男の意地と女の見栄(22)
「ニコラスさんっ、ここですか!?」
ニコラスを探していたらしい人物は、そこに目的以外の人間の姿──しかも珍しい組み合わせ──を見つけて目を丸くした。
暗い亜麻色の髪を首の後ろで括った青年は、地面に座っていかにも仲良く昼食を取っているといった雰囲気の二人へ交互に視線を向け、さらに誰かを探すように周辺へ空色の目を走らせる。
「あ、あれ? いない……」
そのままがっくりと肩を落とし、途方に暮れたように佇む姿には哀愁が漂う。
程良く鍛えられていると思われる背格好と落ち着いた雰囲気を漂わせる精悍な顔立ち。どう見ても大の男にしか見えないはずなのに、その様は何故か子犬がしゅーんと尻尾を丸めて落ち込んだ姿が重なった。
「どうしたの、アレイ」
アレイと呼ばれた青年はフェッロの声ではっと我に返ると、気を取り直したように口を開いた。
「食事中に済みません。あの、フェッロさん。ニコラスさんを見かけませんでしたか? この辺りで見かけたって聞いたんですけど」
「ニコ?」
見かけるも何も、彼の探し人はつい先程までここにいた人物である。なるほど、とフェッロは先程のニコラスの挙動不審さを納得した。どうやら友人には余程捕まりたくない理由があるらしい。
ここでしらばっくれるか、それとも正直に答えてやるか──しらを切った所で何の得にもならなさそうだと、軽く天秤にかけてからフェッロは頷いた。
「ニコならさっきまでここにいたよ」
「いたんですか!? ここに!?」
「うん。ユータスとお昼を食べてたらいつの間にか一緒にいたけど」
「そうですね」
特に否定する理由もないのでユータスも同意すると、アレイ──正しくはアレイオン・ガーランドという──は、まるでやっとの思いで捕まえた大きな魚をうっかり逃がしてしまった猫のように呆然とした表情を浮かべた。
「そして逃げ……た……?」
あんなに大声でニコラスの名前を呼んでいれば、探し回っていると言っているようなものなんだけど──とフェッロは思ったが、何の解決にもならなければ慰めにもならない(むしろ追い打ちをかける)と思えたので口にする事は差し控えた。
その間にアレイオンは我に返り、軽く頭を振ると危機迫る表情でフェッロに詰め寄る。
「それで! ニコラスさんは何処に行ったんですか!?」
寡黙そうな見かけによらず大変表情豊かだが、実はこう見えてまだ十代──さらに言うとユータスと同じ年だったりするのだ。
そのあまりにも必死な様子にユータスは首を傾げた。アレイオンとの面識はそこまで深くないのだが、彼が騎士団に所属している事は知っている。騎士団がここまで必死に人を探す理由と言うと──単純に思いつく事は一つしかない。
(ニコラスさん、何をやったんだ……?)
そう、いわゆる犯罪やそれに類した行為である。
逃げ出す直前のフェッロとのやり取りを思い出す。『何もやっていない』と本人は否定していたが、それにしては見事な逃げっぷりだった。
ティル・ナ・ノーグの治安は騎士団によって守られており、代々の領主の手腕もあり長く平和が続いている。
ユータスが十代の若さで独立出来たのも、本人の努力や才能を別にすれば、それを許す成熟した経済と社会、外部からの物すら柔軟に受け入れる民があっての事だ。彼等の庇護を受ける一般市民としては捜査(?)に協力したい気持ちはある。
だが、ニコラスが騎士団のお世話になるような事をするようにも思えない。何かあったとしても、おそらく訳ありだろう。どうすれば良いのか反応に困っているとフェッロが先に尋ねた。
「アレイ、ニコに何か用でもあるの?」
「個人的にはありませんが、公的にはあります」
「あー……、やっぱり」
「……?」
親しいフェッロにはそれだけのやり取りで大体の事は把握したようだが、第三者に近いユータスにはさっぱりわからない。そんなユータスを置き去りにして二人の話は進んで行く。
「何処に行ったかはわからないけど、今日は揚げ物屋の手伝いをしていたみたいだから、そっちを張ってみたら」
「流石に警戒されていませんかね……? すぐに戻るでしょうか」
「そこは保証出来ないけど。闇雲に探し歩く寄りは確実じゃないかな」
「それはそうなんですが、『一刻以内に連れてこい』って姉……副団長からの命令で」
話の流れは見えないものの、追われている人間が捕まる可能性の高い場所に行かないであろう事は想像出来る。アレイオンの何処か萎れた様子に納得しつつ、ユータスは一方で深まるばかりの疑問を前に眉間を寄せた。
(騎士団の副団長って確か──。連行命令って、もしかして余程の事じゃないのか?)
