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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2010年
11/790

11/15/16:00――嵯峨公人・頼みが一つ

 呼吸が荒い――。

 断続的に響く呼吸を意識できるのは余裕の表れで、むしろ耳に届くのは今にも爆発しそうな鼓動であり、それはまるで全身が脈動しているかのような錯覚すらあった。疲労にまぶたが落ちそうになるのを強引に堪え、視力の大半を体力と共に失ったかのような、ぼんやりとした屋根を見据える。

 まぶたが落ちれば、寝てしまう――いや失神か。経験上それを知ってはいたものの、だからこそ回避せねばならず、公人は薄着のまま大の字になって倒れ、渾身の力で左手の指を向ける。そこには四つ目の砂時計が終わっていた。

 場所は朧夜堂(ろうよどう)――いや、厳密には店主である朧月啓造の家であり、朧月とは槍の武術を担う家名であるために設置された鍛錬場こと道場だ。けれどその場にいるのは家主ではなく。

「おゥ、二十分なァ……しかしお前さんよゥ、だらしねェにも程があるぜ」

 袴装束、その裾に雨天を意味する紋様を一つ入れた男、雨天(うてん)(あきら)は腰裏に二振りの小太刀を佩いた格好で、一度すらその得物を抜かず、そして汗一つなく公人を覗き込んだ。

 周囲を見れば二十にも及ぶ刃物が散乱しており、すべて公人が持っていたものだが、この刃物こそ今回になってからの発生だが、以前よりこうした手合わせは行っている。厳密に言うのならば手合わせではなく、何しろ見ての通り一方的に公人が叩かれるだけなのだが、いわゆる基礎体力をつける行為の延長上であり、そもそも公人は武術家ではなく、また戦闘すら経験したことがない。

 それでも普段ならば会話をするくらいの余裕があるのだけれど、今回は公人が依頼を持ちかけ、その対価にと望まれた鍛錬だ、限界ぎりぎりまで追い込んでくれたようだ。

「ま、気絶しなかっただけ、ちッたァ躰ができてきたかよゥ」

 冗談ではない。五分を四セット、その内に一度でも気絶したらやり直しと言われれば、気合で乗り切るしかないだろう。

 しばらくして視界が定まると、細い顎に無精ひげが目立つ男の顔がようやく見える。年齢は三つか四つ上くらいで、それはここの家主である啓造と同じようなものだ。公人の方が幼いけれど、公人の人間関係から言えば若い部類に入る。兄というよりも、友人に近いか。

「躰が資本ッてなァ。一般レベルならそこそこできてンのに、戦闘となるとからきしだ。今回のナイフだッて公人、向きじゃねェよゥ。てめェでもわかってンだろうけど、扱うための集中力ッてのがありゃしねェ」

 使い方ッてのがあるんだよゥと、彬は笑う。

「基礎となる構えや、得物による踏み込み方ッて話じゃねェぞ。刃物は斬るモンだろ。だったら、斬るためにゃァどうしたらいいかッてのが使い方ッてヤツだろうがよゥ」

「……んなこと、言われなくたって、わかってる」

 一本目を握った時点で使えないことはわかっていた。何しろ握った直後に飛来した疑問は、このナイフで何をしよう、どのような形なら良いのか、悪いのか、それから製作過程を脳内で回想し出したのだから目も当てられない。

 使えないのだ。

 作りたくなる。

 躰を起こそうとするものの、あちこちが痛む。加減こそされていたものの、殴る蹴る投げられるの大惨事だ、よく二十分も保ったものだと己を褒めたくもなるが、どうにか痛みを紛らわせながら道場の隅に置いてあった水を半分ほど頭にかけ、残りを口にする。

 ああ美味い――そう思うと同時に、だからといって一気に摂取はいけないと、今まで彬との鍛錬で注意されたことを回想しつつ、着替えの中からタオルを取り出して、首にかけた。

「……理屈じゃわかっても動けねえな。彬、そこんとこどうなんだ?」

「どのレベルかッて話だなァ。もちろん個人差はあれど、俺にしてみりゃ思考優先だ。まあ一般的な空手やら武道なんて呼ばれるモンになると、自然に躰が動くレベルで、そいつァ思考そのものに対してほぼ反射で行動できちまうッてことよゥ」

