盲目
あと少しで試合が終わるというのに、陽平はピンチを背負っていた。
陽平は可哀そうだ。コピーした力で勝ち上がったはいいが、その力のせいで苦しまなければならないのだから。試合結果にはどこにも、吉仲陽平の名前が見当たらない。大好きな野球なのに、自分を捨ててプレーしなくてはならない。こんなに辛いことはないはずなのに、稲城くんの仮面で隠している。
陽平が屈折しはじめたのはいつだったろう。
わたしが甲子園の高校球児を『かっこいい』と言ったのは、おそらく幼き日のあの一回のみだ。陽平が必死に野球をするようになったのはそれ以来で、わたしも近くで応援してきた。つまり、陽平の中では、わたしはあの日のように甲子園に憧れたままであるはず。陽平の意志を揺るがしたのは、なんだろう?
稲城くんが影響したことは間違いない。陽平は稲城くんのおかげで甲子園が近づいて行くのを喜んでいたし、稲城くんのプレーを尊敬していた。同じポジションとはいえ嫉妬するような様子もなかったけれど、稲城くんと同じように活躍したいと思ったかもしれない。
わたしもそんな陽平を見ていて嬉しかったし、稲城くんの活躍にも感動していた。
だから、陽平は稲城くんをコピーしようと思ったのだろうか? 甲子園に行くため、勝ちたかったのだろうか?
……少しおかしい。
甲子園に行きたいのならば、コピーなどという無機質な手段を選ぶとは思えない。甲子園は陽平の、いや、陽平とわたしの長年の夢なのだから、いままでの練習を蔑ろにするような勝ち方は望まないはず。あの気弱な陽平だ、残酷で冷酷な勝利など無理に決まっている。温情と友情を大切にするのが陽平だ。
いよいよ陽平が理解できなくなってきた。違う、稲城くんのふりをする陽平が理解できない。
優しい陽平は、なぜ稲城くんを模倣したのだろう? 何のためにコピーしたのだろう? 甲子園に行きたい、という理由ではない。何かもっと重大な理由があって、見苦しく稲城くんの真似を続けているのだ。
稲城くんを模倣することで、誰に何を伝えようとしているのだろう?
対戦相手に? 観客に? スカウトに? チームに? チームメイトに? 監督に? 稲城くんに? 自分に? それとも、わたしに?
ねえ、お願いだから解るように伝えてよ。
わたしは陽平に伝えたい。帰ってきて、と。
監督が伝令に指示を出す。外へ駆け出そうとする彼を止めて、わたしもひとこと、伝言をお願いする。
『かっこわるいよ?』
観客が湧く。
快音が響く。
窮地が続く。
我がT高校の大エースが打ち込まれる。コピーした仮面が剥げてしまったかのように。
もういっそ仮面を剝いでほしい。いつもの陽平が見たい。すぐに打たれて、すぐに負けて、すぐに落ち込む陽平が見たい。打たれてほしい、負けてほしい、陽平が帰ってきたらそれでいい。
スコアボードの数字がくるくると大きくなっていく。あと一歩で、あと一本で、目前だった勝利をこぼしてしまう。もう替えて出せるようなピッチャーはいない、チームは陽平と心中する決意をしている。チームメイトはみんな、目を真っ赤にしている。
ああ、目頭が熱い。
もう終わるのだ。T高校野球部の夏が、終わるのだ。わたしと陽平の積年の夢が、終わるのだ。
でも、悲しくなんかない。
わたしは陽平と一緒に、夢破れるのだから。
陽平が帰って来た――嬉しいよ。
すごく、かっこいい。
これでこそ、わたしの大好きな陽平だ――――
・Cross Fire ――クロス・ファイア――
投手が利き腕とは対角の方向に真っ直ぐ速くて強いボールを投げ込むこと。たとえば右投げなら、ピッチャーから見て左側に投げる。スピードやパワーが自慢のピッチャーには大きな武器となるが、選択肢としては安易なため、かえって危険な場面もある。
……ただ真っ直ぐなだけでなく、時には曲げることも必要なのだ。