【11】-4
病院を後にし、バイト先に向かわなくてはいけない時間帯には、雨は止んでいた。
と言っても、夕闇空を覆う雨雲はまだ色濃く、小休止状態と言った感じだ。恐らく、また降るだろう。この分じゃ本当に、桜は全部散ってしまうかもしれない。
そんなことを考えていたら、フィーが横から覗き込むように見上げてきた。
「調子は戻ったか?」
「何が?」
駅近くで彩乃ちゃんと別れたのを機に、フィーは得意げに傘をぶらんぶらん揺らしながら歩いている。危ないと注意すれば一応は揺れを小さくしたものの、揺らすのを完全にやめる気はないらしい。正直、俺としても、フィーがそういう子供っぽい無邪気な態度でいてくれたほうが精神的に助かるから、わざと諦め顔で好きにさせていた。
実際、あの目は困る。さっきのことで、真剣に思った。
俺のことが大事で愛おしいと、そうはっきり書いてあるような目を向けられたら、いくらフィーが子供に対するような感情で俺を見ていると分かっていても、たとえそれすら全部、暗示の影響かもしれないとしても、どうしようもなく落ち着かなくなってしまう。
……もし母さんが健在だったら、俺は女の人からああいう目で見られることにも慣れていて、こんなに動揺することもなかったのだろうか……。
「短い時間でも、彩乃とおれたから、少しは心が落ち着いたであろう?」
俺の心の内を知る由もなく、フィーが半ば決め付けるように尋ねて、続ける。
「好いた相手には奪われるものも多いが、逆に与えられるものも多い。お主は人間は何かと忙しいと言うておったが、やはり好いた者同士は、少しでも時間を共に過ごすべきだ。それだけで、心が安定する」
いつもの権高な表情で自信満々で言い切ったフィーに、思わず、あんぐり口が開きそうになった。
言っていることは正しいのかもしれないけど、いかんせん、どうにもこうにも、肝心なところを掛け違えている。
「お前、そんなこと考えて、彩乃ちゃんを見舞いに誘ったの?」
「気にするな、礼はいらぬ。盛りの只中であるにも関わらず、指輪がある限り、お主は事にも臨めぬゆえ。私は別に、お主が彩乃と事に臨んでも構わぬのだが、お主は私がおっては嫌なのであろう? 彩乃との時を作ってやるは、言うなれば私からのせめてもの心遣いだ」
「………どこから突っ込むべきか分からないんだけど、とりあえず、彩乃ちゃんとは、そういうんじゃないから」
フィーがどういう経路で勘違いしたか謎だけど、俺と彩乃ちゃんは紛れもなく、ただの友達だ。この先何か、そういうことに繋がる可能性がもしあれば、それはそれでどうなるか分からないけど、今のところ恋愛感情はない。彩乃ちゃんにしたって、俺はただの友達の一人だろう。
だけど、俺の本心からの訴えを、フィーは悟ったような顔で軽くいなした。
「良い良い、照れずとも分かっておる」
「いや、全然分かってないだろ、ほんとに」
「良い良い。照れるな、照れるな」
軽く閉口する俺を尻目に、フィーはご機嫌で傘を揺らして歩く。その横顔に、知らず知らず肩の力が抜けた。肩の力だけじゃない。頬の筋肉も、知らず知らず緩んでいく。
今のフィーは、誰かが掛けている暗示の影響を受けている。俺が、その手助けをした。今フィーがいるのは、暗示によって作られた記憶の延長線であって、フィー自身が本来望んだ今じゃないのかもしれない。
だけど、その暗示のお陰で、フィーは今ご機嫌で、見るからに穏やかに笑っている。
発言や顔つきが、たまにやたら小生意気で、何だか妙な勘違いまでしているけど、張り詰めすぎて今にも壊れそうなくらい不安で雁字搦めになっていたフィーよりずっと、今のフィーのほうが幸福そうに見えるのは、俺の後ろめたさがさせる自分勝手な解釈だろうか。
もしそうだとしても、何もかも分からない八方塞の現状で、今の俺に出来ることがあるとしたら、目の前にいるこのフィーを、その穏やかさを繋ぎ保ってやることだけだ。
俺のことで、フィーが精気を駄目にしてしまうことがないように。
俺のために、フィーが消えようなんて思わなくて済むように。
俺が俺自身を守ることが、フィーを守ることにも繋がるのなら、俺はフィーのためにも全力で俺を守ろう。それが、フィーを裏切った罪滅ぼしになるかどうかは分からないけど。少しでも、なったらいい。
