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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 2、青人草の章 ~
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【05】-6


 そんなはずないと否定する気持ちの裏側で、疑心が確信へと色濃く変化していくのを止められない。だって、考えれば考えるほど、辻褄があう。

 櫛が絵の中にあることや、そこに描かれているものの内容も、俺の小さい頃のことも、アオ達のことも、その全部を詳細に知りえるのは、一人だけ。皐月さんしかいない。

 直接皐月さんに会って、本人から話を聞いたのだとすれば、何も不自然じゃないし、それで全部辻褄があってしまう。

 だけど、皐月さんからそんな話を聞けるということは、シシィが皐月さんとずっと前から通じているということで。そして、それはつまり、シシィが、フィーに暗示をかけ続けている人達と通じているということだ――――。

 どうして。シシィは、フィーの弟みたいな存在じゃなかったのか?

 ずっと、ずっと大昔から一緒にいて、くだらないことで遠慮なく喧嘩したり、助け合ったり笑いあったりして、互いに一番近い存在なんだと思っていたのに。そうじゃなくても、フィーはあんなに、素直に弱さを見せるほど、少しの曇りもなく信頼しきっているのに。どうして、シシィが。

 いや待て、落ち着け。まだそうだと決まったわけじゃない。そうだよ、もしかしたらシシィには、俺の知らない不思議な力があって、それで知ることが出来たのかもしれないじゃないか。

 懸命に自分にそう言い聞かせるけど、裏切られたようなショックが勝手に先行してしまって、思考も感情も上手くコントロール出来ない。

 もはや見慣れた派手なオレンジ色の髪。線の細い少年の姿をした、自由で無邪気で、落ち着きもなければ遠慮もない、風の精霊。いつのまにか、気のおけない友達のように感じていた、のに。

 多分シシィは、皐月さんに会いに行っていたのだ。いなくなっていた、あの間に。

 そこで皐月さんから絵の話を聞いて、ゴロウさんを連れて戻ってきた。俺ではなくゴロウさんに、櫛を取り出させるために。そう考えるのが、一番説明がつく。

 きっと皐月さんから頼まれたに違いない。俺を危険から遠ざけるように。いいや。皐月さんだけじゃない。

 『来るべき時』とやらのために、フィーに暗示をかけ続けている人達からも、頼まれているんだ。その時まで、何事もなく無事に俺がフィーといるように……。………ああ。もしかして、監視役だったのか、シシィは。今までずっと、俺達の行動を監視する目的で………。


「私は、行かぬほうが良いであろうな」

「そうじゃの、それが賢明じゃろう」

 確認するようにフィーが言って、ゴロウさんがはっはと口で息をしながら頷く。俺は殆ど茫然自失状態で、ただシシィを見ていた。

「あれはあの姿に変わってからというもの、美しい女を殊更憎悪するようになった。罔象三姫は、姿を見せぬほうがよかろう」

 ゴロウさんの答えに、フィーがシシィに顔を向ける。俺は、はっとしてフィーを見た。

「シシィ、そなたが供をせよ」

 微塵の疑いもないその顔。フィーは、何も気づいていないんだ。そうだよな。気づくわけがない。フィーはシシィを信頼しきっているんだから。

 一方シシィは、思い切り鼻に皺を寄せて、この上なく嫌そうな顔をして返した。

「はあ? なんで?」

「誘いの神を単独で行かせて、もし何かあったらどうする。私では悪影響を及ぼしかねぬし、その点、そなたならば嫦娥に捕まることもないし、何かあっても対処出来よう」

「やだね、断る。オレ、あいつ嫌いだし」

「そなたの好き嫌いなど聞いておらぬわ。ぐだぐだ言わずに、誘いの神の供をせよ」

 迷いのない命令口調のフィーに、シシィが大きな溜息と一緒に面倒くさいといわんばかりの声を出す。

「はいはいはいはい、分っかりましたよー。ったく。なんでオレが、天のやつらまで守ってやらなきゃいけないんだか。大体、銀の姫は人使いが荒いんだよ。そりゃあオレは、お前のためなら何でもするけどさあ。だからって、自分の手足みたく好き勝手動かせると思ったら大間違いなんだからなー」