「考える前に動くってのは、瞬間的な判断で躰が動くけど、後になってみりゃきちんと思考された結果だ――ってことか」

「まァな。とはいえだ、武術家ならそのレベルじゃァ話にならん。一秒後の結果を知ってるのは当然で、その結果を強引に変えるための技術を身に着けつつ、五秒後に落としどころを持ってこなくちゃいけねェ。戦術思考は必須だろ」

「どうにも、そのへんがわかんねえ」

「そのうちにわかるようになるだろ。日頃から基礎鍛錬はしてるンだなァ、感心したぜ」

「躰を動かさねえと体力が落ちる一方だから、適当にな。若いうちにしかこういうこと、できねえだろ」

「違いねェ」

「……やれやれ、それにしたってこりゃ、しばらく引きずりそうだぜ」

「だいぶ手ェ抜いてやったンだ、一日もすりゃ満足に動けるようになる。それで、依頼ッてのは何だ? 続きを話せよゥ」

 ちなみに、依頼がある、じゃあ条件だ、そして今に至っている。普通ならありえない工程だが、それだけ信頼されていたと思うことにして、公人は着替えの中に手を突っ込み、それを取り出して彬に投げ渡した。

「あァ?」

「それを壊してくれ」

「……重いなァ」

 渡したのは位牌にも似た、黒色の金属だ。サイズは長さが四十センチ、幅は十五センチ、厚みが五センチほど。ここ半年弱で公人が魔術の基礎を如月容に教わりながらも、どうにか形にしたものだ。まだ改良の余地はあるが、一段落といったところで、実際に試そうと思って彬に依頼したかったのである。

「条件はあるのかよゥ」

「とりあえず、破壊工程は説明してくれ。砕く、斬る、なんでもいい……ああ、そこらに散らばってるがらくたは気にするな、あとで回収しとく。どのみち俺の製作だ、俺自身に対して傷つけることはない」

 こつこつと叩き、握り、金属の感触を確かめつつ、おゥと彬は言う。

「これは公人が作ったンだな?」

「そうだ」

「……まァいい、とりあえず試してみるかねェ」

 ひょいと軽く金属を上空に投げると、左足を踏み込んで左の肩を突き出すように動く。何をするのかと思っていれば彬の躰は極限まで捻られ、落下する金属に縦にした右の拳がぶつかった。

 ――停止する。

 その時間は間違いなく数秒で、目の錯覚ではなかった。金属は床に落ちることなく、拳と触れた地点で停止していた。打ち抜くのでもない拳に疑問を思った直後、周囲の光景に変化があったことを公人は知る。

 散らばっていたナイフが、百センチほどの位置に浮いていたのだ。

 なんだと思ってみれば公人が浮いており、――直後。

「――っ!?」

 爆発的な衝撃に、受け身すら取る暇もなく公人はナイフと一緒に壁へぶつかり、いや、壁と衝撃との板挟みになって目の前が真っ暗になった。か、と短い空気が肺から洩れ、それでも意識を保てたのは、単に運が良かっただけだ。

 落下、床の感触だと認識した途端に道場全体が軋む。木造の道場は衝撃そのものに対し、しなることで逃がす。それは強い地震のようにも感じられ、呼吸が再開できた頃には既に、落ちた金属を彬が拾っていた。

「つぅ……おい彬、なにした」

「雨天――いや、武術の基礎に、四つの力の使い方がある。〝(ぼう)〟は外部破壊、一般的な殴る蹴るがそれだ。次に〝(とおし)〟で、これは攻撃を裏側に向ける。障害物の向こう側って意味だなァ。〝(ぬき)〟は重なった手前と奥の両方に直通する力で、最後に〝(つつみ)〟は特定の位置、内部に対して爆発的な力を与える。俺らはこれを、まァ、あらゆる得物で使えるようにするッてのが、基礎修練よゥ。こいつァそれの派生ッてやつだ」

