『きみのことがすきなんだ』(前編) / (act.孝)
※『精霊奇譚』の主人公視点ではありません。話の時期としては、『~桜流しの章~』が終わってから一週間以上四週間未満くらいの頃です。
後期試験も何とか終わって、新年会という行事にこじつけた飲み会でのことだった。
「あはははは」
空のジョッキや、つまみの皿でごった返すテーブルを挟んで、向いに座る女の子が、俺の話に声をあげて笑った。
土曜の夜ということもあって、安さだけが売りの居酒屋は俺達のような金なしの大学生で賑わっていて、あちらこちらから聞こえてくる活気ある喧騒に、その子が立てた笑い声は、とても馴染んで響いた。
「孝くんって、面白いよねえ。なんか、いっつも楽しそうで羨ましい」
笑って言った顔が頷くように揺れる。多少酔っ払っているのだろう、化粧の下から自然な血色が浮かび上がっていて顔が赤い。同じ大学じゃないけど、サークル関係の飲み会で何回か顔を合わせている子だ。この前会った時は、直毛だったのが、パーマをかけたのか、毛先がくるくると巻いている。最近よく見る女の子の流行の髪型だ。女の子らしい感じがするから、俺も結構好きな髪形だったりする。
「こいつ、馬鹿だから悩みなんてないんだよ」
俺の横に座っていた友達が焼酎のグラス片手に、俺を指差し笑う。聞き慣れたその軽口に笑って、「俺だって悩みくらいあるっつうの」と、いつも通り軽く返そうとしたときだった。
「何言ってんの。悩みがない人間なんているわけないじゃない」
喧騒の中、その声は、はっきり鼓膜を震わせた。けして、場の雰囲気を壊すようなものじゃなく、むしろ、みんなと同じ軽く酔いの回った陽気な響きなのに、喧騒という名の雑音に紛れることのない、他にはない確固たる存在感が、その声にはあった。
自然と引き寄せられた目の先にいたのは、今日初めて顔を合わせた女の子。
名前は確か、理沙ちゃん、だったか。さっき、声をあげて笑った子が連れて来た友達だ。真っ直ぐの綺麗な栗色の髪をシュシュでひとつに束ねて、ざっくりした大き目のV字のセーターから惜しみなく鎖骨を覗かせている彼女は、涼しげな奥二重の目で褒めるように俺を見ながら、さらりと言った。
「いつも楽しそうにしていられるって凄いと思うよ。それだけ周りの人に気配りが出来るってことだもん」
その瞬間、俺は彼女に恋をした。
「母ちゃん。何時に帰るの?」
見舞い客用の簡易椅子にでっぷりと腰掛けて、俺に買ってこさせた缶コーヒーで一休みを決め込んでいる母親に、スマホから顔をあげて声を投げる。
「えー? どうして?」
「いや、もうすぐ友達が見舞いに来るっていうから」
ベッドの上から素直に告げれば、母親は不服そうに顔を顰めてみせた。
「何よ、お母さんがいたら駄目なわけ?」
「別に駄目じゃないけどさあ」
駄目じゃないけど、出来たら遠慮して欲しい。心配かけた上に、俺の着替えやら入院のあれこれやら迷惑をかけて、申し訳ないと思う気持ちがないわけじゃないけど、家族にはあまり見せたくない自分の顔というものがある。
不服そうに俺を見ていた母親が、俺の表情から何か悟ったらしく目を狭める。母親というのは、こういう時の勘がやたらいいから厄介だ。ベッドの上に胡坐を胡坐をかいたまま、視線を泳がせれば、思ったとおりの質問が飛んできた。
「誰が来るの?」
「真生とか……他の友達」
「あら。真生くんが来るなら、お母さん、この間のお礼も言いたいし、待っていようかなあ」
缶コーヒーを口に運びながら、軽い調子で母親が言う。絶対わざとだ。
別にいてもらっても構わないと言えば構わないのだけど、なんとなく、気恥ずかしいのだ。母親に、その自分を見られることが。何を言い出すか分かったものじゃないという心配もある。
