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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
33/95

【07】-4


『アアアアアアン』

 互いに不審な目で相手を見ながら、言葉を失くす俺達の間に、その泣き声だけが変わらずに響く。

「何って、だって…。さっきからずっと、泣いてるじゃん、ほら」

「誰が?」

「誰って……」

 フィーの問いに、俺のほうが答えを貰いたいくらいだった。こみ上げる恐怖に、顔が引きつる。

「分からないけど、でも部屋に入った時からずっと、聞こえてるじゃんか、」

 ずっと部屋に響いていたはずだ。フィーと樹霊さんが話している最中も、ずっと。今だって。………でも。

「小さい子供の、」

 でも、フィーも樹霊さんも全然気にしないで、ずっと無視していた。喚いても、泣いても、まるで………。

「……声……」

 まるで何も、聞こえていないかのように―――――……。

『アアアアアアアン』

「小さい子供の声?」

 甲高い泣き声が響く中、フィーが怪訝そうに俺の言葉を繰り返す。

 俺は辿り着いた答えに、冷水を浴びたように、さあっと体が冷たくなっていくのを感じていた。

 最初に聞いたとき、その高い声質や舌足らずな喋り方が、何を意味するか分からなくて、足が止まった。二回目に聞いたとき、それが子供特有の声質だと認識して、喋っているのが幼児と呼ばれるくらいに小さい子だと理解した。こんな状況だけに、その小さい子供の声が、その舌足らずな喋り方が、ぞっとするほど不気味に感じて、どうしてここに子供がいるのか分からなくて、恐怖と疑問で頭がぐらぐらして―――。

 最初から全部、俺にしか聞こえていなかったのか。舌足らずな喋り方で幼い声が、怒って喚くのも。

『アアアアアアン』

 小さい子供特有の大きな、この甲高い泣き声も。

 俺にしか、聞こえていないのか―――――。


 顔の筋肉が、二度と動かないんじゃないかと思うくらい強張っているのが自分で分かった。顔だけじゃない。全身の筋肉が、凍りついたように動かない。

 困惑した表情でフィーが、探るように俺の顔を見る。戸惑いと不安に揺れるその青い目が、突如、大きく見開かれた。

「…まさか……」

 信じられないものを見る目つきで、青い目がまじまじと俺を映す。フィーらしくない、恐る恐るといったその口の動かし方。外に響かないのが不思議なくらい、心臓がどくんどくんと強く鼓膜を震わす。

「お主、まさか、あれの声が、聴こえておるのか……?」

 口調同様恐る恐る、フィーは人差し指を真っ直ぐ上に向けた。

 その指し示す方向へと、視線を動かす。強張った首の筋肉が、ぎしぎしと硬く軋んだ。

「ひっ!」

 そこに見えたものに、俺は上を向いたまま思わず、悲鳴をあげて後ずさった。

 目が釘付けになって動かない。

「なんだよ…あれ…!」

「孝に憑いている穢れの本体だ。お主、本当に聴こえるのか?」

 答えながら、フィーが訊いてくる。だけど、俺はそれに答える余裕はなかった。腰が半分抜けかけていた。

「穢れの本体? あの子が?」

 戦慄と混乱で、気がおかしくなりそうだ。なのに、フィーが更に追い討ちをかけてくる。

「あの子? お主、まさか、あれの姿まで視えるのか?」

「見えるのかって…、そりゃあ見えるだろ! そこにいるんだから!」

 まさか、フィーには見えないとでもいうのだろうか。俺には顔に寄った皺さえ、こんなにはっきり見えているのに。

 見上げた先、天井に、背中を張り付けて今なお泣きじゃくっている小さな女の子が。

「どういうことだ? 私達の目では、形を捉えることが出来ても、姿までは視えぬはず。ましてや声が聴こえるなど、そのようなことが出来るものなど、神にも精霊にもおらぬ」

 有り得ないと言わんばかりに、フィーが取り乱した声を上げる。

「ただの人間のお主が、何故そのような……」

「知らねえよ、んなこと!」

 パニックでつい声を荒げた俺が怖かったのか、女の子が更に怯えた泣き声を上げる。正直、泣きたいのは俺のほうだ。何がなんだか分からない。

 穢れっていうのは、魂じゃなかったのか。霊と魂は違うって、フィーは言ったのに。俺達がいうところの幽霊なんかとは違うって。だからてっきり俺は、火の玉みたいなものを想像していたのに。それならあんまり視覚的に怖くないかなとか、そんなことを思っていたのに。それがなんで、四、五歳くらいのあんな小さい子供なんだ。

