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アルテニカ工房繁盛記  作者: 宗像竜子
第1話 人にはそれぞれ、想いの形
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人にはそれぞれ、想いの形(8)

※5月23日 後書きにイオリちゃん関連を追記しました。

 ──ライラ・ディ。


 それはティル・ナ・ノーグに伝わる、空の妖精ニーヴの娘・ライラにまつわる行事である。

 ライラと人間の男の恋物語が元だと言われ、その日は女性が意中の男性にお菓子を贈る日とされており、日が近付くにつれ、街の菓子専門店は物語にちなんだチョコレートを使った菓子であふれかえる。

 今はもっとその範囲は広くなり、愛情だけでなく家族や身の周りの人々への感謝の気持ちを伝える切っ掛けとしても扱われているが、元が元だけに世間的に恋愛絡みの行事である事は否めない。

 ──従ってその日は世の男は浮足立ち、世の女は色めき立つ。

 独身であればなおさらである。この日を切っ掛けに、恋人あるいは夫婦の誓いを交わし合う者も少なくないのだから。

 そんな行事をあと十日ほどに控えているというのに、年齢を考えれば過去に恋人の一人くらいはいてもおかしくない年頃の男であるユータスは、目前に突き付けられた妹の指を眺めつつ怪訝そうに軽く眉を顰めた。

「ライラ・ディ……? ──ああ、そんな行事もあったな」

 そんな問題発言を口にしながら。

 それがどうしたと言わんばかりの言葉に、ニナの口元に引きつった笑みが浮かんだ。ユータスが自分に関して無頓着なのは今に始まった事ではないが、恋愛面でもそうなのは頂けない。

(身近に女の子がいるくせに、何でこんなに鈍いのよ!?)

 もっともその『身近な女の子』であるイオリとは、時に叱り・叱られ、またある時はどつき・どつかれ、さらに風呂に放り込み・込まれる仲ではあるが、非常に残念な事に恋愛的な関係はまったく構築されていない。

 どれもこれも一方的に兄が悪いとニナは思う。

(お父さんに似て見た目はそこまで悪くないのに、どうしてこんなに中身が残念なの──!!)

 ちなみにニナは割と重度のファザコンである。仕事も出来て人当たりも良く、妻と子を何よりも大事にする父・コンラッドはニナの理想なのだ。

 今回、母のエリーにお菓子の作り方を習っているのも、大好きな父に『すごいな、ニナ。流石はわたしの自慢の娘だよ』と言ってもらいたいが故である。

 その父に外見だけはそっくりなので、余計に兄には手厳しく当たってしまうのだが、当のユータスはその事に気づいているのかいないのか。

 いつもの事ながら、こんな鈍感男に付き合わされるイオリが可哀想というものだ。

 ここは心を鬼にして、ライラ・ディが世の乙女にとっていかに大事で重要なものかを教えこまねば──ニナの瞳がきらりと光った。


「──お兄ちゃん、ちょっとそこに座って?」

 

 近くの椅子を指し示されてのその台詞にユータスはぎくりと身じろぎした。これは明らかに小言モード発動中だ。

「……飯はいいのか?」

 悪足掻きである事は承知の上で問えば、いい笑顔で黙殺された。料理は面倒だが、ニナの小言は下手すると小一時間では済まない。

 自分は一体何処で地雷を踏んでしまったのかと、この期に及んでもまだ理解出来ていないユータスは、一向に進む気配のないデザイン案をどうしたものかと考えつつ、言われるままに椅子へと腰を下ろした。


+ + +


 ──夜明けから数刻。

 今日も天気は上々、晴れ渡った青空が広がっている。穏やかな陽気が心地よい。

 朝食を摂るには遅い時分、昼食時を前に喧騒が増して活気が出てきた商店街を歩く人影が一つ。それはやがて、商店街の外れにある工房の前で立ち止まった。

 肩の辺りまでの少し伸びかけた真っ直ぐな黒髪に、澄んだ青い瞳。

 中性的な顔立ちは何処か凛として、その身を包むのは白を基調にした異国──シラハナの服。背筋の伸びたすらりとした立ち姿は、肉付きの薄さもあって一見すると十代前半の少年のようだ。

「……あれ?」

 しかし、大小様々、色んな材質で作られたペルシェの群れが並ぶ店先に視線を向け、その口から零れ落ちた疑問の声は少女の物だった。

 彼女こそ、工房の共同経営者にして医師見習いであるイオリ=ミヤモトその人である。

(店、閉まってる?)

 とは言っても、デザイン担当と実際の制作者が異なる事もあり、基本が受注生産なので開店と言っても店の扉が開いているかいないかの違いくらいしかないのだが。

 我が道を行くユータスだが、その辺りは割ときちんとしている。何事も面倒臭がりなので、逆にしなければならないと一度決めた事はちゃんとやるのだ。

 時刻は昼前──いつもならとっくに開店しているはずの時刻。なのにまだ店の入り口が閉ざされたままなのは変だ。

 昨日は上客にしてユータスの個人的な客であるヴィオラが来たはずだが、よもやそのまま制作にはまっているのだろうか──そんな有り得る可能性を思い浮かべつつ、イオリが店の扉に手をかけるのと中から少女の怒鳴り声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。


