【02】-4
そうだ。よくよく思い返してみれば、さっき、ゴロウさんは、『初代の血を継ぎ、城戸の姓を持つ者』が、代々櫛を保管してきたと言った。その一方で、俺のことは、『同じ血を受け、城戸の姓を名乗る一人』と言った。あの時は、『伝家の秘宝』という言葉に興奮して、気にも留めなかったけど、血を『継ぐ』と『受ける』、この言葉の違いは何なんだ? なんで、わざわざ言い換える必要がある?
本当にうちにその櫛があるなら、今現在、それを保管しているのは、ほぼ間違いなく皐月さんだ。俺と皐月さんは二人きりの家族で、だけど俺は、そんな櫛見たことも聞いたこともないのだから、皐月さんしかいない。それに、ゴロウさんも櫛を返してもらうために最初、皐月さんのところに出向いている。皐月さんが、『初代の血を継ぎ、城戸の姓を持つ者』と考えて妥当だろう。
でも、皐月さんと俺は、叔父と甥だ。当然、血が繋がっている。皐月さんに初代の血が流れているなら、俺にだって流れているはずだ。なのになんで、皐月さんは『継ぐ』で、俺は『受ける』なんだ? そこに言葉通りの、いや、言葉以上の意味があるとするなら、皐月さんは―――……。
( なんにせよ、お主の叔父は、人間にしておくには勿体無いほど良いものを持っておるぞ )
研ぎ澄まされていく思考の上、飛ぶ鳥の影のごとく、一瞬さっと過ぎったその記憶に、俺は反射的に顔をフィーに向けた。蘇る会話に、知らず知らず眉が険しくなる。
あの時、フィーと俺は、魂の話をしていた。レネの話から始まって、魂の形の話になって、それで、皐月さんの魂について、フィーがそう感想を述べた。
フィーには、魂の形が見える。もし俺の考えが当たっていて、皐月さんが孕魂ってやつで、その魂の中に、神様でも何でもとにかく、別の魂を宿している人だとするなら、フィーには分かるはずだ。だけど、フィーはあの時―――…。
確信の一歩手前で立ち塞がる疑問に、俺は、フィーに向けて口を開きかけた。だけど、俺とほぼ同時、いや、少し先に、シシィのほうが早く口を開いた。
「で、その我が子同然の孕魂持ちに、櫛を預けたのは、なんで?」
「何故じゃったかのう。何か理由があったような気もするし、なかったような気もするし。もしかしたら、他に残してやれるものがなかったからかもしれん。もう、忘れてしもうた」
首を左右交互に捻りながら、ゴロウさんが言う。それに対して、今度はフィーが口を開く。
「では、何ゆえ今更、その櫛が必要なのだ?」
「送ってやりたい子らがおるんじゃよ」
「そなたの血筋か?」
「そうなる」
フィーの問いにゴロウさんは、こくりと神妙に頷いて返した。口を開くタイミングを逃した俺は、大人しく口を閉じ、会話を聞きながらも、ひたすら自分の思考に忙しかった。
あの時、フィーは、孕魂のよの字も言わなかった。わざと俺に孕魂のことを隠す必要は、フィーにはない。やっぱり、皐月さんは孕魂とは違うのだろうか。皐月さんが孕魂なら、初代の血を継ぐって言葉も納得出来るし、皐月さんや俺自身に関する疑問やら不安やらを解く鍵に、少しはなるかと思ったのに。
「送るくらい、櫛なんかいらないだろ」
「いやはや、それがそうもいかんのじゃよ。なんせ、自分の物がそこにあると判っておるのに、それがどこかも判らない始末じゃからのう。わしも、そろそろ再滅が近いんじゃろうて」
「なあに言ってんだよ、たかだか一万とちょっとくらいのひよっこが。神気の隠しすぎで、鈍っただけだろ、単純に」
「ほっほっほ。風伯殿にそう言われては、返す言葉がないのう」
呆れたふうに鼻に皺を寄せたシシィの言葉に、ゴロウさんが柔和な声で笑う。フィーは黙って少しゴロウさんを見てから、やや目を伏せるようにして、湯飲みを口に運んだ。
俺は、それを見るでもなく眺めつつ、内心で、思考の空回りに意気消沈して肩を落としかけていた。だけど、そうやって静かに目を伏せたフィーのその表情に、はたと自分の思考の穴に気づいて、思わず、舌打ちしそうになった。
皐月さんが何かなんて、フィーが分かるはずがない。何であれ、皐月さんは、フィーに暗示を掛けている側の人なのだ。少なくとも、俺が最初に会った時にはもう、フィーは暗示を掛けられた状態だった。暗示が解けて、フィーが本当のことを思い出すのを良しとしない人達が、フィーに皐月さんの本当の正体なんか分からせるはずがない。いくら魂の形が見えたところで、暗示がある限り、フィーの目に映る皐月さんは、暗示によって塗り替えられた記憶を基にした皐月さんでしかないのだ。
結局どうしたって、本当のことは何も分からないという答えにしか、俺は辿り着けないのか。どれだけ躍起になって考えても、いつもいつも、行き着く先は、どんづまりだ。不安も焦りも心配も苛立ちも、何一つとして、解決の糸口すら見えやしない。
どこにもぶつけようのない腹立たしさに、鼻で大きく息を吐く。ささくれ立った感情のまま乱暴に湯飲みを掴み、お茶を喉に流し込んだところで、フィーが、くるりとこっちに顔を向けた。
「どうする、真生」
「え、どうするって?」
意図したわけじゃなく、声がぶっきらぼうになってしまった。フィーは気にすることなく俺を見ながら、いつも通りの口調で、言葉を続ける。
「誘いの神に協力するか、否か。お主の身の守りには誓いが立っておるし、私としては、レネ探しが疎かにならないのであれば、どちらでも構わぬ。お主が決めよ」
