責任
「倉田、よく選んだ。よかったぞ」
ベンチに戻ってヘルメットを脱いだ僕に、監督はそう声をかけた。その褒め言葉を受け取るだけのことはできなかったというのに。
最後の守備。ここで守り抜けば試合は終了、念願の甲子園だ。
最後にボールを摑むのは誰だろう? フライを取った野手か? それとも、吉仲が三振を奪ってキャッチャーが掴むのか? ひょっとして、僕が内野ゴロを捕るのか? そうでなくとも、平凡な内野ゴロなら僕のところに送球が来る。
できることなら、僕はボールに触りたくない。逃げたい。
でも、そんな気持ちで守り抜くことは不可能。それがキャプテンとしてまっとうしなくてはならない、最低限の責任だ。逃げることに慣れてしまった僕だって、いい加減逃げてはいられない。
もう逃げない。最後にとり返すのはいま、この守備だ。
しかし。
せっかく決意したのに、いつまでもボールがこちらへやってこない。吉仲が、人が変わったように乱れ始めたのだ。
吉仲は終始、去ったエースの稲城の真似をしていた。まったく同じと言っていいほど稲城を複製し、この野球部を甲子園に導こうと、敵味方関係なく一切を寄せ付けなかった。……なのに、いまマウンドにいるのは間違いなく『吉仲陽平』である。
稲城が消えた。
吉仲が現れた。
ああ、この目だ。チームメイトのこの目だ。みんな、吉仲を疑っている。ぼくが逃げ出したあのときと同じ。いま再び、『打たれてしまえ』と念じている。……吉仲を認めない連中の目を、僕がいま吉仲に向けている。
稲城の模倣をしてきた吉仲は、結局僕と同じ張りぼてだったのだ。稲城という張りぼてに囲われた、所詮僕と同じ裸の城。僕と吉仲がいるだけで、このチームは甲子園に相応しくないのかもしれない。
金属音が響き、さらに失点が重なる。
もう、逃げられない。吉仲に替えて出てくるピッチャーなどいない、ここで吉仲とチームが運命を共にしなければならないのだ。そう、僕をはじめ、吉仲を疑う連中みんなが巻き込まれて甲子園の夢を絶たれる。
ならば、勝たせればいい。
吉仲陽平に、勝たせればいい。
稲城を諦め、非力な吉仲にすべてを託そう。
そこで、僕の出番なのだ。僕がキャプテンとして声をかけ、吉仲を立ち直らせればいい。稲城に声をかけることはなかったし、かける必要もなかったが、吉仲にはそれが必要だ。ほかの誰でもない、キャプテンの僕なのだ。逃げられない、僕の役目だ。
唾を飲み、歩く。
吉仲は未だに稲城の真似をしてちょこまかと手癖を演じている。僕はその邪魔をして声をかける。できるだけ、吉仲にはっきりと伝わるように。
「吉仲、もう無駄だ。稲城の真似はよせ」
タイムがかかり、内野手全員が集まってくる。
「落ち着いて行けよ、後ろはちゃんと守るからさ」
「ただのアンラッキーさ、ここを凌げばいいんだ」
「いい球投げてるぞ、問題ない」
……なぜだ?
なぜ吉仲を擁護する? さっきまで疑ったような目をしていたのに。
伝令が監督の指示と伝言を話し尽くして帰ると、野手は散る。僕の足はすくんでまともに歩けず、ゆっくり一塁の守備へと戻った。
膝が笑っている。
もう逃げたいよ。
僕はやっぱり下なのか? 吉仲は僕と違って、みんなに信用される実力者だったのか? 僕の観察はなっていなかったのか? 疑っていた連中はどうして吉仲に優しい声をかけたんだ、僕だけが吉仲を見下し、疑っていたというのか?
立ち直ったように、吉仲の眼光が鋭くなる。稲城の目つきではない、吉仲陽平自身が何らかの決意を固めたのだ。
ダメだ、逃げ出したい。
このまま打たれたら、僕の言葉のせいに違いない。僕が吉仲を傷つけ、邪念を抱かせてしまったことになる。キャプテンの責任なんて、これだからまっぴらごめんなんだ。
吉仲の放ったボールは、ストライクを奪えなかった。
同じく、僕のグラブでアウトを奪うこともなかった。
・Base on Ball ――フォアボール、四球――
ストライク三つ取られる前に、ボールを四つ選ぶこと。バットを振ることなく塁に出ることができる。投手の自滅と思われがちだが、ストライクを取らせず、かつ振るべきボールを見定めることは、それだけで充分な才能と実力である。
……ただし、バットを振らなければ華やかな活躍もありえない。