アイシャ
「レティ?」
グレイは戸惑っていた。突然目の前に現れたというのもあるが、初めてみるレティの姿――翼を持った姿だった。
翼はどうやら魔法でできているらしい。レイスの言っていた種族固有の魔法だろう。
有翼人とは種族固有魔法の翼を持つ者だ。
透き通った光を放つ翼を掲げたレティの姿は神々しい。
だがグレイは止まらない。
「どけレティ」
止められない。
「駄目………」
泣きそうな顔でグレイを見ている。
グレイとレティはしばし見つめ合う。
どれ位そうして居ただろうか。
長い時間そうしていたようにも、刹那にも感じる。
やがてグレイは掲げた大剣を下ろし嘆息する。
グレイを突き動かしていた衝動はなりを潜めていた。
髪をかき上げながら言うのはグレイ。
「どうして?」
「グレイも本当はアイシャさんを助けたいと思ってる」
「そうだ、だができない事もある」
「本当にそうなの? 私はグレイの事誰よりも知ってる。グレイならもっと上手くできる。沢山の人を助けられる。望めばどれだけでも……アイシャさんだって助けられる筈」
涙がレティの頬を伝う。気にとめる事も無くレティは訴えてくる。
買いかぶり過ぎだ……そう思うが問題はそんな所ではない。
グレイはもう一度嘆息し頭を掻く。
「……分かった」
すっかり毒気を抜かれてしまった。
グレイとて友人となったアイシャが敵として現れ取り乱していたのだろう。
さっきまであった頭に掛かっていたもやが無くなった気がした。
考える事を放棄していた筈の頭が徐々に動き出したようだ。
「それでアイシャ」
「え……?」
アイシャはあっけに取られている。状況が飲み込めていなかったらしい。
ぺたんと女の子座りで地面に尻を突いている。
それはそうだ、さっきまで死を覚悟していただろうに一転して空気が弛緩したのだ。ついて行けて無いのだろう。
「恐らくお前の親父が首謀者かなんかなんだろうがな、お前はやりたくないんじゃないのか?」
「どうして?」
「やりたくてやってる顔じゃない」
「そんな事……」
「そもそもバンパイアの一族は争いが嫌いだと聞いている。過去一度も攻めた事がないそうだな」
「なんでそんな事知ってるの?」
「じいさんがバンパイアロードとやらと面識がある、そうだろうじいさん?」
「ああ、そうじゃの。大昔じゃがの、お主はヴィルハルト候の娘さんかい?」
アイシャは迷うが首肯する。
「まぁロードとやらがそう何人もいる訳じゃないだろうし都市を攻め落すなんて事実行に移せる者はその立場にいるものだろう。個体数が少ないとも聞いてるしな。それに他のバンパイアも見ないアイシャが危険な目に遭っていたにも関わらずだ」
「じゃあなんで急にその戦嫌いの親父さんが急にそんな行動を取った?」
「分からない……」
アイシャの頬から涙が伝う、零れた涙と共にアイシャが独白を始める。
「ある日突然人が変わったみたいになって都市を落として人を家畜にするって……」
「そうか……」
「それで私も学園に入って力をつけてた」
「あぁ、通り魔事件の」
「強くならないとお父様において行かれると思った」
「そうか……」
「だから私……怖くても必死に頑張った。学園に入って空いた時間で情報を集めて」
「ああ……」
「こんな事……したくなかった……」
「そうか……」
アイシャは泣く。今まで我慢していた影響か堰を切ったように。
ひとしきりため込んだ物を出したのかアイシャが若干の落ち着きを見せる。
「まぁ娘のお前にも人が変わったように映るなら入れ知恵された程度の話しじゃないんだろうな」
「え………?」
「洗脳やら操られてるやら、何かしらそういった事があったんだろう」
「誰に……?」
「さぁ?そこまでは知らん。これまでのものも推測でしかない、だがある日突然考えを180度改めました、なんて言うよりは可能性が高いんじゃないか?」
「そう……助けられる?」
「分からん。そういう事には詳しく無いからはっきりとは言えんが俺にはおじいちゃんの知恵袋がついてるからな」
「何それ?」
「あれ」
そう言ってレイスを指さす。
「方法はいくつかある。まずは生きたまま無力化する事じゃの」
「本当にあるのか、知恵袋は偉大だ。打てば響くな」
アイシャがほんの少しだけ笑う。
「ほ~。お前笑ってた方がいいぞ?」
「そ……そう……?」
「ちょっと~!」
レティが話しに割って入ってくる。見ると何やら睨んでいる。
「手! その手!」
グレイはアイシャが泣き出してから落ち着かせる為に頭を撫でていた。
指摘され顔を赤くするアイシャ。グレイはもう落ち着いただろうと手を離す。
「あっ……」
名残惜しそうに見られるがそろそろ先へと進みたい。
「良い子にしてたらまたしてやる」
アイシャはカクカクと首肯している。
