【06】-4
ゴロウさんはさっきと変わらずお座りの姿勢のまま、その円らな瞳の中にじっと俺を映していた。
「考えることが悪いとは言わん。じゃが、その考えの根っこにあるものを忘れてしまっては、いくら考えを育てたところで望む実は得られんよ」
「…考えの、根っこ…?」
まじまじとゴロウさんを見やりながら、言葉の形をなぞるように聞き返す。ゴロウさんはやっぱりじっと目に俺を映したまま、声を返した。
「ものを考えるはそれを思うが故。それを思うはそう願うが故。ああなりたい、こうしたい、そうであったらいい。形は様々でも、思考の根底に在るものは常にそのもの自身の願いじゃ。お前さんの願いは何じゃった? 考えの根っこ、はじまりの思いの種となったその願いは」
語りかけるように問われた言葉に、一瞬、頭のど真ん中が痺れた。
視線を合わせたまま、ゆっくりと瞬きをする。
見守るようにじっと見てくる黒い円らな瞳。焦げ付いたようにこびりついていた何かが少しずつ剥がれ落ちて、自分の輪郭がクリアになっていく。そんな気がした。
考えの根っこにある、はじまりの思いの種。
俺の、俺自身の願い。
その答えに、ただただ集中する俺と、そんな俺を黙って見守るゴロウさん。その包むような沈黙を壊したのは、フィーだった。
「何の話だ、誘いの御神。我が主がどうしたと?」
いつのまにやらシシィを撫でる手を止めて、こっちを見ていたらしい。動くことなくその場から目だけで詰め寄るフィーに、ゴロウさんが小さく笑って返す。
「いや、なに。これはわしらの領分じゃて」
その返事にフィーが気遣わしげな顔を俺に向けた。
吸い込まれそうに青い目。見方によっては水色にも見える銀色の長い髪。実年齢はともかく、見た目だけなら幼さが勝るその顔つき。俺は、それらを今一度確認するようにちょっと目視してから顔を逸らし、フィーの無言の問いを曖昧に流した。正直なところ、フィーに言える言葉がなかった。
顔を逸らし黙る俺とは逆に、ゴロウさんは声も朗らかにフィーのほうを向く。
「どうかのう、罔象三姫。真生殿を少しの間、わしに預けてみるというのは」
「え」
「何だと?」
思いがけない発言に、自然と声がフィーのそれと重なった。咄嗟に顔を向ければ、ゴロウさんはフィーではなく俺を見ていた。
「わしは今から子らを送りに行く。真生殿さえよければ、少し付き合うてくれんか?」
「送りに、ですか?」
これまた思いがけない誘いに、目を丸くして聞き返す。『何処へ』という疑問よりも、『何故』という驚きのほうが強い。
一方ゴロウさんは何でもないといった様子ではっはと口で息をしながら、やっぱり朗らかに言って返す。
「なあに散歩気分で良い。ちと話し相手が欲しいだけじゃ」
話し相手。その単語に心の針が大きく振れた。だけど、俺がそれに対し口を開くより早く、フィーが呆れた声を挟んだ。
「何を言い出すかと思えば。よもや、我らが冥界に入れぬことを忘れたか、誘いの御神」
声と同様呆れた顔をするフィーに、ゴロウさんが飄々として首を振る。
「まさか。わしとてそこまで耄碌しておらんよ」
「ならば…」
「だからじゃ。真生殿を『預かりたい』と申しておる」
「戯言を。かような場所に、こやつを一人で行かせるなど私が許すわけがなかろう」
「一人ではない。わしがおる」
「そんな問題ではない」
「では、どのような問題じゃね?」
ぴしゃりと言い放ったフィーに対し、ゴロウさんが畳み掛けるように言う。フィーは権高な顔で、当然と言わんばかりの声を返した。
「知れたこと。私の目が届かぬ場所で、万が一こやつに何かありでもしたら…」
だけど、その声は最後まで続くことなく、ゴロウさんに断ち切られた。
「真生殿は必ず無事にお返しする。わしに関わることで、爪の先僅かも損なわせぬと、ミトラを証に立てたはず」
今までになく厳としたゴロウさんの声色に、フィーの顔つきが俄かに厳しくなる。殆ど睨むようにしてゴロウさんを暫し見つめ、そこから何を得たのかは分からないものの、フィーは厳しい顔つきのまま、やっぱりきっぱりと拒否の意を示した。
「とにかく、駄目だ。こやつは私にとって、千より百より大事な一。そなたのミトラと引き換えでも、足りぬ」
その展開に、俺は思わず口を挟んだ。
「フィー、俺、」
「お主は黙っておれ」
