人にはそれぞれ、想いの形(9)
「ただいまー!!」
やがて上機嫌で戻って来たニナの手には見覚えのある紙の箱があった。
そもそもニナが朝早くから押しかけて来た原因を思い出し、慌てて飛び出して行った理由を察する。人気のある菓子は売り切れる事もあるという話だったからそれを恐れたのだろう。
「買えたのか?」
「うんっ! ありがとう、お兄ちゃん!」
どうやらお目当ての物か、気に入った物を買えたらしい。笑顔の妹にユータスも僅かに表情を緩める。
先程までの様子などなかったかのように和やかな兄妹のやり取りを前に、一人展開について行けないイオリは何なのかと思いながらニナの抱えた箱を覗き込んだ。
「──”コレットの菓子工房”? ああ、コレットさんのお店か」
綺麗に包まれた箱にかけられたリボンに見覚えのある店名を見つけ、ようやくニナが何処へ行って来たのか理解する。その言葉にニナが嬉しそうな笑顔を向けた。
「うんっ、イオリちゃんも知ってる?」
「知ってるよ。クレイアがコレットさんと友達だから。会った事も何度かあるけど、いろんなお菓子があって楽しいよね」
「うん! コレットさんって優しくて可愛くて綺麗な人だね。初めて来たって言ったら、いろいろ味見させてくれたの!」
頬を紅潮させて興奮気味に語るニナに釣られてイオリも笑顔になる。兄のユータスはふてぶてしいの一言に尽きるのに、その妹と弟は無邪気で実に可愛い。
「そっか、良かったね。で、なんでまたお菓子なんか買いに行ったの?」
少なくともこの工房の主が必要としたとは思えない。ちらりと見れば案の定、無関心そうな顔をしている。
「えーっと、それにはいろいろ事情があるんだけども……」
理由を問われ、途端にごにょごにょとニナの言葉が鈍る。
ウィルドの姿がない事と午前中からニナが来た事から理由を何となく察し、イオリは苦笑した。なんだかんだとニナもウィルドも、喧嘩した時や何かあった時はここに駆けこんで来る。
ユータス本人に自覚があるのかは不明だが、頼られてるなと思う──解決力があるかは、さておき。
「どんなの買って来たの?」
「え? う、うん、あのね……」
あえて話題を反らすと、追求されると思ってか身構えていたニナが肩透かしをされたように瞬きをしつつ、ごそごそと箱の包装を剥がし始めた。
「あれ、いいの? 持って帰るつもりだったんじゃ……」
「うん。だってこれ、ここで食べる為のものだもん」
「え?」
「ちゃんとイオリちゃんの分もあるから! 一緒に食べよ? という事で、お兄ちゃんお茶」
「やっぱりオレが淹れるのか……」
そうなる予測はついていたのか、すごく面倒臭そうに呟きつつもユータスが椅子から腰を上げる。
「当たり前でしょ? お客様がいるのに家主が働くのは当然じゃない」
「……『客』……」
ニナの言う事は正論ではあるのだが。ちらりとイオリに視線を向け、もはや身内同然、ニナとウィルド並みに頻繁に訪れる上、この工房の共同経営者である彼女がその範疇に入るのか疑問に思う。
疑問に思うが、結局ユータスは薬缶へ手を伸ばした。どちらにしろ、この状況で出来る事など他にない。
そんな兄を満足そうに見ると、ニナは再びがさがさと箱を開く作業を再開する。やがて開かれた箱の中には、さまざまな色と形をしたお菓子が詰まっていた。
「わあ、綺麗。なんだか食べるのが惜しくなっちゃう」
「だよね! どれもこれも美味しそうだったからすごく迷って、結局買えるだけ買っちゃった」
三人で食べるには幾分多い気がしたが、ニナはひどくご満悦だ。勝手知ったる様子で棚から皿を持ってくると早速取り分けようとして、ふと手を止めた。
「あ。食べる前に見るよね、お兄ちゃん」
「……ん? ああ」
食べる事には執着のないユータスだが、美しくデコレーションされた菓子を見るのは好きである。
形を崩す前提で、しかも日持ちの関係もあり後には残らない。さらに見た目だけでなく味や栄養価までも追求する菓子職人や料理人は、ユータスからすると敬意の対象だ。
味の区別がつかない分、それぞれの作品を目に焼き付けておく。意識した見たものは映像状態で頭の中に残るので基本忘れない。
特に菓子は色彩的にも宝飾に通じるものがあるので勉強になる──とは、甘味が大好きで三食菓子でも生きて行ける兄弟子の一人からの受け売りだが。
改めてじっくり見ると、昨日ヴィオラが買ってきたものも入っているが初めて見るものもある。全部で八個の菓子は半分ほどが濃さの違いはあれど茶色ベースだった。
(ああ、そうか)
つい先ほどのニナの説教を思い出し、理由を悟る。ライラ・ディ間近だからチョコレートを使用した菓子の比率が高いのだ。
