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Timely  作者: 大和麻也
Cluch Hitter
6/10

鈍感

 打てなかった。

 チャンスでバットが空を切った。

 投手が笑顔でガッツポーズを決めた。

 一度ばかりではない、二度も。おれが試合を決めきれぬまま、最終回を守るのみとなった。点差は未だ三点差、吉仲なしでは勝てないような心許ないアドバンテージ。総力戦となってしまった。

 どうしてだろう?

 サードに立って守るだけなのに、脚が震える。

 球場に響き渡る歓声に耳を塞ぎたい。

 この気分は一体何なのだろう? 体に力が入らなくなるような状態、いままでまったく経験したことがない。何を感じると、こんなふうに委縮する? 甲子園が間近だからだろうか? 今年高校三年になって初めて神宮球場で決勝戦を経験しているとはいえ、準決勝が終わるときは何とも思わなかった。ただ普通に守備をしていた。

 身体と精神と思考が分離したようだ。

 無性に渇く。喉の奥が気持ち悪い。

 どこに異変があった? いつ状況が変わった? 何が違う?

 ……いや、自明のことだ。

 チャンスで凡退した。決めきれなかった。おれは引きずっているのだ、きっと。そう、それだけに違いない。ここまでチャンスに負けることがなかったから、ちょっと慣れないだけなのだ。たくさん練習してきたから、たくさんプレーしたから、少しのイレギュラーに対応しきれなかったということ。

 落ち着けば勝てる。

 おれたちは勝てる。

 おれは必ず勝てる。


 自分にそう言い聞かせたとき、金属音が響いた。

 白球がどんどんと大きくなって、こちらに迫ってくる。

 手を伸ばすと、グラブに収まった。あとは投げるだけ。なのに、体が堅い。

 そのとき、どくん、と何かが全身に走る。

 すべての神経を、すべての血管を、その雷のような衝撃が伝わって、おれの身体を蝕んでいく。関節をしならせようにも、全く曲がらない。ボールが鉛の如く重い。声援がひたすらうるさい。

 気が付いたときには、手にボールはなかった。

 アウトにできたのだろうか? でも、歓声は一塁側、S高からだ。

 はっとした。

 足元で、ボールがころころと転がっていた。



 気付けば、電光掲示板でエラーのランプが点灯している。

 おれはボールをこぼしてしまったのだ。おれの責任で、試合が長引いている。おれのミスで、ピンチが訪れようとしている。もう戻れない、致命的で初歩的な失策。

 キャプテンの倉田がピッチャーのところへ行って、ひと言か二言何かを告げた。それに続いて、内野手たちが強張りつつも優しい表情でマウンドに集まって行く。

 どう見てもその表情は、いままでおれが嘲笑っていた表情だ。おれの優越感を生み出す一因であった、負けた者たちの顔である。チームメイトたちが負けた者に。……吉仲も、おどおどとしながら苛立っていて落ち着かない。

 じゃあ、おれの顔はどんな顔なのだろう? おれも、サードからマウンドの吉仲のもとへと、ゆっくり歩み寄った。

 チームメイトたちが吉仲に語りかけている。

「落ち着いて行けよ、後ろはちゃんと守るからさ」

「ただのアンラッキーさ、ここを凌げばいいんだ」

「いい球投げてるぞ、問題ない」

 優しい言葉やベンチからの伝言が飛び交ったあと、キャッチャー高岡が吉仲の胸を叩き、力強く言う。

「木更津を甲子園に連れて行くのは誰だ? 他でもない、お前だろう! 吉仲!」

 吉仲はその言葉に顔を伏せる。しばらくすると口角を上げて、しっかりと頷いた。その表情には、不安も迷いもなかった。

 それを見て、チームメイトたちは再びグラウンドに散らばった。


 あれ?

 どうしてだろう、おれのミスについて誰も何も言ってこなかった。責められず、励まされず。無視されるくらいなら責められた方がいい。責められれば、プレッシャーがおれを強くしただろう。

 ……誰もがおれではなく、吉仲に言葉をかけた。

 何が違うのだろう? 吉仲が打たれれば、励まされる。おれがエラーをすれば、無視される。決定的な違いがあるはずだ。

 顔を流れる汗を拭う。それから改めてグラウンドを眺める。

 チャンスで打席に入る相手打者。その顔は硬い。おかしいな、おれのようにプレッシャーを楽しめないのだろうか?

 味方を眺める。グラブを持ち、じりじりと足を動かしながら打者を睨みつけるように構えている。これも変だ、いまは大好きな野球をやっている時間だろう?

 ……見れば、攻める側も守る側も、どの選手も表情が硬い。さらには誰も、汗を拭おうとせず汗を流れるままにしている。


 そうだったのか。ここに違いがあったのだ。

 比べてどうだ、おれの顔にはまるで力が入っていない。しかも汗を拭う余裕ぶりだ。

 おれはプレッシャーを楽しんでいるのではない。


 知らないだけだったのだ。


 でも、気が付いたところでプレッシャーなど感じない。このピンチに恐怖はない。

 ただひとつ、恐怖が解らない――おれ自身がひたすら怖かった。


・Cluch Hitter ――クラッチ・ヒッター――


 チャンスの場面でヒットを放ち、得点をもたらす可能性の高いバッターのこと。一度のヒットで得点を『摑み取る』ことからCluchと呼ばれる。ピンチにもチャンスにも動じず、プレッシャーに打ち勝つタフな精神が必要。


 ……ただプレッシャーに気づかないだけなのかもしれないが。

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