ヴァルド山脈
天をつんざく咆吼が辺りに轟く。
その猛々しいまでに吼える魔物はそこに鎮座し身動きを取らない。辺りはその魔物の影響か、ただでさえ生き物の住みにくい山岳地帯にあって他に生き物は見受けられない。
いや、ただ一人いた。
そこにある生き物を眺める者が一人。
黒いローブにフードを被り不気味な笑みを浮かべる仮面を身につけている。その魔物以外が死滅していくこの場にあって一人山頂に佇み眺めている。
その男の視界に写るのは不気味で巨大な生物。全身を爬虫類が持つ角鱗を持ち二枚の翼。顔はかつてはトカゲのようにも見える。
そう、かつては……だ。
その顔の肉はえぐれ所骨が見え、表面の肉は腐敗しているのか溶けたようにどろりと垂れている。目が失われているのか眼球と呼べるものはそこに無く、その光りを映さぬ穴はまるで冥府への入り口かのよう。
そう、全体を総評すれば死骸。
だがそれは動いている。咆吼している。
男が初めてここに来た時はこの山脈は緑も多くそしてその掘り出したそれは骨でしかなかった。
だが男の所属する魔法に秀でた者達が研究した薬。それがその骨に擬似的な生命を与え、辺り一体の精気を食らいつくし肉を得るまでに育っている。
再び耳をつんざくような咆吼が轟く
その鳴き声は怒りなのか苦しみなのか、生命の理を歪められ為か、それは苦しみ悶えるかの様。
そして仮面を被る男は薬の結果を見たがゆえか、踵を返し立ち去っていった。
◇◆◇
「何か聞こえなかったか?」
「いえ、私には何も聞こえませんでした」
緑生い茂る山脈の中リュートが足を止めて訪ねた。
ヴァルミリアの宿を出た後山脈へと足を踏み入れた二人は山脈の中腹を登っていた。
ヴァルミリア周辺は緑豊かな地である。そしてそびえるヴァルド山脈もかつては緑が生い茂り、そこに住まう生物も数多くいたらしいのだがこの数年で緑は激減し、山頂付近では既に生い茂っていたのが嘘かのように岩肌を晒している。
明らかな急激な変化。それを不自然と思った学者の一人が調査へと赴くと身が縮むような咆吼を聞き依頼斡旋所にて護衛を雇い再び赴いた。
だが護衛共々戻る事は無くその研究者の仲間が捜索依頼を願いでる。
ここまでなら良くあるのだろうが、問題はそこからだった。捜索へと赴いた者が誰も戻らない。その数は一桁ではない。先の研究者と合わせて既に23名の者がここヴァルド山脈へと赴き、そして誰も帰ってくる事がなかったのだ。中にはかなりの腕利きが受けた例もあるが同様に戻らず学者が告げた咆吼の情報と合わせてこの一件を魔物によるものと判断されたのだった。
それが今回の一件。そしてリュートの任務である魔物の討伐、及び捜索である。
「そうか、それなら良いんだが」
だがリュートの胸中に若干の影が差し込んだ。気のせいならいいのだがその音――鳴き声のようなものを聞いた時胸が苦しくなったような気がした。
「よし、少し休憩しよう」
歩みを止めたついでにリュートがそう告げる。
「わ! 私はまだ疲れて等居ません」
そう告げるナターシャは確かに元気そうには見える。
「いや、疲れが問題じゃなくて山を登っていると言うのが問題だ」
分からない、と言った顔でナターシャが首を傾げる。
「山酔い、と言うのがあるらしい。急激に高い所を昇ると頭痛や吐き気を催す、酷い場合死に至るらしい」
「軽くても運動能力や思考能力が落ちる。それを防ぐ為にも徐々に高所に体をならす必要があるんだ」
「わ……分かりました」
死に至る等と聞けば休憩せざるを得ない。
そうしてナターシャが荷を下ろしへたり込む。荷物を持つと言って聞かなかったのだ。女性の身でリュートの荷物までもって登り続けてきた。気持ちは強くとも本人の知らぬまま体は疲れていたのだろう。
「飲め」
リュートがナターシャへと水筒を渡す。
「普段よりも多めに水分を取るといいらしい」
「ありがとうございます」
じっとナターシャは手渡された水筒を見ている。
「リュート殿」
告げる声にリュートがナターシャを見る。
「どうして……そんなに色々と知っているのでしょうか?」
ナターシャ自身元々は箱入り少女、と言った所だ知識も経験も少ないのかもしれない。だがそれと比べてリュートは色々と物を知っている気がしていた。そして二年たった自分を想像して見ても今のリュートの様になれる気がしなかった。
「色々と教わったんだよ昔な」
「ご両親にでしょうか?」