あっさりと言いきるフィーに次いで、ゴロウさんが俺に向かって、深々と頭を下げる。
「お願いしますじゃ、真生殿」
小さな頭を炬燵机につけるようにして頼むゴロウさんのその姿に、俺は慌てて気持ちを入れ替えた。
今は、自分のことで腐っている場合じゃない。というか、腐っていても仕方がないのだ。いくら思い悩んだところで、何が変わるわけじゃなし、分からないことは分からない。だからこそ、三月のあの日、電話を最後に皐月さんが消えて、俺がフィーを裏切ったあの日、俺は、俺が出来ることを頑張ろうと決めたのだ。
今目の前に、助けを求めて頭を下げている人がいる。まあ、人っていうか神様だけど、それはさておき。困って俺を頼ってきた相手を無碍にして、それで何を頑張っていると言えるだろう。正直、皐月さんじゃなく俺で、本当に役に立てるのかという心配がないわけじゃないけど、可能性でも俺に出来ることがあるなら、頑張るしかない。
気を引き締めて、両手を膝の上に置いた。顔を上げて縋るような瞳を向けてくるゴロウさんに、しっかりと視線を返しながら口を動かす。
「お話は分かりました。でも具体的に、俺は何をすればいいんでしょう?」
「櫛を見つけて返してくだされば、それで充分。用が終われば、櫛はまた、そちらにお預けすると約束する。けして、このことで、真生殿や現当主である叔父御殿に、害が及ぶようなことはありゃあせんですじゃ」
はっきりしたゴロウさんの返事に、少し安心して頷いた。もしも、その櫛を返してしまうことで皐月さんに何かあったら困ると、次にそのことを訊くつもりだった。その心配がなくなったなら、確認することは、あとひとつだけだ。
「あと、その、俺がこんなこと言うのも変かもしれないですけど」
続きを待ってじっと見てくるゴロウさんを真っ直ぐ見つつ、念を押すように強く言う。
「フィー達にも、害は何もないですよね?」
口に出した瞬間、ぽかんと、何とも間の抜けた空気が部屋に広がった。
呆気に取られたように、舌を出したまま目をぱちくりさせるゴロウさんは勿論、左右両脇にいるフィーとシシィの唖然とした視線も、何気に痛い。ある程度予測はしていたけども、ここまで予想通りの反応を返されるとは。
まあ、守ってもらうばかりで自分のこともろくに守れない俺が、フィー達の心配をするなんて、目も開いていない子猫が、成獣ライオンの心配をするようなものだから、三人の反応は正しいと言えば正しいのだけど。でも、フィーは勿論、シシィも、俺を守るために結界を張ってくれている。俺の選択や行動で、万が一、二人に何かあったら嫌だ。俺には守る力がない分余計、気になることは、はっきりさせておいたほうがいい。
真っ直ぐ俺の視線を受けていたせいか、呆け状態から一番に回復したゴロウさんが、その大きな瞳に俺を映したまま、にっこりと笑うように柔らかく口端を広げた。
「安心めされよ。そのようなことは、誓ってない」
労わるような優しい声で、でもゴロウさんはきっぱりと言った。それに安堵して頷く。と、ようやく呆け状態から戻ったらしいシシィが、左から呆れ果てたと言わんばかりの声を寄越す。
「お前、バッカじゃないの。仮にもオレは風の息子で、銀の姫なんて、水の姫なんだぞ? 神や人の子じゃあるまいし……」
「はいはいはいはーい。人の子ごときが、偉大な精霊様を心配したりしてすみませんでしたー」
「うっわ、むっかつく。なんだよ、その喋り方」
「シシィの真似ー」
やいやい五月蝿いシシィに、その口調を真似て軽く笑う。そんな俺達を少し見た後で、ゴロウさんはやや細めた円らな瞳をフィーに向けた。
「良き主殿じゃのう、罔象三姫」
フィーは、少し息を溜めてから、それを吐くようにして声を返した。
「阿呆だがな」
俺は意図的に、フィーのほうを見ずにいた。気配というか感覚で、フィーが俺を見ているのは分かっていたけど、顔を向けられなかった。声だけで充分、フィーが、誇らしげに子供を見る母親のような表情を、その目に浮かべているのが伝わってきたからだ。
俺のことが、我が子のように可愛くて大事。三月のあの一件以来、フィーは度々その感情を素直に、その目の青に浮かべるようになった。俺も一応成人している身だし、たまに精神的に俺より幼いフィーから子供扱いされるのは、正直、ちょっと面白くない。でもまあ、何十億年生きてきたフィーから見れば、たった二十歳の俺なんて赤ん坊みたいなもんだろうし、実際、俺は守ってもらう側なのだから、仕方がないとも思う。
だけど、いくら心でそう割り切っても、その感情がはっきり滲んだフィーの目を正視するのは、なんというか、気恥ずかしくて出来ない。フィーはいつ何時でも、権高に澄ました小生意気な顔をしていてくれないと、困る。
「それで」
場を締めるようなゴロウさんの声に、自ずと伏せがちになっていた顔を上げて、目を向けた。
「引き受けて貰えるじゃろうか? 真生殿」
「はい」
ゴロウさん、フィー、シシィ。三人の視線を一身に浴びながら、大きく頷く。誰にも害が及ばないなら、問題はない。息を吸って、お腹から強くはっきり、声を出した。
「俺で良ければ、その櫛探し、お引き受けします」
かくして、指輪の所有者としてのレネ探しに加え、神様の依頼による櫛探しという、探し物だらけの生活が始まった。




