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精霊奇譚  作者: のっこ
~ 1、桜流しの章 ~
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【03】-3


「理沙」

 打ち明け話でもするかのようにそう切り出した理沙ちゃんを、彩乃ちゃんが慌てて振り返って牽制する。だけど理沙ちゃんは、そんな彩乃ちゃんをちょっと見ただけで、気にすることなく、そのまま続けた。

「彩乃の中学校の時の友達が亡くなったって、今日さっき出かけに知ったんだって。それで彩乃、元気がないの」

「え」

「マジで? 大丈夫、彩乃ちゃん?」

 思いもしなかった話に驚いて言葉に詰まった俺と、同じように驚きながらもすかさず言葉を発した孝の両方に見られて、彩乃ちゃんがちょっと戸惑いつつも、小さく頷く。

「うん。友達っていっても、そんなに親しかったわけじゃないの。去年の春、偶然駅で会うまで全然連絡とかもしてなかったし。それからも時々駅で会うくらいしか接点なかったんだけど、なんか病気だったらしくて。私、全然知らなかったから、別の友達から聞いてすごくびっくりしちゃって。身近な人が亡くなるのって初めてだし、まだやっと二十歳なのに、やりたいこと一杯あっただろうなとか、つい考えちゃって………」

 俯き加減で一息に、でもゆっくりそう話し終えて、彩乃ちゃんは、ぱっと表情を変えて顔を上げた。

「ごめんね。なんか雰囲気暗くしちゃって。大丈夫だから、気にしないで」

 しんみりしてしまった空気を吹き飛ばすべく、彩乃ちゃんが明るい声で言う。それに同調するように、元気出しなよ。と、孝が言うのを聞きながら俺は、彩乃ちゃんのことでもその友達のことでもなく、自分の両親のことを考えていた。

 正直、俺は両親のことを全く覚えていない。だから、幸か不幸か、思い出に涙するという経験はない。だけど、二人のことを考えるといつも胸の奥が苦しくなる。

 父さんも母さんもまだ若くて健康で、まさか自分達が事故でその日死ぬなんて思いもしてなかっただろうから、遣り残したことが沢山あったはずで、その上、二人には俺がいたのだ。まだやっと二歳になったばかりの小さな我が子を残して逝かなきゃならない辛さや悔しさは、俺には想像する他ないから実際には分からないけど、でもそれを思うたび、どうにもやるせない気持ちになってしまう。

 勿論、今よりずっと子供の頃は、自分だけ両親がいないという寂しさのほうが気持ちの上で大きくて、どうしようもない我が儘を言ったり泣いたりして皐月さんを困らせもしたけど、年を取るにつれて、寂しさより、そういったやるせなさのほうが、ずっと深みを増していった。

 彩乃ちゃんが今抱えている感情も、少し違うかもしれないけど、根本的には俺のそれと同じだろう。

 人は誰でも、生まれたからにはいずれ死ぬ。それが早いか遅いかだけの違いだと、そう言ってしまえば確かにそうだし、こればっかりはいくら考えても仕方がないってことも分かっている。

 だけど、そういった理屈では割り切ることが出来ない、複雑な感情があるのも確かなのだ。

「あのさ」

 唐突に口を開いた俺に、彩乃ちゃんが顔を向ける。後部座席ではもう別の話題が始まっていて、俺の声に反応したのは助手席の彩乃ちゃんだけだった。それを良しとして口を動かす。

「なんか上手に言えないけど、俺達は、それでも生きていくことしか出来ないんじゃないかな。亡くなった人の分までって言ったらおこがましいんだろうけど、でも、そのおこがましさも含めて、それでも生きていくってことが、きっと、人が人のために出来る一番の供養なんだと俺は思うよ」

 ありふれた慰めに聞こえるかもしれないし、何を真面目ぶってと思うかもしれない。だけどそれが、俺が彩乃ちゃんにかけてあげられる唯一の言葉だと思った。それがやるせない思いの中で、俺が俺なりに考えて出した答えだから。

 赤信号に、ゆっくり車を停止させる。後ろで、孝と理沙ちゃんが共通の友達の話で盛り上がっている中、彩乃ちゃんは少し驚いたようにこっちを見ていた。その目が、考えに沈むように静かに瞬く。

「………うん、そうだね」

 小さな間の後、彩乃ちゃんがこくりと呟いた。そしてこっちを見たまま、ゆっくり、ほんわりと、頬をあげて笑った。

「ありがとう」

 今日初めてのその笑顔が思った以上に可愛くて、軽く笑い返しながらも、俺は思わず視線を泳がせた。



「え、じゃあ、彩乃ちゃんも千代原駅なんだ? 俺もだよ」

「孝くんも? じゃあ、朝とか普通に駅ですれ違ってたかもね」

「案外、何回も同じ車両に乗ってたりして」

「あはは、有り得る~」

 晴れた空に、明るい笑い声が響く。

 それにしても、女の子の笑い声と言うのはいいものだ。何だかこっちまで楽しくなってくる。目的地の公園で、孝と談笑している彩乃ちゃんを見ながら、そんなオヤジ臭いことを思う。

 天気はいいし土曜日だしで、公園には沢山の人が遊びに来ていた。残念ながら、この公園の名物と言っていい桜はまだ三分咲きと言ったところだけど、家族連れは勿論、俺達みたいな友達グループも、デート中のカップルも、みんな一様に楽しそうな顔をしている。

