【04】-3
「真生。見舞いにはやはり、手土産が必要不可欠だと思うぞ。例えば、抹茶羊羹とか」
濡れた歩道の上、真顔で振り返ってそう言うフィーを、呆れて見返す。
「手土産なら漫画で充分だよ。つうか、お前さっき、おやつ食ったばっかじゃん。どんだけ糖分摂取すりゃ気が済むんだよ」
「阿呆。誰が、私が食べると言うた。孝にだ」
「残念でした。孝は甘いもの苦手です」
「ちっ。使えぬ奴め……」
言った傍から憚ることなく顰め面になって舌打ちしたフィーに、おーい、心の声が駄々漏れだぞー。と、白い目を向けながら、その姿に軽く溜め息を吐いた。
「そんなことよりフィー。こっちに来て、ちゃんと傘に入れ」
コンビニ傘とはいえ、俺とフィーの二人くらいなら並んで入れるというのに、フィーときたら、雨も傘も完全無視で、ずっと俺の数歩前を歩いているのだ。
フィーが雨に濡れたところで何ともないのは分かっているけど、もうすぐ人通りの多い道に出る。いくら本人が気にしないとしても、小雨の中、髪も服も濡れて、ぺたぺたに体に張り付いている女の子をそのままにして歩くのは、あまりよろしくないだろう。
だけど、俺のそんな思慮深い発言は、全身で振り返ったフィーの非難めいた声に却下された。
「そんな無粋なことが出来るか。私に触れる雨粒達の歓喜の声が、お主には聞こえぬのか?」
「聞こえません、有難いことに」
きっぱり言って、心持ち傘をフィーのほうへと傾ける。
「いいから、こっち来いって。なんかこれじゃ俺が、濡れてる女の子を傘にも入れてやらないダメ男みたいじゃんか」
「他人にどう思われようと、別に良いではないか」
人の気も知らず、飄々と言って返すフィーに心の中だけで溜め息を吐き、これまたきっぱりと口を動かす。
「俺は良くないの。というか、よほどの大物か馬鹿でない限り大抵の人は皆、人の目を気にして生きてるものなんだよ。この先お前も、レネと一緒に人の世界で生きていく気なら、そういうことも覚えたほうがいいと思うぞ」
だからと言って、人の目を気にしすぎるのもどうかと思うけども。まあ、そんなことは今のフィーには関係ない。
俺の言葉に、フィーはこちらに体を向けたまま、少し考えるように動きを止めた。そうして、少々面白くなさそうな顔をしつつも、大人しく俺の横に並んで、素直に傘に入った。
「おお。えらく聞き分けいいじゃん」
「まあ、たまには真生の言うことも聞いてやらねばな。ストでも起こされたら、面倒だ」
減らず口を叩きながらも、横でフィーが犬のようにぶるぶると体を振る。途端、まるで水分の方から進んでフィーの体から離れていったように、濡れていた髪や服が綺麗に乾いた。驚きに、思わず目が丸くなる。
「何その超便利な自然乾燥」
「私が濡れておっては、人目が気になるのだろう?」
「うん、まあ、そうなんだけど。それより、今の……」
「何だ、お主もして欲しいのか?」
やや興奮気味の俺とは逆に、フィーは何てこともなさそうに、さらっと言う。
「えっ、出来るの?」
「私を誰だと思っておるのだ。なんなら、お主の体内の水分全部蒸発させて、ミイラにしてやることも可能だぞ。試してみるか?」
「……それは遠慮します」
「冗談だ。漸く手に入れた所有者をミイラにして、私に何の得がある」
からりとそう笑って、ほれ。と、フィーが俺に触れた。一瞬、何が「ほれ」なのか分からなかったけど、すぐに、傘からはみ出して濡れていたはずの肩が、すっかり乾いているのに気づいた。
「うっわ、すっげ! マジで乾いてるし! 雨の日すげぇ快適じゃん、これ出来たら」
感嘆の声をあげた俺を横目に、フィーは小さく笑って前を向く。そのまま足元の水溜りを避けることもなく、弾むようにそれを踏んでみせた。ぱしゃんと、音を立てて水滴が跳ねる。
「お主達動物が本能で、雨水に濡れることを好まぬのは知っておる。人間が傘なるものを使い出したのも、その本能ゆえだろうが、疎ましいからとあまり嫌わんでやってくれ。こやつらは、命あるものに触れることが好きなのだ。我が子ゆえにな」
「子?」
「ああ」
俺の疑問に短くそれだけ返して、濡れたアスファルトの上で小さな水飛沫をあげる雨粒に、フィーは目を細めた。その横顔がいつになく嬉しそうで、俺は続けようと思った質問を飲み込んだ。
孝の見舞いに、髪を黒にして一緒に来るかと誘ってからこっち、フィーはすこぶる機嫌がいい。
ドライブの時に散々俺が渋ったこともあって、最初はどういう風の吹き回しだと不思議そうにしていたけど、やっぱり外に出るのは楽しいのだろう。今日がたまたま雨降りだったことも関係しているのかもしれないけど、口調も表情も、いつもより溌剌とした印象を受ける。
アパートにいる時以外、ずっと指輪の中というのは確かに気が滅入るだろうし、話し相手が殆ど俺だけというのもつまらないだろうと思って、軽い気持ちで言ったことだったけど、こんなことなら、もっと早くからこうしてやればよかった。