「いや、じいさんだな。俺の知識はじいさんに教わったのが大体だな」
「どんな方なのですか?」
知りたい、そう思う。
「良いじいさんだったよ。俺に戦い方を教えてくれて。知識を与えてくれて。生きる指標になってくれた」
そう話すリュートの視線はどこか遠くを見ているよう。
「考え方もじいさん譲りだな。今の俺があるのもそのじいさんのお陰だ」
あれからおよそ5年程の年月が立っている。当時は身の内を暗い感情が支配していたがその年月が洗い流していた。そんな今のリュートが考えるのは理由だ。戯れ、例えそうだったとしても自ら考えるように促していた節もあった。それは場合によれば目的を達成する為の邪魔になる危険を孕んでいる。それを戯れと呼ぶには納得できない面がある。
そして。今ではあの裏切りさえ自分の為になった。そう納得している、割り切れない部分こそあれ、あの経験があったればこそリュートは自ら考え、備える事を怠らない。
「私にも成れるでしょうか?」
だった。そう過去形で話すリュートに思い出させた申し訳なさを感じ。水筒へと目を落としながらナターシャはそう告げる。多少の誤解があることをナターシャはしらない。
「俺みたいにって事か? やめとけそんな良いもんじゃないぞ俺は。ナターシャはナターシャのままで良いさ。ただ足りない知識は後から付ければいい」
まるで諭すように。それは告げられる。
と、そのまま話しているとリュートがぴくりと反応し立ち上がると辺りを見回す。
「どうしましたか?」
「何かくる」
辺りに木々がそびえ立ち、見通しの悪い森のなか。魔力探知を使い警戒していたリュートがそう呟く。
声を受けナターシャも立ち上がると腰に差した剣へと手を添えた。
「数が多い。恐らく魔物だと思う、ざっとみて50位か」
リュートは大剣を抜かない、森の中では大剣の強大さが邪魔になる。と腰に差したナイフを抜く。
「私に前衛をさせて貰えないですか?」
訓練のつもりかナターシャがそう告げ、腰に差した新たな相棒を抜く。
「分かった。場合によれば下げるぞ、後ろから魔法で援護する」
ナターシャと依頼をこなす際はリュートが後衛を行う事が多い。ナターシャの訓練の為でもある。
そうして前を向いて警戒する二人の前にやがて駆ける音と共にそれは見えて来る。
およそ50程のその魔物。レッドエイプと呼ばれる魔物達。
赤い毛を持つその猿達はおよそ成人男性と同様程のサイズ。その腕から繰り出される一撃は人種の腕力所ではなくその赤い毛に覆われた皮膚も堅く、ただ薙ぐだけでは切り裂く事すら難しい。
その魔物、恐らく群れであろう、二人目がけて駆けてくる。
あるものは枝から枝えと飛び移り、あるものは地を二本の足を腕で交互につき二人へと掛けると二人へと襲い掛かってきた。
一匹がナターシャへと噛みつこうと首筋へと飛びかかる。
とっさにサイドステップで躱し様ナターシャが細剣を逆袈裟に跳ね上げる。斬撃にも使える、その言葉通り細身かつ強靱なミスリル製の剣がレッドエイプの腕を跳ね上げ、レッドエイプが悲鳴を上げながらながら地面へと着地する。
が、レッドエイプはそれだけではない。纏まった三匹ナターシャへと飛びかかりって来る。
咄嗟にナターシャが細剣へ通した魔力を焔へと変換すると細身の刀身から炎が顕現する。そのままゆらめく炎を宿した細剣を薙ぐ。
斬、と三匹の胴体を纏めて薙ぐと、そのまま二度三度と煌めく斬線。
中にいる間に細切れと化した魔物から意識を外しナターシャは他のレッドエイプを牽制する。
――凄い。
まるで羽のように剣が軽く感じる。新たな剣はナターシャの速度に物を言わせる剣術とあいまり以前の自分よりも強くなっている事を理解する。
がその刹那の思考は戦いにおいて命取り。
とナターシャの背後からレッドエイプが飛び上がりナターシャ目がけて腕を振り下ろす。
だがその腕がナターシャへ届く事はない。
飛び上がったレッドエイプへと一条の雷光が迸り焼き尽くしたからだ。
「油断するな」
リュートがナターシャへと告げる。
雷光を左手から発し、右手には逆さに構えられるナイフ。
後衛としてリュートはナターシャの死角から襲い掛かる魔物にライトニングを浴びせていく。
そして木の上から飛びかかるレッドエイプ達がリュートに近づくも右手にもったナイフが結界の如く近づくレッドエイプを一瞬の内に細切れにしていく。それこそ魔物が切られたと気づく間もなく。そのナイフには血すらついていない。
