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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
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【09】-3


 フィーは目線を俺の顔から外すと、それをまた俺の肩の辺りへと向けた。

「これまでは指輪に、精霊王と大気の母、そして地の精達と神々の加護があった。ゆえにこれまで、彼女達は指輪に手を出すことが出来なかった。だが、レネの魂が戻った今、指輪の加護は外れた。私の魂を消滅させるには、加護が外れ、尚且つまだレネを見つけていない今が、最大の好機だ。この好機を彼女達が見逃すはずがない」

 断言し、声を苦らせる。

「指輪だけ、私の魂だけを狙えばまだ良いが、彼女達は元より人間に良い印象を持ってはおらぬ。レネのことがあってからは尚更だ。無論、彼女達も私と同じ本能を持っておるし、人間は水の庇護の対象の一種でもある。だが、三百年ぶりに指輪の外に出て分かったことだが、人間は海や川、泉だけに飽き足らず、大気中の水素や、あろうことか己自身の体内の水まで、浄化が追いつかぬほど汚し濁しておる。彼女達が誇りとする水の愛は、この星で最も尊いとされるもの。そして、この星で最も冷酷で非情なものだ。人間はそれを分かっておらぬ。そんな人間の一人であるお主の命を、彼女達が顧みるとは到底思えぬ」

 苦々しそうに言ったその目には、濃い憂いが篭っていた。

 フィーはそのまま、自分自身に言って聞かせるかのようにどこでもない宙を見ながら、言葉を続ける。

「私は魂を封印する際に、真名を改めておる。私の新たな真名は精霊王の誓いの中に隠されており、彼女達は知ることが出来ぬ。真名を知らぬ限り、白の姫であっても、私の居場所を特定出来ぬ。ゆえに私は、けして彼女達の領域には近づくまいと決めておった。彼女達はその誇りや気位の高さから、領域の外には出ぬ。領域に近づかぬ限り、お主を彼女達の前に晒す危険はない。領域にさえ近づかねば、お主と指輪を守り抜ける。そう思っておった。しかし、今回のことで状況は変わった」

 宙を見る青い目が狭まり、表情が険しくなる。

「私が力を取り戻すには母の胎内に行く他なく、母の胎内に行くには、彼女達の領域に入るしかなかった。金の姫ならまだ何とかなるかもしれぬが、白の姫に来られたら、私では到底太刀打ち出来ぬ。お主を必ず生きて連れて戻すと私は誓ったが、いざとなったら、残りの精気全てを使い、お主だけを皐月の元へ生かして返そうと、密かにその算段も覚悟もしておった」

「え…」

「だがあの時、白の姫は、何故か何もしてこなかった」

 思わず出た俺の声を無視して、フィーは一人、煩悶するように眉を顰める。

「それが気になってずっと考えておったのだが、もしかするとあの時近くに、シシィがおったゆえかもしれぬ。あれは、白の姫の次に強い力を持つ大気の母の愛息子。私はあれが生まれた時分からずっと、面倒を見てきた。ある意味、あれの姉のような存在だ。その私を目の前で誅せば、大気の母にあれが何を訴え出るか分かったものではない。そう危ぶんだのかも知れぬ。今ひとつ、確証が持てぬが……」

 言いながらも、思案に余るように目が沈む。だけどすぐにフィーは、その目を鋭いまでに厳しく引き締めた。その顔が、ぐいっと、力を持って俺の顔に向けられる。

「見逃された理由はともかく、白の姫がお主を知ったことは事実だ。あの時確かに、白の姫はお主を見ていた。あの御方ならば、人間のお主の名くらい見ればすぐに知れよう。これでもはや、いつだろうと彼女達は、お主の居場所を特定出来る」

「えっ?」

 思ってもなかったことに、眉を硬くし、まじまじとフィーを見る。話を聞くうちに俺自身も既に、フィーに負けず劣らず険しい顔つきになっていた。

「でも……、その人達、領域から出ないんだろ…?」

 僅かな希望に縋る気持ちで訊いた言葉に、フィーが厳しい声を返す。

「たとえ本人達が動かずとも、居場所さえ分かれば、手を下す手段はいくらでもある。こうなった以上、今までのようにはいかぬ。この先、いつどこでどんな形で、狙われるか分からぬ。お主がその危険に晒されるは、偏に私のせいだ」

