相棒
決勝、神宮球場。
ここに至るまで、おれは全試合でキャッチャーを務めてきた。千球も軽いほどはボールをこのグラブに納め、同じだけピッチャーに投げ返しただろう。
だが、どうしても球が手に馴染まない。投げているピッチャーと、投げられるボールが乖離しているのだ。ピッチャーは我がチーム一番のヘタレ・吉仲陽平なのだが、投げてくるボールはかつての絶対的エース・稲城慶馬のものに違いない。
日常生活で見かける吉仲は、いつでもへらへらしていて人が良い、あと一歩恵まれない残念な男だ。それなのに、ひとたびグラブを持ってボールを放れば、眼光鋭い剛腕、敵を寄せ付けない完璧な男へと変貌を遂げる。三月に稲城は確かにチームを離れたのだが、七月になったいまでも稲城のボールを受ける――腑に落ちない。
吉仲は、稲城をコピーした。複製で、模倣で、偽装だ。
でも、甲子園という目標が近づいたのは事実。割り切って吉仲のボールを受け続けてきた。かつてはボールを受けるのも億劫だった吉仲だが、いまでは打者をねじ伏せる頼りがいのあるエースだ、そんな男を支えるのは気持ちが良い。
おれの相棒は、まぎれもなくエースだ。
きっと吉仲は、稲城の力を借りようと思っただけではない。甲子園を目指せなくなった稲城のボールを投げることで、稲城と共に甲子園を目指そうとしているのだ。おかげで、もう受けられないと諦めていた稲城のボールを、また受けている。吉仲の投げる『稲城の』ボールによって、おれは甲子園を目指している。
おれは、稲城と甲子園に行く――――
試合は優位に進んでいく。
初回にこそ点を取られたが、それはうちのエースの癖でしかない。すぐに四点を奪い返し、おれも得点に貢献した。キャッチャーが打って、ピッチャーが抑える――そんな理想像を思い浮かべつつ、ピッチャーに指示を出す。
指示を出せば、言ったとおりに、むしろそれ以上に良いボールが投じられる。全部に相棒が応えてくれる。一球ごとに甲子園が近づいてくる。
このまま甲子園に行けたならば、どれだけいいだろう。諦めかけた稲城との夢の延長、新たに始まった吉仲との目標、どちらも達成できる。当然、全員の夢がいままさに前進しているのだ。
すべては順調だった。
そう、順調だった――――
残るは一イニング。守備に就く前に、マネージャーの木更津から声をかけられる。
「ねえ、高岡くん」
視線を上げると、心配そうな顔をした木更津がいる。
木更津は普段、選手のほうに意見してくることはない。しかし、今回ばかりは、おれに訴えかけてくる視線だった。
「陽平なんだけど……大丈夫なのかな?」
「……何が言いたい?」
「その――――上手く言えないや」
きょうの木更津は妙だった。
審判から注意がかかりそうだったので、木更津を無視してグラウンドに駆けた。
木更津が言わんとしていることは解る。ずっと吉仲と共に甲子園を目指していたのだ、稲城慶馬としての吉仲陽平を認めたくないのだろう。その思いは、きっと吉仲本人の中にもあるはずだ。吉仲は自分自身で、自分の力で、木更津を甲子園に連れて行きたいはずだ。そう考えると、吉仲は稲城のコピーを『戦略』『道具』としか考えておらず、最後には捨ててしまうかもしれない――稲城慶馬の残酷さまでもコピーしていたならば、大いに考えられる。
もし吉仲が稲城を捨ててしまったら――突如投球ペースを崩し、試合を壊してしまうかもしれない。それとも、気持ちの強さで押し切ってくれるだろうか?
どうしても、決めきれないおれがいる。勝負か、気持ちか。
稲城を尊重するなら、勝負を選ぶ。吉仲を尊重するなら、気持ちだ。
いま、おれの相棒に必要なのはどちらだ? 稲城はいない、しかし吉仲は稲城になりきっている。本当の吉仲はどこにいる? 呼び戻すべきか、離しておくべきか。
そう、おれの相棒は――――