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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
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【06】-5


 意識と一緒に、視界が鮮明になる。そこに映る相手を凝視し、俺は、暫し絶句した。

 ………誰だ、この人。

 いや、頭の奥では理解している。銀と青。この特徴を持つ人を、俺は一人しか知らないのだから。

 だけど、すぐには認識が追いつかない。

「よう戻ったな」

 その声。その目。その髪。間違いない。間違いはないのだろうけど、それにしても。

「………フィー?」

 半信半疑の俺の呼びかけに、彼女は静かに微笑んだ。その手が、撫でるように俺の頬を拭う。細い、綺麗な指。

「辛かったか?」

 その言葉と動作で、初めて俺は、自分が泣いているのに気がついた。ついでに、彼女に膝枕されていることも。

「あ……、いや」

 慌てて起き上がって、頬に残った涙を手の甲で拭う。どんだけ泣いていたんだと自分に突っ込みを入れたいほど、ぐっしょり濡れていた。

「なんぞ痛みでもあったか?」

「いや、そんなんじゃ……」

 気遣わしげに聞いてくる彼女にそう答えて返しながら、ふと、ぼんやりした記憶を手繰り寄せようとして、はたと、止まった。

「……覚えてない……」

 何も、覚えていない。何か、長い夢のようなものを見ていた気がするけども、何も思い出せない。はっきりとある最後の記憶は、海底火山に飛び込む直前だ。その先は、何も、殆ど無と言っていいほど覚えていない。でも。

 ただ、ひとつだけ。何となくだけど、おぼろげに残っている感覚があるとすれば、それは。

「なんか、歌が聞こえたような気がした。フィーが歌ってた?」

 どんな旋律だったかも覚えていない。だけどもう一度聞けば、必ずそれだと分かると確信出来るくらい、耳の奥に残っている気がする。出来ることならもう一度聞きたいと、何故か酷く強く、そう思った。

「私は、もう歌わぬ」

 俺の問いに、彼女は微かに首を横に振った。銀色の髪が、さらりと揺れて靡く。

「お主の意識に歌が届いたとするならば、それは他の者の歌であろう」

 今更だけど、彼女は本当にフィーなんだろうか。なんていうか、こう、物凄く、信じられない。

 月並みな表現しか出来ない自分が情けなくなるほど、とても、綺麗だ。光るような銀の髪も、白磁みたいな肌も、目が覚めるほどに深く清んだ青い目も、みんな、この世のものとは思えないほど綺麗で。すらりとした細い腕や、俺が知っているフィーにはないはずの、胸の膨らみやらくびれやら、目のやり場に困るくらい艶かしさを有しているのに、その一方で、そんなふうに思うこと自体、酷く罰当たりな気がして恐れ多くなるほど、清らかな雰囲気を全身から放っている。

 これが本来の姿なら、天地を狂わすほどの美女だと豪語したフィーの言い分も納得出来る。天地が狂うかどうかはともかく、確かに、崇めるに値する美人であることは否めない。

「どうした、面白い顔をして。それほど意外であったか、この姿が」

 つい、まじまじと見蕩れてしまっていた。その顔が茶化すように笑う。その表情も、その口調も、間違いなくフィーだ。あまりに綺麗すぎて、ちょっと違和感があったけど、フィーだと思えば大丈夫だ。

 頭の中で、目の前の美人を、いつも品なく羊羹に食らいついては口の周りを汚している女の子に変換する。どきどきする必要はない。彼女はフィーだ。

「なんにせよ、お主が戻って良かった。正直に白状すれば、お主が目を開けるまで、気が気ではなかった。よう頑張ったな」

「頑張ったっていうか、俺、何にもしてないけど……」

 労うように言われて、少し肩身が狭い。事実、俺自身は何もしていない。ただフィーにくっついていただけだ。

「ここ、どこ?」

 言いながら、辺りを見回す。どこの海辺だろう。砂浜が、ずっと向こうまで続いている。夜だからか、人の気配はどこにもない。電灯も見当たらないから、月がなければ、本当に真っ暗だっただろう。ざあざあと寄せては反す波の音だけが、辺りを支配している。

 フィーはその問いを無視して、せがむように手を出した。

「真生、手を出せ。指輪を見せてみろ」

「指輪…?」

 訳も分からないまま、言われるがままに左手を見せるように出す。思わず、目も声も大きくなった。

「ひびが!」

 指輪の青い石の真ん中に、小さなひびが入っている。知らない間に、何かに強くぶつけでもしたのだろうか。今までどんな雑な扱いをしても、傷ひとつ入らなかったのに。

「ごめん、俺、全然気づかなかった。どっか、岩とかにぶつけちゃったのかな、ごめん」

「案ずるな。これくらいの綻びなら、私でも封じられる」

 一人焦る俺を宥めるように言って、フィーは指輪に手をかざした。青白い、熱のない光が、フィーの手のひらから、指輪の石に注がれていく。燃え尽きる星のように一度、眩く煌いてから、石は元の傷ひとつない姿に戻った。

 魔法のようなその光景を目の当たりにして、さすがに驚きを隠せない。食い入るように指輪を確認する俺を尻目に、フィーは溜め息を吐く。

「これもこれなりに、お主を守ろうと必死に足掻いたのであろう。しかしまあ、いくら始精根の影響を受けたとは言え、この封印をここまで破るとは。さすがというか、呆れるというか」

 その口調に明らかに混じっていた自嘲の色に、俺は顔をあげた。聞きたいことが、あったのだ。海底火山の中、母の胎内とやらに飛び込む前から、ずっと、気になっていたこと。

「なあ。なんで、封じなきゃいけないんだ? お前の魂なんだろ?」

 この指輪にあるのは自分の魂だと、フィーは言った。それを自ら頼んで封じたとも。何故、そんなことをする必要があったのか、そして今また、それをこうして自ら封じる必要は何なのか、それが純粋に知りたかった。

 フィーは、何とも言えない表情を浮かべていた。嘲るような、悲しそうな、愛しむような、憎むような、切なそうな、恨めしそうな。その全部をごちゃ混ぜにしたような複雑な表情で、指輪を見つめ、そろりと石を撫でる。そうしながら、ぽつりと言葉を零した。

「……私の魂は、強すぎるのだ」

「強すぎる…?」

 意味が分からず、訊き返す。だけど、それにフィーが言葉を返すより早く、別の声が響いた。

「おおい、銀の姫。言われたとおり、結界張ったけどさ。こんなことする意味あるのかよ」

 見れば、シシィが夜目でも目立つオレンジの髪を靡かせて、すとんと砂浜に降りてきたところだった。

「おっ、戻ったのか、人の子!」

 その緑色の目が、俺を見とめて、心なし嬉しそうに弾む。砂浜を駆ける子犬のように一直線に近寄ってくるシシィに、俺もまた、少し笑って言葉を返そうとした。

 だけど、それより早く、今度はフィーが会話を遮った。

「すまぬな、シシィ。折角結界を張ってもらうたが、やはり意味はなかったようだ」




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