 フィーは取り乱した表情を浮かべながらも、思案に暮れるように青い目を沈ませた。その顔が、はっと固まる。

「……始精根か? 始精根と魂を融合したことが、何か影響しておるのか?」

「だから、知らないって! 分かんねえよ、俺には何が何だか」

「もし」

 明確な答えの出しようもない問答をする俺達を少しの間、事態を飲み込めない様子で見ていた樹霊さんが、傍らで声をあげた。

「主様は、穢れの声がお聴こえになるのですか? でしたら、お願いでございます。どうぞ穢れにお伝えくださいませ」

 切羽詰った顔で言って、樹霊さんは俺を見る。

「その身の穢れはすべてこの私が引き受けるゆえ、この方から離れて私に憑くよう、何卒そうお伝えくださいませ」

「伝えろって言われても、でも……」

 天井の女の子は相変わらず、大声で泣きじゃくっている。この状況で、こっちの話なんか聞いてくれるだろうか。その前に、会話をすることが出来るのだろうか。

 戸惑う俺の横で、フィーがきっぱりと口を動かす。

「その必要はない。あの穢れは流し消す」

「流し消す?」

 冷たく突き放すようなフィーのその声色に不穏なものを感じて、俺は顔をフィーに向けた。

「流し消すって、どういう意味だ?」

「未来永劫、輪廻の渦に還れぬ身にしてやるということだ」

 大きな泣き声の中、フィーは冷然と言い捨てた。青い炎のように揺らぐ目が天井を見据え、ますます泣き声が激しくなる。

「ちょっと待ってよ。それって、お前が言ってた死より性質が悪い消滅ってやつ?」

「そうだ」

「ちょっ、待て! 駄目だ、そんなの!」

 考えるより先に体が動いた。両手でフィーの肩を掴んで俺が喚けば、フィーもまた、顔を俺に向けて猛然と声を荒げた。

「何がだ!」

「だって、あの子は……!」

 人間だ。それも、あんな小さな。穢れといくら言われても、俺には、怯えて泣きじゃくっているただの小さな女の子にしか見えない。

 だけど、それをどう伝えたらいいのか躊躇っているうちに、フィーが俺の心を読んだように、冷たく言った。

「人間だから、許せとでも?」

 蔑むような青い目が、薄暗い月明かりの中、ぎらぎらと燃え盛る。

「ふざけるな。あれのせいで、樹霊はもう還れぬ。あれとて、還してなどやるものか」

 魔性のもの。そんな言葉が頭に浮かんだ。初めてフィーに、本当の畏怖を感じた瞬間だった。

 女の子は自分の運命を感じでもしているのか、それこそ火がついたように泣き狂っている。

 俺が一瞬気圧されたの見逃さず、フィーが再び顔を上に向ける。掴んだ肩を体ごと闇雲に揺さぶって、俺は声を張り上げた。

「駄目だ、やめろ! そんなことしちゃ駄目だ!」

「いい加減にせぬか!」

 怒鳴りながらフィーが、きつい鋭い目で斬り付けるように俺を睨む。

「あれは樹霊だけでなく、孝も穢しておるのだぞ? そもそも穢れを祓うてくれと言うたは、お主であろう!」

「そうだけど、でも!」

 泣き叫ぶ大声を耳に、必死で訴える。

「お前は穢れを浄化することが出来るんだろ? 流し消すとかじゃなくて。だったら……」

「断る! そこにおる樹霊は、水と風と日と月が何千何百と時をかけて育てた、大地の愛し子だ。それを我らから奪った相手に、慈悲など与えてやる義理はない!」

「だけど! ひどいことをされたからって、同じことを仕返していいって道理もないだろ!」

 猛火のごとく滾る青い目を真っ直ぐ見返す。血管が切れそうなくらい必死なのに、当然のようにこみ上げてくるいつもの意味不明な罪悪感に、反吐が出そうなほど嫌気が差した。それをぐっと飲み込んで、言葉を続ける。

「あの子だって、もしかしたら誰かにとって、お前のレネや、樹霊さんの大事な人みたいな存在かもしれないだろ。消してしまったら、二度と生まれ変わってこられないじゃないか」

 生まれ変わりとか、前世とか来世とか、正直言ってフィーに会うまで信じてなかったし、あんまり深く考えたこともなかった。だけど、それが本当にあるのだとしたら、それは、亡くしながら生きる俺達にとって、かけがえのない救いの光だ。

 亡くしてしまった大事な人への、どうしようもないやるせなさや痛みを、完全に消してしまうことは出来なくても、いつかまたその人が生まれ変わって、この世界のどこかで生きて、幸せに笑う日が来る。そう思うだけで、どんなに心が慰められるか。亡くしながら、それでも生きていかなきゃならない現実に、続く日々に、ほんの少しだけでも、光を見つけられるかもしれない。

 この子にも、両親がいるはずだ。こんなに小さくして子供を亡くして、どれほど悲しみに打ち萎れていることだろう。多分、幼稚園とかに通っていて、先生や友達にも、囲まれて生きていたはずだ。おじいちゃんおばあちゃんだっているだろう。この子を消すということは、その人達の心の救いを消してしまうことだ。

「この子がしたことは、俺だって許せないと思うけど、でも、消すなんて絶対駄目だ。いくらお前が凄い存在でも、そんなことをしていい権利はないはずだ」

 言い切った俺をその目に映しながら、フィーは少しだけ黙った。そして、

「……権利、のう」

 それまでの激昂が嘘のように静かにそう、威厳に満ちた声で言って返した。

「権利ならば、ある。私はこの星の万物の母たるものの娘であり、大いなるものより慈恵と浄化を授かりし水の姫。生命の母にも等しい存在だ。お主に咎められる謂われもなければ、お主にこそ止める権利はない」

 静かな声とは裏腹に、いまだぎらぎらと燃え盛る青い目が俺を映したまま、すっと狭まる。

「あの穢れが樹霊にしたことを許せぬと、そう思うとお主は言うたが、所詮口先だけの思考であろう? 人間はいつもそうだ。考えてみるがよい。還れなくなったのが樹霊ではなく孝であったら、お主は今と同じことを言えるか? 皐月であったら? お主の両親であったら? 恋人であったら? それを奪ったものを何の咎もなく許すと、そう言うか?」




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