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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
35/95

【07】-6


「主様。私には、穢れの声も聴こえねば、形しか知ることが出来ませぬ。私の言葉をお伝え願えますか?」

 沈んだ俺の顔をあげさせるように、樹霊さんが言う。俺はもう一度唇を噛み締めて、拳を握りなおした。ぐっと、気持ちと一緒に顔を引き締めて、上を見る。

 天井では、女の子が泣き疲れたように声を小さくして、それでもまだ泣いていた。

「ねえ、俺の声、聞こえる? 言葉、分かるかな?」

 なるべく優しく聞こえるように、最大限の注意を払って声を出す。

「ねえ、泣かないで。怖がらなくていいんだ。怖いことは何もしない。約束する。本当だよ」

 女の子がぴくっと、微かに反応したように見えた。

 声は届いていると思っていいのだろうか。届いていてくれ。

 縋る思いで、優しい声を掛け続ける。

「行きたい場所があるんだよね? 大丈夫。俺達も、君をそこに行かせてあげたいんだ。だからもう泣かないで。大丈夫だから」

 見上げる先で、泣き声が少しだけ、収まった。そこに付け入るように、でも安心させるようにゆっくりと、言葉を続けた。

「俺、真生って言うんだ。君は? お名前言える?」

 はっきり言って、この質問は賭けだった。これに答えてくれなければ、あの子に俺の声は届いていないとも言えるし、聞こえていて無視するのであれば、それは届いていないも同じだ。

 高鳴る鼓動を抑えて、ひたすらじっと待つ。

 ややあって、女の子が涙でぐしょぐしょになった真っ赤な顔で、小さくしゃくりをあげながら、初めて俺を見た。

 これほど自分の顔が優しく見えますようにと願ったことはないかもしれない。

 必死に微笑んでみせる俺を女の子は、涙で濡れそぼった目で躊躇うように見る。永遠のようにも感じられた間の後、その小さな口がやっと動いた。

『…ユキ…』

 通じた。声が届いているんだ。飛び上がりたいほどの喜びを心の内に押し隠して、ひたすら安心させるように微笑んでみせる。

「ユキちゃん。可愛いお名前だね」

 ユキちゃんと名乗った女の子は、俺の言葉に小さくこくりと頷いた。完全に話が通じてる。これなら、何とか説得できるかもしれない。

「ねえ、ユキちゃん。そこから降りておいでよ。下で一緒にお話しよう」

 この距離では、せっかく口を利いてくれたユキちゃんの細かい表情の変化に気づけない。月明かりがあるとはいえ、部屋は暗いし、このままずっと首を真上にあげているのにも無理がある。

 そう思って言ったことだったけど、ユキちゃんは天井に張り付いたまま、ふるふると首を横に振った。

「降りたくないの?」

『……オリラレナイ』

「え?」

『キラキラガ、イタクテオリラレナイ』

「きらきらが痛くて、降りられない?」

 ぼそぼそと返したユキちゃんの言葉を繰り返す。きらきらが痛いって何だ? 思わず眉根が寄った傍から、樹霊さんの声がした。

「痛くて降りられない……。きっと、ラインの乙女の精気のことにございましょう。穢れは、清らかなるものに近づくことが出来ませぬゆえ」

 考え込むようなその言葉に、フィーを見る。フィーは俺の視線を受け、意を汲み取ったのだろう、片眉を少し上げて返した。

「どうなろうと知らぬぞ」

「頼む。ちょっとでいいから」

「知らぬからな」

 言って、フィーが不承不承といった感じに息を吐く。途端、ユキちゃんが天井から離れた。と、思ったら、そのまま真っ直ぐに、孝の上に降りた。嬉しそうに満面の笑みで、抱きつくように孝にしがみつく。

「ほれ見ろ。阿呆が」

 ユキちゃんのその行動に、フィーが横で悪態を吐くのを無視して、俺はユキちゃんに話しかけた。

「ユキちゃん、このお兄ちゃんのこと知ってるの?」

 その嬉しそうな顔が、不思議だった。なんでこんなに嬉しそうに、孝に抱きつく必要があるんだ。こんな小さな女の子が。

 俺の言葉に、ユキちゃんは孝にしがみついたまま、こくりと頷く。頭の中で情報が、ぐるぐる回っていた。

「えっと。俺、こいつの友達なんだけど、ユキちゃんもお友達かな?」

 孝にこんなに歳の離れた知り合いがいただろうか? 俺のその疑問を掻き消すように、ユキちゃんの首が今度は横に揺れる。

「あ、もしかして、近所のお兄ちゃんとか?」

 一瞬、近所の子供で一緒に遊んであげていたのだろうかと思ったのだけど、ユキちゃんがまたもや首を横に振ったことで、それも違うと分かる。

「じゃあ、親戚のお兄ちゃんとか?」

 孝は三人姉弟の末っ子だ。上のお姉さん達はまだ結婚してないから、姪っ子ということはまずない。親戚は確か九州のはずで、もしかして、そっちのほうの子だろうか。

 頭を必死に働かせている俺に、ユキちゃんはただただ首を横に振る。そして、ぎゅっと孝にしがみついたまま、嬉しそうに言った。

『アイタクテ、ソシタラ、アエタノ』

「会いたかった?」

 ますます眉間に皺が寄る。四歳くらいの女の子が孝に会いたかった? なんで。何のために。分からない。分からないけど、孝に会いたかったこと、それが、ユキちゃんの浄化できない念に関係しているのだろうか。