「私のせいって……」

 母の胎内に行くことになったのは、孝を助けてくれと俺が頼んだからだ。名前を知られたのも、俺で。

 だけど、そんな心の内を声にするのを躊躇うほど、フィーが俺に向けている目には、有無を言わせない力が篭っていた。

「私にはどうしても、指輪の所有者が必要だった。私の魂を救えるは、未来永劫レネ一人。精霊王に報いるためにも、今尚指輪の中で苦しみ続けている私の魂のためにも、私はレネを探す必要がどうしてもあった。どうしても、レネが残した約束を、私が叶えたかった」

 凛然と燃え盛る青い炎を灯した目が、有無を言わせないほどの真剣さで、俺だけを見据えていた。

「だがそれは、私の都合だ。私の都合で、私は何も知らぬお主を危険な立場に立たせた。そのことは最初から、重々承知しておった。だからこそ、一刻も早くレネを見つけ出し、お主を指輪から解放する義務があった。嫌がるお主を度々力で脅してまで、無理やりにレネを探しに行かせておったのも、レネを見つけることは勿論、その義務に焦っておったからだ。だがそれすらもすべて、私の都合だ。私の都合だけで、お主は危険を被った。許せとは申さぬ。むしろ、許すな。許してはならぬ」

 勇ましいほど潔く、フィーは揺ぎ無い声で言い放った。

 有無を言わせないその目の強さに、目を僅かにも逸らすことが出来ない。胸に湧き溜まっていく、いつもの罪悪感のような不愉快な感情ですら、その目の強さの前には無力だった。

 フィーは言葉の一つ一つに重みをつけるように、一声一声じっくりと、厳めしい声で続けていく。

「母の胎内に行く前、死ぬ覚悟があるかと問うた時、お主はないと答えた。自分が死ねば、皐月や他の人間が悲しむと。それは言い方を換えれば、他者に愛されている己を知り、己もまた、愛されている己と愛してくれている他者を愛しておるということ。それはとても尊く気高い、大切な感情だ。お主は先ほど、自分は色んなことを見落としていると申したが、大切なことはきちんと見えておる。言葉であれ感情であれ、他者から渡されたもの、その大切な部分をきちんと見て感じ、考え、受け取る力が、お主には正しく備わっておるのだ。その力は、成長する心を持つ者にとって、とても重要なもの。お主には、時に感情に目を塞がれ己しか感じられなくなる私よりも、ずっと、その力がある。阿呆などではない。己を誇り、己に従い、選ぶが良い」

「選ぶ…?」

 自分の眉根に険しい皺が、くっきり浮かんでいるのが見なくても分かる。

 フィーは微かにも俺の目から目を離すことなく、厳めしさもそのままに、宣告するようにはっきりと声を響かせた。

「私はお主に真名を預けておる。お主が私の真名を口にし、ただ一言、捨てると、そう言えば、指輪は難なくお主の指から外れよう」

「……え…?」

 瞬時には、言われたことのその意味が、飲み込めなかった。

「その一言で、お主は指輪から解放される。白の姫の力ならば、契約が破棄されたことが瞬時に分かる。指輪が、私がそこにいなければ、彼女達がお主に関わる理由はない。さすればもう、お主に危険は及ばぬ」

 見つめてくる目を、ただ見つめ返す。徐々に霧が晴れていくように、告げられた言葉が形を、その意味を現していく。

 ただ見返すしか出来ない青い目が凛然と燃え盛る炎を灯して、真っ向から俺の目を映していた。

「選べ。指輪の所有者を続けるか、今ここで指輪を捨てるか。お主が、選べ」

 強張った頬が、戸惑いに引きつる。それをそのままに、口を動かす。

「…選べって。……今更そんな…」

「今ゆえだ。言うたであろう。お主の存在を知った以上、彼女達はこの先、どのような手を使ってくるか分からぬ。私の都合に、これ以上お主を巻き込むわけにはいかぬ」

 視線を繋げたまま、フィーが毅然として言って返す。

「お主には、心より感謝しておる。この二ヶ月弱、無理やりとは言え、よう付き合ってくれた。何か、最後に望みがあるならば申してみよ。詫びにもならぬが、可能な限り応じよう」

 その声には、逡巡の欠片もなかった。それはつまり、こうすることを最初から決めていたということなのだろう。

 彼女達に見つかったら、指輪を捨てさせることを、最初から。

 最初に契約した、その時から―――…。





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