「何を阿呆なことを。誰もそのように思ってなどおらぬ。第一、私の手足は文句など言わぬし、もっと素直に動く」

「あー、そうですか、それはそれは、すみませんでしたー」

 ぶつぶつと文句を言いながらも、言われた通り、お供をする気なのだろう。シシィがゴロウさんに近寄る。当然、俺との距離も近くなる。

 フィーとの会話も、そこに見せた表情も、いつもと何ら変わらない、いつも通りのシシィで。なのに。見慣れた、不貞腐れたようなその顔に何を思えばいいのか分からない。

 言葉もなくじっと見ていると、不意に、シシィが視線を俺に向けた。

 これまで頑なに俺と目を合わせようとしなかったことが嘘みたいに、何の抵抗もなく、緑色の目が真っ直ぐ俺の顔を映し出す。知らず知らずのうちに、俺は縋るようにその目を見ていた。

「おい。人の子一号。ぼけっとしてないで、クソ火共にオレらを案内するよう命令しろ」

 目を合わせたまま表情を変えることなく、シシィが素っ気無く言う。俺は暫く喋っていなかったせいか、いやに喉が詰まって咄嗟には声が出ず、慌てて一度唾を飲み込んでから頷いて返した。

「、うん。アオアカキイロ、シシィとゴロウさんを絵のところまで案内して、お願い」

「ご主人様のお頼みとあらば~」

「あらば~」

「あらば~」

 ぴょこぴょこ跳ねながら了承の意を示すアオ達に一度顔を向けて、再びシシィに視線を戻す。だけど、その時にはもうシシィは、視線を俺からゴロウさんに移していた。ひょいっと片手で軽々しくゴロウさんを抱え、こっちに背を向けたシシィが、戸口に向かって足を踏み出す。

 瞬間、考えもなしに俺は、その背中に手を伸ばしていた。

「なんだよ?」

 突然後ろから腕を捕まれたシシィが、怪訝さを隠そうともせず、振り返る。

 何の言葉の用意もなく殆ど衝動で動いた俺は、不自然なところなんかひとつもないその声と目を前に、胸に渦巻く疑問をぶつけることなど出来るはずもなく。

「…いや……、何でもない。……気をつけてな」

 じっと顔を見たまま、萎れた声でそれだけ言って、のろのろと手を放す。

 シシィは、眉を器用に左右違う形に歪め、少し俺を見た。そうしてから、その口端をにやりとあげた。

「ばっかじゃないの。このオレ様が、神魂崩れごときにどうこうされるわけないじゃん」

 余裕綽々の顔で不遜なことを言ってのけるシシィに同調して、フィーも横から口を挟む。

「そうだぞ、真生。シシィはこう見えて、強いし機転も利く。心配いらぬ。むしろ、心配なのは誘いの神のほうだ」

「ほっほ。わしなら大丈夫じゃ。万が一の時は、風伯殿が身を挺して守ってくださるじゃろうしなあ」

「調子のんなよ、古神が。銀の姫の頼みじゃなかったら、お前なんてオレはどうなったって構わないんだからな」

「おお、こわい、こわい」

 シシィに小脇に抱えられたまま、言葉とは裏腹に朗らかにゴロウさんが笑う。

 俺はとりあえず一旦気を取り直して、視線をゴロウさんに向けた。

「ゴロウさん、すみません。結局俺、何も手伝えなくて。上手くいくよう祈ってます。どうか、お気をつけて」

 正直、どうやって絵の中の女の人から櫛を返してもらうのか、それは想像もつかないけど、フィーが俺には手に負えないと判断したことや、シシィにゴロウさんのお供を命じたことからも、かなり危険なんだろうことは想像できる。何事もなく無事に、櫛を返して貰えればいいのだけど。

