【03】-6
そうだ。そうだった。
どうして、今まで考えもしなかったんだろう。
前に確かに、契約が切れてから三百年間、一度も人と関わらなかったと、フィーは話していたのに。俺はそれを聞いていたのに。なのに俺ときたら何も、少しも考えてなかった。
フィーは、ずっと一人だったんだ。ずっと、一人でいたんだ。
三百年なんて、考えるだけで気が遠くなるような長い間ずっと、誰とも関わることなく一人ぼっちでいたら、他人への配慮なんて失くして当然かもしれない。そもそもそれ自体、自分以外の誰かがいなきゃ成り立たない気持ちなのだから。
それに、それだけじゃない。
フィーは、俺達とは違うんだ。今更だけど、本当に、違うんだ。俺は分かっていたようで、実は全然分かっていなかったのかもしれない。フィーが俺達と別の、違う生き物だということを。
俺達人間は人間同士で群れて、そこに形ある集団を作り、仲間意識を共有することで、今日まで繁栄してきた動物だ。今だって、大小様々な群れを作って、その中で生きている。
知能を発達させ、食物連鎖の頂点に立って、今じゃまるで地上における最強の支配者みたいな顔をしているけど、元々人間は、牙も毛皮も持たない被食者の立場にあったひ弱な動物だった。だからこそ、群れを作って、強大な一に弱小の百で対抗することで生き抜くことを俺達の祖先は覚えた。目的の形こそ変わったものの、意義はそのままに、俺達は今もその流儀の中で生きている。仲間意識を共有することで相手を擁護し、また自分をも擁護するために、個々を繋ぐ協調性を重んじて、強要すらして、それを当たり前だと、常識だと、そう疑うことなく思って。
だけどフィーは、彼女は、その流儀の中にいない。
彼女が属する精霊という生き物が、どういう流儀の中で何を重んじるものなのか、知らないし分からないけど、種が違えば寿命や能力が違うように、常識も物事の捉え方も、善と悪の受け止め方だって、何もかも違って当然なのだ。
なのに、俺は何も考えずに、俺側の常識ばかり押し付けて。相手のことを何も分かろうともせずに、自分の感覚と違うからって、それだけで自分勝手だとか横暴だとか腹を立てて。俺だって充分、身勝手で傲慢じゃないか。
目が一気に覚めていくような気分で、俺はフィーを見つめた。
この青い目をした精霊の女の子は、初めて会ったとき、何と言っていた?
自分は人間じゃないのに、人間の男の人を好きになって、その人が死んだ後もずっとその人と交わした約束を、ただただ一途に信じて。その人を待つためだけに、こんな小さな指輪の石の中に魂を移して。水を自在に操ることも、浮くことも消えることも、髪の色を変えることも、何だって出来るんじゃないかと思うくらい、俺達にはない凄い力があるというのに、そのために、自分一人では外を自由に移動することさえ出来なくなって。人間の欲に嫌気がさすほど人間に利用されて、それでも。
それでも彼女はずっと、もう一度会える時を信じて、その人を思い続けてきたのだ。交わしたという、果たされるかどうかも分からない約束だけを一途に、八百年近くも大事に持って。こんな、口を開けば何かと迷惑がってばっかりの俺みたいなのにくっついてまで懸命に探すほど、ずっと思い続けているのだ。自分達とは種が異なる、人間のその人を。八百年もずっと。今、この時も。
精霊と人間では、時間の感覚が違うのかもしれない。だからこれはあくまで人間の感覚だけど、八百年は長すぎる。しかも内三百年は誰とも関わらずに、一人きり。その上―――…。
精霊に人間のような感情があるかどうか、これも正確には分からないけど、でも、さっき見たあの白昼夢の中で、あの樹霊さんは恋人を思ってあんなにも愛しそうな目をして、あんなにも、泣いていた。俺達と全く同じとは言えなくても、似たような感情があるはずだ。
―――…だとしたら。
もしかしたら、フィーは………。
………いや、きっと。俺が想像するより多分きっと、ずっと。
フィーは孤独で、ひどく辛い、寂しい思いをしてきたのかもしれない。
「どうした、真生。顔が面白いぞ」
俺の視線に、フィーが滑稽なものでも見るように口元を歪める。
「……いや。ていうか、顔が面白いってなんだよ」
「お主の顔だ。元々間抜け面が更に間抜け面をするとは。なかなかに面白いぞ。ずっとその顔をしておれ」
「お前な」
フィーの言葉に笑うかのように、風と桜の枝が、さわさわと音を立てる。人がちょっと真率な気持ちになって、反省して考え直しているというのに、当人ときたら、これだ。まあ、フィーらしいと言えばフィーらしいけど。
一気に鼻白んだとき、すぐ近くで孝の声が響いた。
「よかった。いたんだな、フィーちゃん。それならそれで連絡しろよな、真生」
「ああ、ごめん」
いつのまにか横に来ていた孝が、俺を軽く非難してから、その顔をフィーに向けた。
「どこ行ってたの、フィーちゃん。心配してたんだよ」
「ごめんなさい」
素直に頭を下げたフィーに笑って、孝は続ける。
「無事だったならいいよ。理沙ちゃん達も心配してるから、早く戻ってあげな」
「うん、心配かけてごめんなさい」
反省の色をはっきりとその顔に浮かべて、フィーが繰り返す。
そのしおらしい態度に内心ちょっと驚いたけども、もしかしたら、さっきの会話で俺自身、ガツンと殴られて目が覚めたような気持ちになったみたいに、フィーも、俺の言葉に何か思うことがあったのかもしれない。
フィーの変わりように感心して、俺もまた笑みを浮かべかけたとき、気を取り直したように明るい声で孝が言った。
「もういいって。あ、そうだ。あっちに綿飴とかラムネの露店出てたんだけど、フィーちゃん、何かい…、」
俯き加減だった頭が、ばっと上がる。孝の口調が疑問形になるより、それは早かった。
「羊羹!」
「んなもんあるか!」
瞬時に目の色を変えて、しおらしさも遠慮もなく、予想通りの言葉を放ったフィーに、俺の突っ込みが炸裂したことは言うまでもない。
風と桜の枝は、いつまでもさわさわと、そんな俺達を眺めていた。




