねえか」
「売買に興味はねえよ、ウチは作って終いだ。ワイヤーみたいな物理品は仕込んでねえが、そうだな、円形のナイフくらいならなんとかなるか……薄いし、そう使えないから仕込まないが」
がしゃがしゃと物音を立てながら双海の捜索は続けられている。かなり乱暴に放り投げているが、所持者なのだから問題はない――はずだ。
「見たところ動作に問題はなさそうね……下蓋が取れそうだけれど」
「そりゃ仮止めだからな。いるか青葉」
「外見が女性ものなら」
「機能の縮小化か……ま、考えとく。それまで時計は買うなよ」
「いいけれど」
「青葉よく現状を考えろ」
「……そうね。私も、考えておくわ」
「あのな、ウチだってそう物忘れが激しいわけじゃねえぞ。ただあれだ、好奇心が――お、発見したぜ。良かったなあ分解前で」
「よく分解するの?」
「そりゃ新しいモンを作る時に、必要な部品が取れるならそうする。いちいち発注してられっか――ああもう邪魔だなこいつ」
小柄な双海は近くにあってレンジのようなものを蹴飛ばして立ち上がると、テーブルの上にある機器を腕でずいっと隅に避けて携帯端末を二つ置いた。
「二つ?」
「ん、ああ、一つで良かったっけか? いいだろ、二つ発見したんだよ。こっちが小型軽量化した電話専用タイプ。液晶も小さいしメールくらいはできるが、そんだけだ」
「あら、これ……」
「あ? 耳にかけれるのか?」
「面倒がなくていいだろ、と思ってな。いわゆるインカムと同じだ。あれと比べりゃちいとサイズが大きいけどな」
「本当に軽いわね……」
「こっちはなんだ」
「見りゃわかるだろ。こっちとは逆にタイプだ」
やや厚く、サイズは掌よりやや大きいくらいか。全面がディスプレイになっており、操作するキーがそもそもない。いや横にはロックらしきものがついているけれど。
「タッチパネルインターフェイスの、携帯端末だ。日本はノート型端末を持ち歩くよりも前に、携帯電話の普及が早かったから、電話だけじゃなく端末機能も備えてからそっち方面に発展しちまった。つまり、青葉の持ってる小型化は国外の使用も意識して作ったもので、そっちはほとんど日本用だ。ま、ノート型端末と比べてもスペックは遜色ねえよ。タブレットが普及すんのも、もうちょい先の話だろうしな」
確かアタッチメントもあったはずだが、と探しだす。だから、そこまでは別にいらんと公人は断っておいた。
「なんだこのアンテナみてえなの」
「小型の密閉式イヤホンが隅についてるだろ、引き抜いて見ろ。アンテナじゃなくてインカムになってんだよ。そいつを耳にかけりゃ会話が楽じゃねえか。無線で繋がってるから盗聴は気をつけろ。一応内部アプリに簡単な防御が――」
「よし、いい、よくわかった。わかったが二村、この端末持ってって外で契約できるのか?」
「あー? あと半年もすりゃ普及始めるし、別にいいんじゃね? ったく、ウチの趣味作品をアズの野郎、目をつけて量産化を前提にコスト減までしやがって……そりゃウチの仕事に回すのが礼儀だろっての。なあ?」
「いや知らん。じゃあもう量産ラインにゃ乗ってるってことか……」
「芹沢の携帯端末は市場介入してねえからな。契約料金は従来の三分の一程度で原価計算の割は合う。つってもま、いつも通りウチの――芹沢の負債は溜まる一方だけどな」
芹沢企業が支持されているのは、基本的に儲けを度外視して市場介入する部分にある。もちろん他企業はそれを嫌ってはいるが、他企業だとて芹沢の開発した部品を利用しているのだから同じ穴の貉のようなものだ。単純に消費者は――ありがたく思うのだけれど。
もちろん、負債を背負っていても、赤字であっても倒産しないラインは保持しているらしいし、投資者も多いためか、潰れるような噂などなにもない。
「お、そうだ。そういや携帯端末の開発と一緒にウチの回線も開いたんだった。ウチで契約できるぜ? えーっと、おい内線電話を探してくれ」
「ねえ、出入り口の壁にあるのは違うのかしら?」
「ああそうだった、思い出した。この前ウチが分解してから、あっちになったんだ」
