人にはそれぞれ、想いの形(6)
「あ、そろそろおれ帰るね」
ふと外を見れば、なんだかんだとすでに日が傾きつつある。
「これ初めて食べたけど美味しかったあ。残りは帰ってから食べよっと」
ウィルドは菓子の残りが入った箱を大事そうに抱え、椅子から腰を上げる。その様子に軽く眉を顰め、ユータスは声をかけた。
「待て、ウィル」
「ん?」
「お前、もしかしてそれ全部一人で食う気か?」
ヴィオラから貰ったのは工房によくいる人数を考慮してか四人分である。すでに一つはウィルドの腹の中なので、残りは三個。一人で食べるには多いが、家族四人で分けるには少ない。
ユータスとしては今回顔を出さなかったニナ辺りまでを勘定に入れていたのだが、ウィルドにはそのつもりはなかったらしい。
軽く唇を尖らせて反論してくる。
「だって、今回おれが頑張ったんだよ。たまにはいいじゃん!」
「別に悪いなんて言ってない。だが、あのニナの目を誤魔化せるのか? 一人で食うには多いかもしれないけど、ここで食っていった方が……」
食べ物の恨みは実に恐ろしいものである。
特に甘味に関しては相当のものだと過去の経験から知るユータスの心配する声に、何故か自信満々にウィルドは胸を張る。
「だーいじょうぶだって! 見つからないようにこっそり食べるし、姉ちゃんは今自分の事でいっぱいいっぱいだから気付かないよ」
「いっぱいいっぱい?」
「うん。今日も本当は一緒に来る予定だったけど、もうあまり時間がないから一人で行って来いって言われたんだよね。自分で来なかったんだから、このお菓子はおれの!!」
「時間がない? ……何かやってるのか?」
今日は姿がないと思ったらそういう事だったのかと納得しつつも、それはそれで疑問は増える。すると、ウィルドはにやにやと人の悪い笑顔で頷いた。
「そうなんだよ、姉ちゃん、母さんにお菓子の作り方を習ってるんだ。ほら、姉ちゃん不器用だから、すっごい苦労しててさ。そもそも細かい作業は兄ちゃんと違って向いてないんだから、最初からやめとけばいいのにね」
「菓子……?」
どちらかと言うと食べる専門で、自分でそうしたものを作りそうにない妹の顔を思い浮かべ、ユータスは眉間にしわを寄せた。
「──何のために」
「え、わからないの?」
「わからないから聞いてる」
「流石兄ちゃん……、ある意味、予想通りの答えだね」
何故か感心したようにそんな事を言われ、益々疑問は募った。一体何なのか。
表情からそう思っている事を汲み取ったのか、呆れたと言わんばかりにウィルドが眉を持ち上げる。
「そんなんだからイオリ姉ちゃんからも怒られるんだよ! ほら、あと十日したら──、……やっぱやめた」
けれどウィルドは答えを口にせずに、そのままケーキの入った箱を手に扉に向かう。
「ウィル?」
「教えてもいいけど、どうせ十日もしたらわかるからその時のお楽しみ! 姉ちゃん、絶対に兄ちゃんとこにも持ってくるよ」
心底楽しそうに言う弟の言葉に一体何だと思いつつも、そう言われると追及も出来ない。この様子だと問い詰めた所で答えるつもりはないだろう。
「じゃあ、帰るね」
「ああ、気をつけて帰れよ」
「わかってるって。兄ちゃんこそいくら仕事でもちゃんと食べて寝なよ? 本当に毎回グールみたいになってるんだからさ」
「……」
ウィルドの言葉に思う所があったのか、ユータスは考え込むように沈黙する。
言ってもおそらく改善はされないのだろうなとひっそり思っていると、ユータスが明らかに言葉を選んだ返事を返してきた。
「──善処する」
「……うん、そこで安易に『わかった』って答えないのが兄ちゃんなりの誠意なんだよね……」
ある意味、自分というものを理解している言葉である。
反省はしているようだが、一度仕事に入りこむと自分の事さえ二の次になる兄を、やはり夢中になると何処までも出かけてしまう所のあるウィルドは姉達のようには怒れない。
(それにこの兄ちゃんが自己管理まで出来るようになったら、それはそれで何処かに反動が出そうで怖い気がするし。下手したら本当に雪が降るよ)
あくまでも第三者だからこそ言える事を心の中で呟きつつ、ウィルドは扉に手をかける。
「それじゃ兄ちゃん、お茶ごちそうさま。またねー!!」
「……ああ、またな」
来た時と同様、騒々しく帰って行く弟をユータスはすっきりしない気持ちのまま見送った。
+ + +
気付くと外が明るくなっていた。
(……、朝か……)
手元にある毛糸が尽き、ようやく手を休めたユータスはぼんやりと窓の外を眺めた。
結局、ウィルドが帰ってからずっと手を動かしながら考え続けたのだが、これという決定打が見つからないままだ。
──普段好き勝手に作っているので気付かなかったが、まさか普通の物を造る事がこれほど難しいとは。