「それにしても」
ぱしゃぱしゃと音を立てて歩きながら、フィーが言う。
「見た目どおり、間抜けだな、孝は」
その言葉に、俺も心から頷いて返す。
「ほんとにな。駅の階段、転げ落ちて捻挫した挙句、頭を派手に打って検査入院だなんて、殆ど漫画の世界だよ」
本当に、さっき電話で聞いた時は何の冗談かと思った。
まあ、検査と言っても念のためのもので、入院も一晩だけらしいし、捻挫のほうも全治一週間程度の軽いものみたいだし(孝が言うには痛くて死にそうらしいけど)、そうじゃなくても、退屈だからと漫画本持って来いと電話で自ら見舞いを要求するくらいだから、あまり心配することはないだろうけど。
「でもまあ、間抜けなことは間抜けだけど、階段を一番上から下まで転げ落ちて捻挫だけで済んだんだから、考えようによっちゃあ、ラッキーだよな。下手したら、やばいことになってたかもしれないし」
まさに不幸中の幸いってやつだな。と、少し肩を竦めた俺の横で、フィーが感慨深そうに頷く。
「人間の体は脆いからな。明日は我が身というし、真生もこれを機に少しは体を鍛えたらどうだ。明日の今頃も、こうして無事でおられるとは限らぬぞ」
「縁起でもないこと言うなよ。大体、体鍛えたところで、事故なんて所詮、運の良し悪しの問題だろ」
「運なら問題ない。お主は良い運を持っておる。なんせ、一時的にとは言え、水の指輪の所有者になれたのだからな」
それはどちらかというと不運っていうんじゃ……。と、思ったことは、フィーの機嫌を激しく損ねそうな気がしたので黙っておいた。
孝の入院先は、俺のアパートから二駅離れたところにある結構有名な総合病院だ。俺自身はそこに入院したことも通院したこともないけど、高校のとき、スキーで足を骨折した友達の見舞いに来たことがある。
病院独特の広いエレベーターで目指す階に移動し、教えられた病室を覗く。と、すぐに、六人部屋の隅、窓際のベッドで、テレビを見ている孝を見つけた。
おばさんが持ってきてくれたのだろう家着のスエットを着て、白いシーツの上にいる孝が、いつになく弱々しく頼りない存在に感じるのは、『病院のベッド』という固定概念のせいだろうか。別に臥せっているわけでもなし、ましてや点滴のひとつもしていないというのに、我ながら馬鹿馬鹿しい。
「まいどー、城戸レンタルコミックでーす。ご注文の品、お届けにあがりましたー」
漫画本の入った紙袋を備え付けのテーブルにどさりと置いて、配達料込みで一万円になりまーす。と、わざと抑揚の無い声で言えば、すぐに、たっけえ。と、非難がましい声が表情つきで返ってきた。うん。心配ない。
「あれ、フィーちゃんも来てくれたんだ。ありがとねー」
孝が、俺の隣にフィーを見とめて、少し驚いたように笑う。フィーは既にもう外面用の顔になっていて、孝に歩み寄りながら心配そうな声を出してみせた。
「孝お兄ちゃん、大丈夫?」
「ううん、あんま大丈夫じゃないよー。見てこれ、痛々しくない?」
いかにも哀れっぽく、フィーにテーピングされた足首を見せる孝に、軽い呆れと妙な安堵を感じつつ、口を挟む。 「それより、頭のほうは? 一応検査したんだろ? 問題ないって?」
「一応なー。でも頭は、時間が経ってから症状がでることがあるらしいから、用心しなきゃいけないみたいよ。ま、俺、石頭だし大丈夫だと思うけどな」
「そっか。でもとりあえず、良かった、お前が石頭で」
本当、どんな人間にもひとつは取り得があるとはよく言ったものだ。見舞い用の簡易椅子に座りながら、そんなことを思う。フィーは早速、備え付けの薄型液晶テレビに心奪われた様子で、孝から受け取ったイヤホンを耳に、見舞いそっちのけでベッドに腰掛け、テレビ画面をガン見している。液晶テレビを買えとか言い出しませんようにと内心祈りながら、孝に向き直った。
「マジでお前、運の良さと石頭に産んでくれたおばさんに感謝しろよ。打ち所悪かったら最悪、死んでたかもしれないんだし」
「うん。さっき母ちゃんにも、こっぴどく怒られた。どうせ、ぼうっとしてて階段落ちたんだろうって」
「おお、さすがおばさん。実の親だけあってよく分かってんじゃん。お前の事だからどうせ、携帯でもいじってて足踏み外したんだろ」
「違うっつの。俺だって、そこまで間抜けじゃねえよ」
「いやいや、階段落ちて怪我してる時点で充分間抜けだから」
「だから。あれは俺のせいじゃないんだって」
「? 何言ってんの、お前」
やけに力の入った孝の表情と口調に、自然と眉根が寄る。
「お前のせいじゃなかったら、誰のせいなんだよ?」
戸惑いで微妙に半笑いの俺とは対照的に、孝はひどく真面目な顔で上半身を乗り出した。
「俺、誰かに後ろから突き飛ばされたんだ」




