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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2041年
103/790

10/17/08:20――五木忍・友人との別れ

 その部屋に、ひどく重い沈黙が落ちていた。

 空気が肌に粘りつき、掌には薄っすらと汗が浮かぶ。身動きすらしにくいほど空気は圧し掛かり、呼吸をすることも辛い。

「――避けられないのですか」

 数分の間を置き、ようやく五木(いつき)(しのぶ)はその言葉を搾り出した。声によって空気は振動したはずで、少しは状況に変化をもたらすと思いきや、しかしただの一声によって変化を喚起させるなど夢のまた夢だ。

 対面のソファからの返答はすぐになく、だから意を決して立ち上がった忍はここ、VV-iP学園の理事長室にある珈琲をカップへと移した。

「可能性の話をすりゃ、あったよ」

 二つのカップを持って戻ると、蒼凰蓮華は視線を合わせずやや俯いたまま、言葉を放つ。ここへ来てからはずっとそうだ。

 まるで、他のことに気を取られているかのようで。

「あったけど、選ばなかったんだよ」

「蓮華はいつからご存知だったのですか」

「こうなることが、か? そいつァ……はあ、誤魔化す必要はもうねェよな。もう、ねェのよなァ……」

 珈琲の香りに気付いたのか、蓮華はようやく顔を上げる。室内灯の中でも青白く、どこかやつれて見えた。

「七年前、いや八年前か。新鈴ノ宮の設立を隠れ蓑として俺は武術家へ接触しようッて考えてた。俺の理由はそれだけよ――ただ、その際に見ちまったのよな」

「何を、視たのですか」

「都鳥の存在理由、それと涼の出生に関しての全てを」

 わかるだろうと、蓮華は吐息を落とす。

 今はともかくも武術家であった忍は、頷くしかない。むしろ武術家でもない蓮華がどうしてわかっているのかが疑問なくらいだ。

「もう」

「――どうにもならねェよ」

「しかし!」

「落ち着けよ」

「――……失礼」

 浮かしかけていた腰を、意識して落とす。震えるように深呼吸を一度――ああ、そうとも。

 友人の一人が失われようとしているのに、冷静でなどいられるか。

「涼が認めた未来で、現実で、涼が得た結果だよ。そう言っても納得しねェか?」

 噛み締められた奥歯が鳴る。

 彼らの友人関係は、お互いにお互いを干渉しないからこそできたものだ。彼の選択を否定したのならば、忍は友人でいられなくなる。

 だから、納得しなければならない。

 理性で感情を殺さなくては。

「私に、何かできることはないのですか」

「――ない」

 にべもなく、蓮華は遠慮せず率直に断定した。

「それはお前ェの選択よな。刀を置いた、その結果だよ。咲真には……ま、最後の挨拶くれェさせてやろうと向かわせてるが、お前ェは駄目だ。行けば、ただ喰われる」

「……わかっています」

「理解はするが納得はしてねェッてツラだぜ」

「しかし、もう――私にできることは、ないのですから」

「悪ィな」

「いえ、蓮華の言う通りこれは私の選択が得た結果です。ならば、責は私にある。それを享受できなければ、今までを無駄にすることになってしまいます」

「……そうかよ」

「蓮華はどうするのですか」

「時間を作って行くよ。一発殴っといてやるが、まァ……それだけよなァ」

 遅く、忍は理解する。

 同じだと。

 蓮華もまた、そのくらいのことしかできないのだと――咲真も、最後の挨拶くらいしか済ませられないのだと、理解した。

 後の務めは。

 雨天暁に託されている。

「さて、感傷に浸るにゃァまだ早ェ。少なくとも俺にとっちゃァな」

「……そうですね。何か、他の用件がありましたか」

「様子見だよ。基本的にはな。で、鷺ノ宮の件は耳に入ってンのよな?」

「夜遅くに、ご丁寧にコンシスさんから連絡を戴きました。寝耳に水でしたが」

「野郎か。そういや狩人連中にゃ好意的よな忍は」

「知識の宝庫が人の形を作っているのです。人材として目をつけるのは、理事長として当然かと」

「板についてるじゃねェかよ。損害は?」

「基本的に我が学園の設備は芹沢企業との直接取引で成立しています。仲介を通せるほどに運用費用の余裕がありませんから。ただ研究員――失礼、教員の個人的な物品取引に関しては、いくつか鷺ノ宮家の経路を利用していたようです。他の搬入ルートを構築しなくてはなりませんね」

「どの企業も目に見えない鷺ノ宮の息吹に乗ってたのよな。一部がかけても機械は動くが、――壊れることを許容すりゃの話だ」

「……鷺ノ宮家、いえ鷺ノ宮苑花(そのか)さんは学園の創立時の出資者でもあります」

「一言、あったのかよ」

「こちらは流通を担っているけれど、学園には一切の干渉をしないと。私が理事長席に座る際、改めてご挨拶に向かいましたが、同様のことをおっしゃられていました。――あまり関わりを持たないように、と念押しをされていましたが」