黙る俺を余所に、母親は何食わぬ顔で時計を見て、続けた。
「でも残念ながら、お母さん、この後、フラダンスのお教室なのよね。あ、もうこんな時間。行かなきゃだわ」
慌てたように缶コーヒーを一気に飲み干して、フラダンスなんぞ到底似合わない、贅肉がたっぷりついた腹と尻を持ち上げて、母親が立ち上がる。
「残念だわ、本当に。あんたの彼女に会ってみたかった」
持って来てくれた着替えと入れ替わりに、洗濯物を入れた紙袋を持ちながら、母親が何気ない調子で言う。天下の母親相手に何を言っても無駄だと開き直って何も返さずにいると、母親が少し驚いた顔を向けてきた。
「なに、本当に彼女なの? やあね、付き合ってる子がいるならいるで、家に連れてきなさいよ。お母さんだって、挨拶くらいしたいじゃないの」
少し責めるように言ってくるその顔に、気持ち項垂れつつ、やけっぱちで声を返す。
「そのうちね。付き合えたらね」
「なんだ、片思いなの?」
「……どうでもいいだろ」
ずばり大正解の質問に、それしか返す言葉がない。母親は情けないと言わんばかりに肩を落として、分かったふうに言う。
「どうせまだ、ちゃんと相手の子に言ってもないんでしょ。あんた、お父さんに似て、肝心なところで気が小さいからねえ」
「うるせえよ」
どこまでも大正解の言葉に、もはや憎まれ口を叩くしかない。息子の心境など全く気にする様子もなく、母親は首を振り振り続ける。
「はあ。桜さんにお願いしておこうかしらね。あんたが、その子に好いてもらえるように」
言って、母親が枕元の棚に置いてある、お手製の『桜のお守り』に半分冗談じゃない目を向けるのを、少し呆れて見ながら急かす。
「いいから、もう。さっさとフラダンスにでも何にでも行けよ。時間ないんだろ」
『桜のお守り』に纏わる話は、目が覚めたその時から、母親から何度も聞かされた。そんな夢を見てそんな解釈をするほど、母親に心配をかけてしまったわけだから、素直にお守りにしようと思うけど、母親のこの様子を見ていると、そのうちなんか、変な新興宗教とかに騙された上にはまりそうで怖い。
息子の心配を余所に、はいはい。と、母親は軽く返す。
「じゃあ、お母さん帰るけど、洗濯物はこっちの紙袋にちゃんと入れておいてよね。あ、そうだ。お母さん明日、習字教室とテニス教室があるから来られないけど、何か用があったら電話しなさいね」
「はいはい」
一体いくつお稽古教室に通っているんだという突っ込みは、話が長くなりそうなのでしないでおく。習字はともかく、テニスとフラダンスは、どう考えてもその体形に似合わないと思うけど、何にせよ、元気なのはいいことだ。
母親をエレベーターまで送ったついでに、ふと気が向いて廊下途中の便所に寄る。用を足すためじゃない、鏡を見るためだ。髪は今更どうしようもないから、仕方ないとして、鬚とか、鼻毛とかをチェックする。
昨日、「みんなで明日、お見舞いにいくね」というメールを貰ってから、入院してこっち、ほったらかしていた眉も整えたし、今朝いそいそと鬚も剃った。怪我で入院してるのだから、格好つけても無意味かもしれないけど、せめて身だしなみだけでも、汚いやつと思われないように気をつけたい。これぞ、健気で可愛い男心というものだろう。
一月の出会いから早数ヶ月。あの夜ゲットしたアドレスに、事あるたびにメールを送り続けた結果、友達という立場は築くことに成功したけど、あくまで友達というスタンスを彼女は崩さない。多分、いや間違いなく、こっちの気持ちに気づいているのに、彼女がそのスタンスを崩さないのは、俺がはっきり言葉で言っていないからだ。そして悲しいかな、これも間違いなく、今はっきり言葉で気持ちを伝えたら、彼女はきっぱりと言葉と態度で断ってくるだろう。
