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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
26/95

【06】-3


 ―――音が、する………。

 遠く……。いや、すぐ近くで。

 何だろう。どこかで聞いた、懐かしい響き。ずっと、こうして聞いていたいような………。

 なんだか、うっとりするほど、心地がいい。

 何だろう、あの音。静かで、落ち着く。どこで聞いたんだっけ……。気になる……。ああ、でも、目開けたくないなあ。折角、気持ちいいし……。もう少しこうしてたいなあ………。ああ、でもそろそろ起きないとバイトが……………バイト………? バイトって、何だ? …あれ、待てよ……。……あれ? 俺、何してたっけ………?


 がばっと、勢いよく起き上がった。つもりだった。

「気がついたか?」

 すぐさま聞こえてきた声に、声を返す。

(フィー? …え……? あれ?)

 おかしい。口を開けて声を出しているはずなのに、全く音になっていない。微妙に焦って、喉に触れようとして、はたと止まる。

 ………手の動かし方が、分からない。

 手だけじゃない。足も、頭もだ。動かしていたと思った喉や口ですら、考えれば考えるほど、どうやって動かしていたのか分からない。焦りつつ、周囲を見る。

 見て、いるのだろうか、これははたして。真っ暗だ。眼球を動かしている感覚もなければ、瞼を開けているのか閉じているのか、その感覚すらさっぱりない。

 ただ、音だけが聞こえる。さっき、夢うつつとしながら聞いていた音。どこかで聞いたと思った。今なら分かる。プールなんかで、水の中に潜った時の音だ。それも深く潜って、暫くじっと動かなかった時に耳に響く、静かな、心地いい水の音。

 ………一体、どうなっているんだ、これは。

(フィー、大変だ。なんかおかしい、俺、)

 つい焦って話しかけたものの、声が出ないことを更に思い知らされただけだった。動揺のあまり、さあっと、全身から血の気が引く思いがした。

 だけど、俺のその不安を見抜いたように、すぐにフィーの声が響いた。

「落ち着け、大丈夫だ。聞こえておる」

(え、聞こえてるの?)

 一気に安堵して、矢継ぎ早に問いかけた。

(ていうか、なんで声出ないの? 俺、今、どうなってるの? ここ、どこ? 何がどうなったの?)

「落ち着けと言うておろう。簡単に言えば、お主は今、私の中だ。私の気を大量に注ぎ込むことで、お主を私に融合させた」

(融合?)

「分子レベルで溶け合ってひとつになったと言えば、分かるか?」

(分子レベルで溶け合ってって、どう……)

 どうやって? そう尋ねかけて、一瞬で、記憶が生々しく蘇った。

 ―――そうだ、そうだった。俺は、こいつとキスしたんだった。先にしてきたのはフィーだけど、途中からなんか暴走して、今考えると、とんでもないことをした記憶しかない。ほぼ強引に弄って吸い付いた小さな舌の感触を思い出すと同時に、自分の行動に青ざめる。謝るべきだろうか、これはやっぱり。いやでも、フィーが。いやでも、やっぱり俺が。

 内心悶々と悩む俺を余所に、フィーは少し気が抜けたような声を出した。

「しかし、よう眠っておったな。シシィが案じておったぞ。私が気をやりすぎたせいだとか、そもそもが間違いだとか、喧しいほどに。あれはよほど、お主を気に入ったようだな」

 何もまるで気にしていなさそうなその口調に、俺もまたちょっと気が抜けた。

(そっか。シシィは?)

「もうおらぬ。月の光が届かぬ場所まできたゆえ、先に上がらせた。渋っておったが、あれを危険に晒すわけにはいかぬ」

 危険。その言葉に緊張が走る。

(じゃあ、今もう、母の胎内?)

「いいや、違う。ここはまだ、人間達が言うところの深海だ」

(深海……)

「真生、私の言うたことを覚えておるな?」

(うん)

「じきに着くゆえ、お主にも分かるよう、少し説明をしておこう」

 言って、フィーは語るように続けた。

「私は最上古精だと、シシィから教わったであろう? 最上古精はかつて、四源精と呼ばれる精気の結晶から生まれた。そして、その四源精の大元が、始精根。始精根は、この星の起源に纏わる精気で、星に満ちる全ての精気の源だ。母の胎内には、この始精根の源流が渦巻いておる」

(…始精根の源流…)

 想像力が足りなくて、どんなものかはっきり想像出来ないものの、とにかく凄そうだってことだけは分かる。

「この星で生まれた精気は、どんなものであれ、この大渦に近づくだけで、始精根に融合する。己という一は完全に消え、皆等しく始精根という全に還り、母の胎内の大渦、星のゆりかごの中で、永久にまどろみ続ける。二度と、元の一には戻れぬ。ゆえに、私達最上古精しか行けぬ場所だといわれるのだ」

