快感
前の打者が立て続けに出塁する。ランナーが集まった。
目の前で主砲の高岡が一点を奪い、同点。ランナーふたりを置いて、おれの順番となる。相手投手は悔しさをバネにするかのように歯を食いしばり、チームメイトたちも期待の色を浮かべながら息を呑んでいる。
打席に立ち、上を向く。すると、三塁側のT高スタンドからの大歓声がはっきりと聞こえてくる。これは確かチャンスのときのためのマーチ、勝負を決めろとスタンドは訴えてきている。
視線を相手投手に戻す。歯を食いしばって力んでいたが、おれが構えると息を吐き、鋭い眼光のまま体はリラックスさせる。いよいよ、投球フォームに入る。
試合こそまだ中盤に入ろうというところ。しかし、ビハインドからようやく同点になり、逆転を狙う勝負どころだ。
面白い――この緊張感、期待、プレッシャー――この苦痛を感じられるのが心地よい。チャンスという場面は、非常におれ好みだ。
バットを構え、振り抜く。安易にもそのボールはストレート。予想したとおりだった。
プレッシャーをかけられることは何より快感だ。でも、それ以上に、そのプレッシャーを跳ね除ける達成感が幸せで、一番は――――
相手チームが肩を落とすときの顔、これがたまらなく気持ちが良い。
「すげえぜ、崇志。ホームランだ!」
「でかした! 海部」
「これで三点リード! ……いけるぞ」
チームメイトからハイタッチで迎えられる。
でも、そんなことよりも嬉しくて気持ちがいいのは、ベンチに帰ってから振り返ってグラウンド眺めることだ。
グラウンドでは、相手チームがタイムを取って集まっていた。ピッチャーの胸をグラブでぽんと叩いて励ますキャッチャー。転がった球は全部抑えるとでも語ってグラブを拳で叩く内野手。そして、無理に力強い表情をつくるピッチャー……
このお決まりで滑稽な姿を眺めることがたまらなく面白い。自分の一打で乱れて行くチームを見るのは、この上ない快感だ。自分が苦労させてやっている、自分が掻き乱している、自分が落ち込ませている――そう思うと、なんともいえない優越感と爽快感。
そんな快感のためなら、緊張なんて一切感じない。勝負のときだろうと関係ない。
ただおれは、打ちたいのだ。打ちのめしたいのだ。
甲子園にこのまま進めたとしたら、もっともっと爽快に打撃ができるだろう。打つたび打つたび相手チームはどんどん意気消沈していく、そんな様がぜひとも見てみたい。同じ背水の陣の中で、思い切り見下すことができたなら、これ以上ない快感に違いない。
おれのこの本性を知ったら、周囲はおれを批判するだろう。『スポーツマンとして風上にもおけない』と。
だが、むしろ批判されてみたいものだ。おれはどれだけ何を言われようと、自分の快感を求めるのみ。観客がおれの凡退を望むのを、打ち破る……周囲が批判すればかえっておれは気持ちよく打撃ができるだろう。
攻撃が終わる。
おれは悠々とグラブを持ってグラウンドに向かった。
ピッチャーは吉仲。ここまで完璧に抑えている。
この調子なら、試合は決まったようなものだろう。T高の勝ちを呼び込ぶのは、投手、吉仲陽平。そして、打者の海部崇志だ。たったひとりのピッチャーと、たった一本のホームランで試合が終わる……相手はよほど悔しく思うだろう。
これは面白そうだ。早く試合が終わりはしないだろうか? 一秒でも早く、一秒でも長く肩を落として帰って行くS高野球部を眺めたい。甲子園への切符を奪い取り、高々と掲げ見せつけてやろうではないか。
できることなら、もう一本打って、吉仲を振り払いたい。きょうの勝利を、おれひとりで確かなものにして、『吉仲を出さなくても勝てた』というような試合を演出するのだ。勝利の快感を独占したい。
そして、うまいことにまたチャンスが巡ってきて――――