 俺自身も、ここ最近フィーのお陰で忘れきっていた、普通の大学生という身軽で明るい気分を取り戻しつつあった。トイレから戻った理沙ちゃんが、その不在に疑問を投げかけるまでは。

「ただいま~。あれ、フィーちゃんは?」

 芝生の上でくつろぐ俺達を見下ろす形で見ながら、理沙ちゃんが小首を傾げてみせて初めて、フィーがいないことに気がついた。

「え、理沙と一緒にトイレに行ったんじゃないの?」

「ううん」

 彩乃ちゃんの言葉に理沙ちゃんが頭を振る。確かにフィーは、どれだけ飲み食いしようとトイレに行く必要はないから、それはないだろう。

 それにしても、ついさっきまで理沙ちゃんと彩乃ちゃんが作ってきてくれた弁当を我が物顔でがっついていたのに、いつの間にいなくなったんだか。大方一人で『レネ探し』に行ったんだろうとは思うけど、せめて一言かけてから行けばいいのに。まあ、気づかなかった俺も俺だけど。

「やだ、迷子かな。どうしよう」

「フィーちゃん、携帯持ってないよね?」

「公園管理の人に連絡する?」

「そうだね、この人出だし、そのほうがいいかも」

 俄かに不安顔になって辺りを見回しながら、そう話し合う三人に慌てて止めに入る。

「いや、そこまでしなくても。多分どっか、そこら辺散歩してるだけだと思うし」

「でも、フィーちゃん日本語上手だけど、こっちに来てまだ日が浅いんでしょ? 土地勘とかないから、迷って人に訊いても分からなくて困ってるかもしれない」

「そうだよ。それに、変な人だっているかもしれないし…」

 どんどん濃くなっていく不安の色に、申し訳なさが募る。実際もし俺が孝とかの立場なら、いくら心配いらないと言われたところで無理な話だ。

「あー、俺ちょっと、そこら辺見てくるよ。ほんと大丈夫だから、みんなはここにいて」

 そそくさと立ち上がった俺を見て、孝も立ち上がる。一緒に来ようとするのを行き違いになったらいけないからと押し止めて、フィーを探すべく俺は一人その場を離れた。


 指輪と一心同体と本人が言っていた通り、フィーは指輪から出て単独では、あまり遠くに行けない。好き勝手に水を操ったり、宙に浮かんだり消えたり、しまいにゃ髪の色まで変えられるくせに、指輪から自由に離れることは出来ないなんてどういう理屈だと思うけども。

 でも、だからこそフィーは、指輪の所有者が必要だったのだろう。所有者となった人間を指輪の足として扱って、自分の望むところに指輪を運ばせるために。言ってしまえば、俺は所有者という名の移動道具にされてしまったわけだ。

 とにもかくにも、移動道具である俺が一緒じゃない限り、フィーは一人で遠くまで行けないし、半身の指輪がある限り、迷子で帰る場所が分からないなんて事態には、たとえ望んでもならないわけで、わざわざ探しに行く必要なんか、本当は殆どないに等しい。その上、フィーの場合、人間の女の子に対して普通するような心配も要らない。だから俺個人としては、心配なんぞ全くしていない。

 だけど、孝達の心配する様を見ていると、放っておくわけにもいかないのが現実で。まさか、あいつは人間じゃなくて精霊さんだから大丈夫なんて言えないし。

 楽しい気分を台無しにされた憤りに、大きな溜息が出る。

 まったく、フィーのやつ。どうして勝手にいなくなったりするかな。何も言わないでいなくなったら、俺はともかく他のみんなが心配するってことくらい、ちょっと考えれば分かりそうなものなのに。そうじゃなくても、グループで来ているんだから、単独行動するときは一言断わりを入れるのがルールってものだろう。殆ど無理やり付いて来たくせに、本当、自分勝手なんだから。大体あいつは、日頃から何かと身勝手過ぎるんだ。やたら横柄だし、強引だし、自分の都合ばっかりで人の迷惑なんかちっとも考えてない。

 見つけたら今日こそはガツンと言ってやろうと、鼻息も荒く公園内を見て回る。昼時ということもあって、レジャーシートの上で弁当を広げている人達がそこかしこにいて、まさか、知らない人達に食い物強請ってないだろうな。と、微かな不安を覚えた時、桜並木の向こうに見慣れた姿を見つけた。

「フィー」

 非難めいた俺の呼び声に、フィーが首だけで振り向く。その、いつもと同じどこか権高な顔を見ながら、俺は務めて厳しい声を出した。のだけど。

「勝手にいなくなんなよ。みんな心配する―――」

 だろうが。と、続くはずだった声は、突如巻き起こった風によって掻き消された。


 瞬間的に視界が淡い薄桃色に染まる。それが風に舞う大量の桜の花びらだと気づくより早く、周囲の異常さに気がついた。

 音がしないのだ。

 さっきまで沢山の人がいて、そこら中賑やかな喧騒で溢れていたのに、どんなに周りを見渡しても、人の気配もなければ何の音もしない。ただ、満開の桜の木だけが、風が止んだ今も、薄桃色の花びらを雪のように深々と降らせている。

 ついさっきまで三分咲きくらいにしか咲いていなかった桜が、どうして満開なのか。

 どうして、一瞬にして人の姿や音が消えたのか。

 まるで狐に化かされているような心許なさで見下ろした足元には、草がぼうぼうと生えている。数秒前までは確かに、舗装された道の上に立っていたはずなのに。




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