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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
22/95

【05】-4


 桜。その言葉に思い浮かべるのは、ひとつだけで。

 いや、でも。まさか。だって。だって、あの人は。あの女の人は―――…。


( どうかしたか? )

( いえ、 )

( あの方は主様を呼びにいらしたのでしょう )


 そうだ。よくよく考えてみれば、確かにあの時、どこか様子がおかしかった。

 あの時。俺を呼びに、孝が――――……。


( 落ちる直前に、すぐ真後ろに誰かがいる気配がしたんだ )

( 勘違いなんかじゃないんだ。だって、俺、その時、 )

( 落ちる時に咄嗟に相手を掴んだはずなのに、手に握ってたのは桜の枝だったって )

( いつ憑かれたかは知らぬが、今日ここで孝を見た時にはもう、憑かれておった )

( 孝の傍に、あれがおった )

( さっきあの子の手握ったら、中から花びらが一枚出てきて )

( かつての私ならば、穢れなど忽ちに浄化してやれた、あれも救えた )

( ……許せ…… )


「フィー!」

 居ても立ってもいられなくなって、指輪に顔を向けて大声で呼んだ。頭の中に駆け巡る言葉が、すべての答えのような気がした。

「フィー、出て来い! 孝に憑いてる穢れって……」

「大声を出すな、喧しい」

 全部言い切るより早く、聞き慣れた権高な声が響いた。顔をあげればすぐそこに、フィーが立っていた。銀色の髪を靡かせて、その青い目に毅然とした色を湛えて。

 その姿を見ながら、俺は捲くし立てた。

「フィー。孝が麻酔から醒めない。目が覚めないんだ。おばさんが、孝の手から桜の花びらが出てきたって言ってた。それって、」

「聞こえておった。……もう本当に、時がないようだな、あれは」

 俺の言葉を遮って、フィーが溜め息を吐きながら言う。それが、答えだと思った。

「なんで? なんで、あの樹霊さんが、孝を」

 フィーはその問いには何も答えず、黙ってじっと俺の目を見た。相手のすべてを見透かすような、真っ青に澄み切った目。目を逸らしたい衝動に、俺は堪えた。こみ上げる罪悪感に顔が歪みそうになったけど、それも堪えた。答えが欲しかった。どんな答えでも納得はいかないけど、でも、答えを知りたかった。

「真生。孝を救いたいか?」

 だけど、ややあってようやく口を開いたフィーが言ったのは、答えじゃなくて、俺への問いだった。まるで試すような口調で、フィーは俺にそう言った。

「当たり前だろ」

「私も、あれを救ってやりたい。元を糺せば、私が力を与えたがために、あれはこんなことになっておる」

 言って、フィーは視線を俺から外し、微かに息を吐いて目を伏せた。

「……ひとつだけ、方法がなくもない」

「ほんとかよ! どんな? 俺、どうしたらいい?」

 弾かれたように立ち上がった俺を、青い目が再び捕える。その鋭さに、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。

「お主にとっても、私にとっても、恐ろしく危険な賭けだ。見つかれば必ず、お主は殺される。指輪は破壊され、何度レネが転生しようと、私は二度と会うことが叶わぬだろう」

 冷然と断言し、フィーが俺を見据えたまま言った。

「真生。お主、海の泡と散り消えるだけの覚悟はあるか?」

「海の、泡?」

「そうだ。見つかれば、肉片ひとつこの世に残すことをお主は許されぬだろう。その覚悟はあるかと聞いておる」

 冷淡にも取れる口調。一寸の揺らぎもない鋭い眼差し。それらが、その言葉が脅しやはったりではないことを教えていた。

 フィーは鋭さを少しも緩めずに、じっとこちらを見ている。

 それを真っ向から受け止めながら、俺は声をはっきり出すために、すうっと息を吸った。

「ない」

 大きくきっぱり言う。瞬間、フィーの眉がぴくっと動いた。その口が動くより早く、言葉を続ける。

「海の泡になって消える覚悟なんてない。俺は死にたくない。俺が死んだら、今度は俺の周りの人達が辛い思いをする。孝や他の友達も、勿論、皐月さんも。俺は俺の大事な人達に、そんな思いはさせたくない」

