非力
僕にできることなど、ほんのわずかだ。
迷っている選手に声をかけ、率先して練習や片付けをし、投げられたボールを摑み、転がってきたボールを持ってベースを踏む……
そして、ボールを四つ見極める。
三番、ファースト、キャプテン。
監督は僕に期待し、重くとも名誉ある立ち位置を与えてくれた。実力者で、人格者だと評価してくれている。
でも、監督が見る僕は本物以上に輝いている。本当の僕は、重責に対して向き合おうとしないだけで、キャプテンをできる器ではない。野球だって、スピードも肩の力もないからファーストしかまともに守れず、バッティングはひどく苦手だ。
バットを振っても振っても、当たらない。当たっても飛ばない。ふわりと飛び上がって相手のグラブに収まるか、ぼてぼてと力なく野手に阻まれるか、だ。
だからこそ、ただひたすら『打たないで勝つ』手段を磨いてきた。いかに戦わずして、塁に出るか――ボールとストライクを必死に見極めれば、必要のない球は振らくてもいい、逃げるためにバットに当てるだけでいい。
この戦法は僕にぴったりとはまった。逃げて逃げて逃げて逃げて、四つ相手のミスを見送るだけでいいのだ、逃げることだけが得意な僕にはこれ以上ないスタンスだ。結果的に、僕はチームで一番フォアボールを選べるようになった。相手投手を崩すにはヒット以上に確実なため、三番打者を任された。
逃げるだけでいいのだ。
やってみれば重い役割ではない。難しくもない。
ただいつも通りピッチャーを観察し、癖を見抜き、癖から隙をついて有効に逃げる。キャプテンだって僕は同じようにやってきた。チームメイトを観察し、癖や悩みを考え、それをこじらせないよう軽く注意して逃げる。
まともに向き合うことはない。まともに戦うことはない。
僕はそうして生きてきた。
だが、今年のチームはそうもいかなかった。
エースの稲城がいなくなったことによる新たなエースが、吉仲陽平というとんでもない問題児だったからだ。
吉仲はひどいピッチャー、そう思われていた。投げては打たれ、フォアボールを出し、負けていた。少なくとも、稲城の裏でお荷物の控え投手兼外野手をやっていたころは。
なのに吉仲は、稲城に替わってエースとして君臨した。
誰もが吉仲の実力を認めず、疑った。誰もが甲子園出場を絶望し、諦めた。
しかし、キャッチャーを務めるチームメイトからは『吉仲が化けた』と声が上がる。もちろんほかのメンバーたちは疑ったままだから、チームは吉仲の肯定派と否定派で二分されそうになった。
そんなとき、監督から声をかけられた。
『キャプテンとして、エースの吉仲を擁護しろ』
……正直ごめんだった。
いま吉仲を擁護すれば、否定派の不満は膨らむ。そんないざこざに巻き込まれるのは絶対に嫌だった。僕はキャプテンという望まない地位のせいで、たったひとつエースの実力を信じるか否かでチームの行方に影響を与えてしまうのだ。
僕は逃げることを選択した。
どちらの立場にもつかず、ただふらふらしていた。すると、吉仲は紅白戦で自らのイメージを払拭し、本物のエースへと成り上がった。
吉仲の成長は、僕にとって苦痛でしかなかった。吉仲は僕よりも確実に野球が下手で、弱腰だった。情けなく、非力だった。下には下があると思っていた。
それでも、吉仲は逃げずに挑んだ結果、打者に立ちはだかる鉄壁の要塞となった。対して僕は逃げ続けたせいで、『キャプテン』という張りぼての壁に囲われ、実際には裸の城だった。
順調に勝ち進むチームの中で唯一、僕は非力だった。
試合を決める重要な場面。
ここでヒットを放ち、一点が入るか否かで試合の行方は大きく変わる。そう、必要なのは『ヒット』であって、『フォアボール』ではない。
といっても、打てなくとも試合に負けはしない。展開がわからなくなるだけだ。だが、スタンドからも、ベンチからも『キャプテン』と叫ばれる。僕に期待が寄せられる。僕に試合を託される。
ああ、やめてくれ。
キャプテンじゃない。ぼくはみんなが思い描く、心技体すべて揃ったキャプテンじゃないんだ。僕に出来ることなどほんの少し、ただただ逃げることだ。
でも僕は、強くなりたい。吉仲のように、成長したい。ここで打って、甲子園で活躍できるキャプテンになってやりたい。責任感ある頼れる主将になりたい。
打とう、ここでなんとしても、打とう。
逃げたくない――――