一途
『このひとたち、やきゅうがおしごとなの?』
『ちがうよ、こうこうせいだよ』
『こうこうせい? まだこどもなの? どうしてやきゅうをやっているの?』
『もちろん、すきだからさ。すきだから、たくさんれんしゅうして、じょうずになってこうしえんにいくんだ』
『すきだから、じょうずなの?』
『うん』
『へえ、かっこいいね!』
……そんな会話をしたのは、六歳くらいのころだったろうか。
わたしが『かっこいい』と感想述べて以来、陽平はひたすら野球に打ち込んだ。才能に恵まれなかったのか、万年控えピッチャー兼外野手に甘んじていたけれど、その熱意は本当に嬉しい。何より、普段弱々しい陽平が、ひたむきに練習する姿がたくましくて、野球をする陽平を見るたび胸があたたかくなる。
いまでは、その陽平が神宮球場にまでマネージャーのわたしを連れて来てくれた。きょう勝てば、憧れの甲子園である。
苦悩した大会だった。このT高校野球部が、神宮に来られるほどの打撃力、投手力ともに優れたチームとなるまで、さまざまな紆余曲折があった。
特に困ったのは、エースの不在。チーム一番の心技体を誇るピッチャーの稲城くんが去ってしまったのだ。
新エースとして白羽の矢が立ったのは、陽平だった。
普段だったら登板した途端に試合をぶち壊し、チームを火の車にしてしまうピッチャー。エースだなんて、正直わたしとしても考えられない。
しかし、ピッチャーの経験は稲城くんを除いた三年生で一番長く、かつ下級生のピッチャーを酷使したくないという意向から、監督は消去法的に陽平を選んだ。『根性も度胸も技量もないが、熱意だけはある』とのことだった。チーム全体が驚いたけれど、同時にたくさん祝われた。
それから陽平は、さらに一途になった。
目の前では、陽平が速球をどんどん投げ込んでいる。相手バッターのバットは面白いほどにくるくると回る。
……わたしの知っている陽平、いや、チームの知っている陽平は、もっと下手なピッチャーだ。神宮までチームを引っ張る選手ではない。でも、エースとなった吉仲陽平は、誰もが知らない陽平であり、誰もが知っているピッチャーだった。
……陽平は、稲城くんの投球を完璧に再現していた。
しかも、ただの比喩ではない。
スピードも、変化球も、投げ方も一緒。相手バッターの空振りするボールも、ヒットを打たれる場面も一緒。それどころか、仕草も、口調も一緒。まったく一緒。
陽平は、練習を重ねて稲城くんをコピーしてしまった。自力では勝てなくても、複製して勝ちを拝借することはできるようになったのだ。そのせいなのか、それとも稲城くんの真似なのか……どんなにいい勝ち方をしても、どんなにいい投球をしても、陽平は試合後に笑わなくなった。
日常生活では、幼いころと同じ屈託のない笑顔を浮かべる、ごく普通の弱気な陽平だ。しかし、ひとたびユニフォームに袖を通し、グラブを手に取り、ボールを握ると、いつの間にか稲城くんに変貌している。一時は『憑依したのか』『気が狂ったのか』と悪い噂になってわたしも手を焼いたが、陽平がコピーした力を見せつけた途端、解決した。
キャッチャーの高岡くんによると、体格は稲城くんのほうが優れているのに、ボールの力強さや見え方まで同じだから信じられないという。紅白戦や練習中に投球を見た部員たちは異口同音に『稲城が帰って来たとしか思えない』と語る。
そう、信じられないのだ。陽平だと思えないのだ。
きょうだって、試合開始直後にホームランを打たれたけれど、その後は相手を寄せ付けない気迫を見せつけている。投げ始めの調子が悪いのは稲城くんの悪い癖で、陽平にそんな癖はいままでなかった。
強烈な陽平のストレートが、バッターの空振りを誘う。ストライクゾーンのぎりぎりを、針の穴に糸を通すようなコントロールで剛速球が突き刺さる。ピッチャーの腕から対角に走るストレート、クロスファイアだ。
こんなボール、陽平の投げるボールじゃない。陽平のボールには、もっと慈悲があった。あってはならないはずの、優しさを持ったボールだった。なのにコピーしたあとでは、ただ見下すように、馬鹿にするようにストライクを奪っていく。確かにその冷酷なピッチングは、稲城くんのものだった。
高速のストレートと、スイングしたバットが交差する。
わたしの気持ちと、陽平の熱意が交差する。
クロスファイアが突き刺さった。