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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
36/95

【07】-7


 ユキちゃんはわんわん泣いてばかりで、何も答えてくれないどころか、孝にしがみついて顔もあげようとしない。

 多分フィーが何かしてくれたのだろう、手の痛みは消えたけど、さっきのことを思うともう迂闊にユキちゃんに触れない。見えたのに。確かに見えたのに。一瞬過ぎて、求めるものにまで辿り着かない。一体どうすればいいのか。

 あの時、到着する電車が見えた。ホームで電車を持つ沢山の人も。あれは、駅に間違いない。駅……。駅で、孝は階段から落ちた。駅と孝とユキちゃん。何か、そこにヒントがあるんだ。

 分からないのは、電車に乗り込む孝をただ見ていたあの視界。あの視界は、ユキちゃんの目が映していたもののはずだ。ユキちゃんに触れたことで俺に見えたんだから、多分そうであるはずなんだ。だけど、あの目線の高さは、ユキちゃんくらいの子供の背の高さじゃ無理なものだった。もっと高い、少なくとも百六十センチくらいは身長がないと、あの目線で物や人を見ることは出来ないはずだ。

 どういうことなんだ。あれがユキちゃんの視界なら、ユキちゃんは本当は小さい子供じゃないってことになる。だとしたら、今俺の目に映っている、この四歳くらいの女の子の姿は何なんだ。この子は本当は、何歳なんだ? 分からない。考えろ。考えろ。考えろ。

「……樹霊さん。孝から階段から落ちたとき、あなた一緒にいたんですよね? 孝が落ちるとき、咄嗟に掴んだら桜の枝だったって。それ、あなたですよね?」

 顔を見ずに問いかけた。ユキちゃんから目が離せなかった。

「はい、その枝は私にございます。穢れがこの方の背を押すのを見、咄嗟に支えようとしたのですが、急だったために力が上手く使えず折れてしまい…」

「じゃあ、その時もう孝は憑かれてたんですね? どうやってあなたは、それを知ったんですか?」

 畳み掛けるような俺の質問に、樹霊さんが僅かに戸惑っているのが雰囲気で分かったけど、今はそれを気にしている余裕はなかった。頭の中で考えを組み立てるのに、ただ必死だった。

「仲良しの風が教えてくれました。あの日この方をお見受けしてからずっと、何かあればすぐに教えてくれるよう、頼んでおりましたゆえ」

「いつですか? いつ、風が教えにきたんですか?」

「その時ですが……? ラインの乙女より御力を頂いておりましたゆえ、風から知らせを受けてすぐ、この方の傍へ飛ぶことが出来ました。結局何も出来ずに、この方に怪我をさせてしまいましたが……」

「てことは、その時その場所で、孝は憑かれたと思っていいんですよね?」

「正確は分かりませぬが、恐らくは……。それが何か?」

 気懸かりそうな樹霊さんに声も返さず、俺はただ、泣くユキちゃんを見ながら黙々と考え込んでいた。

 多分、間違いない。孝が階段を落ちたあの日あの時に、駅でユキちゃんは孝に会ったんだ。恐らくその時にはもう、ユキちゃんは亡くなっていて、穢れになっていて。


( アイタクテ、ソシタラ、アエタノ )


 あの言葉は、孝に会いたくて駅に行ったってことなのか? でも、なんで駅なんだ?

 それに、駅で孝を見てたのは、このユキちゃんじゃない。もっと大人並みに身長の高いユキちゃんか、もしくは、ユキちゃんじゃない、身長の高い誰かが、もう一人いるか。どっちなんだ?


( ズットアイタカッタノニ、ズットアエナカッタカラ )


 それがユキちゃんが孝に憑いた理由なのだろうか? ずっと会えなかったのに、やっと会えたから? なんで。なんで、ずっと会えなかった? 何があったんだ。孝とユキちゃんに、一体何があった?

