粛清
ぼくは甲子園に行く。
オレは甲子園に行く。
友梨が幼いころに、高校球児に漏らした『かっこいいね』のひと言。いままで野球を続けることができたのは、この原動力のおかげだ。甲子園への憧れは友梨とふたりの夢となり、やがてチームの夢となった。ピッチャーはぼく、友梨はマネージャー。
地方大会決勝、神宮球場。
まさかこんなところまで至れるとは、思ってもみなかった。友梨の言葉以外に甲子園への足掛かりがなかったぼくには、甲子園など遠い夢、ベンチにすら入れないと思っていた。
でも、夢を諦めることだけはしたくなかった。友梨を裏切ることだけはしたくなかった。だから、ぼくは強くなりたかった。
そこにちょうどいい見本がいた。稲城慶馬、ぼくの親友でありT高校の絶対的エース。才能に恵まれた、勝負にこだわる冷酷でありながらも熱い心を持った男――――奴の魂は、甲子園に行くためにあるようなものだった。それは当然、ぼくの尊敬の対象であり、チームメイトからの全面的な信頼も得ていた。友梨からもだ。
ぼくは純粋に、奴から技術を学び、気持ちを聞いた。どうやって投げるのか、どのくらい手首を捻ればいいのか、どうして甲子園に行きたいのか、どんなことがあって勝負にこだわるようになったのか――――親友として、稲城のことを知りつくした。
はじめは上手く活かせなかった。ピッチャーだけでなく、いろいろなポジションを練習させられた。しかし、それも奴がいなくなるまでの話。
稲城がいなくなれば、柱はいなくなる。高岡や倉田はもちろん部の中心になっていたけれども、それまでの中心であった稲城は、ぼくの中にしか残っていない。
あとは、ぼくが割り切るだけだった。
ぼくは――親友を道具にしてでも友梨を甲子園に連れて行く。
思えば、最初から稲城を踏み台にしようとしていたのかもしれない。そう、心の奥、意識しない部分では。稲城は親友だとは思っていたが、気がつかないうちに利用しようとしていた気がする。……そこに偶然、稲城との別れがやってきたのではないか、と。
でも、友梨を甲子園に連れて行きたい熱意と、その潜在意識が重なるのはすぐだった。割り切ったぼくは、稲城の心を手に入れた。仕草も、性格も、言葉遣いも、ひとつ残らずぼくの中に叩き込んだ。
そうして稲城の気分で生きてみれば、世界ががらりと変わった。稲城の精神さえ手に入れれば、稲城と同じように練習に打ち込めた。すると、簡単に体力と技術が追いついた。
ぼくは少し黙って、稲城に託した。友梨への想いを粛清することで、無機質で便利な使い捨ての力を手に入れた。
オレは――ただ目先の打者を粛清するのみ。
勝てばいい。倒せばいい。潰せばいい。
オレこそがエースであり、勝つことだけが仕事なのだ。
十一個目の三振を奪った。まずまずだ。
先頭打者にホームランを浴びる癖は相変わらずだったが、海部や高岡の活躍によって試合はリードしたまま進んでいる。疲れてはきても異常はない、気持ちが高ぶっては来ても狂いはしない、――勝ちが近づく中でもいい緊張感が保てていた。
しかし、周囲を眺めるとみな表情が硬い。敵も、味方も。決勝ともなれば緊張するのも当たり前とはいえ、それ以外の意味を含んだ表情にも見える。もちろん、オレの仕事は投げることだけだから、心配は無用。ただひたすら冷酷に、ただひたすら残酷に、打者を仕留めることさえ考えればいい。
そう、ただ倒すだけ、ただ友梨のためだけに――――
……なぜだろう。
オレ自身が瓦解し、乖離していくのを感じた。