「それから、お前達も気をつけるんだぞ。シシィやゴロウさんの言うことを聞いて、危ないことはするな。いいな?」

 言いながらアオ達にも視線をやれば、アオ達はくるくると輪を描いて飛びながら、口々に言葉を返した。

「心配ない、ご主人様。アオ、危なくなったら風の息子踏みつけて戻ってくる」

「アカは、蹴飛ばして戻ってくる」

「キイロは、噛み付いて戻ってくる」

「言ってろ」

 それに吐き捨てるようにシシィが言って、じゃあなと軽く片手をあげ、改めて戸口に向かって歩き出す。

 部屋を出て行くその後姿に、肝心なことは何ひとつ訊くことも出来ないくせに、引き止めたい気持ちだけが焦燥感を駆り立てる。

 信じているから。なんて、嘘くさいことを言う気はない。だけど、だからって、信じていないわけじゃない。むしろ、信じたい。シシィがいるのは、純粋にフィーのためだと、あちら側の人達とは関係ないと、そう信じたい。

 そんなことを考えながら、いつまでも未練たらしくシシィ達が出て行った戸口のほうを見ていると、不意に、小さく笑う声がした。見れば、フィーが俺を見ながら、可笑しそうに口元を歪めていた。

「…なに?」

「いや、お主があまりに気が気でないといった顔をしておるゆえ、面白うてな。お主がシシィの身を、そこまで案じるとは思わなんだ。いつのまに、かように仲良くなったのだ?」

 どうやらフィーは俺の態度を見て、単純に心配だと受け取ったらしい。にまにまと笑いながら訊いて来るフィーに、複雑な気持ちを抱えたまま、俺は言葉を濁した。

「別にそういうわけじゃ……」

 自然とやや俯き加減になった俺の頭に、その時、ぽふっと柔らかい手の感触が乗っかった。目だけ向ければ、フィーがいい子いい子するように俺の頭を撫でながら、微笑んでいた。

「心配いらぬ。シシィは、大気の母の愛息子。その力の多くを受けておる。信じて待っておればよい」

 信じて待つ。その言葉と、フィーのその、疑い一つない、純粋な信頼しかない表情に、胸の奥がもやもやと濁っていく感覚がした。何とも言えない息苦しさに、頭の上の手を払いのけることも忘れて、下を向く。

「どうした? 大丈夫だと言うておろう。まさかの時は、私が出る。それで多少面倒なことになったとしても、私はこの星において最も古く、また最も強い一族の一人。お主が案じることなど、何もない」

「………そうじゃないんだよ」

 やっとの思いで喉から捻り出したのは、蚊の鳴くような声だった。さすがに聞き取れなかったのだろう、フィーが微かに首を傾げるのが気配で伝わる。

 言ってしまいたい。皐月さんのことも、暗示のことも、シシィのことも、俺達に纏わること全部、何もかも打ち明けて、答えのない悩みを一緒に背負ってほしい。フィーの声がいつになく優しく響いて、そんなことをつい、思ってしまう。

 だけど、ダメだ。フィーに余計な不安を与えることは、絶対にしちゃいけない。フィーの精気は、感情や衝動に弱過ぎるから。事実を知って、それでまた、精気が腐るようなことになったら、今度こそフィーは消えてしまいかねない。

 それに。

 精気が腐る云々の前に、シシィがもし本当に、監視役として俺達の傍にいるのなら、その事実は、フィーを間違いなく傷つける。信頼しきっているシシィにそんな裏があったら、フィーがどれだけ傷つくか。フィーの、今にも零れ落ちそうな涙で膨れ上がった目なんか、もう見たくない。あんな顔も、そんな辛い思いも、させたくない。

 やっぱり、気づかせるわけにはいかない。それが事実であろうとなかろうと、フィーにだけは。

 フィーは、何も知らなくていい。それで笑っていてくれるなら、それで。

 それが俺のエゴだとしても、フィーだけは、俺が………。

「真生?」

 気遣うように、横から覗き込んでくる二つの青に、僅かに目を閉じた。ぎゅっと、でも気づかれないようにそっと、握り締めた手のひらに力を込める。

「何でもない」

 不自然にならない程度に明るくそう返しながら顔をあげて、俺を見ている青い目に、出来るだけ軽やかに笑ってみせた。

 フィーは、俺が守る。




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