【09】-4
見据えてくる燃えるような青い目に、無意識に手に力が篭る。
胸に溜まっていくいつもの罪悪感ですら無力にしてしまうほど、強いその眼差し。
「最後って……。俺がいなくなったら、お前、この先どうすんだよ? 俺なしじゃ動けもしないくせに、どうやってレネ見つけるんだよ?」
戸惑いが少しずつ怒りに変換されていくのを感じながら、俺はその目をきつく睨んだ。
「大体何だよ、捨てるって、そんな一言で簡単に外れるとか。契約を交わしたからには精霊王でも外せないって言ってたじゃんか。嘘ばっかつきやがって」
「嘘は申しておらぬ。いついかなる時だろうと、契約を破棄し指輪を外せるは、契約者本人だけだ。精霊王でもその理は崩せぬ」
「言葉遊びしてんじゃねえよ。この嘘つきが」
「嘘つきではない。人間と一緒にするな」
少しむっとしたように、フィーが語気を強める。
それより更に語気を強めて、睨みと一緒に言い返した。
「嘘ばっかじゃんか! 絶対に自分が生きて連れて戻すっつったのに、いざとなったら俺だけ逃がす計画してたとか、勝手に運命共同体とかほざいたくせに、いざ危なくなったら、俺だけそこから外そうとするとか、あれだけ阿呆呼ばわりしたくせに、今更阿呆じゃないとか」
「それは…」
言いよどむフィーを真っ直ぐ睨んで、思ったことそのまま言葉にして口を動かす。
「レネに会うために、俺を守るんじゃなかったのかよ。偉そうな態度取るだけ取っておいて、何今更一人で逃げ腰になってんだよ」
「お主とて、あの御方の強さを感じたろう。ただそこに存在するだけで、あの御方は全てを圧倒し支配する。人間など、ひとたまりもない。私では太刀打ち出来ぬ」
「その人が、絶対俺を殺すって決まったわけじゃない」
「私達は水の化身だ。水というのは、己を誤魔化せぬだけでなく、衝動に弱い。一度激情に身を委ねたら、それが正しかろうと正しくなかろうと、その感情に染まり流され、己では止まれぬ。私が良い例だ。あの御方とて、根本的な性質は私と同じ。何をするか分からぬ」
「だけど、さっきは何もされなかった」
「何かあってからでは遅いのだ!」
その目に燃える炎を更に激しくして、フィーが噛み付くように吼えた。
間髪入れないその怒声を受け、それでも睨みを外さない俺を前に、フィーは少し黙ってから、顔を逸らすように目を伏せる。
「……私は、魂を失いたくない。お主のことまで気にかけてはおれぬ。いいから、指輪を捨てると言え」
そのまま吐き捨てるように言われた言葉に、俺もまた軽く顔を逸らした。心の底から溜め息を吐く。その溜め息にフィーがまた目を俺に向ける。そこにある青を、俺は再び睨んだ。
腹立たしい感情を隠すことなく、声に出す。
「俺も確かに阿呆だけどさあ、お前も相当に阿呆じゃんか」
本当に、こいつは阿呆だ。腹の底から思う。
「少しは考えてから、もの言えよ。そんなさあ、俺のこと大事で大事で仕方ないみたいな顔して、指輪を捨てろとか言われても、捨てられるわけないだろ」
「な…、誰が。誰もそんな顔などしておらぬ」
咄嗟に言い返してきたその顔に向かって、怒りを込めて言い返した。
「鏡見て来い、この大嘘つき。目ぇ見りゃ分かんだよ」
一目瞭然も、いいところだった。
その目に灯った燃え盛る青い炎。有無を言わせないほど強いそれは、フィーが俺に向ける感情の強さ、それそのままだ。
俺を危険に遭わせたくないとそれだけを真摯に願い思う、まるで子を思う母親みたいな強い愛情が、さっきからずっと、腹が立つくらいに、そこに延々と燃えている。
「何なんだよ、その我が子を必死に守ろうとする母親みたいな目。俺は、お前の息子でも何でもねえぞ」
確かに俺は守ってもらってばっかりだし、フィーから見たら、非力で脆くて弱っちい頼りない存在だろう。でもだからって、こんなふうに一方的に守られるのは嫌だ。
背後からの視線だけで、あれだけ強大な恐怖を刻んでいった白の姫とかいうあの人に、俺が敵うなんて冗談でも微かにも思えないし、今一度あの人に来られたら、立ち向かうことは愚か、立っていられる気概を保てるかすら、はっきり言って危うい。
それでも、ここで指輪を捨てるなんて出来ない。
こんなにも大事だと、愛しいと、そう俺に対して思っている相手を見捨てるなんて出来っこない。
何も知らなかった頃なら、フィーの目に浮かぶこの色を単純に悲しみだと思っていた頃なら、もしかしたら、捨てられたかもしれない。
だけどもう、無理だ。遅い。
フィーが俺に対して我が子のような感情を持っているなら、俺だってもう、フィーに対して感情を持ってしまっている。
それに気づかないフィーに、物凄く腹が立つ。人間にだって情があることを知らないのだろうか、こいつは。
怒りを込めて見つめる先で、フィーは悔しげに目元を歪めて、その目を隠すように顔を逸らした。その口がぼそぼそと言葉を零す。
「息子でも何でもないと思うなら、良いではないか。たった一言言えば、お主はもう解放されるのだ。捨てると言え。それで全て済む」
「はっ。選べっつっといて、選択権なしですか」
怒りと呆れを混ぜた声を返せば、フィーが困苦の表情で勢いよく顔を向けた。その青い目にいまだ燃える炎が、焦りからか、凛々しさを欠き始めていた。
「じゃあ、どう言えば納得するのだ。私はお主を死なせとうない。お主とて、死にとうないと言うたではないか。これは元々私が撒いた種だ。お主が巻き添えになって刈られる必要は、どこにもない。指輪を捨てろ」