 肩が落ちる。

 きっと彼女は知っていたのだろう。こうなってしまうことを。

「今日も通常運行か?」

「幾人かの教員が欠席を申し出ていますので、通常とは言えませんが、学生の多くは登校するでしょう」

「じゃ、気付いてねェか。いや当然よな――そりゃァ俺らの管轄だ」

「何か、ありましたか」

「地下書庫と、配置してある界が準作動中なのよな」

「作動……? しかし、あれは最悪の事態に際した保護的な意味合いで、こちら側――つまり表向きは何も変わらないはずでは?」

「その最悪ッてのを感知してンのよな。まァ安心しとけよ、俺が止める」

「やれやれ、そう言われても私にはなにが進行中なのかわかりませんが、蓮華の仕切りならば――不安ですね」

「おいおい、なんだよそりゃァ」

「いえ、私はこちらなので巻き込まれることはないでしょうが」

「裏側で完封してみせるさ。できなかったら、忍は言えよ? このザマで何が蒼凰蓮華だ、ッてよ」

「言わないで済めば、越したことはありませんね。――では」

 忍は苦笑して言う。

「本題をどうぞ」

 重要なことを先に言うからこそ、本題がおろそかになる。いや、あるいは全てが本題だったのかもしれないが、まだ蓮華は忍への頼みごとをしていない。

 それがあったからこそ、来たのだろうから。

 そもそも現状報告は忍に意味を持たせない。あるいは涼のことだとて、本来ならばことが済んでから気付いていただろう。その辺りはついでというより、蓮華の優しさだ。

 わかりにくい、優しさ。

 けれど忍は気付くことができる。

「お前ェのは、付き合いの長さは関係ねェよなァ」

「そうでもありませんよ」

「本当ならこっちに一人欲しいくらいだよ。その、――思考能力」

「大したものではありません。生まれつき、私に馴染んだものですから」

「さしずめそいつァ、並列思考。最大数は?」

「――誤魔化せませんね。ええ、結論を出す前提ならば九つまでは。途中で止める前提で行えば、もっと多いかもしれません」

 九つまで、まったく違うことでも関連性があることでも、保持したまま並行して忍は思考し結論を出すことができる。

 できてしまう。

 生まれつきだから、特に秀でていると思ったことはない。

「ただ、人の思考や行動から何かを導き出すには便利かもしれませんね」

「それが一番重要なのよな、これが。まァ頼みッても大したことじゃァねェのよ。今日は帰宅するのか?」

「まだ決めてはいませんが……おそらく、今日は帰らないでしょう」

二ノ葉(にのは)は心配しねェか?」

「きちんと連絡をします――と、失礼。瀬菜さんは?」

「ああ、安全なところに移送してもらったよ。この状況下じゃ、俺の影響も受けちまう可能性があるしな。忍の方は大丈夫だろ。刀を置いた順序も間違っちゃいねェし、こっち側でもお前ェは表の人間よ」

「蓮華の言質ならば安心です」

「言質ッて嫌な言葉を使うよなァ。でだ、夕刻から夜にかけて……たぶんそう遅くはねェと思うけど、咲真が学園に顔を出すはずだ。そン時にAsAA(トリプル)を渡してくれねェか」

「オール・システム・アドミニストレータ・アクセスですか? 発行手続きには確かに時間がかかりますが――」

「ああ、俺のものはある人物に貸与中でな。おっとべつに変なヤツじゃねェよ」

 名前を口にしないのは、忍と関わりがない上に関わっては好ましくない人物だからだろう。おそらく、蓮華側にいる誰かだ。

「わかりました。手続きをしておきます」

「いいのかよ」

「蓮華がそう言うのならば必要なのでしょう? 咲真にならば構いません。水面下に走る情報収集システムをどう処理するか、その責任も兼ねて持っていただきましょう」

「途中放棄して逃げられないようにッてかよ。ま、自業自得よな」

「それだけ、ですか?」

「後は頼みじゃなく念押しよ。――何があっても、お前ェは動くな」

 思いのほか、強い言葉でそれは放たれた。

「何があっても、二ノ葉を想え。()()()を想え、そして足を止めてよく考えて耐え、忍べ。いいか? ――まだ、お前ェは刀を握るにゃ早ェ」

 それは暗に、そういう事態が引き起こる可能性を示唆していて。

 だから。

「――わかっています」

「ンじゃ、蛇足ッてやつよな」

「いえ、ありがとうございます」

「おゥ、落ち着いたらまた顔を出すよ。きっと――……いや、んじゃァな」

「ご武運を」

 きっとと、続けられなかった言葉は蓮華の胸の内に閉じ込められ、口に出されることはなかった。

 言の葉は言霊と呼ばれるように、口にしてしまえば確定する因子を含んでいる。可能性を見通す蓮華にとって、それを引き寄せることを望みたくなかったのだろう。

 きっと。

 気楽に顔を合わせられるのは蓮華くらいしかいないと、そんな未来はきて欲しくなかったから。



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