「グレイが悪い人になってるよ~!」
レティはただ自分もして貰いたいだけだと思われる。
「さて、それでお前の親父さんは領主の館にいるのか?」
「そう、そこに一人でいる」
「一人?」
「都市の制圧はお父様一人で行った。私が力をつけた意味はあまりなかった……グレイにも勝てなかったし……」
「そうか、じゃあ後は親父さんを捕縛するだけだな」
それが難しい事だろうとグレイは理解している。街を一人で制圧するような男が相手だ。
「じゃあ行くか、アイシャ」
そう言ってアイシャへ手を伸ばす。
「いいの?」
「結末は自分の目で見たいだろう?」
アイシャは頷いてその手を取る。
グレイ達は領主の館へと向かっている。
そこにヴァンパイアロード――ヴィルハルト候が居る。
アイシャは立ち直ったようだ。悲しそうだった表情は消えているが元々そんなに感情を表に出す方ではないのだろう。伏せ目がちに着いてくる。
「それでじいさん。洗脳か何かにかかっているとして戦いながら解く方法はあるのか?」
「戦闘中というのはなかなか難しいの。その場合はショック療法位しかないじゃろう」
「ショックね……なかなか思いつかないな」
「全世界の父親共通のショック療法が一つあるのじゃよ」
じいさんがにやついている。あまり聞かない方が言いような気はするが敢えて聞く。
「どんな?」
「「娘さんを僕にくださいと」と言うのじゃ、その上接吻もあればかなりのショックじゃろうな」
やっぱり聞かない方がよかったと反省する。アイシャは頬を染めて俯きレティが頬を膨らませて不穏な空気を纏っている。
「ま……まぁそれは最後の手段にしておこう。ショックを与えるとすれば家族の事……それとバンパイア種に関しての事位か?」
「そうじゃのぉ、それくらいしかすぐには思いつかんのヴィルハルト候個人の事に詳しい訳でもないしの」
「アイシャ、バンパイアは影や幻覚を利用した魔法が得意な様だが親父さんの戦い方はどうなんだ?」
「お父様も同じ、影からの攻撃や幻覚の魔法を使う」
「幻覚の魔法というのはあまり戦闘のイメージがつかない。どうすればその魔法にかかるんだ?」
「バンパイアの固有魔法で目が赤くなって居る状態で目と目を合わせれば使う。でもグレイは気にしなくてもいいかもしれない」
「どうしてだ?」
「何度も魔法を使ったけど効果が無かった。魔力量に差があったからかもしれない。お父様位の魔力があれば分からないけど少なくとも私の魔法では効かなかった」
「そうか、それは試して見るしかないわけだな、その幻覚から回復させるには?」
「込められるものにもよるけど大抵の物は衝撃を受ければ回復する。でも無理なものもある」
「例えばどういうのだ?」
「死の暗示を持った幻覚、既に死んでいると錯覚させられた精神が体を殺してしまう。軽いものでも体を切られたと錯覚させられた精神が自分の体に傷を作る。かかってすぐに効果が出るものだから。幻覚で殺されれば本当に死ぬ。切り刻まれれば怪我をする」
「防ぐ方法はあるのか?」
「かかってからでは無理。目の前にある幻覚を本当に幻覚だと信じ込める位の精神力があればかからない幻覚の防御は意志の強さ次第」
「人は見たいもの見、見たくないものを見ない生き物じゃからの。自分の都合の良い幻覚なら大抵は受け入れてしまうものじゃよ。逆にそれが無理矢理に見せられた物でも受け入れてしまえばそれが現実となる」
「そうか、ひょっとして洗脳もそれに近いのか?その都合の良い幻覚に入り浸りになれば最早現実と幻覚に差はないだろう? なら洗脳したい方向への誘導するのも難しい事じゃないんじゃないか?」
「そうじゃ、洗脳の方法の一つじゃな、他にも記憶を改竄するものや――」
「難しい話しはやめましょう~!」
レティ様がご立腹だ。
「そ……そうだな……少なくとも戦闘中は難しいと言うのが分かればそれでいい」
「それより、レティあの羽は綺麗だったな」
レティに話しを振る、さっきから不機嫌なので機嫌を取っておいた方がいいだろう。
「え……そう……かな?」
「ああ、有翼人と言うのは良いものだな。あの羽を見ていると心が洗われる。」
実際あの姿を見ていなかったら止まらなかったかもしれない。
「グレイにだったらい……いつでも見せるよ?」
レティはもじもじと体をくねらせる。見てると少々気恥ずかしい。
「期待しておこう」
じーー
「アイシャ?」
アイシャが不機嫌そうに顔を背ける。
「あ?」
今度はアイシャの機嫌が悪くなった。理不尽だ。
「これ、若い性を迸らせるのは良いが着いたぞ」
そういってレイスは窘める。
皆の顔つきが変わる。扉の奥からは濃密な気配が漂っている。
グレイは先頭に立ち扉を開ける。
エントランスホールが視界に広がり……
眼の前には一人の男が立っていた。