 俺は、その辛さの苦しさを知っている。だからこそ、人にさせたくない。

 俺の返答に、理解出来ないといった顔でフィーが眉根を寄せる。

「ではお主は…」

 俺は待ったをかけるように手を出して、その声を遮った。

「だけど、孝を助ける方法がそれしかないなら、俺は腹を据えて、とことんお前を信じるよ」

 フィーは、ますます理解できないらしく、眉根だけじゃなくて眉そのものを大きく歪ませた。

「お主、私の話をちゃんと聞いておったのか?」

「ああ。ちゃんと聞いてた。お前は、レネに会いたいって俺に言った。お前のその気持ちの強さを、俺は信じる」

 種の壁を越えて、好きになった。先立たれて寂しさの中、それでも会いたくて、八百年もずっと待ち続けた。会うために、十八年ひたすら、指輪の所有者を探し続けた。今、人間は阿呆ばかりだと泣きながら、それでも、底抜けの阿呆の俺にくっついてまで、その人を見つけようと頑張っている。ただ、会いたい。そのために。

 こんなにも一途で強い想いを、俺は他には知らない。だから。

「俺がいなきゃ、レネに会えないんだろ? ならお前は、全力で俺を守り抜くに決まってる。俺は俺で、大事な人達のために死ぬわけにはいかないから、俺を守るお前を信じると腹に決めた。全力でお前に守られてみせるよ」

 言って、銀色の綺麗な髪を、わざとぐしゃぐしゃに撫でた。

「心配すんな。絶対、レネに会わせてやる。指輪を破壊なんてさせない。俺が指輪の所有者だ。だから、フィー。全力で俺を守ってみせろ。守られてみせるから、絶対に」

 唖然として見上げてくるフィーに、目を合わせ笑ってやった。なるべく、力強く見えるように。これが俺なりの覚悟の形だと、少しでも分かってもらえるように。

 正直、具体的に何をしたらいいのか、さっぱり分からないけど、俺は孝を助けたいし、フィーも樹霊さんを助けたい。そして、俺は死にたくないし、フィーはレネに会いたい。見つかることで、それら全部が駄目になるなら、見つからないように全力で頑張ればいい。というか、そうするしかない。

 フィーは、ぼさぼさになった髪を気にすることもなく、暫くの間、信じられないものを見る目で俺を見ていた。

 その目が不意に、ふっと、微笑む。と、同時に、頭に置いたままだった手を、ぺしっと払い除けられる。

「上等だ。その言葉、忘れるでないぞ」

 権高に笑って、フィーが言った。軽く頭を振って髪を直し、偉そうに肩を聳やかす。

「お主の言い分は、よう分かった。ならば必ず、全力で守られてみせよ。この私が、お主を必ず生きて連れて戻そう。事の暁には、羊羹を山と積んで私に感謝するがよい」

 まるで小さな仁王様のようにふんぞり返って言い放つフィーに、小さく苦笑して言って返す。

「それは、孝に買ってもらえ」

「孝にはこの先、子孫代々に渡って延々と汁粉ドリンクを貢がせてやるわ」

 当然の決定事項みたいに言い捨て、フィーがくるりと踵を返した。

「では、行くぞ」

「え、行くって。玄関、こっち」

 玄関とは逆方向、窓のほうへと向かうフィーにそう呼びかけるも、フィーはそれを綺麗に無視して、ばっと勢いよくカーテンを開いた。そして、その勢いもそのままに今度は窓を開くと、やや身を乗り出して唐突に声をあげた。

「風よ、汝らが長に我が声を伝えよ。銀の姫が呼んでいると、疾く伝えよ」

 宙に向かってそう言って、こっちを振り返ったフィーが、ぽかんとする俺を目に、何食わぬ顔で告げる。

「すぐに来る」

「誰が?」

 聞き返したその直後。

「オレを呼んだか? 銀の姫」

 派手なオレンジ色の髪をした少年が、窓枠にもたれるようにして、そこに立っていた。




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