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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
32/95

【07】-3


『ジャマヲスルナ』

 部屋に響く声を無視して、フィーが樹霊さんに語りかける。

「何ゆえだ。何ゆえ、ここまで力を使った。この人間は、そなたが愛した男ではない。それが分からぬそなたではなかろうに」

「存じております。ですが、この方は……」

『ヤメロ』

 癇癪を起こして喚くような声が大きく響く。それを無視して樹霊さんが、眠る孝の腕にそっと触れる。まるで、世界で一番の宝物に触れるかのようなその手つき。愛しくて仕方ないといったその眼差し。何故か、そこに記憶にない母親の姿を見たような気がして、やけにぎゅっと胸の奥が締め付けられた。

「この方は、あの方の血脈を受け継ぐ者にございます」

「…血の記憶か」

 舌打ちするように、フィーが吐き捨てた。樹霊さんは、孝を見つめながら、柔らかく笑む。以前と同じその優しげな微笑が、憔悴したようにやつれて見えるのは、姿が透けていて頼りないせいだろうか。

「あの方と昔約束したのです。あの方のお子、そのお子、そのまたお子のお子までも血が続く限り永遠に、ただ健やかに、花を愛でることが出来るよう、あの場所をあの方が愛した美しい姿のまま残すと」

 ぽつぽつと、大切な思い出をなぞるように、樹霊さんは消え入りそうな声を繋いで言葉を紡いでいく。

「そうしてずっと、ずっと見守って参りました。あの方の肉体が骨となり、我が父の御胸に抱かれ消えた後も。春になれば、妻を連れ子を連れ、あの方の血を継ぐ者達が花を見に訪れるのを、健やかなれと、ただそれだけを願い。やがてこの身に許された時が過ぎても、父が何も言わぬのを良いことに還ることもせず、ずっと……。そうやって、季節だけが、時代と共に移り変わってゆきました」

『ジャマヲスルナ』

 繰り返されるその声を、樹霊さんもフィーも当然のように無視した。

「私達樹霊や花霊が、枝を伸ばし木陰にそよ風を呼び、蕾を育て花を咲かせるは、種を残すためばかりではありませぬ。それを見る者の心に安らぎが宿り、世が健やかなるを何より願ってのこと。されど、その願い虚しく、人の世では幾度も幾度も、戦乱が起こっては鎮まり、起こっては鎮まり、その繰り返し。やがて、鉄の鳥が空から火の雨を降り注ぐ大きな戦争の時代へと時は進み……。大勢の樹霊や花霊が、還ることも叶わぬほどに焼かれ、消えて逝きました。芽吹いた地から動くこと叶わぬ私達には、それは惨い、惨い時代にございました」

 言って、樹霊さんは少しだけ目を伏せた。消えていった仲間に黙祷を捧げるような、その仕草に胸がじくりと重く痛む。

「私は運よく焼け消えることだけは間逃れましたが、その戦争の最中、あの方の血を継ぐ者達はこの地を離れてしまい、あの場所から離れられぬ私は、その行き方を知ることも出来ず……。もう二度と約束を願うことすら叶わぬと、一人きりになったあの場所で、どれほど人の世を呪ったことでしょう……」

『ジャマヲスルナ』

「なれどあの日、あの場所で、この方を見た瞬間、喜びにこの身が震えました。一度は呪いもした人の世が、どれほど光り輝いて見えたことか……。あの方の血が絶えることなく、今日までこうして繋ぎ守られていたことが、どれほどに……」

 零れそうな涙を堪えるように、樹霊さんは微笑んだ。そして、一度ぎゅっと口を結び、その顔を孝からフィーに向けた。

「この方は確かに、あの方の血を継いでおられます。そして、その血を次代に繋ぎ渡す方。私が守るべきお方にございます」

『ジャマヲスルナ』

「戯けたことを!」

 しつこく響く声と、フィーの張り上げた大きな声が重なった。

「血の記憶など、動物をその動物たらしめるが為のただの構造情報ではないか! そんなもののために、そなたは……! そんなものを守らせるために、私はそなたに力を与えたのではない!」

『…ッ、…』

 叱咤するようなフィーの突然の大声に、もうひとつの声が、案の定の反応を示す。

 俺は正直、それが苦手だ。身近にそういう存在がいなかったからか、ただでさえ、どうしてあげたらいいのかよく分からなくて困ってしまうのに、この状況じゃもう、恐怖も相俟ってお手上げだ。

 フィーはそれに一向に構うことなく、更に硬い声を張り上げる。

「そなたはあの地を守ると申した! その言葉を信じたゆえに私は力を与えたのだ! それが、守るどころか樹霊の身でありながら地を離れ、たかが血の記憶を守るがために私の力は愚か、己自身の力まですべて消耗しおって!」