その圧倒的な実力差が恐怖を生んだのかレッドエイプ達はリュートへ近寄らずナターシャへと束となり襲いかかる。
望む所、とナターシャは握る細剣へと風の魔力を込める。
ダガーの用いたかまいたち、リュートが用いる重力の刃。それを真似、ナターシャが生み出す風の刃。
細剣のなぞる軌跡の周囲に三本の風の刃がナターシャの連撃をさらに4倍にする。
そしてその4本の刃が四方八方、襲い掛かるエイプ全てをなで切りにした。
敵わない、そう判断したのか残り少数となった魔物が散り散りに逃げていく。
リュートの警戒範囲から敵が居なくなり、構えたナイフを下ろし言葉する。
「妙だな、気がついたかナターシャ?」
「何がですか?」
「レッドエイプは元々一カ所で縄張りを張って生息している、それが群れ事山を下りるようにして俺達へと向かってきた」
「私達を狙ってと言うことですか?」
「いや、どちらかと言えば何かから逃げてきたんじゃないかと思う、俺達から逃げる先も皆山頂の方ではなく下っていった」
「何かから……」
アゴを拳に添えナターシャが考え込む。
「例の魔物でしょうか?」
「多分な、急激に広がる荒廃。魔物。逃げる群れ、偶然ではないと思う」
ナターシャがこくりと頷くと話しはそれまでとリュートが告げた。
「荷物を持って移動しよう。ここは魔物の血が濃い、少し言った先で野宿しよう」
「分かりました」
そうして二人は荷物を手に山頂へと歩いているとやがて日が沈み込む。
用意してあったテントを張り、火の魔法を扱えるナターシャにたき火を作って貰い傍にあった丸太を運ぶとリュートは鍋を火に掛けここへ至るまでに獲っておいた山菜や用意しておいた干し肉を入れ、灰汁を取り終えると塩で味を整えスープを作った。
ナターシャは作ってはいない、彼女は元貴族であり騎士を目指していた為か料理はさほど得意ではない。リュートの家へと厄介になり出した頃から少しずつ料理を覚えてはいるが旅先などではまだまだリュートの方が料理に一日の長がある。無論横で手伝いはしていたが。
そうしてリュートは作ったスープを持ってきた椀へと入れて丸太へと座るとナターシャが肩が触れ合う程の距離で隣へと座ってくる。比較的大きな丸太であり、二人で座るには十分な大きさがあるにも関わらずだ。
ナターシャの香りがゾクゾクとリュートの脳髄へと届き妙な気持ちになりかける。リュートとて男、時には押し倒したい気持ちに駆られる事もある。だが女性に対して自戒の念を持つリュートは自らの衝動を堪え意識をスープへと移し食事を始める。
無論リュートはナターシャの気持ちにある程度察しがついていた。いくら機微に疎くてもこれだけ迫ってくるのはそういう事だろうと気づく。
どうしたものか。
リュートが考えるのは距離感。王都で周りにいた女性達はその接点の少なさからかしれっとした態度を崩さなければ向こうが踏み込んで来る事はない、人によっては逆に嫌悪しだす者もいたが……
だがアリアやナターシャは違う。今の自分の生活にしっかりと二人は組み込まれてしまっている。それが距離を縮める要因となって今このような現実を生みリュート自身の心の距離も縮まっている事を自覚している。
「ナターシャ、少し離れてくれ」
そういうしかなかった。
ショックを顔に出しナターシャが少し離れると顔を俯けている。その顔は泣きそうだ。
「やはり……私は女として見れませんか?」
不意の言葉。言葉を告げた意味は全くの逆である為なのだがナターシャは別の意味と受け取ったようだ。
「いや、そうじゃない」
「じゃあなんですか」
パチパチとたき火がナターシャの顔を明るく照らしその真剣な目をリュートへと伝える、そして声が少し震えていた。
「変な気持ちになりそうになる。そういう事は俺は今求めていない、だから離れて欲しいと言ったんだ」
「私が相手でもですか?」
「ああナターシャは……美人だしな」
時には歯の浮くような台詞が出る事もあるだろうがその言葉を出すのにリュートは苦労した。それは距離が縮まった上にダガー達に女として見ろと言われたが為か、女性として意識した相手にはなかなか告げるのに抵抗があったのだ。
だが捻り出した言葉が良かったかナターシャの顔に笑顔が戻る事となる。一転して上機嫌になると食事を始めだした。
それを見ながらリュートは心の中で嘆息し、女性に対しての成長の無さを一人嘆くのだった。




