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ハジマリの場、オワリの所  作者: 雨天紅雨
■2041年
100/790

10/17/07:45――都鳥涼・陰気を抱いて

 日の出と共に落ち着いて来た肉体の内部から精神を喰らう何かが、まるで檻の中で牙を剥いているような感覚を抱きながらも、瓦礫の一つに腰を下ろした都鳥涼は己の右手を見つめていた。

 この状況を見たのならば、誰しもが目を背けるだろう。

 陽光を背に、これほどまでに黒く禍禍しい空気を振りまいて静止している姿は、もはや人というよりも妖魔に限りなく近く、あるいは目を背けるよりも前に硬直し躰を動かすことすらままならないかもしれない。

 堕ちたと、彼ら武術家は言う。

 ある時期を境に武術家は陽ノ行ではなく陰ノ行と呼ばれる技術を習得する。これは最初に学ぶ陽ノ行が完成に近くなった段階で行われ、陰陽の均衡を保つために――また、武術家としての完成を目指すための経過だ。

 けれど、涼は出生の理由からこの時点で陰に傾き易くなっていた。

 いや。

 傾いてしまうと、確信すら抱いていてそれを行った。

 ――紅月の発生と、それに伴う紅色の空気が、最後の後押しをしてしまったのだ。

 けれど勘違いしてもらっては困る。ここに存在するのは紛れもない都鳥(みやこどり)(りょう)本人であり、誰かに自我を食われたわけではない。

 堕ちても、彼は都鳥涼のままだ。

 いや都鳥涼のまま、ただ堕ちた。涼でなければ堕ちなかったかもしれない。

 かつてと変わってしまったのは、己の中に渦巻く殺戮衝動だろう。日の出と共に落ち着いたとは先に言ったが、今でも気を抜けば人に限らず妖魔だろうが構造物だろうが目に映る限りを殺し消し壊したくなる。ただただ、本能が殺戮に順ずる破壊だけを求めていた。

 何故もない。

 それが妖魔の本質だろうし、何より半人半妖と呼ばれる特異な生まれである都鳥涼の本質なのだろう。

 今までは自覚していて抑えていた。

 けれど今は、抑えようという考えがそもそもない。

 落ち着いたから、ただその状況に甘んじているだけだ。再び陽が沈めば再び――昨夜と同じく、涼は片っ端から殺戮を始めるだろう。

 始めるまでに、まだ時間はあるか。

 だからといって。

「――遊ぶつもりはない。失せろ」

「おやバレた」

 ひょいと瓦礫の合間から姿を見せたのは少年――いや、少女か。服装は近くにあったものを着ただけで、みすぼらしいと呼べる格好であるのにも関わらず、溢れる生気はその相貌が証明していた。

「おかしいな。これでも気配を隠すのは得意なんだけれど、どうだろう。私は失敗してたかな?」

 いや、随分と上手かった。けれど周囲との同化をしたところで涼の周囲の空気には、人が同化できるものではない。

 ――と、思ったが口にはしない。遊ぶつもりはないと最初に言った通りだ。

「ふうん。夜とは別人じゃないか」

 涼を中心にして円を描くように、まるでその境界線を決して踏み込まないよう注意するかのように、少女は正面へと動いて瓦礫にちょこんと腰を下ろし、片膝を立てた。

「やれやれ、ようやく長い夜が明けたよ。そうは思わないかな?」

「……話が、したいのか」

「べつに。いや、まあそうかもしれないね。話す気がないのなら、聞いてくれればいいさ。興味がなければ右から左で構わない。私も馬鹿じゃないからね、死地に向かうような真似はしないさ」

 だからこそ境界線を見極めた。そこから先は、今のところ死地であると少女は思っている。

「実は野雨から来ていてね。新天地を求めたつもりが、このザマだよ。足止めを喰らったと表現すべきかもしれないけれど……」

「野雨のどこだ」

「なんだ、会話をしてくれるじゃないか。ありがたいね。ええとそう、場所の話だったか。まあ今回初めて外に出て名称は知ったんだけれど、私の住処はどうやら蒼の草原と呼ばれているらしい。何が青色なんだか私にはさっぱりだ」

「――」

 場所は知っていた。けれど内情はまったく知らない。そもそも人が生きていられる場所ではなかったはずだ。

 それほどまでに過酷で――ああ、そうか。

 あの場所は、こうなってしまったここにひどく似ているのか。

「何故、外に出た」

「うん? まあちょっと気になる相手がいてね。このままじゃあ殺せないと思ったんだ。試してみる気はなかったけど、ちょっと八つ当たりはしたい気分だよ。逆恨みとはいえ、出てきたらこれに遭遇したんだから。もっとも」