「お兄ちゃん、もういい?」
「ああ」
「それじゃイオリちゃん、好きなの選んでー」
「え、わたしからいいの?」
「いいのいいの。お客様だもん。それにお兄ちゃんはどれ食べても一緒だし、選ばせるだけ損だよ」
言いたい放題言いつつ、ケーキを選び始めるニナとイオリを横目に、ユータスは再び茶を淹れる作業を再開する。ここ数日やたらと厨房に立っているような気がするのだが、気のせいだろうか。
「あー、お腹空いたー。そういや、ご飯食べそこなったんだよね。二つ食べちゃえ♪」
「朝ごはんも食べずに来たの?」
「うん。それでお兄ちゃんとご飯食べようと思ってパンとか買ってきたんだけど、お兄ちゃんがあまりにも残念だったから、ついついお説教に熱が入っちゃったの」
「ああ、それでパンとか食材があったんだ」
ニナの言葉でイオリはかごに積まれたパンやテーブルの隅に追いやられた野菜類の謎に合点がいった。ユータスが自分で食材を買いこんで来るとは思えなかったので、そういう事だろうとは思っていたのだが。
「だったらお腹空いてるよね。じゃあ……、これにする」
「はーい。だったらあたしはこれと……、これ! お兄ちゃんはこれでいいや」
これでいいやといいつつも、どれも厳選してきたものなので美味しさは太鼓判だ。もっともユータスに食べさせればどれも『甘い』で終わるのだが。本当に残念な味覚である。
二人が選んでいる間に茶も淹れ終わる。三人で早すぎるティータイムに突入しながら、ユータスはぼんやりとデザインの事を考えていた。
呑気にお茶など飲んでいる場合ではないはずなのだが、不思議と焦りはない。まったく見えていない状況なのに、何故かすぐ近くに答えがあるような気がしてならないのだ。
(何か見落としてるのか? でもマダムは特に何も言わなかったし……)
ヴィオラが求めたのは『世界に一つしかない』に時計を作りかえること。時計は元々はステイシス氏のもの。期日は十日ほど。
(……ん?)
何かが引っかかった。じっと目の前のまだ手をつけていないケーキを見る。
ニナが選んだのはシンプルなチョコレートのケーキだった。つややかなチョコレートで覆われた上に、目に鮮やかな赤い果実が乗っている。
(……そうか。ライラ・ディ……!)
特に贈る理由を聞いてはいないが、時期的にぴったりだ。普段の様子からではわかりにくいが、ヴィオラは夫であるステイシス氏を誰よりも大切に想っている。
『どうしようもないタヌキだけれど──誰よりもわたくしを理解してくれる人なの』
いつだったかそんな風に話していた事を思い出す。確証はないが、ヴィオラはきっとライラ・ディの為にこの時計を装飾し直しているに違いない。
あれほどすっきりしなかった頭の中が一気に働き始める。
(──見えた)
先の事はわからないが、少なくとも現時点では『世界に一つしかない』時計のデザインが。こうなれば善は急げである。ユータスは早速行動に移す事にした。その為にはまず──。
「イオリ!」
「え? 何? こっちが良かった?」
急に声をかけられ、ニナと共にケーキに舌鼓を打っていたイオリが的外れな返答を返す。だがユータスにはすでに目の前にある数々の菓子の群れは目に入っていない。
「後、頼んだ。それと今日からしばらく新規の仕事出来ない。オレ、籠もるから」
「え、ちょっとユータ!? 勝手に任されてもこっちにも都合ってものが……!」
そのまま工房へと続く扉に向かいながら口早にそんな事を言うユータスの背に、イオリの焦ったような声が飛んでくる。
その声を無視してユータスは思い出したように振りかえり、事の次第を見守っている妹に声をかけた。
「それと、ニナ!」
「ほえ?」
「良くやった!」
「え? 何? 何の事!?」
唐突に褒められ、訳がわからずに目を白黒させる妹と仕事を丸投げされて納得行かない様子のイオリをそのままに、ユータスはそのまま工房へと飛び込む。
用紙を広げ、急く心を落ち着けるように深呼吸を一つ。
(思い出せ……!)
次々に脳裏に浮かぶ『それ』のどれがヴィオラの好みかわからないし、それをそのまま使う訳にもゆかない。何より、使える素材が限られている。
金時計の大きさはすでに頭の中に入っている。決して大きいとは言えないそこに、どうやってそれを組み入れて行くか。
ユータスは手当たり次第にそれを紙面に描き出し、それを形にする場合に必要と思われる素材を細かく書き出して行く。
その時点ですぐに手に入らない素材を使う必要があるものは除外し、また次のデザインを起こす。結局、その作業は最終的に翌日の早朝まで続いた。