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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
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【03】-5


「我侭を通したところで、私ごときに出来ることなど高が知れておりますが、それでも、許される限りは約束を違えたくないのです」

 柔らかな響きの声には似つかわしくないほどに、きっぱりとそう言ってから、フィーを振り返った女の人が、恥じらうように目を伏せた。

「愚かだとお思いになられましょう。無常が理の人の世において、本気で不変を願うなど」

「………いいや」

 推し量るように少しの間を置いて、フィーがゆっくり首を横に振る。そして何を思ったのか突然、桜の木の根元に徐にしゃがみこんだ。

「微力ながら私も願わせてもらおう。この地の草花がつつがなく咲き誇れるよう、慈恵と祝福がこの地に注がれんことを」

 そのまま、やけに物々しい態度で両の手のひらを地面に宛がう。

 ふと、どういうわけか、足元が急に、耕したばかりの畑みたいに柔らかくなって、同時に、辺り一面の木や草の色が鮮やかなまでに濃くなった………、ような気がした。

 不可解なその現象に目を瞬かせている間に、フィーはもう立ち上がって何食わぬ顔で、髪を揺らす風をじゃらすように頭を軽く払っていた。その傍らで、女の人が感極まったように目を潤ませている。先ほどより明らかに、桜の木の樹皮が瑞々しさを増しているように感じるのは、俺の気のせいだろうか。

「ああ、なんという……」

 女の人がフィーをまじまじと見ながら、声を震わせる。

「この上なき幸福に存じます。なんと、なんとお礼申し上げたらよいか……。貴女様がこの地にいらして下さっただけでも、私共には身に余る僥倖でしたのに……。これでこの地の者はみな、この先、何百何千年と息災にございましょう」

「礼には及ばぬ。先ほどの見事な桜景色の礼だ」

 素っ気無いほど淡々とそう言って返すフィーに、女の人はまさに平身低頭と言った感じで、何度も何度も礼を言う。

 俺には、フィーがここにいることの何がそんなに有り難がられているのかも、フィーが何をしてそんなに感謝されているのかも、よく分からない。水でもやったんだろうか。いや、水くらいであんなに感謝されないよな、普通。


 一人ぽかんとフィーを見ていたら、不意に、遠くから孝の声が聞こえた。振り向くと、並木道のずっと向こうから、孝が手を振って近づいてくる。多分、なかなか戻ってこないのを気にして探しに来たんだろう。それを見て、自分が何をしにここに来たかを思い出した。

「そうだ。俺、お前を呼びに来たんだった」

 本来の目的に返って唐突に強い口調で割り込んだ俺を、フィーが怪訝そうに振り返る。

「なんだ、何か急用か?」

「急用か、じゃねえよ。黙って勝手にいなくなったりするなよな。みんな心配すんだろ」

「心配? 何を?」

「何をって、お前をだよ」

「私を? 何故だ?」

「何故って……、あのなあ」

 がっくりと肩が落ちた。聞けば聞くほど解せないというふうに、フィーはますます怪訝な顔つきになっていく。どうも本気で分からないらしい。

 頭を抱えたい気分で、次の言葉のために俺は口を開きかけた。だけど、その言葉が声になる前に、フィーはいきなり、顔ごと視線を俺から女の人へと向け変えた。

「どうかしたか?」

 その声に女の人が、はっとしたように小さく身じろぐ。

 見れば、どうしたのか、女の人はすっかり顔色を失くしていた。

「いえ、」

 フィーの呼びかけで、我に返ったらしい。強張った頬にすぐさま上品な笑みを取り戻して、女の人が俺を見る。

「もうお戻りになられたほうが宜しいのでは? あの方は主様を呼びにいらしたのでしょう?」

「あ、はい。多分」

「では、私はこれで。お会いできて真に嬉しゅうございました。どれほど感謝を捧げても尽きぬとはこのこと。かような身では何のお役にも立てませぬが、御多運を心よりお祈りしております、ラインの乙女」

 柔らかな声でそう告げて優雅なお辞儀を一つすると、女の人は周囲の景色と同化するように徐々に薄れて消えた。何となく腑に落ちないものはあるものの、綺麗な消え方だ。一瞬でぱっと見えなくなる、フィーの忽然とした消え方に比べたらずっと、自然でいい。

 妙なところに感心している俺を尻目に、フィーは微かに眉を顰めていた。少し考えるように、ちらりと桜の木を見る。その後で、フィーはまたこっちに顔を向けた。

「で、真生。先程の話だが、何故私が心配なぞされねばならぬのだ?」

 正直、その話より他に気になることや聞きたいことがてんこ盛りだけど、とりあえずこれが先かと、俺もまたフィーに向き直った。

「あー、だから。一緒にいた人が何も言わずにいなくなったら、どうしたんだろう、何処行ったんだろうって、あれこれ気にするだろ。迷子になってるんじゃないかとか、何か困ったことになってるんじゃないかとか…」

「そのような懸念、無用だ。人間でもあるまいし。私を誰だと思っておる」

 鼻で笑うようにそう言うフィーに思わず、ちょっと本気でむっとした。

「そんなの、孝達は何も知らないんだから分かるわけがないじゃん。大体、人間とか人間じゃないとか、そういう問題の前に、みんなで来てるんだから、どっか行くときは一声かけるのが常識ってもんだろ」

 通じないもどかしさに苛々する。少なくとも八百年以上は生きているくせに、どうしてこんな当たり前のことも分からないんだろうか、こいつは。

「お前にしてみれば、『レネ探し』が一番大事なのは分かるし、いなくなったことにすぐに気付かなかった俺も悪いよ。けど、お前が勝手にいなくなったことで、他の人達がどんな気持ちになるかも考えろ。折角みんなで楽しくしてたのに、お前が心配でそれどころじゃなくなるんだぞ。楽しい時間っていうのは、みんなで協力して作るものなんだからな」

 言いながら、何だか学校の先生になった気分だなと思った。事実、フィーは小難しい顔で下を向いてしまっていて、傍から見たら、叱られてしょげているように見えるだろう。そんなしおらしさ、こいつにあるとは思えないけど。

「お前だって楽しそうにしてたじゃん。みんなに優しくしてもらって、お菓子貰って弁当食って。それだって、みんながお前に気を遣ってくれたからこそだろうが。自分の都合ばっかじゃなくて、少しは他の人のことも考えろよ」

 語気も荒く言い切って、フィーの出方を窺う。

 ややあって、フィーが下を向いたまま、ぽつりと声を零した。

「………まさか、この私がまたも、人間に説教されようとは」

「人間で悪かったな」

 その物言いにかちんと来て言い返した俺を見上げ、フィーがはっきり口を動かす。

「いや。お主が正しい、真生。どうやら私は、あまりに長く一人で居過ぎたらしい。お主達人間が進化の中で特化させてきた、その集団の中の仲間意識を、私はかつていじらしいと愛でてすらおったのに、いつのまにかそれも忘れ、更には、我らとは異なる人間という動物と時を共有している自覚も配慮も、すっかり失くしておった。これでは、またレネに怒られてしまうな」

 やけにさっぱりした顔でそう言って、フィーは、すまなかったな。と、ついでのように付け足した。

 予想外に素直なその態度に面食らいつつも、俺はフィーが言ったこと、その言葉が示唆する事柄に、頭を殴られた思いがした。




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