「分解すんなよ……連絡とれねえだろうが」
「元に戻すつもりだったんだよ、――半月後くらいに」
「駄目だったんだな……当たり前か。っておい」
「あーうるせ」
まだ正式な話もしていないのに内線を使って誰かを呼び出してしまった。すぐ来るらしい。
「思い出した、前はインターホン分解してたな……あれがあったから、なくしちゃ困るものと一緒にしたのか……おい二村、譲るつもりはあるんだな?」
「は? あー、十日後くれえに報告はしろよ。不具合があってもな」
「いくらだ」
「契約料金はめめに聞け」
「そうじゃねえよ、端末本体の料金だ。原価は?」
「がらくたから抜き取って作ったんだ、無料同然。そうだな……よし、二千円」
「ねえ公人、私思ったのだけれど、この子って馬鹿かしら」
「馬鹿とは失礼だな。面倒なだけだ」
「こいつらは研究で欲求が解消されりゃそれでいいんだよ……ったく、とりあえずステンレスの代金と一緒にこんくらいは置いていく」
ポケットにねじ込んでいた財布から二万円を引き抜いてテーブルに置き、外した腕時計を重しにしておいた。
「ま、いいか。説明書はねえけどアフターサービスはするからな。青葉もウチの番号、登録しとけよ」
「わかったわ」
しばらくして来訪しためめと呼ばれる女性職員から契約の説明をされ、公人も結局一台持つことにした。もう一台はもちろん、言うまでもなく青葉のものだ。もっとも死人であるため、公人の名前で契約したけれど。
芹沢を出てすぐにお互いの番号を交換し、それから一度銀行に寄って口座開設。クレジットカードも作って百万円ほど中に入れておき、暗証番号も一緒に青葉へ渡す。
「好きに使っていいぜ。つっても、今日は使うこたねえだろうけど」
「何からなにまで悪いわね……金銭感覚を疑いたくなるけれど」
「ん? いや俺だってそう使わねえよ。入学祝いとか、そういう機会もなけりゃな。小遣い稼ぎも、まあ、たまにやってるし。気になるなら今は使って、いつか返してくれ」
「ええ、そうするつもりよ」
「それなら投資にもなってねえしな。時間は――ん、十一時に近いな。デパート行くか」
「デパート?」
「とりあえず青葉の服だ」
「ああ……そういえば必要よね」
「忘れるなよ。――ん? あんま知り合いがいなさそうな場所のがいいか?」
「あまり気にしないで。たぶん、今の私を椿青葉だと認識できる人の方が特殊だわ」
だろうなと公人は頷く。聞く限りでは昨晩に魔法師として働かされたらしいが、それ以前は一般人だった。となれば法式を担った今、受ける雰囲気はまるで違うものになっただろう。顔が一緒、体型が一緒、などという比較ではわからないほどに。
「じゃ、気にしなくてもいいか。あ、それより先に飯食うか? 朝は軽かったし、昼時の込む時間帯よりゃ早い方がいいだろ。今なら手荷物もねえし」
「そうね、そうしましょうか」
なら喫茶SnowLightでいいだろうと公人は足を向ける。まだ狼牙がいるようなら、話を聞いておきたい。今の青葉が不安定ではないとわかるけれど、念には念を――だ。わからないならば、それでいい。
そういえば休日に行くのは初めてかもしれない。そもそも公人は休日に出かけることが稀で、電車に乗るのが面倒なのもあって学校帰りなどに用事を済ませることが大半だ。
「――喫茶店?」
「おう。まあ、馴染みっつーか、よく来るところだ」
そろそろランチタイムだろうに、ちょうど出て行く客とすれ違ったが、内部は閑散としていた。
「いらっしゃいませえ――ん? あれ、公人」
黒のエプロンをつけた一夜の娘、姫琴雪芽がしまりのない丸顔を笑みの形にして、手をひらひらと振った。出てけ、という合図ではない。ただの挨拶だ。
「珍しいじゃん、休日なのに」
「なんだお前、店の手伝いしてんのかよ」
「そだよ? 学校あるとできないけどね。あれ? そっちの、んー……もしかして青葉?」
「え……あ、あら」
ぼうっとしていた青葉の気持ちはわかる。この場所は空気がなんだか、奇妙なのだ。公人も最初に来店した時は不思議に思ったものである。ちなみに今もまだ原因はわかっていない。慣れたが。
