人にはそれぞれ、想いの形(7)
「それでねウィル、一人で全部食べちゃったのよ! ずるい!! あのお店のお菓子、あたしもずっと気になってたのにー!!」
場所を店舗側に移し、ユータスが眠気覚ましに茶を淹れている横で、ニナは早速怒り心頭の様子で熱弁を振るっている。
「あー……」
だからバレると後が怖いからここで食えと言ったのに。
事と次第を理解したユータスは、おそらくその後、食べ物の恨みをこれでもかとぶつけられたであろう弟の安否を心から祈った。……実の所、忠告を聞かなかったウィルドの自業自得なのだが。
「あれ、そんなに有名な店の菓子だったのか?」
「うん! ”コレットの菓子工房”って言ってね、割と最近出来たお店なんだけど、人気があるお菓子はすぐ売り切れちゃうんだって!」
よくぞ聞いたとばかりにニナが拳を握って力説する。確かに見覚えのない菓子だとは思ったが、そういう背景のある店のものだったとは。
食べ物に執着がないのでその情熱は今一つわからないが、なかなか手に入らない物なのならニナがここまで怒るのもわからないでもない。
「商店街ってうちからちょっと離れてるから、お兄ちゃんの所に来た時くらいしか行く機会もないでしょ? 前々から前を通る度に、いつか食べてみたいなあって思ってたの! ウィル、それ知ってたくせに!!」
「……普通に買いに行けばいいじゃないか」
「”アフェール”にはクレイアちゃんがいるし、前から何度も行ってるから入りやすいけど、新しいお店に子供が一人で入るのってすっごく勇気がいるんだよ!! だからって、お母さんに頼むほどの事じゃないし。第一、一ついくらするかもわからないのに、冷やかしで入る訳には行かないじゃない! すっごく高かったらどうするの!!」
子供には子供の見栄というものがあるらしい。
その時は買わずに出ればいいじゃないかと思いつつも、言えばまた倍で返って来そうだった為、ユータスは心の内で呟くに留めた。
そもそも、この妹に口で勝てた試しなど過去を振り返ってもほとんどなかったりする。
ユータスはまだ言い足りない様子の妹をそのまま放置していても状況の改善は難しそうだと判断し、気づかれないようにひっそりとため息ついた。
「言いたい事はわかった。でも、昨日頑張ってくれたのがウィルなのは事実だろ?」
「そうだけど……! でも三つもよ!? 一つくらい分けてくれたっていいじゃない!!」
どうやら持ち帰った時点ですでに一つ食べた後である事は隠し通せたらしい。ばれていたらもっと怖い事になっていただろう。
いつもならニナが落ち着くまで付き合う所だが、今日はともかく時間がない。ユータスは最終手段に出る事にした。
「……わかったから。ほら」
「わっ、何?」
ユータスが放り投げて寄越したものを見事に受け止めたニナは、それが銀色に輝く硬貨である事に気づくと目を丸くした。
「店の場所はわかるんだよな?」
「え? う、うん」
「なら、それで好きなの買ってくればいいだろ」
「え!? でも……いいの?」
流石にねだるつもりはなかったらしいが、このままではいつまで経っても仕事に戻れない。
下二人に甘いユータスに対し、母からあまりいろいろ買い与えるなと前もって言われているのだが、今日は非常事態だ。食べて妹の怒りが治まるならそれに越した事はないし、念の為に自分も一緒に食べれば母からもそこまでお咎めはないだろう。
それに形を見ただけで満足していたが、そこまでウィルドや妹が絶賛する菓子をちゃんと食べておくのも悪くない気もした──おそらく、繊細な味の違いはわからないに違いないが。
「午後にはイオリも来るんじゃないか? その時に一緒に食えばいいだろ」
「あっ、そうか。そうだね! わかった!!」
いい口実とばかりにイオリの名前を出せば、イオリを実の姉のように慕うニナもようやく笑顔になった。
実際の所、イオリが顔を出すかどうかは五分五分なのだが、何か理由があれば動きやすいだろうというユータスの狙い通り、早速とばかりに立ちあがっている。
しかしながら、おそらくまだ早朝である。目的の”コレットの菓子工房”がいつ頃から店を開けているのかは不明だが、そうした嗜好品関係の店が開いているとは思えない時間帯だ。