 少女は犬歯を見せるように笑う。声を立てず、けれど面白そうに。

「兄さんが居てくれたおかげで楽だったよ。曖昧なものよりも明確な脅威の方が対処しやすい。とはいえだ、まあ夜がくるよりも前に戻るつもりさ。野雨にね」

「……」

「もっとも、戻る場所はあっても帰る場所じゃあない。兄さんの場合は、もう戻れなさそうだけど」

「――もういいだろう。話したいなら他所でやれ」

「つれないじゃないか」

 今度は音を立てて笑った。何が面白いのか涼にはさっぱりだ。

「いや、まあ本題というか興味を持ったのは兄さんの動きなんだ。いや戦い方かな? 二本の武器を使う戦闘ね。これには興味がある。本当さ、どうしてあそこまで動けるのか不思議に思うくらいに――必殺を謳いながらも、それを繰り返すのは何故なのか、知りたいね」

「知ってどうする」

「私のものにしてみたいのさ。こういうのも奇遇と言うんだろう? 兄さんと同じ――と言うと失礼かい? 私もね、刃物を二振り使うんだ。ほら」

 太ももの付け根付近に手を伸ばし、取り出したのは少女が持つには無骨すぎる二振りの大型ナイフ。全長は三十センチ強ほどあるだろうか、まるで金属の板に手を入れる穴を開けただけのようなデザインだ。

 斬ることに長けていると思わせる刃が輝いているのに。

 どこか押し潰すような雰囲気を併せ持っている。

 涼は僅かに視線を上げた。決して顔は見ぬように、けれど足元から腹部程度まで。

「それで夜を乗り切ったのか」

「これだけじゃないさ。戦闘を日常にしてるし、何より私は解体することに長けてる。まあ術式の解体が得意なんだけれど、それ以外も可能だ。これくらいの芸当ができなくっちゃ生きていけない」

「生きたいか」

「いつも己の手で掴み取っているよ」

「――生意気を言う」

「そうかな? 私はいつだとて、そうやって過ごしているよ」

「いいだろう。手合わせくらいしてやってもいい――が、俺はこのざまだ。勢い余って殺す可能性もある」

「その時は全力で逃げるさ。けれど――できればもう少し話したい。気になってね」

「何がだ」

「後悔とは少し違うようだけれど、何だか兄さんは、遣り残したことがあるような顔をしてるからさ。つまり不満なんだ」

「それがどうかしたのか?」

「本当にその通りなら、私にとっては随分と珍しいものだからね。詳しく聞いてみたいと思うよ」

「お前はどうなんだ」

「私というより、私も含めての周囲がそうなってるから、……うん、私が妙なのかもしれないな。私に明日はないんだ」

「陽が落ちて昇れば明日だ」

「いいや違うよ、それは今日だ。……私たちには今日、そして現在しかないんだよ。明日なんてものを迎えるためには生き残って、腹を満たし、過ごさなくてはいけない。いわば昨夜のような状況が延延に続いているようなものさ。だから後悔はわかるんだ。なんとなくね。でも――不満ってのは、よくわからない」

「満足していなければ、不満だろう」

「そうかな? 私は確かに満足していないけれど――今死んでも、何の不満もないよ。遣り残したことなど、ない。後顧の憂いとか言うんだっけ? だからたぶん、くそったれと毒づきながらも、私は死ぬ時は満足だ。……そう考えると、満ち足りるためには死ななくちゃいけない、みたいな感じかな」

「……人とのしがらみがない世界で生きている、か」

「それは厄介なのかな?」

「どうだろうな。ただ俺は、こうなってしまった俺が他者を既に気遣えなくなっている現実に憂うだけのことだ。そこには不満も後悔もない」

「後悔もない?」

「俺が選択した道にある今の結果に、どうして不満を得る」

「回避できたのにしなかった――ということかな」

「結果がわかっていてもそれを得るために動いた。回避できたのかもしれん。だがその選択は俺の前にはなかった」

「見なかったんじゃなく?」

「見えていても、得るはずがない。俺は武術家だ」

「ふうん、面白いね。ああやっぱり外は退屈凌ぎにはもってこいだ」

「……退屈は嫌いか」

「大嫌いだね。退屈するくらいならば禁忌に手を染める方がよっぽど良いくらいに、己を殺したくなるほどに嫌いだ」

「しかしお前は外に出るべきではない」

「何故かな?」

「今はともかく、平常時ならば狩られる」

「へえ、――ははっ、狩られるとは面白い表現だ。まあ退屈が過ぎたら考えておこう」

 さあ、と少女は言う。

「殺し合いを始めようじゃないか」



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