「雪芽?」
「なんだ知り合いか」
「うん。がっこ、一緒だし。どこにする? なににする?」
「一緒に聞くな。そうだな――狼牙はいるか?」
「あ、うん、家にいる」
彼らの自宅はこの喫茶店の裏にあるらしい。公人は確認もしていないので、聞いた話でしかないが。
「暇そうなら呼んでくれ。席は、あっちの隅。今日のランチは?」
「まだちょっと早いかなあ……ま、いっか。父さ……てんちょの仕込みも終わってるし。んとね、Aが焼きそばでBがなすの生姜焼き」
「じゃBランチ。あと紅茶な。青葉は?」
「私もBランチで珈琲を」
「はあい」
座席は昨日と同じ奥のテーブル席。お互いに顔が見えるよう対面に腰を下ろし、雪芽が運んできた水とおしぼり、それから温かい緑茶を手元に置く。
「――雪芽は」
「ああ、わかったみてえだな。狼牙に言わせれば雪芽は〝記録者〟だ。同類なんだろ。詳しくは知らねえし、雪芽はアレだからな……」
そもそも雪芽は疑問を解決しようと前向きに動くことをしない。あるものはある、それで解決してしまうのだ――つまり単純なのである。あと少し空気を読まない。
「狼牙、というのは?」
「ん、ああ、店主の子供だ。雪芽もな。俺だってそう話をしてるわけじゃねえし、親しくもない。いつもすれ違いだったし毎日来てるわけでもなし、だ。青葉はどうなんだ?」
「雪芽とはそれなりに親しいわよ? あの子、悪い意味で物怖じしないから私からなかなか離れないのよ。ほかの人は何故か、用事だけですぐ去ってしまうのだけれど」
「そうなのか」
「ええ、――私の口調や態度が冷たく感じるからでしょうね」
「俺はそう思えねえけどな。ってことはVV-iP学園付属中学か」
「公人は公立桜川中学?」
「一応な」
「なるほど、学校をサボってここに来ているわけね」
「いやここじゃなく公立図書館も使ってるぜ? だいたい読書しにくるようなもんだしな。あとは適当に世間話とか……あーいや、なんつーか雪芽や狼牙と年齢が近いせいか、店主にゃ子供扱いされてっからな、世話になってんだよ。俺も悪い気はしねえし」
「そう」
とはいえ、死人になってしまった以上、通えないだろうけれど。
「ところで、携帯端末の扱いはどうだ?」
「基本操作に問題はないわ。そっちは手を焼きそうね」
「まあな……」
「据え置き端末は自宅にあるのかしら」
「あるよ。使ってねえけどな――青葉はそっち系得意か?」
「それなりに、かしら」
「わかった。あーそうか、青葉の部屋も一つ作るか。空き部屋あるし。そうなると家具……ま、そう急がなくてもいいか?」
「問題ないわ。むしろ悪いと思うもの」
「そんなもんか――」
「お待たせしました」
今日もスーツ姿の狼牙が姿を見せ、ランチを運んでくる。それをテーブルに置いてから公人を見て、それから僅かに目を細めて青葉を見た。
「――」
青葉も驚いたように呼吸を停止し、その瞳を挑戦的に見返す。公人は、なんだ探って解答でも見つけようとしてるのか、と他人事だ。
「あなたが」
「あなたは」
「あー、口にすんなよお前ら。面倒臭え」
法式や術式の話をするのはともかくも、あまり主語を明確に口にするのは厳禁だ。いや、別に禁止されているわけではないが。
「そういうのは俺のいねえところでやってくれ」
「……ふう、あのですね公人、原因があなたにあることをきちんと自覚していますか?」
「はあ? 知るかそんなもん。別に引き合わせるために来たわけじゃねえ。つーか……狼牙も少し雰囲気変わったな」
「ええ、――夢を見て知識を得たので」
「夢……?」
「なるほど、あなたも……となれば更に頷ける話です。失礼、私も座らせていただきましょう」
「おう」
「――椿青葉よ。青葉でいいわ」
「私は箕鶴来狼牙です。狼牙で構いません。さて、真面目な話ですが食事を続けながらどうぞ。まず公人に伝えておきますが、昨夜に私は彼女と逢いました」
「誰だよ。青葉じゃねえよな」
「名前は聞いていません。おそらく、――ないでしょう」