気が早すぎると止めようとした矢先、すっかりいつもの調子に戻ったらしきニナが口を開いた。
「善は急げって言うけど、それよりまずは腹ごしらえだよね! あたし、食べて来なかったからお腹空いちゃった。お兄ちゃんもまだだよね」
まだと言うよりも、正確に言えばウィルドの差し入れを食べた後は水くらいしか口にしていない。そんな兄を見透かしたようにニナは実にいい笑顔で言った。
「丁度いいから一緒に食べよ? ”ベイカーズ・パイ”でパンを買って来るから、お兄ちゃんはその間に何か作っててね」
「──え?」
確かに菓子専門店に行くには早すぎるとは思ったが、そう来るとは。
まさかの展開にユータスは呆然と妹を見詰めた。そんな兄に対し、ニナは軽く眉を持ち上げ呆れたような表情を浮かべる。
「えって、何よ。もしかして何にもないとか? もう、仕方ないなあ。じゃあ別に何か材料買って来るから、念のためにもうちょっとお金頂戴」
「ちょっと待て」
当然のように手を突きつけられ、ユータスは困惑した。
実際ろくな食べ物がない事は事実だし、ニナが買い出しに行くのに反論はない。それはいいのだが。
「──オレが作るのか?」
「他に作れる人がいないのに、お兄ちゃん以外の誰が作るの?」
何をばかな事を言っているのだとばかりに疑問を返された。
確かに今までニナが厨房に料理目的で立った事は覚えている限りでは一度としてない。自他共に不器用と認めるニナに任せる事自体、考えも及ばなかったとも言うが。
「オレ、仕事中──」
「でも、さっき煮詰まったって言ってたじゃない。一晩考えて出て来なかったんでしょ?」
「……」
「そんな時は気分転換した方がいいんじゃない? と言うか、お腹が空いてる時は良い考えなんて出て来ないって、イオリちゃんだって言ってたよ」
繰り返す、この妹に口で勝てた事などほとんどない。結局、ユータスはニナの手に渋々もう一枚硬貨を載せた。
美味しそうなの買ってくると言い残し、ニナは来た時のように風のように外へと駆けだして行く。
(……やっと静かになった)
どちらにせよしばらくしたら戻ってくるのだが、取りあえず言うように食事をすればニナもこれ以上仕事の邪魔はしないだろう。戻ってきたら朝食を作る事が前提な訳だが。
ウィルドもニナも、どうも自分に食事をさせる事に使命感のようなものを持っている気がしてならない。被害妄想だろうか。
(料理か……。面倒臭い……)
一応、十三歳の頃から独り暮らし状態だったので、基本的な料理の仕方は母に叩きこまれてはいる。
『基本的』という言葉そのままの、切る・煮る・焼く程度だが、少なくともニナよりはまともに作れる事は事実である。
事実だが──仕事関係以外は何事も面倒臭がりなユータスには、ちょっとした調理も面倒な作業なのだった。その為、普段は滅多な事では料理などしない。
考えるだけで憂鬱だが少しの間だが出来た時間を少しでも仕事に費やそうと、ユータスは朝から疲れた気分で工房へと戻って行った。
+ + +
しばらくして戻って来たニナは、思いの外大荷物を抱えて帰って来た。
「パン少しオマケしてもらっちゃったー♪」
商店街にあるパン屋、”ベイカーズ・パイ”は藤の湯で売り子をしているパティの実家でもある。
パティにも弟と妹がおり、それぞれがニナとウィルドと年が近いせいか、なんだかんだとこちらもすっかり馴染みの店だ。
ほくほく顔で荷物(具材関係)を手渡され、ユータスは気乗りしない様子で厨房に向かった。
面倒だから切って煮るだけの野菜スープでいいだろうと適当な具材を求めて袋の中を掻き回していると、パンを何処からか探し出してきたかごに盛りつつ、ニナが不思議そうに尋ねてきた。
「お兄ちゃんってさ、何でそんなに料理するの好きじゃないの? すごく下手って訳でもないのに」
前々から疑問に思っていたのだ。おそらくその疑問はウィルドやイオリも抱えているに違いない。
「あたしから見たら普段してる仕事とか編み物の方が何倍も面倒臭いと思うんだけど」