「…フィー。レネに会いたいか?」
「当たり前であろう」
隣を歩きながら投げた質問に、フィーが変わらず傘をぶらんぶらん揺らしながら即答する。その横顔を見ながら、しっかり声を出した。
「じゃあ、探そう。見つかるまで、一緒に探そう」
声に含まれた思いの強さに、フィーも何か感じたのか、傘を揺らす手を止めて、ついでに足も止めて、こっちを見る。
「俺、頑張るから」
俺が誰であろうと、特別な力があろうとなかろうと関係ない。俺は俺だ。
俺が俺自身として自分を守ることが、フィーが時折その目に深く滲ませる愛情に、少しでも応えることであればいい。
由希ちゃんの最後の思いを受け取った唯一の人間として、フィーにもう、あんなふうに哀しげな顔をさせないで済むように、俺が頑張ろう。
相も変わらずこみ上げてくる罪悪感のような感情に慣れさえ覚えて、見てくる青い目をじっと見る。
フィーは驚いたような顔で、ぱちぱちと瞬きをして、口を開いた。
「……彩乃の影響力は凄いな。いや、恋の力というべきか」
「だから、彩乃ちゃんは関係ないって」
折角人が、真率な気持ちで熱くなっているというのに、当の本人ときたら、相変わらずこれだ。一気に気持ちに水をさされて、がっくり肩を落とす。フィーはそれを見、笑いながら、また手と足の動きを再開させた。
「今からバイトであろう? 励めよ、勤労青年。晩御飯また弁当なら、今夜はあれがいい、あの、あれ。何と言うたか、あれは」
軽く思い悩むように、顎に手を当ててフィーが言う。
その横を歩きながら、俺もまた口を開く。
「そのことなんだけどさ、俺…」
「なんだ?」
「…いや、何でもない。どっちみち明日からの話だし」
「何だ、気になるではないか。言いかけたなら、きちんと言え」
非難めいた声をあげて、フィーがこっちを見る。その顔が、はっとしたように、突如明るく輝く。
「あっ。もしや、私への感謝の羊羹の話か? 私の羊羹山積みハッピーライフは、明日からということか?」
「なにその、お前と和菓子屋さんしか得しない生活」
呆れを素直に、声にも表情にも出して返したその時、ぽつっと頬に生温い雫が落ちた。
その小さな衝撃に空を見上げれば、それを合図にしたかのように、ぽつぽつと次から次に雨粒が降って来た。
「げ。もう降って来た。フィー、傘」
せめて、バイト先に着くまで持って欲しかったけど、どうやら思ったより早く、小休止は終わってしまったらしい。
「これくらい、少々濡れても良かろうに」
「そんなこと言ってる間に、じゃんじゃん降り出すんだよ」
雨に濡れたいのか、それとも傘を手放すのが惜しいのか、不満げな顔をするフィーから、傘を奪ってさす。案の定、すぐに雨は本格的な音を立てて降り始めた。
歩く道すがら、降り注ぐ雨粒をまともに受けて重そうなほど濡れた街路樹の葉っぱを傘の下から見上げながら、さっき思ったことを口に出す。
「この雨じゃ本当に桜、全部散っちゃうかもな。折角咲いたのに」
毎年のことながら思ってしまうことをそのまま声にすれば、フィーが隣で、同じように街路樹を見上げるのが分かった。
「大丈夫だ。次の春がくれば、また一層美しく花開く。桜だけでなく、他の花も、この木の葉も、名もなき草も、みな。より一層美しく芽吹き、強く咲き誇る」
慈しむように細めた目に街路樹の葉っぱを映し、フィーは微笑みながら言った。
「そのための雨なのだ」
その声は生温い春の雨の中、とても柔らかに、優しく響いた。
精霊奇譚 ~桜流し~ <終>
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
心より感謝申し上げます。
桜流しの章は、これにて終了となります。次章の開始時期などにつきましては、また後日、ブログでお知らせさせていただきます。
感想、批評、ご指摘など、何かございましたら、どうぞお気軽にお声をおかけくださいませ。
ありがとうございました。
作者:のん(のっこ)
オリジナル小説サイト:cerebral heaven(http://nh2045.wix.com/cerebral-heaven)
ブログ:脳内ヘブン(http://blog.goo.ne.jp/kakitai11874)




