【05】-5
言いながらも、嬉しさに自然と湧いてくる笑みを、隠すことなく真っ直ぐシシィに向ける。
もしかしたら、シシィはもう俺には姿を見せてくれないかもしれない。フィーは否定したけど、俺はそんな不安を拭いきれていなかった。だから、まるでずっとそこにいたかのような顔で、ゴロウさん片手に立っているシシィを見て、本当にほっとしたし、嬉しかった。
シシィは初めて会った時から、無邪気なんだか何も考えていないんだか、とにかく何かにつけ無遠慮で、その上、すぐ物を壊す困ったやつだけど、でも、いないと気になるし、会えなくなるかもしれないことを考えると、何より寂しさが先にたつ。いつのまにか俺は、自分で思っている以上に、シシィを好きになってしまっているらしい。
だけどシシィは、そうやって笑顔を向ける俺をちらっとだけ見て、すぐさま顔ごと、ぷいっと目を逸らした。どうやらまだ、わだかまりが完全にとけたというわけではないようだ。まあ、そう簡単にとけるようなものではないだろうけど。
一方フィーは、澄ました顔をシシィに向けながら、片眉を上げてみせた。
「おや、シシィ。もうこの家には来ぬのではなかったのか?」
半分からかいの混じったフィーのその口調に、シシィはあからさまにぶすっとした顔をした。
「頼まれたんだよ。こんな小さい犬の子の体したこいつだけで、風の道行かせるわけにもいかないだろ。そうじゃなかったら、誰が来るかよ、こんなところ」
抱えていたゴロウさんを下に降ろしながら、シシィが顔同様に不貞腐れた声で、ぶつぶつと愚痴るように言う。と、途端にアオ達が、止める暇なく揃って憎まれ口を叩き出す。
「じゃあ、とっとと帰れ、運び屋。二度と来るな」
「二度と来るな」
「二度と来るな」
「おい、黙れ」
俺は慌てて、アオ達を強く叱った。
「喧嘩売るなって、さっき言ったばっかりだろうが」
「喧嘩売ってない。嘘偽りない気持ちを悪意と一緒に言っただけ」
「言っただけ」
「言っただけ」
「…それを喧嘩売ってるって言うんだよ……」
それぞれ戯れるようにくるくる回りながら、悠然と言って返すアオ達に軽く辟易する。そうしながらも、珍しく何も言い返してこないシシィが気になって、そろりとそっちを窺がえば、一瞬確かに目があったにも関わらず、シシィはまたもや、ぷいっとそっぽを向いてしまった。俺……、というか人間に対して許しがたい思いがあるのは分かるけど、こうまで徹底してそっぽを向かれると、さすがにちょっと傷つく。
微妙に苦い気分を抱えていると、いつのまにか俺の足元まで移動してきていたゴロウさんが、顔を上げて口を開いた。
「道中、風伯殿から聞きましたぞ、真生殿。火の童達の主になったとか。わしのために、とんだ迷惑をおかけしてしまったようで申し訳ない」
その声に、俺は意識をシシィからゴロウさんに向け変えた。両膝をつき、座ってゴロウさんと向かい合う。
「いえ、迷惑も何も、アオ達のことは自分で決めたことなので」
ありのまま素直に答えれば、ゴロウさんは微笑むように、円らな目を柔らかく細めた。
「しかし昨日の今日で、櫛の在り処を見つけてくださるとは、さすが、罔象三姫の主殿じゃ」
その言葉に今度はアオ達が、意識をシシィからゴロウさんに向け変えて口々に言う。
「姫様だけじゃないぞ、古神。おいら達のご主人様でもあるんだぞ」
「だぞ」
「だぞ」
「おお、そうじゃったな」
ぴょんぴょん跳ねながら、俺とゴロウさんの間に割って入って主張するアオ達に、ゴロウさんが優しい顔と声を向ける。俺は、ついさっき手に入れた情報をゴロウさんに伝えるべく、口を動かした。
「でも、アオ達が言うには、その櫛、絵の中に、」
「それも聞きましたじゃ」
「え?」
最後まで言うことなく返ってきた答えに、思わず一瞬止まってゴロウさんを見つめた。
ゴロウさんは、瞬間止まった俺をどう解釈したのか、首をゆっくり左右に振って、安心させるように優しく続ける。