 分からない。あれだけの情報じゃ、知りたいことに少しも届かない。ただひとつの糸口ともいえるユキちゃんは、依然として大声で泣いていて、とても話が出来るような状況じゃない。どうしたらいんだ、どうしたら。

「主様?」

 考えに沈む俺を引き戻すように、ユキちゃんの泣き声に樹霊さんの声が混じる。

「穢れは何と申しているのです? この方から離れてはくれぬと?」

「…孝じゃなきゃ嫌だそうです、どうしても」

「何故ですか。何故そのような」

 焦りに乱れた声で、樹霊さんが責めるように言うのに対し、俺もまた焦りで乱した声を返す。

「俺にも分からないんです。それを聞き出したいんですけど、わあわあ泣いてばかりでどうにも……」

 もう一度、もう一度見ることが出来たら。一瞬だけじゃなく、きちんとしっかり。でも。

「私にお憑きなさい。私がすべて引き受けて、大いなるものの元へ還してあげます。ですからこの方じゃなく、私に穢れを寄越しなさい」

 居ても立ってもいられなくなったのだろう、樹霊さんが形しか見えないというユキちゃんに向かって声を荒げ、ユキちゃんから引き離すように孝の腕を引いた。

『サワルナ!』

 途端、泣きじゃくっていたユキちゃんが、大声で吼えた。

『ジャマヲスルナジャマヲスルナジャマヲスルナジャマヲスルナジャマヲスルナ』

 泣き声と怒声の混じった、けたたましい喚き声が部屋に大音量で鳴り響く。そのあまりの大きさに思わず耳を押さえる俺に、フィーが横から言う。

「穢れがまた澱みを呼び始めた。どんどん強くなっておる。部屋の結界を元に戻したほうがよい」

「待って、もうちょっと。もう一回だけ」

 フィーの勧告に焦って、ユキちゃんに手を伸ばす。もうこれしかないと思った。だけど、ユキちゃんに届くより早く、フィーに手首を掴まれた。

「阿呆! お主は私の気で守られておるのだ。穢れに触れれば、先ほどと同じように弾き合うだけぞ」

「じゃあ、守りを外してくれ!」

「ならぬ。そのような真似をすれば、お主の精気が忽ちに駄目になる」

「でも俺、どうしてももう一回、この子に触らなきゃいけないんだ。見えたんだよ。さっき触ったときに。この子の中が。もう少しちゃんと見られれば、この子の念を解く答えが分かるかもしれない」

「中が視えただと? お主はまた面妖なことを言いおって……」

「本当なんだ。本当に見えたんだ。頼む、フィー。守りを外すのが駄目ならそれでいいから、触らせてくれ。もう一回だけでいい」

 眉を顰めるフィーを真っ直ぐに見て、懇願した。俺を映した青い目が、迷い悩むように揺れる。

「なりませぬ、主様。穢れに触れるなど、そのような無茶。いくら守りがその身にあろうと、あまりに危険過ぎます」

 俺達のやり取りを見ていた樹霊さんが口を挟むのに顔を向けながら、俺はフィーにはっきり聞こえるように、口を動かした。

「大丈夫。俺には、何があっても全力で俺を守るって誓ったやつが付いてます。俺も全力で守られるって約束した。だから、何があっても俺は、絶対に大丈夫なんです」

 言って、またフィーに正面から目を向ける。

「頼む」

 フィーはまだ、躊躇するような目をしていた。一度思案に暮れるようにその青の深みを増した後、フィーは諦めたように肩で息を吐いた。

「勝手ばかり言いおって。折角取り戻した力を、ここで全部使わせる気か、お主は」

「ごめん」

 本当に勝手ばかり言っていると思う。だけど、激しい泣き声とも怒声ともつかない声を、ユキちゃんはずっと上げ続けている。彼女から手がかりを貰うには、もうこれしかない。

「…本当に、視えたのか……?」

「うん、絶対だ」

 確認するように訊いてくるフィーに、はっきり頷いて返した。フィーはまた少し思案に暮れるような色を浮かべた後で、掴んだままだった俺の手首を離した。

「守りは外せぬ。これだけは譲れぬ。失敗したら、もはや猶予はないと思え。お主がどれほど泣こうが喚こうが、澱みごとあの穢れを流し消すからな」

「ありがとう!」

 心の底から感謝の言葉が出た。

 そのまま、真っ直ぐユキちゃんに顔を向ける。小さい体のどこからこんなに大きな声が出るんだと思うほど、凄まじい声で泣き喚きながら、ひたすら孝にしがみついている。

 駅で、この二人に何があったのか。何故、ユキちゃんは孝に憑き、孝じゃなきゃだめだと言い張るのか。駅で孝を見ていたあの視界は、一体誰のもので、ここにいるユキちゃんとどういう関係があるのか。そして何より、ユキちゃんが刻んでしまって消せない念とは何なのか。

 そのすべてを知ろうと、俺は強い覚悟で、ユキちゃんへと手を伸ばした。





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