「嫌だ」
「真生、」
「俺は嘘つきじゃない。約束は守る」
説得というより嗜めるに近い荒い声を遮って、目を見てはっきりと言う。
「約束?」
「レネに絶対会わせてやるって、約束した」
凛然とした強さを欠きながらも、それでも愛情の火を消さない青が、俺の言葉に揺れる。
そこに徐々に溜まっていく涙を、黙って歯を食いしばって見守った。きつく握った手のひらに爪が食い込む。力が入り過ぎて、血が滲んでいるかもしれない。
「……前言撤回だ」
涙に震える青い目を真っ直ぐ俺に向けたまま、フィーがその目同様、声を低く震わせた。
睨まれるよりずっと精神的にきついその目つきに、ぐっと堪えて真っ向から見返す。
「お主は阿呆だ。皐月がどれほど、お主を大事にしていると思っておる。皐月だけではない。お主を取り巻く者達がどれほど……。私とて、そうだ。私はもはや穢れ堕ちたが、それでもかつては生命の母とも呼ばれていた者。お主が指摘した通り、私はお主のことが子供同然に可愛い。大事だ。その思いを全て無視するというのか、お主は」
その言葉を、そっくりそのまま返してやろうかと思った。だけど、こればっかりは人から言われて気づくのじゃなく、自分自身で気づかないと意味がない。
さっきフィーが言ったこと。愛されている自分を知り、自分自身も、愛されている自分と愛してくれている人達を愛するということ。フィー自身が言ったんだから、フィーだって頭では分かってるんだ。だけど、それを自分に当てはめて考えられないということは、心では分かってないということに他ならない。
フィーが自分自身で、俺に大事に思われていると気づかない限り、俺がどんな言葉でそれを言おうと、こいつは本当の意味では俺の思いを分かってくれない。頭では理解しても、心にまで到達しない。それじゃあ、意味がない。
自分の経験でそれが分かっていたから、俺はあえて、別のことを口にした。
「だから、そうならないように、全力で頑張るよ。約束したからな」
今にも零れそうな涙をその目に湛えて、フィーは声を張り詰める。
「お主が頑張ったからとて、どうこう出来るような相手ではないと言うておろうが」
「だったら、お前も弱腰になってないで、全力で協力しろよ」
涙に揺れながらも消えない炎に向けて、届くように、真っ直ぐ言葉を放った。
「俺は全力で、俺の大事な人を悲しませないように、失くさないようにするから、お前も敵わないって最初から逃げてないで、全力で自分の大事なものを守れ」
俺の大事な人の中に自分が入っていることを、恐らく少しも分かってない相手に、少しでも届くように。その目を前に、後から後からどうしようもなく湧いてくる罪悪感のようなものを無理やり無視して、真っ直ぐに言葉を続ける。
「お前、言ったよな? 誰でも指輪の所有者になれるわけじゃないって。俺に辿り着くまでに、十八年かかったんだろ? また十何年もかけて新しい所有者探す気か? そんでまたその姫様達に見つかったら、所有者を守るために契約を破棄させるんだろ? んなことしてたら、レネはずっと見つからない。たとえ指輪や所有者がそれで守られたとしても、そんな悠長なことしてたら、見つける前にレネはじいちゃんになって、それこそ死んじまうぞ」
レネの名前と死という言葉が辛かったのか、フィーがぐっと表情を歪ませた。その顔に微かに苛立ちめいたものを覚えつつ、はっきりと言ってのける。
「俺は契約を破棄しない。レネが見つかってお前ごと引き取ってくれるまでは、俺が指輪の所有者だ。俺が大事なら、腹括って俺を守れ。人間の母親なんてな、ワニだろうとライオンだろうと、絶対敵わない相手にだって、我が子の為なら立ち向かうんだぞ。俺のこと子供扱いするなら、それくらいの根性見せてみろ」
大体なんで俺が、こいつに子供扱いされなきゃいけないんだ。まあ確かに、立派な大人とは言い切れないけども。
でも、それを言うならこいつだって、充分子供じゃんか。
何十億年生きてるか知らないけど、俺より子供っぽいところがあるくせに。単純なくらい、すぐ目に感情が出るくせに。すぐ涙が浮かぶくせに。そのくせ、意地張ってんのか何なのか知らないけど我慢して絶対、泣かないで。フィーだって充分、精神的に弱いじゃんか。
殆ど睨むように俺は、フィーの目を見据えた。
フィーは暫くじっとそれを受け止めた後で、口元に力を入れた自分を責めるような顔で、やや俯いた。伏せられた目から涙が零れないのが、不自然なほど不思議だった。
少しの沈黙を貫いた後、下を向いた口が、低い声で静かにそれを破った。
「……それがお主の選択ならば、仕方がない。選べと言うたは、私だ。だが、ひとつだけ、条件がある」
「なんだよ」
俯いていた顔が上がる。伏せられていた目が、真っ直ぐに俺を捕える。涙に光るその青の奥で、緊迫したように、炎が凄みを持って燃えていた。
「本当に、真剣に、身の危険を感じる事態に陥ったら、その時は迷わずに指輪を捨てること。それだけ、今のこの場で誓え。私にではない。お主の父と母、そして皐月に誓え」
突き刺さりそうなほど真剣なその眼差しに、深い溜め息と共に目を閉じる。それでも、瞼を通り越して流れ込んでくるその必死な感情に、もう一度溜め息を吐いてから、俺は静かに頷いた。
「…分かったよ…」
頷くしか、なかった。