明日にはヴィオラがデザインを確認しにやって来る。それまでに何かしらの形を造らねばならないのに、この調子では間に合うのか少々怪しい。
「──……眠い」
頭と目と手先を同時に酷使したのだから当然である。そのまま睡魔に誘われるままにぐったりと作業台に突っ伏し、目を閉じかけ──た所で、工房の扉が激しい音と共に乱暴に叩き開けられた。
「お兄ちゃん!! 生きてるー!!」
今まさに死にかけていたユータスも、一瞬で目が覚める明るい声。
身を起こして目を向けた先、そこにはウィルドと同じ赤茶色の髪を首の上辺りで切りそろえ、兄よりも黄みの強い若草色の瞳をもつ少女が仁王立ちになっていた。
「──……、ニナ?」
昨日の弟に続いて、今度は妹のニナがやって来たようだ。続けて来る事もない訳ではないが、いつも来るのは大抵昼下がりで、こんなに早い時間から押しかけてくる事は滅多にない。
一体何事かと妹の動向を見守っていると、扉から飛び込んだ状態のまま無言で固まった妹がようやく口を開いた。
「……お兄ちゃん? どうしたの、これ」
ニナは工房の有様に目を向けながら、あからさまに引いた様子でそんな事を尋ねてくる。
どうしたと聞かれても不思議ではない。作業台の上にはユータスが一晩で編みあげた数々の編み物が山積みにされているのである。その背後に金属加工用の炉が鎮座していなければ、さながら毛織物の工房のようだ。
ユータスが考え事をする際に編み物をする事はニナも当然知っている。だが、普段はいくつか編んでいる間に考えがまとまる為、一度にここまでの量を編み上げた事はない。ニナが驚くのも当然だ。
「ちょっと、煮詰まった」
編み物の山の向こうから疲れたように首を回しながらユータスが答える。
「これ、ちょっとって数じゃないよ! ──もしかして徹夜した?」
「ん」
確認すればあっさりと短い返答が返ってくる。ユータスが制作でここまで行き詰まる姿は非常に珍しく、ニナは正直驚いた。
(お兄ちゃんでも人並みに思い悩む事ってあるのね)
そんな事を考えつつ、ニナは作業台の上に乗った編み物を手に取った。
母が編んでいるのを見て覚えただけなので、造る物はそこまで複雑な物はない。手袋やマフラー、帽子といった小物が中心だ。だが、それのいずれも目が綺麗に揃っており、売り物になるレベルである。
(相変わらず、無駄に上手だし)
むう、とニナは唇を尖らせた。
そのくせ編み上がったものには執着はなく、工房の片隅に毛糸の山と並んで無造作に積まれていたりするのだ。使い捨てならぬ、作り捨てもいい所である。作りたくても作れない者から見れば無駄な才能としか思えない。
実際、見かねたイオリがある程度貯まると整理を兼ねて孤児院に寄付したり、寺院主催のバザーなどに出したりしているらしい。
もはやここまで来ると特技とも言えるだろうが、いくら出来が良くても男の手作りだと思うと微妙な気持ちになる。
バザーではイオリが編んでいると思って買っている者がいるに違いないが、特に聞かれないので真実は知られていない。
世の中には知らない方が幸せな事もあるので、イオリもわざわざ制作者については言及していないようだ。それで正解だとニナも思う。
(どうせなら可愛い女の子が編んだと思う方がいいわよね)
さらにニナやウィルドも編んでもらった事が幾度もあるが、計った事もないのに誂えたようにぴったりなのである。
ユータス曰く『毎日のように見てたらわざわざ計らなくてもわかる』だそうだが、自分自身は不器用な部類に入るニナからすると、兄の器用さは羨ましいを通り越してもはや人外の域である。
そもそも普段造るものはどうしてこうなったと思える物も少なくないのに、何故か編み物に関してはまともな出来なのも不思議だ。
「……おい、ニナ」
実の妹に密かに人外扱いされている事に気付いている様子もなく、いつまで経っても本題に入らない妹にじれたようにユータスが口を開く。
「何?」
「何って……、オレに何か用があったんじゃないのか?」
ユータスの言葉に当初の目的を思い出し、ニナははっと我に返った。そうだ、ここに来たのは兄の手編みの品々を鑑賞しに来た訳ではない。
どん、と拳を作業台に叩きつけると、徹夜明けで頭がよく働かないユータスに向かい、鬼気迫る様子でニナは絶叫した。
「聞いてよ、お兄ちゃんー!!」
──これは長くなりそうだ。
そう判断したユータスはよろよろと椅子から立ち上がった。
仕事中と言えばニナも引きさがるだろうが、肝心のデザインがまだ出来そうにないし、朝っぱらから押しかけてきた妹を追い返す事など妹弟に甘い彼の選択肢には最初からなかった。
「わかった、聞く。──取りあえず場所を変えよう」
ヴィオラが来るまであと正味一日──模索するデザインはまだまだ見えてきそうにない。