男女間の友情は成り立つかという疑問に対する答えは人それぞれだろうけど、俺は成り立つと思う。ただし、男女どちらにも完全に恋愛感情がなければの話だ。片方に気持ちがないのに、片方だけにその気持ちがあると明確になった場合、純粋なる友達関係を続けていくのは、どちらにとっても難しい。
この数ヶ月、彼女を知ろうとして努力を重ねた結果、彼女が竹を割ったような性格だと分かった。すっきりとさばけていて、言動が潔い。ある意味、かなり男前な彼女は、下手をしたら、気持ちを受け止めてやれない自分と友達関係を続ける俺を思いやって、その関係すら切ろうとする可能性がある。それだけは、勘弁願いたい。
だから、今は言わない。言えない。女々しい考えかもしれないけど、今はまだ、彼女に決断をしてもらいたくない。格好つけて言えば今は、彼女の選考期間で、ありのまま言えば、俺の悪あがき期間だ。
とは言え、友達という関係に甘んじている限り、他の奴にいつ取られるかもしれないという危険が付きまとう。
実際、彼女は男女関係なく、人気がある。友達が多くて、その分、予定も多くて何かと忙しい。おかげで、この前のドライブにこぎつけるのに、三月までかかってしまったわけだけど、俺の計画を邪魔した彼女のその予定表の中には、女友達との約束だけじゃなくて、男友達との約束もあることを知っている。
性格がさばさばしていて、顔も綺麗ときたら、もてないほうがおかしいと現実を受け止めてはいるけど、俺としては溜め息をつきたくなる。
唯一の救いは、今のところ、俺含め誰も、彼女のお眼鏡にかなっていないということだ。彼女がフリーでいる限り、俺にもチャンスはある。今は、「友達の中の一人」としか考えてもらえなくても、そのうち、「大事な友達の一人」に、そしていつかは、「友達以上のただ一人」になれるかもしれない。
その日を信じて、まず今は「大事な友達の一人」になるべく、頑張るのみだ。その努力の途中で、彼女のお眼鏡にかなう男が出てきてしまったら、多分立ち直れないくらい凹むけど、その時はその時。すっぱり諦められるかどうかは別にして、彼女の幸せを願って男らしく蔭で大泣きしようと思う。
「ぅしっ」
鏡の前で一人気合を入れる。せっかちな心臓が早くも騒ぎ始めるのを宥めながら、病室に戻る。
病院側からの窓ガラスの一件の詫びで、大部屋の料金で個室にいられることになり、俺は今も個室のままだ。入院なんて、小学生の頃した盲腸ぶりだけど、個室入院というのはなかなか便利だ。同室の人の目を気にすることなく、大学の友達が暇つぶしにと持ってきたエロ本を見たり、消灯時間後も気兼ねなくテレビを観たりと、結構好きに出来る。ただ残念なことは、テレビのチャンネルが民放だけで、アニメチャンネルなんかのCSが入っていないことだ。アニメが観られないのは、かなり痛い。俺にしてみれば、それだけの理由で、明日にも退院したいくらいある。まあ、観られない間の分は人に録画を頼んだから、退院するまでの我慢だけども。
そんなことを考えながら、部屋の前まで来たとき、ドアの向こうから、声が聞こえた。
鼓膜が震える感覚と同時に、一気に心臓が高鳴る。
便所なんかに寄っている場合じゃなかった。いや、最終チェックが出来たのだから、便所に寄って正解だったのか。ああ、しまった。ベッドの上、ぐちゃぐちゃのまま出てきてしまった。でも、昨日の夜、エロ本一式をビニール袋に入れて棚の三段目の引き出しに隠したのは、正解だった。何かの間違いで、彼女がその引き出しを開けて見てしまっていたとしても、エロ本だとは思うまい。
俄かに浮き足立って取留めを失くす思考を落ち着けるべく、軽く深呼吸して、ぐっと腹に力を入れてから、横開きのドアを開いた。
(後編へ)