「なあに、心配要らんよ。嫦娥が櫛を持っておるのなら、わしが直接会って返して貰えば良いだけのこと」
「やはり、嫦娥か。なんとまあ、厄介なものばかり所持しておるのだ、皐月は」
ゴロウさんの言葉を受けて、フィーが横から溜息混じりの声を響かせた。ゴロウさんは、はっはと口で息をしながら、朗らかな声を返す。
「嫦娥とあれは、何かと縁が深いからのう。まあ、一方的ではあるがの」
「しかし、いくらそなたが天に還るものといえど、嫦娥相手ではまとまる話もまとまらぬのではないか?」
「むしろ、天に還るものだからこそ、問題だろ。あの女の場合、何を交換条件に出してくるか、分かったもんじゃないし」
案じるようなフィーの声に続いて、それまで黙っていたシシィも、気がかりそうに眉を寄せて口を挟む。ゴロウさんは、にっこりと笑うように柔らかく口端を広げた。
「心配めさるな。あの類の女の扱いは心得ておる。その手の経験でいうなら、風伯殿より、わしのほうが豊富じゃ」
笑ってそう言いながら、くるりとシシィのほうを向いたゴロウさんに、シシィが口をへの字に曲げつつ、軽く肩を竦める。
俺はそんな三人の会話を聞きながら、釈然としない事柄に、一人ずっと戸惑っていた。
だって、おかしい。どうして、話す前からゴロウさんが知っているのだ。ここに来る途中で、シシィから聞いた? そんなはずない。だって、櫛が絵の中にあることをアオ達が教えてくれたのは、シシィがいなくなった後だったはずだ。いや、絶対そうだった。だから、シシィが知っているはずがないし、だからゴロウさんにだって話せるはずがないのに。なのに、なんで………。
( その絵の女に魅入られたら最後、お前、精全部吸い取られて死んじゃうんだよ )
そうだ。さっきのシシィの第一声。落ち着いてよく考えれば、あれも変だ。どうして戻った直後のシシィに、俺達が話題にしてた絵の女の人のことを言い当てることが出来たんだ? ずっとこの場にいなかったのに。会話に加わっていたわけじゃないのに。
どういうことだ。どうして分かる? なんで知っている? 櫛が絵の中にあるらしいことも、その絵に何が描かれているかも、普通に考えて分かるようなことじゃない。皐月さんしか知りようもないはずのことを、なんでシシィが。まるで当然みたいに、それこそ、最初から全部知っていたみたいに―――……。
( 今更だよ。オレ、知ってるもん )
ふと、自分の考えと重なって蘇った、いつかのシシィの言葉に、頭の中心がすうっと冷たくなるのを感じた。体の感覚をここに残したまま、意識だけが、あの夜のあの海辺へと戻っていく。
( 本当は全部。ぜーんぶだよ )
―――違う。
まるで答えのように明確な形を持って浮かんできた疑いを、俺は心の中で全力否定した。
だってあの言葉は、確かめたわけじゃないけど、でもあれは、フィーと白の姫達との確執についての言葉だったはずだ。だから、違う。それに、シシィはフィーの………。
………だけど。でも。
そうだ。改めてじっくり思い返してみれば、おかしなことは他にもある。
( お前、男親に似てきたな )
あれも。
( お前、こいつらがなんで閉じ込められてたかも知らないくせに )
あれも。
どうして、その時気づかなかったんだろう。どう考えても、おかしいのに。
似てきたと言えるということは、似ていなかった時を知っているということだ。どうしてシシィが、似ていなかった時期の俺を知っている? 知っているはずがないじゃないか。俺が母さんにそっくりだと言われていたのは、小学生の頃までだ。そんな頃の俺を、シシィが知ってるはずがない。なのに、なんで。アオ達のことも、そうだ。知らなくて当然なのに、どうして、自分は知っているみたいな言い方をする? なんで、どうして、シシィが知っている?
( 今更だよ。オレ、知ってるもん、本当は全部。ぜーんぶだよ )
――――まさか。
そんな。シシィは、だって、フィーの。