「──わかったお兄ちゃん? わかったら返事!!」


「……ニナちゃん?」

 聞き覚えのある声に何となく何がどうなっているのか予想がついてしまったが、ここまで来て帰るのは忍びなく、そろそろと扉を開いて中を覗くとそこには誰もいなかった。

 どうやら声の持ち主達は奥の方にいるらしい。

 いつも思う事だが、仮にも貴金属を扱う店なのに不用心過ぎる。いくら平和なティル・ナ・ノーグでも賊の類がいない訳でもないというのに。イオリは軽くため息をついた。

 そもそも、この工房の主が自分自身だけでなく自分の作品にすら無頓着で、その価値をちゃんと認識していないのが問題なのだろう。

 装身具の類を普段身に着けないイオリでも、その辺りに置いてある見本代わりの指輪等が、どれも銅貨数枚程度で買えるものではない事くらいわかる。


「本当に手がかかるんだから!」


 再び奥からプリプリと怒った声。

 どうやら小言モード発動中らしい。それなりに長い付き合いなので、こういう時のニナが時間を忘れる事はすでに承知している。方向性こそ違うが、よく似た兄妹である。

 今度は一体何をやったのかと呆れつつ厨房の中を覗くと、そこには腰に手を当てて仁王立ちするニナと、椅子に座らされ、小言のせいなのかそれとも別に理由があるのか、やけに顔色が冴えない様子のユータスの姿があった。

 ふと、目が合う。

 げっそりとした顔が、軽く驚いた顔になり、次いで何処となくほっとしたものになる。

「……イオリ」

「え、イオリちゃん?」

 ユータスのぽつりと漏らした言葉に、はっと我に返ったニナが振り返る。

 同時に兄妹二人の視線を受け、何となく居心地の悪い思いでイオリはおそらくこの場で一番相応しいと思われる言葉を口にした。

「えっと、……こんにちは」

「え、あれ? うわ、もしかしてもうお昼!?」

「ううん、そこまではまだだけど……。昼に近い時間なのは確か」

 イオリの返事にニナの顔色が変わった。次いで大変、と焦った様子で口走る。

「ニナちゃん?」

「ごめんね、イオリちゃん!! あたし、ちょっと買い物に行って来る!! すぐ戻るからー!!」

「え? どうしたの、一体」

「行ってきますー!!」

 夢中になると人の話を聞かない辺りもよく似ている。

 そんな事をぼんやり思いつつ、ばたばたと外へ駆けだしてゆく背を見送り、イオリは背後のユータスを振り返った。

「……で、今度は何なの」

 状況の説明を求めると、ぐったりと机に突っ伏しながらユータスが呻くように答える。

「──よくわからないけど、取りあえずオレが全部悪いらしい……」

「ナニソレ」

 まったく答えになっていない。何で怒られたのか理解してないようでは、ニナも怒り損というものだ。

「心当たりくらいないの? 自分の胸に聞いたら?」

「ん……」

 反応が鈍い。どうやら相当消耗しているようだ。ニナの小言を食らっただけではなさそうな様子に、今日来た目的を思い出す。

「そういや仕事は? 昨日マダムが来てたよね。やっぱり依頼?」

 ヴィオラが持ってくる依頼は数少ないユータスが好き勝手に作る事の出来る仕事で、基本的にイオリが手伝う事はないのだが、どんな依頼なのかは気になる。

 前は確かラミナだったな、などと回想していると、ユータスが机に突っ伏したまま目線だけ持ち上げてイオリを見た。

「──イオリはデザインを考える時はどんな風に考える?」

「え?」

 仕事に関してそうした事をユータスが尋ねてくるのは珍しく、イオリは軽く面食らった。

「どんなって……、依頼によるけど」

「たとえば贈り物の場合は?」

「うーん。依頼人によく話を聞いて、贈る相手が喜んでくれそうなものを考える、かな……」

 答えながらも、一般的過ぎる答えにそういう事を聞きたい訳ではないのだろうなと思っていると、ユータスはさして失望した様子もなく億劫そうに身体を持ち上げた。

「……ん。それが『普通』ってやつだよな」

 まるでそうした答えを期待していたように呟くと、疲れたようにため息をつく。珍しい事続きにイオリは驚いた。

「どうしたの、ユータ。まさか、そんなに難しい依頼?」

 あのヴィオラがユータスを困らせるような依頼をするとは思えずに確認すると、ユータスは小さく首を振る。

「仕事自体は難しくない。……時計の修復と装飾だから」

 確かにどちらもユータスの得意分野なのだから難しくはないだろう。だが、それにしては消耗度が高過ぎる気がした。

 ひょっとしてこれは寝ていないのだろうかという可能性に思い至る。

 デザインの段階で徹夜というのは覚えている限りでは今までになかった事だが、この仕事になると寝食を忘れる男に関しては否定出来ない。夢中で仕事をしていた割には、冴えない表情なのが気にかかるが。

「じゃあ、なんでそんな難しそうな顔してるの」

 さらに追及するとユータスはしばし言葉に迷うように沈黙し──。

「──『普通』って、難しい」

 そんな妙に哲学的な事を呟き、イオリを益々困惑させた。

※ライラ・ディ(ティル・ナ・ノーグにおけるバレンタインデー)についての詳細はこちら※

・「ニーヴに捧げる恋の唄」シリーズ

恋人たちの聖菓戦争 https://ncode.syosetu.com/n3589bb/ 作:みきまろさん


※今回お借りしたキャラクターと関連作品はこちら※

・イオリ(キャラ設定:香澄かざなさん) ⇒ 白花への手紙 https://ncode.syosetu.com/n1149bf/ 作:香澄かざなさん

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