「見てもわかんねえから聞いてるんだ」

「その四つを同時に、一点集中させたンだよゥ。基本は凝縮、そこからの開放ッてとこか。……これ、一応は攻城なんかで使う手口なんだけどなァ」

 金属は、変わらずそこに在った。

「おい公人、無事か?」

「先にそっち気にしろ。……ま、なんとかな」

「余波が出るとは思わなかったンだよゥ。しかも、この金属が拡散したモンだぜ。だから八割減ッてところだったンだろうけどなァ」

 こりゃァ下手な刀じゃ刃こぼれするぜと、彬はどこか嬉しそうに笑う。

「どっか脆い部分がありゃァ突くこともできそうなモンだがなァ、均衡が取れていやがるじゃねェかよゥ。考えちゃいるが……こいつァ難しいなァ」

「ちょい見せろ」

 どうにか立ち上がり近づいて金属を手にした公人は、僅かに目を細めるようにして九十秒ほど視線を落としていたが、やがて落胆したように肩を落とした。

「二百三十七万八千八回」

「――はァ?」

「今の攻撃と同じやつを、そんだけ繰り返せば欠ける」

「いや、お前ェよゥ……」

「形にはなったとはいえ、こりゃ改良しねえとな。助かったぜ彬、とりあえず仕事は終わりだ」

「もういいのか」

「また頼むかもしれねえけどな。基本ができりゃ、同一密度で形状を刃物にすりゃいいだけだ、その辺りはなんとかなる。けど、消耗品ってのが気に入らねえ」

「……おい、公人。こりゃァ世間話ッてことだけどな、理屈としちゃァ金属にせよ刃物にせよ、どういう造りになってンだ?」

「理屈だけ簡単に言えば、あーわかりにくかもしれねえけど、不純物を排除して純物のみを前提に、だから、こう――水を水のまま金属にしようってことなんだが」

「あァ?」

「凝縮の話だ。水って特性そのものを〝囲う〟のに無機物を利用しないで強度だけを向上させ、あくまでも指向性は金属に揺らす……つっても、わからねえか。理屈としちゃ合ってはいるんだが、理解しろってのは無理な話だぜ。俺の感覚だしな」

「あーなんだ、そりゃあれか? 水槽を使えば水は拾えるが、水槽そのものが撫順物だから、変な話、水を水で囲ってやるッてェことかよゥ」

「矛盾してる気もするが似たようなもんだ。つーかお前、俺以外に魔術師の知り合いとかいるのか? えらく的確なことを言うじゃねえか」

「友人は二人とも、そっち関係だなァ。片方は正真正銘の魔術師、もう片方は魔術素材の調達屋で稼いでる。つっても、ありゃ魔術師ッていうより俺に近い。よく遊ぶぜ」

「遊ぶって……彬の遊びに付き合ってんのかよ、そいつ」

「おゥ、結構楽しいんだこれがなァ」

「無茶にもほどがある……とはいえ、俺も他人事じゃいられねえか」

「そうなのかよゥ」

「俺みたいなのを在野の魔術師っていうらしいんだが、下手をすりゃ襲撃にも遭うって話だ。いざその時にどうにかできるよう、せめて生き残れるくらいにはどうにかしたい。けど俺に戦闘は領分じゃねえ。せいぜい、造った刃物を試すくらいだろうな。これも課題として、ちょい前から考えてはいるんだ」

 それも彬には一切通用しなかったのだが。

「……公人、ちょいと繋がりを持たねェか?」

「なんだ急に。俺とお前は適当に顔を合わせるだけ、直通連絡なんかしねえ間柄だろ」

「ちょいと前からどうしようかッて考えちゃァいたンだが、これだけの代物を造れるンならお前ェが良い。俺はな公人、刀を創ろうと思ってる」

「刀? お前の実家にゃごろごろ転がってるじゃねえか」

「一振りだ、それでいい。俺ァ――雨天の抜刀術、その最たる技術に合う刀を創りてェ。でだ、創るのは俺にしたッて知識がねェだろ。公人、つまりまァなんだ、俺の相談に乗っちゃくれねェかと、そういうことだ」

「……じゃ、今日みてえな機会が増えると思っていいんだな?」

「おゥ」

「いいぜ。ついでに欲を言えば、そっちの調達屋ってのを紹介でもしてくれ。今は困ってねえけどな」

「そっちの話はつけておいてやる」

「助かるね。ま、ともかく今日は助かった」

 おゥと笑った彬も並ぶように腰をおろし、そこからは刃物の創造過程についての話で盛り上がった。途中、お茶を持ってきた啓造が道場の軋みについて愚痴を言っていったが、よくあることだの一言で済ますのはどうかと思う。

 啓造にとっても、雨天である彬はまた違う領域の人間だ。



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