「ああネイムレスか」
「待って。それは」
「おそらくは予想通りですが、まずは私の話からしましょう。外見は青葉さんと同じほどの背丈でセーラー服を着ていました。顔はよく見えませんでしたが髪は短く、一人称は僕を使い言葉数は多く、けれど会話が成立していたかと問われれば、私は否定するでしょう」
「どこで逢ったんだ?」
「――蒼の草原で」
「ふうん? 狼牙はあれか、何が起きたのか調べに行ったってわけか」
「なに公人、なんだか他人事ね」
「そうか? まあ実際に俺、そんな興味ねえし」
「相変わらずですね。だからこそ公人は、公人なのでしょうけれど」
「当たり前じゃねえか。んで、ネイムレスとなんかあったのか」
「ありましたよ、それはもう――昨夜見た夢で確信を得ました。彼女は、どうやら知識をくれたようです」
「そうね、私も同じような状況で助けられたけれて、知識を貰ったけれど」
「ああ、夢で見たってのはそれか。で?」
「あれは、譲渡よ。どういうことかわかるかしら? 知識そのものを譲渡するだなんて――私には想像もつかないわよ。それがどんなものか、ただ不意を衝かれたように何かを投げられて受け取ったら、もう消えていたわ」
「私も同様の状況です。おそらくは――と、夢の内容を覚えていますか?」
「数字の羅列よ」
「なるほど。私の場合は無数のパズルを組み立てていましたが……おそらくあれは、彼女の知識だったものを私なりの解釈、つまり私の知識として組み込む作業そのものだったのでしょう。いわば変換が行われた、と捉えられます」
そこに悪意はねえってことかと、公人が呟くとやや沈黙が落ち、そのようですと狼牙が答えた。
「……彼女は公人の知り合いなのかしら」
「いや、たぶんお前らとそう変わらんだろ。ちょっと逢って話しただけ。知り合いっつーほどにゃ知らないな」
「そう」
「彼女はおそらく縁の合わせ方を知っているのでしょう。現にこうして、青葉さんと私は出逢ったわけですから」
青葉は小さく頷く。どうやら説明するまでもなく、狼牙の法式には気付いているらしい。
「――悪い。ちょっと席を外すぜ」
「え?」
「いや……あまり気にしてくれるな。すぐ戻る」
立ち上がった公人は二人の訝しげな視線を感じながらも、動かずにはいられなかった。一直線にカウンター席に座り、ちらりと壁側である左手に視線を投げ、軽く瞳を瞑る。
――いる、よな。
一瞬だったので錯覚かと思ったが、視覚情報に頼らず感じてみれば、確かに誰かがいる。けれどそれが誰なのかがわからない。
人のようで、人ではないような――けれど、明らかに公人という存在とは違う何かがそこに在る。
狼牙は気付いているのか? 雪芽は、ここにいる誰かが自分のように気付いたのか?
それとも。
まだ誰も知らないのか。
「どしたの公人」
「雪芽――いや」
どう問うべきか。知らないのなら不必要に知識を与えることは避けるべきだろうが、知っているのならば教えて欲しい。
どうする。
けれど逡巡はすぐに終わり、やや声を落として訊いてみた。
「なあ、カウンターの壁側の席、誰かいるか?」
雪芽はきょとんとした顔をした後に首を傾げ、普通の声量で。
「いるよ? 紅音のことでしょ。大抵いるけど」
「――」
この時、ほかに客がいなかったのは僥倖だったのだろう。その言葉に狼牙は慌てたように立ち上がり、雪芽もまた意識をこちらに向けている。そこへ一夜が顔を見せ、彼らを見渡した後に苦笑した。
「思ったよりも早かったな。それとも遅いのか」
独白に似た呟きに返答する者はいない。ただ面白そうに一夜は紅音がいるだろう場所へ視線を投げてから、ふと思い立ったように珈琲の準備を始める。
そしてすぐに、来客があった。それに気付いた雪芽がいつものように挨拶をすると、しかし直後。
あちこちに意識が拡散している状況でありながら、どう腰を落ち着けようか悩んでいた最中に、何かが。
そう、何かがその瞬間に変わったのだ。
声がする。
「――やあ」
彼女は言った。
「お揃いのようで何よりだ」