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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 2、青人草の章 ~
87/95

【06】-3


「人間とか精霊とか、そんなの……。大体、人間は人間同士が一番とか、そんなの誰が決めたんだよ」

 人の幸せは他人が決めるものじゃないし、本当に好き合っているなら、種別なんて関係ないはずだ。綺麗ごとだとしても、多分それは事実で、だから多分絶対俺は正しいことを言っているはずなのに、フィーのその目のせいで言葉に力が入らない。

 非難がましい上にどことなく負け惜しみのように響いた自分の声に、本心から言ったはずのことが口先だけの思考のように思えた。置き所のない決まり悪さに、やっと目線をずらすことが出来て、やや斜めに顔を俯かせる。

 フィーはそんな俺を変わらず見ながら、吐息を吐くようにゆっくり、柔らかな微笑を零した。

「……お主は優しいな」

 しみじみとしたその声に、ちらと目をあげてフィーを見る。フィーはやっぱり静かに微笑んで俺を見ていたけど、その目はさっきより更に酷く哀しそうで。俺は何も言えなくなるどころか、咄嗟に目を顔ごと下に向けてしまった。

「偉そうに言うておるが本当は私にも、実際にレネを前にしたら、この弱い心がどう動くか分からぬのだ。そうすべきだと、頭では分かっておるのだがな」

 下を向き黙り込んだ俺に向かって、フィーはどこか慰めるような口調でそう続けた。そして、苦笑するように小さく笑うと、俺の頭にそっと手を置いた。

「そのような顔をするでない。これは私とレネの問題であって、お主が心痛めるようなことは何もないのだから」

 優しい声で言い切って、良い子良い子と、フィーは俺の頭を撫でる。俺はもう何をどう思えばいいのか分からなくて、ますます顔をあげられない。

 確かにこれはフィーとレネの問題で、フィーとレネが決めることだ。それは分かっている。だけど、もし俺がレネだったとして。いつか、フィーを本当に本気で好きだと思う時が来るとして。俺なら、そこまで好きな相手のことを忘れたくなんかないし、それが本当に一番幸せな結果に繋がるとも思えない。でも。

 たとえ俺がレネであったとしても、それでも俺とフィーはやっぱり別の一であることには変わりはないわけで。シシィの考えや気持ちが分からないように、俺にはフィーの気持ちも分からないし、フィーにだって俺の考えや気持ちが完璧に分かるわけじゃない。だったら。

 一人がそうすべきと強く思っていることに対して、もう一人が違う考えをいくらぶつけたところで根本的には分かり合えないのなら、そんなことをすること自体、結局全部無意味なんじゃないのだろうか―――……。


 出口のない思案に一人、頭をぐるぐるさせながら項垂れる。フィーは何を思っているのか黙ったままで、ひたすら優しく俺の頭を撫でていた。その時。

「あああああっ!!」

 唐突に響いたシシィのばかでかい声が、俺達の間にあった微妙に沈んだ空気を消し飛ばした。

「何それ何それ銀の姫!」

 思わぬ大声で驚いて、咄嗟に出入り口に顔を向ける。一方、フィーはそっちには目をやらずに、ぼやくように低く呟いた。

「ああ、五月蝿いのが戻ってきよった」

 シシィはそれを無視したのか聞こえなかったのかは分からないけど、思いっきり不満顔でずんずんと部屋に入ってきた。よく見るまでもなく、その髪の毛がひゅうひゅうと風に巻かれるように逆立っているのが分かる。

「オレ、全然してもらってない! 人の子ばっかり、ずるいずるいずるいずるーい!!」

「喧しい。この程度のことで、気を乱すでない」

 何がそんなに不満なのか、徐々に強風を起こしつつあるシシィの喚きをフィーが低い声で一喝した。途端、シシィを包み始めていた風が止む。それでもまだ、不満極まりないといった具合に鼻に皺をよせ口を尖らすシシィに、フィーはいつもの権高な顔を向けながら、詰問するように尋ねる。

「それより、そなた。誘いの神は? まさか置いてきたのではなかろうな?」

「ここじゃよ」

 フィーの問いに身をもって答えるように、ちょうどよくゴロウさんが、ちょこちょこと歩きながら部屋に入ってきた。同時に、アオ達がぴょんとゴロウさんから離れて、一直線に俺の傍に飛んでくる。どうやら、ゴロウさんの背中に乗って移動してきたらしい。それぞれ意気揚々と「ただいま戻った」と言うアオ達に、「おかえり」と言って返す。

 そうして一気に賑やかになった部屋の中、ゴロウさんがちょこんとお座りをして、はっはっと舌を出しながら口を開けた。

「いやはや、皆のおかげ様様じゃ。これで、あの子達を送ってやれる」

 ありがとうございますじゃ。と、深々と頭を下げるゴロウさんに、櫛が無事に取り戻せたことを知るも、肝心の櫛が全く見当たらない。心の中だけで微妙に首を傾げつつも、慌てて俺も頭を下げ返す。