現在、騎士団──正式な名称を天馬騎士団という──を若くして束ねる団長ジークヴァルト・アンスヘルムと、その補佐的な存在である副団長ペルセフォネ・ガーランドは様々な意味で有名だ。
世間の事に疎いユータスだって彼等の噂はそれなりに耳にしているし、妹達の付添いで祭などに出掛けた際に彼等の姿を遠目なりに見てもいる。
副団長であるペルセフォネは名前でわかるようにアレイオンの親族──実の姉である。長身の弟に対し、姉のペルセフォネは非常に小柄と外見も正反対だが性格もそうらしく、アレイオンが姉にまったく頭が上がらない事は周知の事であった。
今回もおそらく無茶振りをされたのだろう。やはり妹には高確率で言い負かされるユータスは、同情の視線を送るばかりだ。
苛烈な事で知られるペルセフォネ・ガーランド──彼女の元に連行されるなど、極悪人でも御免蒙りたいに違いない。ニコラスのあの逃げっぷりの良さはそれでかと納得していると、思いがけない言葉をアレイオンが続けた。
「本当に困ったなあ……。実は今日、闘技場を借り切っての大演習の日なんですよね」
「……ん? 大演習?」
まったく予想外の単語にユータスが不思議そうに繰り返すと、アレイオンは困った顔のまま頷いた。
「遠征するとなるといろいろ大変だから、時々借りてモンスター討伐の演習とかするんだ。流石に演習の為だけにモンスターを捕まえて来る訳にも行かないし、闘技場になら本物がいるから。今回はノイシュ様も視察に来るらしくて……。だからあんなに今回だけはさぼらないで下さいって念を押してたのに……」
アレイオンの説明にユータスは数度瞬きを繰り返した。
確かに入団試験などで騎士団が闘技場を借りる事があるという話は何処かで聞いた覚えがあるが──それをさぼるという事はつまり。
「あの……、もしかしてニコラスさんって──騎士団の人なのか?」
「え? そうだけど……」
何を今更と視線で問い返される。確認を込めてフェッロにも視線を向ければ、こちらも肯定するように頷いた。
(なんで騎士団の人が売り子やら試食の手伝いをやってるんだ……?)
只者ではないとは思っていたが、よりにもよって騎士が本業だとは思いもよらなかった。いや、そもそも騎士の身で副業をやっていてもいいのだろうか。
ユータスの視線で困惑を察したのか、フェッロが簡単に補足した。
「ちなみにあれは仕事というよりは……そうだな、うん、趣味みたいなもの?」
だから副業ではない、という事らしい。
「趣味って……、売り子がですか?」
「うん」
それは随分と変わった趣味である。
実際はそれなりにいろいろな背景があった上での行動であって、『趣味』と表現するには語弊があるのだが、ニコラスにとっては不幸な事に、ユータスは奇人変人が多い職人界隈であまり一般的と言えない趣味の人間を山ほど知っていた。
法に触れる事ならともかく、誰かに迷惑をかけるような事でなければ趣味や嗜好は第三者がどうこう言うべきではない──正確に言うならば、関わりにならない方がいい──と思っている。その結果、彼は『趣味なら仕方がない』とフェッロの言葉をそのまま鵜呑みにした。
「それにしても……、闘技場か。それなら仕方ないね」
しおしおとうなだれるアレイオンの肩を、いろいろと理解したフェッロは同情を込めてそっと叩いた。それは場所が悪かったとしか言い様がない。
ニコラスにとって闘技場は鬼門である。そちらに行く用事があっても、あからさまにそこを避けるので余程近寄りたくない場所なのだろう。
「仕方ないってなんですか。ただでさえ姉上の機嫌があまり良くないのに、これ以上怒らせたら……! ううっ、胃が痛い……」
「胃薬なら、カターニャさんに調合して貰うのが一番だってビアンカが」
胃の辺りを押さえるアレイオンに、親切心からフェッロが薬を紹介すると、ユータスが同調するように頷いた。
「ああ……、それはよく効きそうですね」
「うん。苦みとかも調整してくれるから子供でも飲みやすいって……あれ、ユータスも胃薬の世話になる事があるの」
胃薬など普段悩み事などなさそうな様子な上に、胃を悪くする程物も食べなければ、耐性がないせいで酒精の類も口にしないユータスには無縁の物である。実際、ユータスの脳裏に浮かんでいたのはある時イオリが作った緑色の粥の姿だった。
「いえ、胃薬じゃなくて栄養剤……? のようなものをこの間口にして……三日くらい寝てなかったんですが、すごくすっきりしたので」
「それは効果もすごいけど、ユータスはもうちょっと寝た方がいいと思う」
結果的に話がひたすら脱線して行くのを、アレイオンの疲れた声が遮る。
「……お二人とも心配してくれているのかもしれませんが、根本的な解決にはなってな──……!?」
不意に言葉が途切れたかと思うと、その顔がみるみる内に蒼白に染まる。何事かと見守る二人の前で、アレイオンは大変な勢いで背後を振りかえった。