「私達は四源精の結晶ゆえ、元々が始精根に限りなく近い。融合してもまたそこから、完全な一として抜け出せる。お主に私の精気の三分の二以上を注ぎ、私に融合させたのは、そのためだ。お主本来のままでは、始精根と融合したら最後、二度と元の一に戻れぬからな」

(そうなんだ……。ありがとう)

「しかし、お主には精気だけでなく、魂がある。魂というのは本来、大いなるものの一部であって、この星のものではない。始精根から派生した精気とは別の、独立した生命体なのだ。これまでずっと禁忌とされてきて、前例がないゆえ、魂が始精根と融合した場合、どんな支障がどちらにどれほど出るか、正直私にも分からぬ」

(え)

「だが、お主は指輪と正式な契約を交わしておる。あの指輪の中にあるのは、私の魂だ。魂が契約を結ぶのは、魂相手にだけ。そして契約を結ぶということは、それに縛られると同時に、守られるということでもある。何が起こっても、私の魂が必ず、お主の魂を守ろう」

 はっきりと強く、フィーの声が響く。

「案ずるな。私の魂は星より強い。なんせ、自ら請うて封印せねばならなかったほどだからな」

 そう言う口調は、いつもの権高なものなのに、何故かそこに僅かに、自嘲めいたものを感じた。

 そういえば、フィーは前にもそんなことを言っていた。八百年前、精霊王の許しを得て、自ら魂を移したとか何とか。あの時は大して気にも留めずに聞き流したけど、もしかしたら、何かそこに深い事情があるのだろうか。俺の知らない、深い事情が。

 考えてみれば今更だけど、俺はフィーのことを殆ど何も知らないに等しいのかもしれない。


 ( お前、本っ当に何も知らないのな )

 ( ま、人の子が人の子のため以外で動くわけないもんな )


 さっき、風の道でシシィが言ったそんな言葉達が、脳裏を過ぎって、ちくりと胸を刺した。


 正直、状況が許すのなら、フィーに今すぐ聞いてみたいことが沢山ある。でも、今は、やることはひとつだ。

(うん。分かってる。お前は絶対俺を守るって、分かってるから、大丈夫)

 可能な限り、力強く答えた。それに返ってきた声もまた、凛々しいほど力強かった。

「よいか、真生。始精根と融合しても、私と融合しておる限り、一という己をお主自身が消さなければ、私と共にそこから抜け出せる。お主がすべきことは、一である己を忘れぬこと。それだけだ」

(お前は? お前は何をするんだ? 大丈夫なのか?)

「私は始精根に融合し、再び一となることで、失った力を取り戻す。まあ恐らく、それも一時凌ぎにしかなるまいが、それでも穢れくらいは浄化できよう」

 淡々と答え、フィーはまた声に力を込める。

「その後、お主を融合させたまま、すぐに陸へ上がり、そこでお主を切り離す。私はお主を取り込む気はないゆえ、お主が注意すべきは、始精根との融合時、その時だけだ。よいな? 一である己を、けっして忘れるでないぞ」

(分かった)

 しっかり答えながらも、心臓が震えているのが分かった。実際、分子レベルでフィーとひとつになっているらしいから、俺の心臓が震えているのか、フィーのそれが震えているのか、よく分からないけども。

 緊張のあまり、高揚しているのだろうか。火照るように体が熱くなってきた。その感覚さえ、俺のものなのか、フィーのものなのか、あやふやだ。

「見えてきた。あれが、母の胎内への入り口だ」

 響いてきた言葉と同時に、闇に包まれていた視界に、ゆらゆらと立ち上る煙のようなものが見えた。

 それに近づくにつれて、体がどんどん、焼けるように熱くなってくる。これはもう、どう考えても、高揚しているせいなんかじゃない。吹き上がる猛烈な熱に、意識が否応なしに朦朧としてくる。光も届かない深海にいるはずなのに、この熱。ここまできて、ようやく俺も合点がいった。

 真っ暗な深海の底、もくもくと湧き立つ水蒸気、その遥か奥にちらちら見える、赤とも黄色とも取れる熱の光。マグマだ。海底火山――――。

「行くぞ。よいか、一であることをけして忘れるな!」

 フィーの声は、そこで途切れた。

 溶けて、根こそぎ蒸発しそうな熱の噴射。

 抵抗すれば全身が砕けそうな、強い引力。

 俺は、俺達は、それに包まれるように海底火山の噴火口の中、ぐらぐらと煮え滾るマグマが待ち構える地殻の割れ目、その奥へと飛び込んでいた。

 それが、意識の最後だった。




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