実際に作業している所は流石に間近で見る事は難しいが、遠目で見るだけでもいろんな工程を重ねている事はわかるし、終わった後のユータスの消耗具合からして相当手間暇かかる事は確かだろう。
するとごそごそと袋を探っていた手がピタリとが止まる。そして少し考え込むように沈黙した後、ユータスはひどく億劫そうに答えた。
「──形が残らないから」
「へ?」
「料理は形を崩すのが前提だろ。だから好きじゃない」
至極真面目に返って来た答えに、ニナはぽかんと口を開けて呆れかえった。確かにそうだが、食事は楽しむ部分も大きいが、基本は身体を維持する上で行うものだ。
(そんな事を考えたらご飯とか食べられな──……)
そこまで考えてはっとニナは我に返った。
(確かにお兄ちゃん、食べないわ)
まったく食べない訳でなく、実家に帰って来る時は普通に食べるし(食べないと母の怒りが怖いというのも大きいだろうが)、出されたものは余程でもないと残す事もないのでそういう理由とは思いもしなかった。
「そういうものなの? でも作るのが好きなら、料理するのは楽しいと思うんだけどなあ」
編み物もそうだが料理も不得意なニナの少し悔しげな言葉に、再び具材を選びながら、ユータスはふと昨日のウィルドとの会話を思い出した。
「……そういや、母さんに習ってるんだって?」
そう何気なく口にした瞬間、ユータスは己が過ちを犯した事に気付いた。確かに母から習っているとは聞いたが、それは『料理』ではなく『お菓子』の作り方だ。
睡眠不足による思考力の低下が招いた失言に、先程までご機嫌だった妹の顔が、以前藤の湯でソハヤに見せてもらった『ハンニャ』の面にそっくりになっていた。
シラハナの民はシラハナスイーツといった菓子のみならず、非常に繊細な工芸品を作る事で知られている。
最初に見た時は人とは思えぬ形相に少し誇張が強いのではないかと思ったものだが、実際そういう顔を人が浮かべるのを目の当たりにすると、彼等の人の内面に対する観察眼の高さは実に素晴らしいとこういう時にしみじみ思う──もちろん、それが軽い現実逃避である事は自覚しているが。
「──ウィルね?」
眉を吊り上げたハンニャの顔のまま、ニナが確認してくる。違うとは言い切れない空気に、ユータスは渋々頷いた。ウィルドに口止めはされなかったが、やはり秘密にしておきたい事だったらしい。
「あいつ、口が軽いったら!! 折角当日にびっくりさせるつもりだったのにー!! 帰ったらとっちめてやる……!!」
昨日に引き続きウィルド終了のお知らせを聞きつつ、ユータスはその事態を招いてしまった事に良心を痛め──ずに、はてと首を傾げた。
「──当日ってなんだ?」
そういやウィルドもその日のお楽しみだと言っていた事を思い出す。
一体何の事なのかさっぱり見当もつかない様子の言葉に、ニナは怒りも忘れて、信じがたいものを見る目を向けてきた。
「やだ、お兄ちゃん……。もしかして、気付いてなかったの?」
「気付くって何を」
「あー……。お兄ちゃんが世間に疎いのは知ってるけど、それはちょっとあんまりだよ?」
十二歳の妹に世間知らずと言われても否定出来ない十八歳の兄は、仕方なく尋ねる事にした。
「だから何なんだ。そんなに重要な日なのか?」
「重要かですって? 当然そうに決まってるじゃない!!」
びしっと指をつきつけると、ニナは断言した。
芸術方面の兄、好奇心の弟に対し、ニナは小言モードに入ると勢いが止まらなくなる。
「ライラ・ディでしょ!!」
止めとばかりにニナが突きつけた単語に、ユータスはきょとんと目を丸くした。
※今回お借りしたお店(あるいはその関連)が登場する作品はこちら※
・"コレットの菓子工房" ⇒ ニーヴに捧げる恋の唄」シリーズ https://ncode.syosetu.com/s6374a/ 作:みきまろさん
・"アフェール" ⇒ 「黄金林檎の花は咲く」https://ncode.syosetu.com/n6119bb/ 作:桐谷瑞香さん
・"ベイカーズ・パイ" ⇒ 「幸運の尻尾」https://ncode.syosetu.com/n4599bc/ 作:水居さん