 考えがまとまらない俺に、樹霊さんが身を乗り出すようにして言う。

「主様、穢れにこの方から離れて私に憑くよう、お伝えくださいませ」

 正直、それは最後の手段だと思っていた。でも、ユキちゃんがこんなに孝にべったりじゃ、孝の精気が心配になってくる。フィーは、孝の精気は自分が清めると約束してくれた。だから、大丈夫。そう信じてはいるけど。

 不安を抱えたまま、ちらりとフィーを見れば、思いっきり知らん顔をされた。樹霊さんは、早くと言わんばかりの切羽詰った顔で、俺を見ている。

 他にいい案も浮かばず、仕方なく、ユキちゃんに言ってみる。

「あのね、ユキちゃん。ユキちゃんのこと、抱っこしたいなあって言ってる優しい女の人がいるんだけど」

『ユキ、コノヒトガイイ』

 即答だった。孝の首に腕を回して、少しも他を見ようとしない。

「ちょっとだけ。ちょっとだけ、抱っこされてみない?」

『ヤダ。コノヒトガイイノ。コノヒトジャナキャ、ヤダ』

 いやいやと駄々をこねるように、ユキちゃんが首を振る。

「どうして?」

 その頑なな様子が不思議で仕方なかった。なんで孝なのか、さっぱり分からない。

 知ってはいるけど、友達じゃない。近所の人でもなければ、親戚でもない。会いたくて、会えた。

 ユキちゃんがくれた情報を並べてみても、何も答えが見えてこない。孝はユキちゃんの何だというのだろう。ユキちゃんの念って何だろう。一体何をしたんだ、孝はこの子に。

「なんでそんなに、そのお兄ちゃんがいいの?」

『ズットアイタカッタノニ、ズットアエナカッタカラ』

「ずっと、会いたかった……?」

 なのに、会えなかったから? だから今一緒にいたいってことか? なんでユキちゃんは孝に、ずっと会いたがっていたんだ。なんで、ずっと会えなかったんだ。何が、そこにある?

「主様」

 焦れたように、樹霊さんが言って見てくる。その視線に負けて、もう一度ユキちゃんに言ってみる。

「ユキちゃん、あのね。女の人が、どうしても、ユキちゃんを抱っこしたいって」

『ヤダ』

 やっぱり、にべもなく拒否された。心なしか、ますます孝にしがみついている気がする。フィーは何も言わないし、樹霊さんは切羽詰った顔をしているしで、気だけが焦る。

「ねえ、ユキちゃん。ユキちゃんが本当に行きたい場所に行くには、このお兄ちゃんのところにいちゃいけないんだ。だから、」

『ヤダ。ユキ、コノヒトトイルンダモン。ココニイルンダモン』

 焦りが声に出てしまったのか、ユキちゃんがぎゅっと孝の首筋に顔を埋めたまま、ぐずるような声をあげた。

『コノヒトガイインダモン。コノヒトジャナキャ、イヤナンダモン』

 ぐずる声が、どんどん泣き声へと変貌していく。

 こんな時の子供の宥め方を俺は知らない。どうしたらいいんだろう。皐月さんは俺がぐずった時、どうしていたっけ?

『ヤットアエタノニ、ヤダ。ヤダヤダヤダア、アアアアアアン』

「ああ、ごめん。泣かないで、お願い」

 再び盛大に泣き出したユキちゃんを前におたおたしつつ、俺は記憶の中の皐月さんの見様見真似で、ユキちゃんの頭を撫でようとした。

 だけど。

「うわっ!!」

 ユキちゃんの頭に触れた瞬間、凄く強い静電気のようなもので、手を弾き返された。火傷を負ったように手のひらがジンジン痛む。

「真生!」

 叫ぶようなフィーの声に、手の痛み。樹霊さんの驚いた顔。ユキちゃんの泣き声。

「何をしておる! この、ど阿呆が!」

「大丈夫! 大丈夫だから!」

 血相を変えて俺の手を引っ掴んだフィーに、咄嗟にそう言って返しながらも、俺の意識は違うところに向かっていた。

 信じられない思いで、ユキちゃんをまじまじと見る。そんな馬鹿な。そんな言葉が心の底からこみ上げてくる。でも。だけど。

「ユキちゃん、君……」

 見えたのだ。あの瞬間、確かに見えた。ユキちゃんの頭に手が触れた、あの瞬間。一瞬だけだったけど、頭の中にはっきりと見えた。

 列に並ぶ孝と、大勢の人。開く電車の扉。電車に乗り込む孝の後姿。そして、それを見送るようにただ見ていた―――……。

「君、本当は何歳なの……?」





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