『……ヒッ、…』

「賢者に、そなたの父に私は何と詫びればよいのだ!」

『…ッ、ウアアアアアン』

 とうとう盛大に泣き出したその声に、一人俺は肩を窄めた。

 泣き声の中、樹霊さんは必死に縋るように声を振り絞る。

「父は貴女様を責めたりは、誓って致しませぬ。我が父はすべてを知る者。何もかも大いなるものの導きであったと、はじめからおわりまで、すべて最初から知っております」

『アアアアアアン』

 不思議なほどに、フィーは勿論、樹霊さんも、泣き声を気にする様子が全くない。こんなに大声で泣いているのに。

「ですから、何卒、何卒もう一度だけご慈悲を。慈恵と浄化を天分に持たれた貴女様なら、この方をお救いになれるはず。どうか……」

 ぼろぼろと、樹霊さんの目からとめどなく涙が零れ落ちる。

「あの方の血を受け継ぐこの方を、どうかお救いくださいませ。お願いでございます。お願いでございます」

「くだらぬ。血の記憶など、何の意味もない。賢者の娘たるそなたが、こうまでして守るに値するものではない」

 頭ごなしに否定するフィーに向かって、樹霊さんは涙で濡れた頬に髪がくっつくのも構わず、激しく首を横に振った。

「いいえ、いいえ! 意味がないことなどございませぬ。親から子へと受け継がれる血の繋がりは、その者の魂を引き継ぐ行為にも等しいと、あの方はいつもおっしゃっておられました。たとえ自身の目で二度と花や月を愛でることが叶わずとも、お子達の血の中にその心が流れておれば、そこに自分はいるのだと……。それこそが、無常が定めの人の世に存在する、ただひとつの永遠の命だと……!」

「馬鹿馬鹿しいことを申すな! 永遠の命など人の世にはない!!」

『ウアアアアアアアン』

 一際大きなフィーの叱責に、声が一層大きな泣き声をあげる。

「フィー、あんまり……」

「五月蝿い、お主は黙っておれ!」

 樹霊さんの涙に、響く泣き声。たまらなくなって横から重い口を挟むも、フィーに即座に突っぱねられた。肩を尖らせて、こっちを見ようともしない。

 どうしていいか分からない俺を余所に、樹霊さんはひたすら哀願しながら、涙を零し続ける。

「お願いでございます。何卒ご慈悲を。この方の中に生きているあの方の命を、ここで絶やしたくはないのです。お願いでございます。恐れ多くも、私と同じように人ならぬ身で人を愛された貴女様なら、この愚かな心がお分かりになられるはず。どうか…どうか……。私の精気すべてと引き換えにでも、」

「そなたの精気と引き換えだと……? そなたの精気は、そんなもののためにあるのではなかろう!」

『アアアアアアアン』

「そうでなくとも、そなたの精気などもう、枯れ尽きて残っておらぬではないか! 何故地を離れた! 何故この者のために枝を、花を犠牲にした! 何故身代わりになって穢れを受けた! そのような身で何故……、こんなことのために!」

『アアアアアアアン』

「フィー!」

 噛み付き吠えるようなフィーの声に、大きな泣き声。樹霊さんの涙。さすがに堪えられなくなって、フィーの腕を掴んで、力ずくで牽制する。

「大きな声を出すのはやめろ、泣いてるだろ!」

 だけど、そうやって力ずくでこちらを向かせたフィーを見た途端、俺はもう、頭を抱えて座り込みたい気分になった。

 青い目に、今にも零れそうなほど盛り上がった涙の海。瞬きひとつで崩壊しそうなそれを湛えて、フィーが今度は、俺に向かって噛み付く。

「お主は阿呆か! 樹霊は、私が大声を出すからと泣いておるのではない! それくらい分かれ!」

 そうだ。そうなんだ。フィーがこんなふうに声をあげて感情的になっているときは大抵、悔しくて、泣きそうになっているときなんだ。悔しくて、悔しいのにどうしようも出来ない自分が悲しくて、泣きそうになっているときに、フィーは、ひたすら感情を外にぶちまけることで、涙を我慢しようとする傾向がある。

 生物の精気には必ず限りがあると、フィーは言っていた。植物だって、生物だ。樹霊さんは桜の樹の精なのだから、精気に限りがあって、そして恐らくもう、それを使い果たしてしまったのだろう。よく分からないけど、「還る」ってことが出来なくなるくらいに。それがフィーには、悔しくて、悲しくて、たまらないのだろう。

 そんなに涙を溜めるくらいなら、素直に泣けばいいのに。嬉しいとか、美味しいとか、楽しいとか、不満とか、他の感情は、あんなに素直に顔に出すくせに。

『アアアアアアアン』

「そうじゃなくて! 樹霊さんじゃなくて、もうひとりのほうだよ」

 泣き止むことをしない声に、とりあえずフィーを宥めようと、振り払おうとしてくる腕を掴んだまま、訴える。

「お前が大きい怖い声ばかり出すから、泣き出して全然泣き止まないじゃんか」

 この声が誰のものでどこから響いているのか、今もって分からないし、正直怖い。だけど、この手の泣き声ほど、聞いていて気持ちのよくないものはない。泣き止んでもらえるなら、それに越したことはない。

 俺の真摯な訴えに、フィーは一瞬、間の抜けたような妙な顔をした。俺の手を振り払おうと、腕に込められていた力がなくなる。

「もう、ひとり……?」

 全く持って解せないと言わんばかりに、俺を見るフィーの眉根が寄る。

「何を言うておるのだ? お主」

「え……?」

 今度は俺が、間の抜けた顔になる番だった。





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