 その横でフィーはやっぱり権高な顔で、ゴロウさんに小さく頷いて返した。そしてその顔を、またシシィに向けた。

「そなた、少しは役に立ったのか? 嫦娥が怒る気配だけはしっかりと漂ってきたが」

「立った!」

 微妙に目を狭めて言うフィーに、シシィがいまだ不満顔のまま声を尖らせる。

「オレ、ちゃんとこいつら守って目的果たしたもん。あの女が怒ったのはあいつの勝手で、オレのせいじゃない」

「怒らすようなことを言うたかしたかしたのであろうが」

「だって、銀の姫別に、怒らせるなとは言ってなかったじゃんか」

 不貞腐れたように、シシィがぶすっとしてフィーを睨む。フィーはその睨みも権高な顔で軽く受け流すと、小さく息を吐いて、それから、表情を変えた。

「まあ、良い。確かに、ずっとしてやってなかったな。来い」

 さっきと違って優しげに目を細め、声も優しくフィーがシシィに向かって手を伸ばす。

 途端、シシィの顔がぱああっと華やいだ。それはもう、見ているこっちが思わず絶句してしまうほど、物凄く嬉しそうに。そして、その顔のまま身を屈めると、素直にフィーへと頭を傾けた。

「ようやってくれたな。ありがとう」

 言いながらフィーが、ちょうど俺にしていたようにシシィの頭を撫でながら、よしよしと微笑む。シシィは心底嬉しくてたまらないといった表情で、その感触を噛み締めるように目を閉じている。まるで、子供を褒める母親と、母親に褒められて喜ぶ子供そのものだ。見た目は二人とも十代の少女と少年だけど。

 俺はその光景を前にちょっと唖然としつつ、一方でまた、胸の奥が嫌な感じに重くなるのを感じた。

 今目の前で嬉々とした表情を浮かべているシシィに、演技とか嘘とか、そんなものは少しも見受けられない。やっぱり全部俺の早とちりなんじゃないかと、そう思ってしまいたいのに、その心の裏で、辻褄の合わない事実が重く圧し掛かって邪魔をする。


 シシィは何を思ってああして今、フィーの傍で、あんな顔をしているのだろう―――……。


 考えたって分かるはずもないのに、再び頭がぐるぐる回り始める。と、不意に、指先にとんっと何かが当たった感覚がした。見れば、胡坐をかいた俺の足元近くで、アオが仰け反るようにして俺を見上げていた。

「ご主人様。アオもよくやった。風の息子焦がそうと思ったけど我慢した」

 飛べばいいのに、後ろに倒れそうになりながらも一生懸命俺を見上げ言うアオに続いて、アカとキイロも同じように主張する。

「アカも。風の息子灰にしたかったけど我慢した」

「キイロも。キイロもよくやった。ご主人様」

「アオ達、ご主人様の言いつけ守った。よくやった。ご主人様、嬉しい? アオ達、偉い?」

 その言葉にようやく、アオ達が何を求めているか分かって、自然と口元が緩んだ。多分、シシィを見て羨ましくなったのだろう。というか、もしかして精霊界ではこれがご褒美なのか? よく分からないものの、一途に見上げてくるアオ達のいじらしさに、これまた自然と優しい声が出る。

「嬉しいよ。ありがとう。我慢できて偉かったな」

 労い答え、潰さないように注意しながら指で順番にアオ達の頭を撫でる。実際は撫でるというより、ちょんと軽く突く感じになってしまったのだけど、アオ達は満足してくれたようで、それぞれその場で踊るようにくるくる回ったり跳ねたりしてはしゃぎ出す。俺は笑ってその姿を眺めているフリをしながら、胸の奥にどよんと重く圧し掛かったまま居座り続ける感情に、ひっそりと溜息を吐いた。

 色々とぐるぐる空回りし過ぎて縺れて混乱して、考えること自体もう疲弊していた。

 いくら考えたって自分以外の誰かの気持ちなんて分からないのがこの世の真理なら、考えたって無駄だし、自分の気持ちを誰かに分かってもらおうとするのも無駄。それなら最初から、自分の気持ちも相手の気持ちも無視して何も考えないで生きたほうがいいんじゃないか。なんて、そんなことをぼうっと、でも割と真面目に思った。時だった。

「受け取るものが多いとはいえ、頭の中だけで考え過ぎじゃ。そりゃあごちゃごちゃになって、嫌にもなろう」

「…え?」

 俺の頭の中をそのまま見透かしたような突然の言葉。俺はやや目を見開いて、声の主、ゴロウさんを見た。




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