そうは言われても、黙っていられない。諦めきれずに、再度口を開く。
「でも、」
「良いか、誘い。たとえ一時であろうと、我が傍からこやつを連れ離す事など…」
「フィー、聞いて。俺、行きたい」
俺を見ることなく、ただゴロウさんだけに向かって口を動かしていたフィーが、俺の言い分に一瞬止まった。そして苛々したように小さく息を吐くと、こっちを見、思いっきり苛立った顔と声を遠慮なくぶつけてきた。
「黙れと言うたが聞こえなんだか、お主は。そもそも、己が何処に行きたいと言うておるか知りもせぬくせに、何を阿呆なことを言うておる」
「そりゃどこ行くのかは知らないけど、でも行きたいんだ。ゴロウさんが一緒なら安全なんだろ? 危ないことはしないって約束する。ちゃんと指輪も自分も守るから、お願い。行かせて」
怒ったかのように眦を上げるフィーを前に、俺は必死に懇願した。早口になりそうなのを抑えて、それこそ一言一言に力を込めて頼み込む。
フィーが言うとおり、どこに行くのかなんて皆目分からないし、フィーがこんなに反対するくらいだから、きっと俺にとってあんまり良い場所ではないのだろう。それを理解した上で、それでも行きたいと強く思う。
行く場所に興味があるわけじゃない。ただ、『話し相手』。ゴロウさんが発したこの言葉が、すべての衝動の源だ。
ずっと、悩みを聞いてくれる人が欲しかった。何もかも分からない状況の中、不安や焦りを隠すことなく話してしまえる相手が欲しかった。
だけど、フィーにそれを話して聞かせるわけにはいかない。シシィはいつだってフィーの傍にいるし、そうじゃなくても今となってはシシィに、この気持ちをどう話したらいいのか分からない。
フィーでもシシィでもなく、俺と精霊の関わりを知っている相手。ゴロウさんは、まさにうってつけだ。しかも、よく分からないけどフィー達はそこへ行けないらしいから、俺にとっては更に好都合だ。
フィーのいない場所で、フィーと俺のことを知っている人と二人で話が出来る。
夢みたいだ。あまりに夢過ぎて、夢にも思っていなかった。こんなチャンス、二度とないかもしれない。
ゴロウさんが何をどこまで知っているか分からないけど、そんなことは関係ない。何も別に、皐月さんの代わりにゴロウさんに、不安を解決して答えを全部教えて欲しいなんて望んでいるわけじゃない。ただ、一人で対処するには絡まり過ぎた思考を一度整理するためにも、俺の思ってること全部、悩んでいること全部、誰かにぶちまけたくて、つまりゴロウさんは聞いてくれるだけでいい。俺は今、それだけでも充分救われる。
だけど、ある意味切羽詰った俺の願いは、呆気なく切り捨てられた。
「安全も危険も関係ない。私が駄目だというたら駄目だ」
断言するように言い、フィーが口を閉じる。これでこの話題は終わりだと言わんばかりに硬く閉じられた口元は、いかにも頑固そうで、俺は内心で焦りを覚えた。
俺としてはとにかく、何が何でも行きたい。というか、ゴロウさんと話がしたい。その気持ちをフィーにそのまま言えればいいのだけど、それが出来ない。一体どう言えば、フィーは了承してくれるのだろうか。
フィーが意地悪で反対しているわけじゃないのは分かっている。フィーからしてみれば、自分の目が届かない場所に指輪をしている俺を行かせることが本当に心配なのだろう。そう分かっていても、焦りのせいか、フィーの頑なな態度に段々腹が立ってくる。
大体こいつは俺のことを必要以上に心配しすぎだ。俺だって、フィーほどじゃないにしても、俺なりに指輪を守ろうと心がけているし、俺自身のことにしたって両親がくれた、ある意味形見であるこの体や命を粗末にする気もない。それに、愛されている自分を知り、自分もまた愛してくれる人と愛されている自分を愛すること、だっけ? 俺はそれを理解しているとフィー自身がそう言ってくれたんだから、いい加減もう少しくらい俺を信頼してくれたっていいだろうに。
そもそも何がそんなに心配なんだ、こいつは。別に俺一人で行くわけじゃない。ゴロウさんが一緒で、しかもゴロウさんは俺の安全に、ミトラとかいう大事なものまで賭けてくれている。それでも駄目なくらい、フィーを不安に駆り立てるものって何だ? 万が一、俺に何かあった時に自分が傍にいられないことか? ………あれ? でも。
俺は行き当たった疑問に眉根を寄せた。




